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電話帳の年表

Last-modified: 2016-04-10 (日) 21:13:00

NTTが1983年(昭和58年)に「タウンページ」「ハローページ」という名称で
電話帳を発行してから既に20年が経ちます。
この10年、インターネットや携帯電話が登場する中で、電話帳は新しいメディアの特徴を駆使し、
ますます世の中に身近で便利な存在になりました。

 
 Contents
 

''1877年(明治10年) Edit

  • 工部省東京築地電信分局と工部大学校間で最初の通話テスト*1が行われる

''1890年(明治23年) Edit

明治23年 電話加入者人名表-電話帳WIKI
  • 電話事業が12月16日に開始したことから、12月16日は「電話の日」となった。

''1897年(明治30年) Edit

  • 「電話番号簿」の名称が電話交換局事務規定で制定され、「電話番号簿」と統一的に使用される

''1898年(明治31年) Edit

明治31年 電話番号簿-電話帳WIKI
  • 「電話番号簿」の本文の配列を電話番号順から縦書きのイロハ順に改正

''1925年(大正14年) Edit

大正14年 東京の電話帳-電話帳WIKI
  • 東京の電話帳の本文配列を50音順(アイウエオ順)に改正。*3また、形式も縦書きから横書きとなる

''1926年(大正15年) Edit

  • 全国的に、横書きアイウエオ順に改正

''1931年(昭和6 年) Edit

昭和6年 電話番号簿-電話帳WIKI
  • 「電話番号簿」に初めて「広告」を掲載*4

''1942年(昭和17年) Edit

  • 戦争の激化により電話帳の発行を一時中止する。*5

''1948年(昭和23年) Edit

  • 終戦後、初の東京電話帳発行*6

''1950年(昭和25年) Edit

''1951年(昭和26年) Edit

昭和26年 職業別電話番号簿-電話帳WIKI
  • 職業別分類の電話番号簿が生まれ、「職業別電話番号簿」*8「人名別電話番号簿」の2つの電話番号簿が発行されるようになる
  • 古い電話帳と新しい電話帳の交換、回収を始める

''1952年(昭和27年) Edit

  • タウンページ・ハローページ広告代理店(財)電気通信共済会設立*9

''1953年(昭和28年) Edit

  • 無線綴製本による電話帳が発行される
  • 小型電話帳が発行される。東京で初めてのオフセット印刷を採用

''1954年(昭和29年) Edit

  • パリで「国際電話年鑑」*10が発行される

''1959年(昭和34年) Edit

昭和34年 50音別電話番号簿-電話帳WIKI
  • 「人名別電話番号簿」を「50音別電話番号簿」と名称を変更

''1964年(昭和39年) Edit

  • 「オリンピック電話帳」が発行される
  • 電話帳に記載される掲載名義の変更を認める。より探しやすいものになる(名前を屋号・商品名からでも調べられるようになった)

''1965年(昭和40年) Edit

  • 古電話帳の回収を廃止する*11

''1971年(昭和46年) Edit

  • 「電話番号簿」を「電話帳」と改称し、「職業別電話帳」「50音別電話帳」となる

''1972年(昭和47年) Edit

  • 東京23区の古電話帳回収を再開する

''1974年(昭和49年) Edit

  • 73年秋の石油ショック以降、電話帳の用紙節減のため、収録区域の分割による分冊化と、発行周期の延長(1年から1年半)を実施

''1983年(昭和58年) Edit

  • 「職業別電話帳」をタウンページ、「50音別電話帳」をハローページとする愛称の決定

''1984年(昭和59年) Edit

趣味の電話帳-電話帳WIKI
  • 「タウンページ」の発行周期を1年半から1年に短縮
  • バラエティー電話帳の発行*12

''1985年(昭和60年) Edit

昭和60年 ニューページ-電話帳WIKI
  • 各種「ニューページ」の発行開始

''1986年(昭和61年) Edit

昭和61年 CDタウンページ-電話帳WIKI
  • 「CDタウンページ」*13を開発
  • 東京23区に電話帳のコンピュータ編集システムを導入
  • 初めてタウンページの表紙が黄色と黒の表紙となる
  • 職業分類が以前の650種類から1700種類へ、見出し語も3倍の6000語になった
  • 電電公社がアメリカの電話帳発行会社ITT−WD社と提携し、(株)日本電話帳開発(NDD)を設立*14

''1988年(昭和62年) Edit

  • 英語版タウンページ「CITY SOURCE」*15が発行される

''1989年(平成元年) Edit

  • レイアウト・職業分類改善によるニュータウンページ発行
  • タウンページ情報販売開始

''1990年(平成2 年) Edit

  • 104の費用負担適正化に伴い、希望する地域のハローページの全国・全版無料提供の開始
  • 点字電話帳の全地域における発行

''1991年(平成3年) Edit

  • 長崎市島原市の普賢岳、非難住民のための仮設住宅の電話帳を配布*16

''1992年(平成4 年) Edit

  • 64頁輪転印刷機の導入
  • 東京23区版5分冊電話帳が発行される

''1993年(平成5 年) Edit

  • マルチメディア電話帳誕生(パソコンネットでタウンページ検索サービスを開始)
  • 明治時代時代から半世紀にわたって横浜市内の電話交換局で使われていた「電話加入申込者原簿」18冊が見つかる*17

