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カート・ローゼンウィンケル / Kurt Rosenwinkel

Last-modified: 2017-05-21 (日) 18:59:01

僕の個性を確立する上で助けになったのは、いつも作曲をしていたことだ。作曲は僕のスタイルを明確にしてくれた。作曲する時にプランのようなものはない。曲が勝手に出てきて、あるべき形になるだけなんだ。(Berklee Today)

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カート・ローゼンウィンケルはアメリカ生まれ、現在ドイツのベルリン在住のギタリスト、マルチ・インストゥルメンタル奏者。シンプルなメロディに複雑なコード進行やリズムを組み合わせたオリジナリティの高い作曲能力、独特なリズミック・デベロップメントなどを用いたハーモニーとリズムの拡張、それによる古典的なスタンダード、ビバップ・チューンの新たな解釈など、伝統性と革新性を備えたスタイルで同世代を代表するギタリストとして見なされている。また、シンガー・ソングライター作品のプロデュース、00年代初頭ではまだ珍しかったハードディスク・レコーディング、フリー・インプロヴィゼーションのグループへの参加など、活動の幅は多岐にわたる。自らのヴォイスをエフェクターのようにギターの音とブレンドさせる奏法も特徴的。

 

参考: All About カート・ローゼンウィンケル / “伝統か革新か”を超えて

 
 
編集履歴
 

バイオグラフィー Edit

幼少期 Edit

1970年10月28日アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。母はノルウェー出身のクラシック・ピアニスト、父はドイツ出身で彼もプロではなかったがピアノを弾いていた。9歳の時クラシック・ピアノのレッスンを始め、すぐに自己流で曲を作って遊ぶ。12歳の時ギターを手にする。

 

高校は芸術系のフィラデルフィアCPA高校(Philadelphia High School for the Creative and Performing Arts)に進学。同校にはクリスチャン・マクブライド(b)、ジョーイ・デフランコ(org)、ザ・ルーツのクエストラヴがいた。
この頃ギタリストかピアニスト、どちらのキャリアを歩んでいくか決めるために、まずはじめに1年間ジャズピアノのレッスンを受ける。その後、ジャズギターの道を進んでいく決心をしたという。
また、高校時代はフィラデルフィアのブルーノート(ニューヨークのクラブとは別物)のジャムセッションで地元のオールドスクールのビバップ奏者と演奏する。
一方、当時はロック畑のドラマーがいちばんの親友で、彼とともに機材を買ってきてガレージに作ったスタジオで宅録をし、膨大な音楽を作っていた。

好きな音楽家・作品

バークリー音楽大学〜デビューまで Edit

ボストンのバークリー音楽大学に入学する。当時は講義には出席せず、ひたすらセッションに明け暮れた日々だった。ショッピングカートにアンプを入れてアンサンブル・ルームに行き、練習室にいるバンドを観察。演奏が良かったら、セッションに仲間入りを願い出たという。そんな練習を平日には6時間、休日には12時間やっていた。またルームメイトは後にブライアン・ブレイド・フェローシップなどで共演することになるトータスのジェフ・パーカーだった。
2年間在籍したのち、ポール・モチアン・エレクトリック・ビ・バップバンドと同校の校長ゲイリー・バートンのバンドのツアーに誘われ1992年に退学する。ビバップバンドは、21歳の時彼が参加していたバンド、ヒューマン・フィールの演奏を観たビル・フリゼールがモチアンにカートを推薦したのが理由だった。

師事歴

1990年代 Edit

1992年、ニューヨークのブルックリンに移るとすぐにジェフ・バラードとベン・ストリートからなるギター・トリオを結成。1993年にはスペインで5ヶ月間滞在する。1994年にマーク・ターナーをバンドに加えて編成をカルテットに拡張。ターナーとはバークリー時代にすでに知り合っていたが、一緒に演奏したことはなかった。ターナーとは彼がカートとベン・ストリートのシェアハウスの近所に住んでいた関係で親密になったという。このメンバーはその後10年以上行動をともにする。

 

