【すぎやまこういち】

Last-modified: 2024-04-15 (月) 21:37:32

概要

【ドラゴンクエストシリーズ】【楽曲】を手がけた作曲家。1931(昭和6)年生、2021(令和3)年没。
シナリオ・ゲームデザインの【堀井雄二】、キャラクターデザインの【鳥山明】とともにDQスタッフ「ビッグ3」の一角を占めていた。
ドラクエの曲を作る際は実際にプレイしながら構想を練っていたそうで、そのことにまつわるエピソードも多い。
なお、アクションゲームの【ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔】は「老齢(当時70代後半)ゆえに体に堪える」ということで辞退している(【松前真奈美】が担当)。
 
なお「すぎやまこういち」は本名で、漢字で「椙山浩一」と書くが、読み間違いが多いという理由でひらがな表記にしたもの。
ファンからは【すぎやん】という愛称でも親しまれており、その名を冠した仲間モンスターも何体か登場している(後述)。
またドラクエのモンスターでは【ドラキー】が好きらしく、その理由は「指揮者が燕尾服を着ているように見えるから」だという。音楽家らしい発想だ。
 
ちなみに、SFC版DQ1・2のソフトをよく見てみると「すぎやこういち」と誤植されてしまっている。

経歴

交響組曲「ドラゴンクエスト」のオーケストラによるコンサートを毎年各地で行っていた。
1960年代後半に大流行したグループサウンズ時代の大御所作曲家の一人であり、ドラクエ世代より上の年代の人にも高い知名度を持つ人物。
 
なおDQ以外の作品としては以下がある。

  • 弦楽のための「舞曲」
  • 五重奏曲「魔術」
  • 亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガース)
  • 学生街の喫茶店(ガロ)
  • 恋のフーガ(ザ・ピーナッツ)
  • 花の首飾り(ザ・タイガース)
  • ミュージカル 「孫悟空」
  • ミュージカル 「シンデレラ」
  • 伝説巨神イデオン
    • カンタータ「オルビス」
  • 魔法騎士レイアース (TV版・監修)
  • 帰ってきたウルトラマン
  • 科学忍者隊ガッチャマン
  • ゴジラVSビオランテ
  • サイボーグ009 (TV第2期および劇場第3作)
  • 東京・中山競馬場 発走ファンファーレ(一般/特別/重賞/G1)(1986~)

その他、CMの曲から政治家のテーマ曲など、ここでは書ききれないほど多くの曲を作っている。
 
本人は「自分がやりたいことは、何が何でも実行する『子供』のような人」と、「周囲の目を気にして、やりたいことができない『大人』な人」を対比させ、「子供でいい」「僕もやりたいことをやりたいようにやってきた」と語っている。
 
実は音大卒でなく東大卒(理科二類→転部して教育学部心理学科を卒業)。本人曰く、音大へ行く学費がなかったうえにピアノも弾けなかったので「仕方なく」とのこと。作曲はすべて独学である。
東京大学卒業後は【フジテレビ】に入社し、ディレクターとして「ザ・ヒットパレード」を企画。周囲の反対を押し切って放送を実現させ、大ヒット番組となった。ちなみに、この番組のテーマソングも自身で作曲している。
その他にも、「新春かくし芸大会」などのヒット番組を次々と制作した。
 
TVディレクターの仕事と作曲を並行して続けていたが、ヒット曲が増えるに従って自分の曲が自分の番組に出ることも多くなり、変な憶測をされないようにと苦慮することになる。
また、JASRACとフジテレビが著作権料について揉めることも増えた。
最終的には「やっぱり音楽がやりたい」とフジテレビを退社。作曲に専念することとなる。
 

