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Last-modified: 2008-05-22 (木) 22:06:21

248 名前: イドゥンとお庭とエリンシア姉さん [sage] 投稿日: 2008/04/13(日) 23:32:29 ID:WyOBacdm
 今日は空の散歩をしよう。
 唐突にそう思い立ったイドゥンは、飛竜石を使って飛竜に化身すると、竜王家の庭を]
蹴って大空に舞い上がった。
 力強くはばたき、晴れ渡った青空を目的もなく飛び回る。
 町の様子が見たいと思って低空飛行に切り替えると、眼下から誰かが呼ぶ声がした。
「イドゥンさーん」
 見ると、他の家に比べると少し大きめなある民家の庭で、見覚えのある女性がこちらに
向かって大きく手を振っていた。
(エリンシアさん)
 今ではもうすっかり馴染みとなった、例の兄弟家の次女である。イドゥンはゆっくりと
兄弟家の庭に降り立って、化身を解いた。
 庭に立っていたエリンシアは、イドゥンを見てほっと息をついた。家事の途中だったの
か、地味な服装に主婦らしい花柄のエプロンをつけている。
「ああよかった、やっぱりイドゥンさんでしたわ」
「こんにちは」
 両手を合わせて笑顔で迎えてくれたエリンシアに頭を下げつつも、イドゥンは少し不思
議に思った。
「どうして、わたしだと?」
「秘密ですわ」
 エリンシアは悪戯っぽく微笑んだあと、「そんなことより」と嬉しそうに手招きした。
「これからティータイムにしようと思っていたところなんです。よろしければ、ご一緒に
いかがですか?」
「いいのですか」
 急に参加しては迷惑なのではないだろうか、と思って聞くと、エリンシアは「とんでも
ない」と首を振った。
「今日はお家にわたし一人でしたので、少し寂しく思っていたところですから。どうぞ、
ご遠慮なく」
「それでは、お邪魔させていただきます」
 エリンシアの後について、庭の隅にある白いテーブルまで歩いていく。
「おかけになってお待ちくださいな」
 言い置いて、エリンシアはいそいそと縁側から家の中に入っていく。
 彼女を待っている間、イドゥンはなんとはなしに兄弟家の庭を眺めていた。竜王家ほど
ではないが、広い庭だ。隅っこの方には何やら得体の知れない野菜がたくさん植わってい
る畑があり、少しはなれたところには剣術修行用と思しき藁束やら、弓矢の練習用と思し
き的などが並んでいる。と思えば、畑とは逆の隅っこに、こじんまりとした庵が建ってい
たりする。庵自体は和風なのに、何故か入り口付近にアスタテューヌの女神像とミラの女
神像、竜神ナーガを象った像などが置かれていて、混沌とした佇まいを見せている。
(不思議な場所)
 それが素直な感想だった。どう見ても統一感がないのに、さほど無秩序な印象を受けな
いというか、無秩序ながらもしっくり来るというか。
「変なお庭でしょう」
 白いトレイに白いティーポット、ティーカップを載せたエリンシアが、それらをテーブ
ルに置きながら笑った。
「いえ、見ていてとても楽しいです」
「あら、ありがとうございます。ふふ、他の皆さんも、そう言ってくださるんですよ」
 穏やかに笑いながら、エリンシアはティーカップに紅茶を注ぎ始める。
「あそこはアルムちゃんがお野菜を育てている畑で、あちらにあるのはアイクがエフラム
ちゃんに頼まれて作った『マギ・ヴァル庵』……こっちはよく倒壊しては何度も建て直し
ているのですけれど」
 説明しつつ紅茶を注ぎ終えたエリンシアが、「どうぞ」とティーカップを勧めてくる。
イドゥンは一口啜り、息を吐いた。穏やかな春の日差しと相まって、のんびりとした気分
になってくる。
「お口に合いませんでした?」
 イドゥンが何も言わないからか、エリンシアが少し不安そうに問いかけてくる。イドゥ
ンは首を振った。
「いえ、とても気持ちが落ち着く味です」
「まあ、ありがとうございます。光栄ですわ」
 エリンシアは嬉しそうに微笑み、自分もまたティーカップに口をつけた。
249 名前: イドゥンとお庭とエリンシア姉さん [sage] 投稿日: 2008/04/13(日) 23:33:33 ID:WyOBacdm
 改めて彼女を見てみると、おしゃれとは縁遠いイドゥンにもそうと分かるぐらい、落ち
着いているというか地味な服装をしている。こうして花柄のエプロンをつけて家事の合間