''1994年(平成6 年) Edit

  • 新キャラクター「タウンページ君」登場*18

''1995年(平成7 年) Edit

  • 阪神大震災被災地に「阪神・淡路復興支援版タウンページ」*19「フッキュウライン電話帳」「ライフライン電話帳」を緊急配布
  • 電話帳統合システムサービス開始(北陸・東北)
  • 英語タウンページ情報をインターネットで実験的に提供開始する

''1996年(平成8 年) Edit

  • タウンページに4色カラー広告登場(黒・赤のほかに、青・緑を追加)
  • 「インターネットタウンページ」サービス開始(東京23区)

''1997年(平成9 年) Edit

  • インターネットタウンページで全国のタウンページ情報が検索可能となる
  • 128頁輪転印刷版の導入

''1998年(平成10年) Edit

  • 「インターネットタウンページLite」サービス開始
  • 128頁輪転印刷機が導入される

''2000年(平成12年) Edit

  • 新広告規格「ホワイトノックアウト広告」「フォトカラー広告」登場

''2001年(平成13年) Edit

  • ハローページ個人名編の希望者への配達実施
  • 電話帳クローズ度ループリサイクルが開始される

''2002年(平成14年) Edit

  • タウンページにフルカラー広告登場
  • 新広告規格「ジャンプ広告」「フェイスオン広告」「特集広告」登場
  • 英語版タウンページが休刊になる

''2003年(平成15年) Edit

  • 「新タウンページ(デイリータウンページ・ビジネスタウ
    ンページ)」広島県版発行

''2004年(平成16年) Edit

  • 「新タウンページ」順次全国導入開始
  • ディスプレイ1/1見開き広告登場
  • ハローページ新広告規格(2色化)登場

''2006年(平成18年) Edit

  • タウンページに新たな編集方法(職業分類のグルーピング)の導入
  • 「ニッポン全国名産品タウンページ」が発行される(東京23区)

''2007年(平成19年) Edit

  • 新広告規格「URL広告・E-mail広告」「ディスプレイ3/8広告」「ディスプレイ3/4見開き広告」「アイコン(インコラム広告・コメント広告オプション)」登場
  • タウンページの職業分類グルーピングページへサイドカラーを導入開始