  • 1986年5月:ドラゴンクエスト発売。
    8月:「組曲ドラゴンクエスト」を収録(すぎやまこういち指揮 東京弦楽合奏団:ほぼN響メンバーで管・打楽器も含む)、初のオケ音源となる(他にすぎやま自身の演奏によるシンセサイザー音源も収録された)。
  • 1987年8月:第1回「ファミリークラシックコンサート ドラゴンクエストの世界」開催(すぎやまこういち指揮、東京弦楽合奏団、サントリーホール)。以後2019年まで毎年8月、すぎやま指揮で実施される(その後逝去までの2020年・2021年はいわゆる新型コロナウイルスの影響で不開催)。
    12月:DQ3発売に先立って【NHK交響楽団】で「交響組曲ドラゴンクエストIII」を収録、初のフルオーケストラ音源となる。以後DQ5まではN響がオケ音源を担当する。
  • 1994年:【ロンドンフィルハーモニー管弦楽団】の演奏でSFC版「交響組曲ドラゴンクエストI」「交響組曲ドラゴンクエストII」を発売。以後DQ7までロンドンフィルがオケ音源を担当。
  • 2004年3月9日:以後のオケ音源は全て【東京都交響楽団】で収録することが発表され、DQ8以降は都響収録となる。
  • 2016年9月:85歳にして「世界最高年齢でゲーム音楽を作曲した作曲家」としてギネス世界記録に登録された。
  • 2018年:旭日小綬章を受章。
  • 2019年4月11日:88歳の誕生日を迎え、【鳥山明】によるサプライズイラストが描かれた。音符のスライムたちに囲まれて、米寿(88歳)とかけてかベージュのローブの纏って指揮棒を握った勇者の姿というもので、「とりやまあきら」のサインの上には "DRAGON QUEST LXXXVIII(88)" の文字が書かれた。
  • 2020年:文化功労者に選出。
  • 2021年7月23日:東京2020オリンピック(予定より1年延期)開会式にて、入場行進曲として多数のゲーム音楽が使用される中、【ロトのテーマ】がその最初と最後を飾る。まさしくクールジャパンの象徴として世界に発信された瞬間であった。

東京2020オリンピックの2ヶ月後、2021年9月30日に、敗血症性ショックにより逝去。享年90。
逝去公表は1週間後の10月7日に行われ、同日付の【スクウェア・エニックス】松田社長メッセージによると、開発中のDQ12の作曲が最後の仕事となったという。この日はSNSでは【ザオリク】がトレンドワード入りした。
2022年の24時間テレビにて彼の半生が「すぎやまこういち物語」としてドラマ化された。すぎやまこういち役を安田顕が担当。

ドラゴンクエストとの出会い

すぎやまこういちをスタッフに迎え入れたのは、【エニックス】のプロデューサーの【千田幸信】である。
きっかけとなったのは、すぎやまがエニックスに送った同社のPCソフト『森田和郎の将棋』のアンケート葉書であった。この葉書がたまたま【ポートピア連続殺人事件】のアンケート葉書の束に紛れ込み、千田の目に留まったそうだ。
内容は「終盤は強いけど、序盤の駒組がイマイチ」「音楽が無いので何とかしたら?」というような内容で、本人は「ちょっと生意気なことを書いちゃったなぁ」と投函を思い留まり、机の上に放っておいたが、奥さんが見つけて、事情を知らずにポストに投函してしまった、というのが事の真相のようだ。
こうしてすぎやまと千田は会うことになり、千田は「これからのゲームは音楽の重要性がより高まるため、プロによる曲が必要不可欠」と力説。すぎやまもこれに同意した。
そしてエニックスのゲーム音楽を手がけて欲しいという依頼を二つ返事で承諾。元々ゲームが大好きであったすぎやまは、「やるやる!やりたい!」という感じだったらしい。
手始めにエニックス開発のPCゲーム『ウイングマン2』のゲーム音楽を手がけた後、新作RPG、すなわちドラゴンクエストの制作スタッフの一員となった。
 
しかし、スタッフとの初顔合わせの際には「俺たちのグループによそ者が入ってきやがった、という雰囲気だった」とすぎやま本人は語っている。
「当時のゲーム開発の現場は大学のサークル活動の延長線上で、アマチュアの熱気でゲームが作られていた時代だった」とか。
現役大学生や20代の青年たちが多くを占めるスタッフの中にあって当時50代のすぎやまはまさに親子ほどの年齢差。確かに居心地は良いものではなかったであろう。
特に、すでにDQのために内部で曲を用意していた【中村光一】との折り合いが悪かったようだ。
しかし、ゲームの話題で盛り上がったことで世代差を超えて打ち解けることに成功し、晴れてDQの楽曲を手掛けることとなった。

