現実での刀

Last-modified: 2012-10-02 (火) 08:11:14

大包平:大包平
世界最高の刀といわれる名刀



兼定:和泉守兼定
新撰組副長、土方歳三が愛用した。



虎徹:長曾祢虎徹
新撰組局長、近藤勇が愛用した。



牛切丸:牛切丸
牛を一刀両断したことから命名されたらしい



細太刀:餝剣
実戦では実用性がなく偉い人の飾りだったもよう



三日月:三日月宗近
豊臣秀吉の側近が所持し、その遺品として徳川秀忠に贈られ、
以来徳川将軍家の所蔵となっていた。



菊一文字:菊一文字
新撰組一番隊組長、沖田総司が使っていたらしいが定かではない
現在国宝!∑(゜∀゜)



同田貫:同田貫正国
実戦向き、戦国武将が愛用したそうな



長船:備前長船
佐々木小次郎の愛刀、三尺を超える大業物
つまり物干し竿のことか!∑(゜∀゜)



製造法

日本刀はまず、製造時代と刀身の二つで分類されます。



 まず、製造時代から
 古刀(平安末期から戦国時代まで)、
 新刀(江戸初期から幕末まで)、
 新々刀(明治維新から終戦まで)、
 現代刀(終戦以後から現在)に分けられます。
 (なお、古刀以前の刀は上古刀と言われ、考古学的物と考えられます。



 次に刀身の長さから、
 刀身60cm以上の古刀を太刀(たち)(60cm未満は小太刀)、
 同じく刀身60cm以上の新刀以後の物を打刀(うちがたな)、
 30cm~60cmの物を脇差(わきざし)
       (内、40cm以下を小脇差という)、
 30cm未満を短刀(鍔の無い物を匕首(あいくち))と呼ぶ。


 なお、太刀と打刀の違いは、
 太刀は刃を下にした状態で鞘に収めて紐で吊るし、
 打刀は刃を上にして鞘に収め、腰帯に差す。
 余談だが、
 鎌倉時代主流だったのは太刀の中でも
 刀身85cm前後の野太刀(のだち)と呼ばれる物で、
 その長大な刀身を力任せに振り回すのが主流でした。


・日本刀の製造方法

 日本刀は、その独自の製造方法で
 世界でも類を見ない強度と切れ味を誇る。



 その製造方法はまず、
 鉄の中でも最上級の玉鋼と呼ばれる物を炉で熱し、
 それを鎚で叩いて伸ばし、
 有る程度伸ばしたらそれを半ばから曲げて半分の長さに戻し、
 それを熱して叩いてまた曲げてを繰り返す(平均13回)。


 これにより、鉄の内部に何重もの層が出来、
 これが日本刀の強度の秘密である。
 最後に、その伸ばした鉄を水に漬けて一気に固めます。(これを焼入れと言う)
 この焼入れは非常に難しく、
 水の温度を少しでも間違えれば
 どんな優れた鉄で作ろうとナマクラになってしまうため、
 焼入れの水の温度は刀工達の間でも秘伝とされ、
 愛弟子にすらなかなか教えなかったそうです。
 この焼入れこそが、日本刀の切れ味の最大の秘密である。


・以下に、有名な刀をざっと紹介。

 なお、日本刀の名前と思われている物は、
 そのほとんどがそれを作った刀工の名前であり、
 正確にはブランド名と考えるのが正しい。


 正宗・・・鎌倉時代の名刀。
  名刀の代名詞とも言えるのだが、
  戦国末期に豊臣秀吉が珍重した事から価値が急騰。
  それに付随して贋作も大量に作られ、
  あまつさえ時の権力者などが部下に恩賞として与える為に
  わざわざ贋作を正宗と鑑定させたらしい節もある。
  どちらにしろ、本物は少ない。


 村正・・・室町時代から江戸初期、三代続いた名工の作。
  こちらは妖刀の代名詞だが、
  その由来は後に幕府を開いた徳川一族が
  この村正銘の武器で殺傷される件が相次ぎ
  (あの徳川家康も村正銘の槍を検分中、取り落として指を落としたそうです)、
  仕舞いには幕府から村正禁止令が出た程である。
  だが、その素晴らしい出来栄えと切れ味から
  戦国武将にも愛好者が多かった村正は、
  銘を消したりして誤魔化す事で所持する物が後を絶たず、
  銘を偽造した贋作も大量に横行する。
  幕末にはその切れ味から
  人斬りと呼ばれる暗殺者達も村正を愛用した事から
  妖刀のイメージは更に広まり、
  また倒幕を掲げた志士達が自分の刀に勝手に村正の銘を刻んだ事もあり、
  現在では世界で最も贋作の多い名刀である。


 備前長船・・・
  またの名を備前国長船。
  これは備前の国の長船と言う刀工集団が作り出した刀で、
  製造年代も幅広い。長船の後に刀工名を付ける事で区別されるが、
  あの佐々木小次郎の刀、物干棹(刀身なんと1m)もこの備前長船である。


 村雨・・・
  正式には村雨蘭丸。
  里見八犬伝の中に出てくる名刀で、始終その刀身からは水が滴り
  人を斬っても決してその刃が血に汚れる事は無いと言われる。


 虎鉄・・・
  江戸時代前期の名刀で、
  あの新鮮組局長、近藤勇の愛刀しても知られる。
  だが、実は近藤勇の持っていたのは幕末の名刀、
  源清麿を虎鉄と騙されて買った物と言われている。
 なお、清麿も名刀の一つである。