に一息いれている様など、ほとんど完全に専業主婦である。
 そんなエリンシアを見ていると、思い出すことがあった。
「そういえば」
「はい?」
 エリンシアが目を瞬く。失礼になりはしないかと少し迷ったが、イドゥンは前々から少
し疑問に思っていたことを口にした。
「エリンシアさんは、アイクさんたちと同じ学校に在籍されていたと聞いています」
「はい、もう卒業しましたけれど。それが、なにか?」
「以前、イナ姉さまが仰っていました。エリンシアさんはとても優秀な学生だったと」
「まあ、そんなことはありませんわ」
「生徒会長としても、とても優秀だったとか」
「いえ、ルキノ……ああ、友人の皆様方の助けがなければとても……自分の無力を不甲斐
なく思うことばかりでしたわ」
 懐かしむように目を細めるエリンシアに、イドゥンは静かに問いかけた。
「そういう方なのに、進学する素振りは全くなかったと。イナ姉さまが、不思議そうに
仰っていました」
 その理由はなんなのか、と口には出さなかったが、エリンシアもイドゥンがそう聞きた
がっていることを察してくれたらしい。
「そうですね」
 ティーカップに指をかけたまま、目を閉じて語り出す。
「少し、考えはしました。ミカヤ姉様もシグルド兄様も、大学に行きたいのなら遠慮はす
るな、と仰ってくださいましたし、弟や妹たちも、口々に姉さんはもっと勉強すれば、凄
く偉い人にだってなれる、と言ってくれましたわ。でも」
 はにかむように苦笑する。
「散々悩みはしましたけれど、やっぱり家にいたいな、と思いまして」
「どうしてですか」
 イドゥンが一番聞きたいのは、そこだった。
 自分のように何となく外に出るのが怖い、という感じでもなく、社会に出る能力がない、
というわけでもないエリンシアが、あえてこの家で主婦のような立場に収まっている理由。
 最近外に出るようになって、外界の楽しさを知りつつあったイドゥンだからこそ、そう
いうエリンシアの姿勢はとても不思議に思えたのだ。
 しかし、彼女はあっさりと答えた。
「家族が好きですから」
「家族が」
「ええ、そうです」
 また紅茶を一口啜り、エリンシアは嬉しそうに目を細めて門の方を見つめる。
「昔から、家事はほとんどわたしの役目でした。いつも出来る限り早く家に帰ってきて、
弟や妹たちが遊んで帰ってくる頃に、ちゃんとお風呂やご飯を用意しておいて。賑やかに
笑ったり、喧嘩したりしながら帰って来るあの子たちを、一人一人出迎えて。自分はそう
いうのが一番好きなんだな、と、そのとき思いましたの。外で頑張っているあの子たちの
ために、楽しい我が家を心地よく整えておく、そんな幸せがあってもいいんだなって」
 穏やかな口調で語り終えた後、「だから、まあ」とエリンシアは苦笑した。
「結局、自分が一番楽しい、幸せだ、ということを追い求めていたら、自然とここに帰っ
てきていた、というか。生徒会長とかも、辛いだけではなかったのですけれど」
 答えになりましたかしら、とエリンシアはちょっと首を傾げる。イドゥンは頭を下げた。
「ありがとうございます。エリンシアさんのことが、少しだけ分かったような気がします。
ここにいると落ち着く理由も」
「そうですか、それは良かったですわ」
 エリンシアが嬉しそうに笑ったとき、不意に空の方から重々しい羽音が聞こえてきた。
「ウィーッス、ハールの宅配便でーす」
 どことなくやる気のなさそうな声とともに、黒い竜に跨った配達員が庭に降り立った。
彼が差し出した小包を、エリンシアは笑顔で受け取る。
「いつもありがとうございます、ハールさま」
「どーも。サインもらえます?」
「ええ。はい、どうぞ」
「はいどーも、ありがとやんしたー……って、お?」
250 名前: イドゥンとお庭とエリンシア姉さん [sage] 投稿日: 2008/04/13(日) 23:34:02 ID:WyOBacdm
 その配達員は竜の手綱を引いて空に舞い戻ろうとしたらしいのだが、それは出来なかっ
た。跨っていた黒い飛竜が、あろうことがその場にぺたんと伏せて居眠りを始めてしまっ
たのである。配達員は「またかー」と頭を掻きながら、自分も大きく欠伸をする。
「すんませんねーいつもいつも。ちっと昼寝させてもらいますわ」
「はい、どうぞ。どのぐらいで起こしましょうか?」
「いえいえ、お構いなく。どうせその内ジルの奴が起こしにくるだろうし……ふあー……
そんじゃ、お言葉に甘えて」