音楽性

ゲーム中は同じ音楽をずっと聴く傾向にあるという発想から何度聴いても飽きないような「聴き減りしない曲作り」を意識している。
ドラクエの音楽がクラシックを基調としているのも「中世ヨーロッパ風の世界」と言われたことに加え、流行の音楽ではやがて飽きるだろうという考えもあるという。
ゲーム音楽では場面によって様々なジャンルの音楽が必要とされるが、すぎやまは必要とあらばそれぞれのジャンルの音楽をしっかり学んでから作曲していた。
その「学ぶ姿勢」は徹底的であり、フジテレビでヒットパレードのディレクターをしていた時代には、出演者からカメラマンに至るまで楽譜を読めるように教育していた(楽譜が読めない歌手は追い返しており出演させなかった)し、FF6の作曲者である植松伸夫に対しても、オペラのシーンの曲について「君、オペラのことを何も知らずに曲書いたろ!」「知らないなら一言、相談してくれればよかったのに!」と、不勉強を指摘することもあった(ちなみにすぎやまは、FF1~6まで全てエンディングまでプレイした上で、植松に対して毎作のようにFF楽曲の良かった点や改善すべき点を電話で伝えていた)。
また、DQ1開発当時の情勢として、2~3トラックまでしか使えず音色も極めて限られるという制約、あるいはゲームそのものの社会的地位の低さ、ゲーム音楽そのものの音楽的地位の低さによって多くの作曲家がゲーム音楽の作曲に難色を示した中、すぎやまは音楽界の大御所でありながらいち早くゲーム音楽に取り組んだ、作曲家として稀有な存在である。
そして、上記の理由で作曲を拒む音楽界の風潮に対して否定的な姿勢を見せており(下記参照)、逆に「ゲーム音楽は将来、映画音楽と肩を並べるほどのジャンルになる」と発言していた。
このように先陣に立ってゲーム音楽の世界を開拓してきた功績から、マスメディアからは「ゲーム音楽の父」という二つ名を付けられることが多い。
 
音楽に関するすぎやまの発言として代表的なものは、

  • 最近はやたらサウンドで厚化粧していて、その実くだらない曲が多いのですが、ゲーム音楽は2声や3声しか使えないので、ごまかしが効きません。メロディー・ライティングの力量が正面から問われることになるのです。本来、曲の素晴らしさの中心は、バッハにしてもベートーベンにしても、抜きんでて優れたメロディーラインにあったのではないでしょうか?
    プロの作曲家にゲーム音楽を頼もうとすると、メロディとハーモニーだけでは勝負できないような連中は、みんな拒否したわけです。「3トラックで音楽ができるわけがない」という声もあったんですが、 僕から言わせると、「それは力がないから」です。バッハの「フルートのための無伴奏パルティータ」は、フルート1本ですばらしい組曲ができてるわけです。あれは1トラックなんだよね。1トラックでも、メロディ、ハーモニー、リズムをぜんぶ表現できるということを、大先輩のバッハがやってるわけですから、「2トラックではできません」というのは、プロのセリフではない。
    • (FC時代、多くの作曲家がゲーム音楽の作曲を辞退していたことについて)
       
  • 55年と5分でできたんです。
    • (ドラクエの序曲を5分で作ったことに対して、ピカソの名言になぞらえて)
       
  • 例えばバッハやベートーヴェンの曲には、その時代に人気があったダンスのリズムが入っているように、現在であればロックやディスコでのダンスのリズムが入ってくるのは自然なこと。それを拒否するのは時代感覚がないというか、極端に言えば、現代に生きていることを自分から否定するようなものですね。
    • (交響組曲で使われているドラムセットについて)
       
  • CMや映画の劇伴は制作時間が短いことがほとんどで、前日の夜に打ち合わせて翌朝10時までに作って、なんてしょっちゅうだった。そういうことを生業としてやってきたから、1週間で作ってと言われてもびくともしなかったですね。
    • (ドラゴンクエストの曲を1週間で作ってくれと頼まれたことを回顧して)
       