 鬼切丸・・・
  同名のマンガで有名な平安時代末期の名刀。
  髭切とも言われ、源氏に伝わる名刀の一つ。
  かの酒天童子を討ち取る際に使われたと言う。


 童子切安綱(どうじぎりやすつな)・・・
  平安時代の刀工、安綱の最高傑作と言われる刀で、
  上の鬼切丸と一緒に酒天童子の討ち取りに使われ、
  その首を切り落としたと言われる。
  室町時代には天下五剣の一振り
  (ほかは鬼丸国綱、大典田光世、数珠丸恒次、三日月左近)と数えられる。


 そはや丸、大通連・・・
  奈良時代、初代征夷大将軍、坂之上田村麻呂が
  邪鬼、悪路王と戦う時に使った名刀がそはや丸、
  そして田村麻呂と死闘を繰り広げた悪路王の妻、
  鬼女鈴鹿御前が使ったとされるのが大通連である。
  一説には、その後田村麻呂と鈴鹿御前は夫婦となり、その二振りの刀も夫婦刀となったとされる。


●沖田総司と菊一文字

  総司が愛用していたという菊一文字則宗。
  後鳥羽天皇の御番鍛冶の首座にあった現存すれば一億円はくだらない名刀。
  則宗は鎌倉時代初期の福岡一文字派の刀工。現存は未だ確認されていません。
  菊一文字説は、ほぼ100%に近いほど 否定説が多いです。その否定説の裏づけは以下の通り。

 ① 高価すぎて総司の所持は不可能。
   高給取りだったとは言え、とっても総司が手の出せる金額ではない。
 ② 当時ですら菊一文字自体の現存が怪しく、
   万が一現存していたとしても国宝級であった為、総司の手に負えるものではない。
 ③ (金額面、仕事面から見ても)人斬りの消耗品として扱える刀ではない。
 ④ 実践に不向きな刀で、総司・得意技の「三段付き」はできなかった(だろう)。


小烏丸

伝承・伝来

桓武天皇の時代、大神宮(伊勢神宮)より遣わされた
八尺余りある大鴉によってもたらされたと伝えられ、
小烏丸の名はその大鴉の羽から出てきたとの伝承に由来する。刀工「天国」作と伝えられる。

後に平貞盛が平将門、藤原純友らの反乱を鎮圧する際に天皇より拝領し、
以後平家一門の家宝となる。
壇ノ浦の合戦後行方不明になったとされている一方、
小烏丸という刀剣が皇室御物として保管されている。
当該御物は江戸時代になって伊勢家で保管されていることが判明し、
明治維新後に対馬の宗家に渡った後、明治天皇に献上された。

現存する小烏丸

皇室御物となっている小烏丸は 刃長62.7㎝、反り1.3㎝。
刀剣としての特徴は刀身の先端から半分以上が両刃になっていることで、
これを鋒両刃造(きっさきもろはづくり、ほうりょうじんづくり)と呼び、
以降、鋒両刃造のことを小烏造と呼ぶようになった。
茎(なかご)と刀身は緩やかな反りを持っているが
刀身全体の長さの半分以上が両刃になっていることから、断ち切ることに適さず、
刺突に適した形状となっている。
「天国」の銘があったとの伝承もあるが、現存する小烏丸は生ぶ茎(うぶなかご)・無銘である。

日本の刀剣が直刀から反りのある湾刀へ変化する過渡期の平安時代中期頃の作と推定され、
日本刀の変遷を知る上で貴重な資料である。

補足カキコミ

 誤字脱字から語尾の修正、情報の補足、経験・体感。
 気軽に書き込みお願いします。

不思議

寺ちゃん? (2012-10-02 (火) 08:11:13)

名刀を3口購入してから不思議な事に自分の夢がドンドン叶うでは
ありませんか?自分自身でも何か変化しているようにも感じますが
刀には不思議な力が秘められています?皆さんも刀を購入される際
は3口くらいが運気が非常に上昇しますよ。是非体感して下さい


名刀購入

寺ちゃん? (2012-09-20 (木) 08:04:54)

最近、名刀を連続3振り購入しました。1振り目:藤原吉武(業物)
2振り目:金房政次(業物)3振り目:備前長船(元重)最上大業物
毎晩3振りを順番に観賞中 やはり長船は超最高です(高額過ぎますが!)


チャンバラ史実

YOSHIKI? (2008-04-06 (日) 23:13:17)

初めまして。初カキコさせて頂きますYOSIKIです。
時代劇で見るチャンバラですが、実際の刀を持って(重量1000g位)
踊りのような型や動き、刀同士をカチャカチャと打ちつけていたとは考えにくいように思います。実際の斬りあいではどうだったんでしょうか?


ご存知でしたらお教えください。

nabi? (2008-03-13 (木) 21:10:26)

刀を腰に差す形式で、閂に差す・花車に差すとはどの様な差し方
でしょうか。  津本 陽氏の小説に出てきます。


  • 少しかじった程度の知識ですが
    「閂差し」というのは名前のとおり、水平に近い形に刀を差す形。
    とっさの抜き打ちに向いた差し方で、流派によっては正しい構えとしてるところもあるようです。
    また、地位の高い武士ほど刀は水平に近く、下級武士は斜めに
    浪人はさらに急角度に、無宿者はほぼ垂直に差したそうで
    これは鞘が当たってもめ事になるのを避ける意味もあったようです。
    「花車に差す」というのはまったくわかりません。
    しかし「花車」は柳生新陰流の天狗妙が出典ですので
    その「花車」の構えというか型に相当する差し方かもしれません。 -- 管理人? 2008-03-14 (金) 21:13:31
  • お礼はここで良いのかな? 参考になりました。ありがとうございます。 -- nabi? 2008-04-02 (水) 22:03:25