 その配達員もまた、竜の腹を枕にして眠り始めてしまった。と同時に、また羽音が聞こ
えてくる。今度は鷺のラグズ兄妹が庭に下りてきた。
「エリンシアさま!」
「近くに来たから、寄らせてもらった。突然ですまない」
 妹の方がエリンシアに飛びつき、兄のほうも少々尊大ながらも礼儀正しく頭を下げる。
エリンシアは妹の方の頭を撫でながら、二人に椅子を勧めた。
「こちらへどうぞ。紅茶を淹れ直してきますので。お茶菓子もありますのよ」
「いただき……ます!」
「すまない、馳走になる」
 エリンシアがまた家の中に入っていく。彼女を待っている間、イドゥンは鷺の兄妹と取
り留めのない会話を交わした。知らない人間と話すのはまだ少し怖かったが、話題がエリ
ンシアについてだったのと、鷺の少女が拙い言葉ながらも一生懸命話してくれたので、あ
まり緊張せずに済んだ。
「この男はまたここで居眠りをしているんだな」
 例の配達員のほうを見ながら、鷺の青年が呆れたように言う。その言葉に、イドゥンは
少し興味を惹かれた。
「いつも、こうなんですか?」
「ああ。この家に来ると決まって眠くなる、と言ってな。まあ分からんでもないが」
「どうしてですか」
「ここは基本的に正の気に満ちている。まあ他の兄弟が帰って来ると多少負の気が強くな
るのだが、彼女が一人でいるときはセリノスの森と変わらぬほど空気が清浄なんだ」
「だから……ともだち、いっぱい、きます」
 少女が片言で言うのと同時に、また羽音が。
「ヤッホーエリンシアさん、またロイ君の話聞かせてもらいに……って、あれー、知らな
い人がいるー!」
 空から舞い降りてきたのは、やけに元気な天馬騎士の少女だ。続いて、門の方から青い
髪の青年が入ってくる。
「エリンシアさま、近くに来たので立ち寄らせていただきました……おや、君たちは」
「じょふれしょーぐん、こんにちは」
 鷺の少女が頭を下げる。と、今度は塀を乗り越えて少し身なりの汚い少年が。
「エリンシアの姐さーん、また残り物分けてちょーだいなー」
「リカード、お前はまだそんな暮らしを」
「うわー、鷺の兄さんがいるよー。まずいときに来ちゃったなー」
「どういう意味だそれは。エリンシアは穏やかだから何も言わんが、わたしは違うぞ」
 鷺の青年が、浮浪児らしき少年に説教を始める。そんなことをやっている内に、赤い髪
を一つに束ねた竜騎士の少女が配達員の男を起こしに来たり、占い師らしき老婆が無遠慮
に上がりこんできたり、お駄賃目当ての鴉が嘴に木の実なんぞをくわえて持ってきたりと、
庭はどんどん騒がしくなっていく。
251 名前: イドゥンとお庭とエリンシア姉さん [sage] 投稿日: 2008/04/13(日) 23:34:47 ID:WyOBacdm
「あらあら、皆さんおそろいで」
 また庭に出ていたエリンシアは、そこで起こっているちょっとした騒動を見ても、大し
て驚いた様子を見せなかった。
「いつも、こうなんですか」
 イドゥンが聞くと、エリンシアはにっこり笑って頷いた。
「はい。皆さん我が家を気に入ってくださって、よく立ち寄ってくださるんですよ」
「あ、エリンシアの姐さんだー! ご飯ちょーだーい」
「エリンシアさん、すみませんがハールさんを起こしてくださいますか」
「おいエリンシアさんよ、木の実持ってきてやったから金くれ、金」
「ネサラ、お前は一体いつまでそんな生活を」
 喧々囂々。耳が痛くなるほどの騒ぎの中、それでもエリンシアは楽しそうに微笑み、丁
寧に一人一人の相手をしている。
 その光景を見ていると、何故こうもこの家に人が集まってくるのか、イドゥンにも何と
なく理解できるような気がするのだった。

「また、いつでもおいでくださいね」
 というエリンシアの言葉に甘えて、イドゥンはそれからもたびたび、昼下がりの兄弟家
の庭で紅茶をご馳走になるようになった。そこには相変わらずイドゥンのほかにもたくさ
んの人が訪れるので、知り合いも随分増えたつもりである。
 そうして以前よりも多少親密になった頃、イドゥンはエリンシアから二つの贈り物をも
らった。
 一つはバアトルズ・ブートキャンプというDVDで、もう一つは兄弟さん家のエフラム
君の小さい頃のアルバムである。
 前者は素直に真似しようとしたイドゥンに全身筋肉痛を引き起こさせ、後者はそれを見
つけたミルラからの羨望と嫉妬の念を浴びる原因になったりもしたが、とりあえず彼女と
エリンシアの間は、今も良好と言えそうである。