  • 現代音楽的な手法は、場合によっては有用。魔王の曲などで、オドロオドロしい雰囲気を作るのに役立つ。
    • (多数の作編曲家にインタビューした本で、「現代音楽」について語る場面において)
      • 多くの作編曲家が、現代音楽について「技法が先行しており音楽の価値から外れている(前田憲男)」「枝の先の方へ行ってしまい幹たり得ない(川口真)」「ハッキリ言って嫌い(朝川朋之)」「(ジョン・ケージについて)単なる音を使ったパフォーマンスとしてもつまらない(服部克久)」「書きたいと思わない(宮川彬良)」などと批判(時に罵詈雑言)を並べ立てる中、すぎやまこういちは現代音楽を肯定的に評価した数少ない人物であった。
      • FC時代にゲーム音楽の作曲を辞退するプロ作曲家が多かったことについて、上記のように述べて現代のプロの作曲家の姿勢を批判していたことからも、並の作曲家とは感性も、異質な音楽を受け入れる度量もケタ違いであることを伺わせる言葉である。
         
  • ピアノも弾けないゲーム好きの少年が、音楽への情熱だけを頼りに作曲家としての道を進むことができました。こうやって振り返ってみると、好きな音楽をやるために、何事も恐れず、諦めずにやってきたような気がします。
    音楽が好きで好きでたまらないという気持ちが、僕と音楽の触れ合いを支えてきたのでしょう。

などがある。
 
なお、本人曰く、苦手分野は「戦闘曲」とのこと。
戦っている場面について一作につき2~4曲を書かなければならないので意外と大変だそうだ。
通常戦闘曲についてはいつも5曲ぐらい候補を作って、そこから1曲を選んでもらっているとのこと。

ゲーム向け作曲もするゲーマーとして

自身も筋金入りのゲーマー(自称「元祖プロ・ゲーマー」)であり、必ず自身でプレイしてから作曲している。
例えばDQ9【天の祈り】は元々2ループだったが、実際にプレイしてみて天使界にいる時間が意外と長いことが分かり、転調した3ループ目を書き足した。
他方、【ドラゴンクエストソード 仮面の女王と鏡の塔】では、自分の年齢ではリモコンを振るプレイスタイルではテストプレイが出来ないということで辞退し、【松前真奈美】を推薦した。
 
なお、ドラクエなどをやる時は主人公の名前を「すぎやん」にしているとのこと。
FC時代は濁点も1文字として数えられるのでこの名前にするのは無理だったが、SFC版以降は濁点で文字数を消費しなくなったため、晴れて「すぎやん」と入力することができるようになった。
なお、主人公が王族の時などは【すぎまろ】にするなど結構拘っているらしい。
その語感の良さから彼のあだ名としてファンの間では定着しており、スタッフや関係者の名前がつけられることの多い【仲間モンスター】の名前にも採用されている。
DQ5の【ヘルバトラー】3体目に「すぎやん」、DQ8の【スカウトモンスター】に闇のコンダクター「すぎやん」(ドラキー)がいる。
 
やり込みっぷりは相当なもので、「言っとくけど、DQ4は全員レベル99ですよ。裏ボスを3ターンで倒しました。」とか、DQ8を3周もプレイしていたり、DQ9を発売前にレベル97まで上げてしまったり(なお、その後プレイ時間170時間で全員レベル99にして、レベル99魔王に挑んでいる)、3DS版DQ7では【神さま】を4ターンで倒したりと、数々のガチ極まるエピソードを持つ。

著作権

日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員という肩書もあり、著作権に対しては非常に高い意識を持っていることでも知られる。
MIDIなどのDTMによる既存曲の再現にも厳しい立場をとり、DQシリーズの曲を個人で打ち込みをし、インターネット上でアップロードする際にも、無断ではなく正規の契約をするように推奨している。
そのため一時期ネット上でDQの曲はほとんど耳にすることがなくなっていたが、YouTubeやニコニコ動画などでは包括契約を締結して権利関係がクリアされたため、徐々にだが打ち込み作品が戻りつつある。
なおJASRACはその組織の性質などから批判を受けることが少なくないが、すぎやま自身は著作権に対する厳しい立場をとる理由について、

「音楽提供者側に対価が回らないことによる創作意欲の低下、
ひいては音楽業界への就業意欲の低減での業界縮小の懸念」

と述べている。

蒼天のソウラ

15巻で名前が登場。【Love Song 探して】の<作曲>として、「<作詞>三浦徳子」と併記されて登場した。