また、1994年に開店したクラブ、スモールズで定期演奏を開始する。店主のミッチ・ボーデンがドラマーのジェフ・バラードに火曜日のレギュラーギグの機会を与えたので、そのおかげでバラードを起用していたカートは毎週火曜スモールズで演奏できるようになる。この定期ライブは5,6年間続いた。
同店ではブラッド・メルドー、シェイマス・ブレイク、クリス・チーク、マット・ペンマン、オマー・アヴィタル、ホルヘ・ロッシーなども演奏しており、彼らともセッションを重ねる。また、ホルヘ・ロッシーがスカウト役(A&R)を務めていたフレッシュ・サウンド・ニュー・タレント・レーベルの作品でも彼らと多く演奏している。
また同じ1994年にはレベッカ・マーティンに会い、彼女とジェシ・ハリスのバンド、ワンス・ブルーに加入する。

 

90年代半ば、リーダー活動が軌道に乗るまでは、ゲイリー・バートンや(おそらく)ポール・モチアンのバンドも辞めたため、家具を売って食費に当てるほど生活に困窮していた。そんな中でも、ジョン・スコフィールド夫妻はカートのアルバムのプロモーションを手伝い、時に自宅での食事に招いたという。

 

1996年、バンドのサウンドがまとまってきたのでリーダー作を録音したいと思い、様々なレコード会社に売り込む。しかしどこも興味を示してくれないため、自主制作でデビュー作『Enemies of Energy』を録音する。しかしその作品を持ち込んでももリリースにはこぎ着けず、カートの家の棚にしまわれることになってしまう。そんな折、Impulse!レーベルがスモールズのセッションを録音(1997年7月)した関係で、毎週火曜日に出演していたカート達に興味を持ち契約することになる。ここでまず最初に未発表アルバム『Under It All』を制作する。しかし同時期に親会社の合併でVerveレーベルに吸収(1998年)され、その影響でカートのプロデューサーも解雇されてしまう。カート自身はVerveに移籍することになり、移籍先で『Under It All』のリリースを打診するが、彼を新しいギタリストとして売り込もうとしたレーベル側は楽曲中心の同作品のリリースに難色を示す。しかしその代わりに彼の家にしまわれていた『The Enemies of Energy』がメジャーデビュー作として選ばれる。このときやっと『The Enemies of Energy』を自主制作するための借金が返せたという。

 

同時期ブライアン・ブレイドのフェローシップ・バンドに参加。『Perceptual』を録音する。
また1998年頃、スコフィールドの推薦でジョー・ヘンダーソンのツアーにも参加している。

2000年代 Edit

2000年には変則チューニングを用いて作曲した曲を多く収録した『The Next Step』を録音。同時にギタリストとしてもスタイルを確立し、この頃からNYシーンを超えて影響力を発揮していく。

 

その後2001年頃に、共通の友人を介して出会ったQティップの協力を得て多重録音を使ったアルバム『Heartcore』の制作を開始する(カートのサイトのレビューでは、ある日カートのバンドがヴィレッジ・ヴァンガードで演奏していると観客の一人がワインをギフトとして贈ってきた。その客がQティップでその日を境に彼と交流をはじめたという)。
今作では楽曲をスコアに書かず、全てDigital Performer(DAWソフトウェア)で作曲している。メンバーの演奏に加え、自分でもキーボード、ドラム、プログラミング、ミキシング等を担当し、録音した音を組み合わせながら、自宅のホームスタジオで2年半を費やして完成させる。QティップはカートにAKAI MPC3000(サンプラー)を貸して、彼の膨大なドラムサンプルを提供したり、制作アドバイスをする形で関わっている。
またカートは00年代に発表したQティップの2枚のアルバム『The Renaissance』(2008)と『Kamaal The Abstract』(2009/rec:2001)にも参加している。

 

その後ヴァーヴとカートのマネジメントが彼をプッシュするため、次作はオールスター編成に決定する。カートがゲスト参加したジョシュア・レッドマン『Momentum』のレコーディング後、ジョシュアを誘いファット・キャットで3日間のギグをする。その後ジョシュアと共通の友人で様々なセッションを共にしてきたブラッド・メルドーを加えて『Deep Song』用のバンドを結成。2004年夏、3週間のヨーロッパ・ツアーを行い、その後このバンドで録音する。

 

また2003年に妻がスイスの大学に入学するためチューリッヒに移住を決める。2007年に音楽大学の講師として呼ばれドイツ、ベルリンに移住。ジャズ・インスティチュート・ベルリンでギターとアンサンブルのクラスを担当する。

 