*1 最初の通話テスト…ベルが世界で初めて電話を発明した翌年のことで、金や人手に糸目をつけなかったことが開通を早めたものと思われる。しかし開通が早かったものの、電話交換事業が遅れたのには、渋沢栄一ら事業家によるアメリカ式の民間電話会社設立のアイデアと、政府の官営化政策が一致しなかったからであると考えられる。
*2 この頃の電話交換業務…明治23年。番号順に加入者が並び、住所はない。東京が269番まで、横浜が60番まで印刷されている。電話をかけると、まず交換手につながれ、交換手が加入者人名表「電話帳」を探して番号につないでいた。最初の交換手は東京で女性9人、男性2人、横浜は男性4人でスタートしたが、昼は女性、夜は男性が交換業務を行っていた。それが10年後には女性330人、男性100人と大きく増える。そして、このころ、男性交換手の愛想の悪さや、高給料だったせいもあり、交換手は女性に限られた。
*3 「アイウエオ順横書き」電話帳誕生…これまでの「イロハ順縦書き」から、その時代、学校教育や一般社会にも浸透しつつあった「アイウエオ順横書き」に変えようという案がでてから、関係者が大いにもめた。大議論に大議論を重ね、現在の形に近い電話帳が誕生した。
*4 広告の掲載スタート…当時、通信省管轄。広告収入が黒字になるか、半信半疑だった通信省だったが、広告募集としたところ、私製の電話帳での広告効果を知っていた企業からの申込みが殺到。すぐさま広告料値上げをしたが、それでも掲載希望は減ることはなかった。
*5 電話帳一時発行中止…食べることすらままならない時代。資源の節約もあったが、労力の節約でもあった。
*6 戦後初、電話帳発行…1945年11月時点で通話可能なものだけが掲載された、168ページのものであった。資源不足で、紙は統制品。このとき、私製の電話帳作成が許可されていた珍しい時代である報知新聞社が6月に発行したものは、名前・住所・職業の入った本文ページ612ページ、広告12ページで560円という高額なものだった。
*7 枕の電話帳」…第二次世界大戦後、初のきちんとした電話帳の発行。東京全域を1冊にまとめたもので、本文だけでも159ページあり、3キロ近い重さがあった。電話帳配布の連絡を受けたら、電話局まで受け取りに行かなければならなかった。当時、紙の供給が追いつかない時代で、古い電話帳と新しい電話帳を交換していた。戦後、発行された電話帳をもらっていない人や、混乱でなくしてしまった人もいて交換できない人もいた。古い電話帳はないが、新しい電話帳が欲しい人からは低下450円の3分の1の150円を徴収した。
*8 職業別電話番号簿」…五十音順に名前の並んだ番号簿から分冊されて発行された。このときの電話加入者は戦前の最盛期のほぼ2倍、19万強。電話帳は加入者の120%程度の数を刷ることになっているため、全国で23万部程度発行された。用紙統制の解除された年に出され表紙には良質の黄色い紙が使用された。
*9 電気通信共済会設立…タウンページ・ハローページについての広告、版下作成、NTTへの納品、販売を担当。掲載する広告の原稿の作成方法の相談にのってくれる。制作費は広告料金に含まれる。
*10 国際電話年鑑」…全部で96カ国、20万人が掲載。名前と住所が掲載されていた。1699ページで英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語の4カ国表記であった。そのなか、日本人については47ページ・およそ2000人が掲載された。ほとんどが企業で、日本円で2000円ほどでだれでも掲載可能であった。とうじのフランス政府郵政大臣も出席した出版記念パーティーを盛大に開き、記念イベントも行った。パーティー席上から世界の五大都市に国際電話をかけるという豪華なものだった。
*11 電話帳回収を中止…加入者の増加、人手不足、道路の交通渋滞などの理由で電話回収を中止する。ちょうど高度経済成長の真っ只中で、使い捨てに抵抗がなくなっている時代であった。回収されなかった電話帳はチリ紙交換に出されることになったが、廃品業者も回収を拒否するようになり、仕方なくゴミとして出されるようになる。その後、ゴミ問題となっていった。
*12 バラエティー電話帳の発行…全国の書店やキオスクで、数十種類のバラエティー電話帳が販売された。日本で最初のエアポートの本といわれた「日本のエアポート」は全国73ヶ所の空港・歴史・周辺の観光・ショッピングガイドなどの電話帳。「日本の趣味の電話帳」は、書・謡・舞といった伝統芸術や家元についての全国の電話帳。
*13 1
*14 電話帳発行会社設立…民営化を前に社内資源の活用を考え始めた電電公社は、電話帳事業を発展させることにし、電話帳先進国のアメリカから電話帳づくりを学ぶ為、アメリカの会社と提携し、1986年に新会社を設立させた。「広告効果のでやすいレイアウト、引きやすい見出しにして利用率を高めることがポイント」との理念のもと職業別分類方法や、配列・検索見出しなどについて「開発」していった。掲載する広告の営業方法や、生産工程、配送コスト削減などいたるところにこだわった。
*15 CITY SOURCE…「英語版TOWNPEGE」の前身。東日本版と西日本版があり、97年3月発行分は東西合わせて33万部。アメリカのノウハウを導入し、アメリカ式に分類された業種をアルファベット順で探すもの。ガスや郵便の利用方などの生活情報や、観光地の紹介などが掲載され、旅行で訪れる観光客にも利用しやすい内容となった。掲載条件は英語ができることであった。
*16 仮設住宅の電話帳…普賢岳の噴火によって、避難生活を余儀なくされ、仮設住宅で暮らすことになった人々のためにこの時期新しく発行された電話帳には、仮設住宅や仮の住まいの名前で、掲載された。住民票は元の住所のままで、実際に住んでいる住所を載せることにした。混乱防止のため、電話設置場所の住所以外は掲載できないとして、元の住所は消して掲載した。
*17 電話加入申込者原簿」…NTT横浜の倉庫から見つかった原簿は、すっかり茶色く変色していたが、加入者の住所や職業、氏名など、書かれた内容も読み取れるものであった。一般庶民の名はなく、貿易商の加入者が多かった。
*18 タウンページ君…NTTの新しいイメージキャラクター。アメリカのアニメーション作家J・オット・セイボルトのデザイン。リーダーっぽいのが小林君、元気はつらつタイプが堀内君、のんびりやさんが栗原君と、それぞれ名前がついていた。初期は、坂本君、西郷君、大久保君と違う名前が付けられていた。
*19 阪神・淡路復興支援版タウンページ」…阪神大震災後、支援をするための電話帳を発行し、無料でくばった。この電話帳には、特集として、衣食住を中心に分類した「目的別索引」、震災の復興に関する各種相談窓口などを紹介した「あなたの街の復興支援情報ページ」、交通・文化・スポーツ・暮らしの相談などの「公共サービスページ」が作られた。この特別なタウンページは、阪神版、尼崎版、神戸市版、淡路地方版の4種類発行された。各地域に住んでいる人にはNTTから届けられたが、それ以外の地区に住んでいる人や、震災前に住んでいた地域の電話帳を欲しい人にも無料で配られた。