HTML convert time to 0.004 sec.


エルヴィン・ジョーンズ / Elvin Jones

Last-modified: 2016-03-29 (火) 05:40:41
Error: Flash Player Cannot Installed.
Flashプラグインは廃止されます。Youtubeを埋め込みたい場合は &youtube(ビデオID[, 横幅[, 縦幅]]); を利用してください。
 
 
 

バイオグラフィー

1927年ミシガン州ポンティアックに10人兄弟の末っ子として生まれる。兄にはトランペッターのサド・ジョーンズ、ピアニストのハンク・ジョーンズがいた。
2歳の時から一番年上の姉にドラムや音楽について教わる。13歳の時にドラマーになる決意をし、一日に8〜10時間練習をしていた。当時の憧れはジョー・ジョーンズ、シャドウ・ウィルソンだった。[2]

 

高校卒業後、1946年から1949年まで兵役で航空隊に入隊し軍楽隊に就任。慰問のため国内の空軍基地を回る。同時にここでクラシック音楽を学ぶ。好きなクラシックの音楽家はモーツァルト、バッハ、ストラヴィンスキー、ブラームス、
(かつて存在した最高のミュージシャンとして)パブロ・カザルス。

 

除隊後帰郷し、サックス奏者のビリー・ミッチェルに起用され、デトロイト・シーンにデビューする。このバンドには3年在籍し、同時にブルーバード・イン(Bluebird Inn)という地元のクラブでツアーで訪れたミュージシャンと共演する。その中にはチャーリー・パーカーやソニー・スティット、マイルス・デイヴィスがおり、特にマイルスとは6ヶ月間行動を共にした仲だった。[2]

 

ウディ・ハーマン・オーケストラのドラマー、アート・マーティガンの紹介でサックス奏者ウォーデル・グレイのバンドに入り、これがエルヴィン・ジョーンズにとって最初の大きなジャズの仕事になる。[ビリー・ミッチェルとの前後関係は?]
またデトロイトではケニー・バレル、バリー・ハリス、カーメン・マクレエとバンドを組んで演奏していた。

 

ある時(1955年頃?[2])マックス・ローチが自分のバンドと共にデトロイトにツアーに来るが、体調不良でエルヴィンを代役に指名し、この時の演奏が噂になってニューヨークに広まる。アート・ブレイキーやジョー・ジョーンズとも懇意になり、1955年、ニューヨークに進出。チャールズ・ミンガスやバド・パウエル、マイルス・デイヴィス、ソニー・ロリンズのバンドで活躍する。

 

1960年、ジョン・コルトレーンのグループに加わる。コルトレーンとは1958年に彼がセロニアス・モンクのバンドで演奏していた時以来の知人であった。

1965年の12月、マッコイ・タイナーがコルトレーン・グループを抜け、続くように1966年1月脱退。デューク・エリントンのバンドで演奏する一方で、3月と4月にいくつかのギグで再びコルトレーン・グループで演奏するが、その後コルトレーンの死まで彼のバンドに戻ることはなかった。コルトレーン・グループでの演奏を彼は後年振り返ってる。

"It was always a joy to play, in a recording studio or in a nightclub. It was the same feeling, in front of a large audience or no one at all. Music was our sole purpose."

プーキーズ・パブ(Pookis Pub)というクラブのオーナーにギグを打診され、リチャード・デイヴィス(b)を誘って急遽自分のバンドを作る(後にジミー・ギャリソン(b)に交代)。
ジョー・ファレル(ts)、スティーヴ・グロスマン(ts)など若手を飛び入りさせる。
1968年、ブルーノート・レーベルの目に止まりコルトレーン・グループ脱退後初のリーダー作となる「Puttin' It Together」を録音。

 

作品

発言

評価

「エルヴィンはドラマーのみならず、多くのミュージシャンに影響を与えた。なぜなら彼の独創的な演奏によって、ジャズは新しい局面を迎えることになったからだ。エルヴィン以前のドラマーはドラム・セットをベース・ドラム、スネア・ドラム、タム・タム、シンバル、ハイハットと、それぞれを別の役割の集合体として捉えていたのに対して、エルヴィンは全部で1つの楽器と捉えたのだ。シンバルが決まったパターンを刻み続け、ベース・ドラムが4分音符を打ち続け、ハイハットが2&4を刻み続け、スネアやタムがアクセントを担当するビ・バップの様式から、それぞれの楽器を組みあわせて1つのウネりの強固なリズムを生み出すスタイル"モード"へ移行させることになる。彼のスタイルはコード進行の束縛から開放されたモード・ジャズになくてはならないものだった。ロイ・ヘインズもハイハットやベース・ドラムを解き放ったが、エルヴィンのそれは3連を基調に、より四肢のコーディネーションをフィーチャーした、泥臭く、ルーツであるアフリカを感じさせるスタイルだ。」大阪昌彦[1]