『Deep Song』リリース後、カートはVerveレーベルを離れ、マーク・ターナーとの双頭ユニットによる集大成的な作品『Remedy』を2006年1月にヴィレッジ・ヴァンガードで録音する。この作品は当初クラウドファンド型のレーベル、ArtistShareからリリースし、後に自主レーベルのWommusicで発表している。

 

その後2007年ごろにターナーとのコンビを解消し、スタンダード中心のギタートリオによる活動『Reflections 』(2009)、ギター=ピアノ・カルテット(ピアノはアーロン・パークスが担当、他は流動的)での活動『Star of Jupiter』(2012)、ビッグバンドとの共演『Our Secret World』(2010)など多面化していく。またアルバム化には至っていないものの、ギターに加えてキーボード、リズム楽器など一人で全ての楽器を同時演奏するソロ・プロジェクトや、Tim Motzer(g)、Gintas Janusonis(ds)との変則トリオ"BANDIT 65"でも活動している。

2010年代 Edit

2017年、10年がかりで制作した多重録音アルバム『Caipi』を個人レーベルHeartcore Recordsからリリース。同時期にアントニオ・ロウレイロ(per)、ペドロ・マルティンス(g, key, vo)などアルバムの共演者と"Caipiバンド"を結成しツアーを開始する。音楽活動とレーベルオーナーとしての活動に専念するため、音楽学校を辞職する。

 

息子が2人おり、カートの曲名にもなっている。

作品 Edit

詳しくはこちらをご覧ください。
カート・ローゼンウィンケルの作品

リーダー作 Edit

1996 - East Coast Love Affair
1998 - Intuit
Unreleased - Under It All
2000 - The Enemies of Energy (rec: 1996)
2001 - The Next Step
2003 - Heartcore
2005 - Deep Song
2008 - The Remedy: Live at the Village Vanguard
2009 - Reflections
2010 - Our Secret World
2012 - Star of Jupiter

共作 Edit

w.ヒューマン・フィール
1994 - Scatter
1994 - Welcome To Malpesta
1995 - Speak To It
2007 - Galore

発言 Edit

音楽観 Edit

作曲について


(パット・メセニー、ジョン・スコフィールドらと同じフィールドで活動していて、アイデンティティを確立する上で悲観的になったことはあるか?と聞かれて)
僕はそれで思い悩んだことはないけど、反面、多くのギタリストはそうした問題を抱えていると思う。僕の個性を確立する上で助けになったのは、いつも作曲をしていたことだ。作曲は僕のスタイルを明確にしてくれた。作曲する時にプランのようなものはない。曲が勝手に出てきて、あるべき形になるだけなんだ(The songs come out and are what they are.)。(だけど)その後僕はその曲の演奏の仕方を学ばなければいけない。僕の書いた曲は、演奏家としての力量を超えたレベルで出てきてしまうからね。(だから)作曲は僕にとってずっと偉大な教師だったんだ。僕の曲は演奏家として成長させ、スタイルの形成を助けしてくれた。作曲をする時、自分が心の中で聴いたもの(what you hear)は、自分の演奏能力に限定されてはならない。もしプレイヤーがそういう風に考えれば、演奏能力にとらわれないで自分ならではの音楽を聴き取れることに気付くんじゃないかな。(Berklee Today: "Did you ever think…abilities on their instrument.")

 

作曲について


(音楽に行き詰った時、どのようにイノベイティブになろうとしますか?と聞かれて)
僕はギターで行き詰まったり演奏がつまらなく感じると、音楽とのつながりをリフレッシュする必要があると考えるんだ。行き詰ったこれまでの方法以外で、(新しい)やり方を見つけようとする。そのやり方なんだけど…これはいつも違っているね。

 

昔(90年代末。『The Next Step』録音前)、自分のやっていたことに飽きてしまって、(自分がギターの)理論的知識の囚人だと感じたことがあった。だから僕はギターのペグを色々回してみて、普段とは違った雰囲気の変則チューニングを色々試したんだ。当然のことながら、それによって僕の持っていた理論上の知識がすべて無慈悲にも消え去ってしまった。慣れ親しんだコードの押さえ方も、決まりきったスケールのフィンガリングも、ルーティンワーク全てが無に帰した。(覚えてきた)ギター理論全てが突然適用されなくなったんだ。これが君が言った"枯れた川(≒音楽に行き詰った状態?)"[den ausgetretenen pfad]から離れるための方法だ(※『The Next Step』の半分の曲は変則チューニングで作曲されている)

 

(ハードディスクレコーディングを用いた)アルバム『Heartcore』の制作プロセスも新しいやり方を見つけようとした事と関係している。(当時僕は)作曲家としてこれまでとは違った作曲法を見つけなければいけないと考えていた。多分座りながらギターやピアノで作曲することに疲れていたんだ。あるいはそれが退屈だと気付き、そうしたアプローチが"サムシング・ニュー"から自分を遠ざけているような気がした。だけど、僕は昔からコンピュータで音楽を作ってきたし、この制作方法を楽しんできた。コンピューターでの作曲はより困難な道[vorgezeichneter Weg]だったけど、僕にとっては新鮮なインスピレーションを得る方法になった。

 

またある時には――ちょうど今(2007年。『The Remedy』と『Reflections』の中間のタイミング)のように――純粋なギター演奏以外やらないけど、それも(僕にとっては)新鮮で心地よいものなんだ。だから僕は現在の状態でレコードを作ることができる。純粋なギター演奏は非常に伝統的なものだから、慣れ親しんだ事から逃げようとする試みではない。しかし、少なくとも僕にとってこれは"手垢の付いた音楽"[Ausgetretene-Pfade-Musik]ではないね。

 

僕は伝統派なんだ。ジャズにおける楽器の伝統的な役割に強度を見出しているという意味でね。(略)そして自分にとってリアルじゃない新規性のために、それを破壊するつもりはない。しかしもちろん、自分自身を制限したくないしこの方向性に定められたコンセプトなんかはない。
(2007, Jazzdimensions: Das ist wieder so...dieser Marschrichtung dahinter.)

 

ギターについて


GM:色々な音楽にトライする中で、エレキ・ギターに限界を感じることはありますか?
KR:感じるよ、かなり強力な限界をね。ギターには弦が6本しかないことでかなり制約される。一方、ピアノは88鍵もある。(略)でも、ギターにはメリットもある。限界があるからこそ、メリットも生まれるんだ。限界があると、鍛錬と無駄の無さが必要になってくるから、限られた中で試行錯誤をして、おのずと自分のギター・プレイも成長する。物理的に難しいことがあると、音の選択にも限界が生まれるよね?僕はピアノ的なハーモニーで音楽を考えることがあるけど、それをギターで弾くには、7つほどの音からなる複雑なピアノ・コードの中からもっとも重要な音を3つ4つ見極めて抽出しないといけない。そういったことから無駄のないハーモニーを生み出せるようになるのさ。
ギター・マガジン2009年5月号

 

ジャズスタンダードの研究


スタンダードナンバー(a song)を学びたいと思った時には、ストリングスやビッグバンド付きのヴォーカル・バージョンを見つけ出してくるんだ。そしてアレンジャーがその曲でどのようなことをしているか研究する。歌の歴史や伝統を学ぶのが好きなんだ。沢山のジャズの伝統を教えてくれるし、それらのアイディアを自分が演奏する時に活かすことだってできる。(Berklee Today: Now, when I want…own version of the tune.)

 

現代(00年代前半頃)のジャズギター界について


僕は、音楽としてジャズが提示してきた、あらゆる形態に対して畏敬の念を抱いている。だから、特定の時代と関連付けられるスタイルでプレイすることには、まったく問題ないと思う。ただし、本当にインプロヴァイズしていて、ハートが現在形であれば、という条件付きでね。ギタリストによっては、過去のプレイをなぞっているだけという、極めて退屈な者もいる。いっぽう、特定のスタイルにカテゴライズされつつも、極めてディープなレヴェルでその発想やアプローチを理解し、プレイに反映している者もいる。僕が心から尊敬できるのは、スタイルに関係なく、独自の豊かなイマジネーションを用いて、独創的なプレイ、インプロヴィゼーションを聴かせてくれるギタリストだ。
ジャズライフ 2003年10月号

 