 

エルヴィンのプレイの特徴の1つとして、"リズムの再分割(細分化)"が挙げられる。リズムの細分化により、フィルやソロにおいてはチェンジ・アップ的なフレージングを活発化し、4ビートのレガートにおいては、そのシンコペーション的ビート感と複合的にポリリズミックなリズムを演出する原動力となっている場合が多い。マックス・ローチ等と共にモダン・ジャズ・ドラミングの改革者となり得たのも、このリズムの細分化によるところが大きいと言えるだろう。菅沼道昭[1]

 

現代のジャズ・ドラマーに最も影響を与えたエルヴィン・ジョーンズ。彼の特徴が最も顕著に表れる次の4つの観点から、その個性的なプレイを検証してみよう。
.轡鵐灰據璽轡腑鵑梁人
ジャズではピアノやギター等のコード楽器奏者がスウィング感を出すために、コードの変わり目より半白前にコードを弾く場合が多いが(それを”アンティシペーション”と言う)、エルヴィンはそれにシンバル・レガートを合わせている。ここから出発して、自在にウラ拍を強調するので、非常にシンコペーションの多いレガートになる。まるでシンバルでも”フレーズを歌っている”ようなプレイで、最も他のドラマーに影響を与えた部分である。

 

▲丱后Ε疋薀爐離フ・ビート
バス・ドラムのオフ・ビート(ウラ踏み)もエルヴィンの大きな特徴である。全般的に3連符を多用するドラマーなので、(3連符の1、2音目をスネアやタム、3音目をバス・ドラムで叩く)ようなプレイがしばしば聴かれる。このようなプレイはロイ・ヘインズやマックス・ローチもやってはいたが、エルヴィンほど多用するドラマーは他に類を見ない。このバス・ドラムのオフ・ビートも後続ドラマーたちに大きな影響を与えた。

 

ポリリズム
エルヴィンのプレイはよくポリリズムと言われる。音数が多いため、複雑なリズムに聴こえるからだ。確かに両手両足を駆使しての複雑なリズムもポリリズムではあるが、ここでは4拍子における3拍フレーズを例に挙げよう。このような拍子の交差としてのポリリズムは多くのドラマーがプレイするが、エルヴィンはその代表的なドラマーだ。

 

ぅ屮薀掘Ε錙璽
エルヴィンはブラシ・ワークの屈指の名手でもある。特に手足のコンビネーション・プレイで左右の足がどこからでも出てくるようなイメージのプレイは、それまでのドラマーには聴かれない革新的なものだ。今ではそのスタイルを継承するドラマーは多い。ブラシ・ワークでも、彼はジャズ・ドラミングの方向を示唆し、決定づけた。
坂田 稔[1]

楽器

60年代から70年代[1]

ドラム/シンバル口径×深さ(インチ)メーカー備考
バス18×?グレッチ
タムタム12×8グレッチ
フロアタム14×14グレッチ
スネア14×5 1/2グレッチ
ハイハット14Kジルジャン
ライド20 or 22Kジルジャン
クラッシュKジルジャン
 

80年代[1]

ドラム/シンバル口径×深さ(インチ)メーカー備考
ドラムセット??×??タマ
 

80年代以降[1]

バス18×14メイプルカスタムアブソルート備考
タムタム12×8メイプルカスタムアブソルート
タムタム13×9メイプルカスタムアブソルート
フロアタム16×16メイプルカスタムアブソルート
フロアタム18×16メイプルカスタムアブソルート
スネア14×7シグネイチャーモデル
ハイハット16Kジルジャン?
ライド(左手)22コンスタンチノープル
ライド(右手1)Kジルジャン?
ライド(右手2)Kジルジャン?
 

脚注

 

1 Rhythm & Drum Magazine pp14-23 10. 2002 Interview: Akira Sakamoto / Text: Rhythm & Drum Magazine
2 Elvin Jones 1927-2004: A True Moment In Time (http://www.allaboutjazz.com/elvin-jones-1927-2004-a-true-moment-in-time-elvin-jones-by-jack-gold-molina.php)[2014/12/29閲覧]