ヒップホップについて


ヒップホップにある沢山のハーモニックな瞬間(ハーモニック・シークエンスやコード進行)は言ってみればシェーンベルクの音楽を思い起こさせる。シェーンベルクは演奏のダイナミクスと密接な関係のあるコードを書くんだ。例えば、ストリングスはメゾピアノ、オーボエはメゾフォルテ、ピッコロはピアニッシモ。それらが組み合わさってジャズセオリーでは機能することができないハーモニーを作り出している。でも実際は完全にハーモニーとしての役割を果たしているんだ。僕たちは同じようなことをヒップホップのミックスで聴くことができる。そこでは(理論ではなく)耳で聴いたものが全てだ。それがサウンドグッドなら、そのハーモニーは機能しているということさ。このある種のレッスンはジャズミュージシャンにとってはとても重要なものだよ。ジャズの学校の教育法や理論にとらわれないための解毒剤になるんだ。
Kurt Rosenwinkeo Official Site: Heartcore 2003
(It is in this sense〜theoretical school of jazz.)

他のミュージシャンに対して Edit

セロニアス・モンク


トラディショナルなものからコンテンポラリーなものへの架け橋を担った、重要なミュージシャン。特に作曲の面でね。彼の作った曲はコード進行ひとつを取っても予測できないものが多いし、サイズも8小節単位ではなかったり、1コーラスが32小節になっていない曲もあったりと、実にユニークだ。コード進行やハーモニーがどのような構造をしているかなど、ずいぶん勉強した。また、モンクの曲をモンク自身が演るように、僕がプレイするには一体どのように演奏したらいいのかということも、かなり研究したね。
ジャズライフ2009年12月号 石沢功治

 

ジョン・コルトレーン


10代の頃にコルトレーンを聴いた時は苦悩といった類の印象で、色で表すならばたとえば(イギリスの画家)ターナーの絵のようなダークな色彩だった。でも、今の僕にとって彼の音楽はさんさんと輝く太陽だったり、天使が舞っているような明るい印象なんだ。
ジャズライフ2009年12月号 石沢功治

 

マーク・ターナー


(音楽的に共通している部分をおしえてほしいといわれて)音楽的な共通点といっても、ありすぎて1つや2つにまとめられないよ。1つだけいえることがあるとすれば、この関係は言葉にできるようなシンプルなものではないということ。彼の耳には何が聴こえているか、僕にはわかるんだ。それぐらい近い感覚を持っているということさ。
ジャズライフ2003年10月号 金沢隆志/石沢功治

 

Qティップ


彼は音楽的にとても幅広い感性の持ち主で、ヒップホップ・アーティストとして知られているけど、ジャズへの造詣も深い。僕は彼のこれまでの作品も大好きで、『Amplified』はフェイヴァリットの1枚だ。僕らはふたりとも揃って1970年生まれで、音楽以外でもとても近い価値観や視点を持っている。
ジャズライフ2003年10月号 金沢隆志/石沢功治

 

フランク・ヒューイット


僕がニューヨークにいるとき自分を形づくる点で最も重要だったのは、スモールズでの日々だった。そこでは本当にハードコアで根源的なビバップを学んだんだ。スモールズのレイトナイト・ギグではピアノの横にいて、フランク・ヒューイット(Frank Hewitt)のストレートアヘッドなビバップ・チューンの演奏を聴いていたものだ。そのアイディアの自由さとクレイジーさ、その表現力の深さと広さ。ヒューイットだけができる演奏は僕を驚かせ夢中にさせた。
(2008, jazz.com: But what I identify as...important thing in the music)

影響源 Edit

2000年『The Enemies of Energies』日本盤ライナーノート


パット・メセニー、ジョン・スコフィールド、ジョン・コルトレーン、エルモ・ホープ、タル・ファーロウ、(ギターによるピアノ的なアプローチとして)ジョージ・ヴァン・エプス

 

200?年 Jazzizマガジン


基本的に僕はアラン・ホールズワースとグラント・グリーンの間にできた息子でありたい。だけどある意味では、コーダルアプローチの点においてキース・ジャレットの息子でもありたい。彼にはソロ演奏の時ですら、ハーモニックな空間を生み出すことのできるピアニスト特有の能力があるからね。もちろん、ホールズワースもまたシングルノートのラインでそういった空間を生み出せるけど、(キースのような)コードとメロディの統合は、僕が今頭のなかで考えていることでもあるんだ。そしてキースはそういうことにおける巨匠だ。バド・パウエル、エルモ・ホープもまたそうだね。だから僕はアラン・ホールズワースととグラント・グリーン、キース・ジャレット、バド・パウエル、エルモ・ホープ的な面を統合しようとしている、ともいえる。(200?, Verve)

 

2005年 JazzTimes


チャールズ・アイヴズ『Central Park in the Dark』
モーリス・ラヴェル
アルノルト・シェーンベルク『Five Pieces for Orchestra』

 

2008年 Jazz.com


キース・ジャレット・アメリカン・カルテット(あのグループは「僕の音楽に大きな影響を与えている」)

 

デューク・エリントン、特に『the Far East Suite』、『His Mother Called Him Bill』、『Afro-Bossa』などの60年代エリントン。

 

オーネット・コールマン『Live at Town Hall』

 

マイルス・デイヴィス『Live at the Plugged Nickel』

 

エルモ・ホープ『Homecoming』

 

ケヴィン・ユーバンクス(ギタリストとしては影響を受けなかったが彼の楽曲には何度もインスパイアされた。特に『Opening Night』という作品は10代からのお気に入り)

 

パット・メセニー・グループ
「イマジネーションや大志を広げてくれた大きな影響源。for what's possible for a jazz group, compositionally extended forms, that whole sound.彼のナチュラルなメロディ至上主義にもインスパイアされた。オーネットの演奏にも彼と似たナチュラリズムを認めることができる。おそらくパットはオーネットにダイレクトに影響されていると思うけど、それよりもメロディにアプローチする方法の類似性において、この2人の間にはより根源的なもの(共通点?)があるんじゃないかな。パットはレコードを作るときはとても入念な職人であるがゆえに、今の彼の作品での演奏は、やや定型化されたものに感じる。だけど彼のライブを見た時には、よりメロディー的自由さを感じる演奏だった。また、(メセニー・グループではないが)『Rejoicing』は最も素晴らしいギタートリオ作品のひとつだ。」

 

アラン・ホールズワース
「ホールズワースもまた大きな影響源であり、それは今も変わらない。その音楽と言語は、彼がボキャブラリーやラインという点で、ジョン・コルトレーンの世界に本当に順応して、そこに住んでいるギタリストだということと深く関係している。僕にとって彼は、コルトレーンの世界に触れたことがある唯一のギタリストだ」

 

タル・ファーロウ、ジョージ・ヴァン・エプス、初期のビル・フリゼールとジョン・スコフィールド

 

ロック・ギタリストではアレックス・ライフソン、ジミー・ペイジ

 

2009年5月号 ギター・マガジン


デューク・エリントン、ジョン・コルトレーン、バド・パウエル、アラン・ホールズワース、グラント・グリーン、タル・ファーロウ、ブッカー・リトル、キース・ジャレット

 

2011年 JazzReview


ギタリスト
ジョージ・ヴァン・エプス、アラン・ホールズワース、グラント・グリーン、ケヴィン・ユーバンクス、パット・メセニー、ビル・フリゼール、ジョン・スコフィールド、タル・ファーロウ、ジミー・ペイジ、ジミ・ヘンドリックス、ジム・ホール
ギタリスト以外
マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、キース・ジャレット、バド・パウエル、エルモ・ホープ、ジョー・ヘンダーソン、ビートルズ、デューク・エリントン、エリック・ドルフィー、ブッカー・リトル、マックス・ローチ、ボビー・ハッチャーソン、ウェイン・ショーター、ウィントン・ケリー、アーマッド・ジャマル、レニー・トリスターノ、アルノルト・シェーンベルク、アンリ・デュティユー、セルゲイ・プロコフィエフ、モーリス・ラヴェル、クロード・ドビュッシー、フランク・シナトラ

評価 Edit

ポール・モチアン


彼はまだとても若くて、ときとしてあまり良くないと思えることもあった。何か、実験的なことをやっているように思えたんだ。でも、彼が挑んでいた新しいアイディアは気に入っていた。それが僕の意見と必ずしも合うとは限らなかったけど、これまでとは違った新しいことをやろうとするその姿勢は気に入っていた。
(Jazz Guitar Book 29 石沢功治)

 

ヤコブ・ブロ


彼は今まで誰もギターで実現できなかったことを可能にした。カートについて僕がもっとも感心していることは、彼の音楽はかなり複雑なのにいつもメロディを失わないこと、まるで心の底から自然に湧き出た音楽のように聞こえることだ。
(2014, Jazz Tokyo)

 

レベッカ・マーティン


カートの弾くギターがまたギターっぽくない音色を出すでしょ。まるでスタジオに幽霊がいるみたいで。ほかとは代えがたい、独特の雰囲気がある。(2009.5, CD Journal)

 

イーサン・アイヴァーソン


カートが21世紀の新しい音楽の革新者として名高いのは、まったく正当なことといっていい。僕らの世代のあらゆるミュージシャンは、マーク・ターナー、ベン・ストリート、ジェフ・バラードを従えたカルテットでカートが自作曲を演奏するのを、スモールズで毎週のように聴いて育ったものだ。口ずさめるメロディ、濃密なリズム、みなぎるヴァイブ。僕自身だけでなく多くの仲間が、この頃の演奏には大きな影響を受けた。
『Reflections』 ライナーノート

 

石沢功治(ライター、アナリスト)


彼が得意とする畳み掛けるような8分音符のフレーズはアップテンポだということを全く感じさせない。ビバップ的なソロは時にフィラデルフィアのフレットマスター、パット・マルティーノを想い起こさせる。一方でスラーを用いたアプローチはパット・メセニーのなめらかな表現やジョン・スコフィールドの音と音の徹底的な探求を彷彿とさせる。[12]

 

プレイはレガート奏法主体だが、アラン・ホールズワースのようにワイド・ストレッチは多用しない。代わってポジション移動のスピードは群を抜く。速弾きしているにもかかわらず、そう感じさせないのは、リヴァーブの上にさらにリヴァーブを鬼ごっこのようにかけた独特な空間作りのお陰。コンディミやトライアドを駆使したフレーズは現在のNY系ギタリストの座標となっている。[13]

楽器 Edit

時期・作品ギター出典
学生時代〜"East Coast Love Affair"Yamaha SA 2100[1]
"Enemies Of Energy"Gibson 355[1]
"Intuit"Gibson 325[1]
"I wish I Knew"(クリス・チーク)Gibson TD 125、Gretsch Tennessee Model[1]
"Perception"(ブライアン・ブレイド)
"Ballads"(マーク・ターナー)
Gibson 335 Studio model[1]
2000〜Epiphone Emperor
弦: standard 0.13 set of roundwound D'Addario Strings
ピック: Dunlop Jazztone 207 pick)
[1]
2005D'Angelico New Yorker NYSS-3
弦:D'Addario .13s.
アンプ:Polytone Minibrute 3
エフェクター:Line 6 delay modeler, Lexicon LXP-1
[2]

[1]Christian Rover: Kurt Rosenwinkel "From A Guitarists Perspective"(2000)
[2]JazzTimes: Kurt Rosenwinkel: Going Deep(2005)

関連ミュージシャン Edit

マーク・ターナー / Mark Turner
ブラッド・メルドー / Brad Mehldau
ブライアン・ブレイド / Brian Blade
レベッカ・マーティン / Rebecca Martin

出典 Edit

書籍・雑誌 Edit

ジャズライフ2000年2月号 工藤由美
ジャズライフ2000年4月号
ジャズライフ2000年5月号
ジャズライフ2003年10月号
ジャズライフ2009年6月号
ジャズギターブック29
ジャズギターブック10
ギター・マガジン2009年5月号
ギター・マガジン2010年1月号
ジャズ・ギター・スタイルブック

インタビュー(テキスト) Edit

(2005) All About Jazz by John Kelman
(2005) JazzTimes by David R. Adler
(2007) Jazzdimensions by Carina Prange
(2008) jazz.com by Ted Panken
(2008) State of Mind Music by Mike McKinley
(2009) All About Jazz by Franz Matzner
(2011) JazzReview by Fred Gerantab
(200?) Verve by ???
(200?) Berklee Today by Mark Small

インタビュー(動画・音声) Edit

npr music: Kurt Rosenwinkel: Jazz Guitar Alchemist(2008)
KeyboardMag: Kurt Rosenwinkel Interview (Montreal Guitar Show)(2014)

アナライズ Edit

Christian Rover: Kurt Rosenwinkel "From A Guitarists Perspective"(2000)
JazzGuitarLegend: Kurt Rosenwinkel and Jonathan Kreisberg Transcription Study: Part 1(2012 )
JazzGuitarLegend: Kurt Rosenwinkel and Jonathan Kreisberg Transcription Study: Part 2(2012 )

公式サイト Edit