天之御中主神社

Last-modified: 2014-02-14 (金) 00:22:08
 

天之御中主神社
あめのみなかぬしじんじゃ
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(参拝日:平成25年8月13日)
住所:鹿児島県鹿児島市宇宿6-7-1mapionlogo.gif
主祭神:天之御中主神
主な祭礼:10月26日(ホゼ祭)
webサイト:天之御中主神社

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
妙見神社は藩政時代には妙見廟として、薩摩の名社として伝えられおよそ八百年の昔(土御門天皇の御代)、
正治年間(鎌倉時代の初期)薩摩の人々を苦しみより助け、福寿増益を計る為に紀州那智山よりお迎えしております。

三国名勝図会巻十九等によれば妙見廟、地頭館より子の方一里許、宇宿村にあり例祭一歳六度、
其の中十一月二十六日を正祭とす。

紀州那智山より護下り今の地に鎮座す、恕翁公(第七代島津元久)の命によりて、
応永年中、福昌寺より祭田寄附(神領九石)あり、今に其の祭田を以って祭供を奉るとなり、
営廟は霊験特に明らかなりとて、都鄙の人常に信詣す、とあります。

当社においては島津初代忠久公の薩摩入国の時、鎌倉から背負って奉斎したという記録と、
同じく初代島津薩摩入国の時、和歌山県紀州那智山から護下って鎮座した
との記録がありますが、古い文献等を照らし合わせてみると、
おそらく紀州那智山からの勧請ではないかと思われます。

薩摩国宇宿村で鎮座されたのが、およそ八百年前、その後、島津七代元久公の時、
応永年間(一三九四~一四二七)大体今から六百年前、元久公の命により祭田(神領九石分)を寄附
(現在は残ってない)されたようであります。

また、当社は非常に御霊験あらたかで当時宇宿村は郊外だったにもかかわらず、
都市部の人達の祈願や参拝が絶えなかったようであります。

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↑拝殿↑
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↑塞神社↑
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↑夫婦楠↑
(以下、余談)
鹿児島市南部の宇宿の山手に鎮座します。近くには鹿児島大学医学部があります。
天之御中主神社は薩摩藩の体制下で妙見廟が置かれたことから妙見神社とも呼ばれます。

御祭神の天之御中主神は天地開闢に関わった五神の一柱です。
高天原に最初に出現した神とされますが、すぐに姿を消したといいます。
妙見神社や水天宮の系列でお祀りしていることが多いです。

神社には地下水脈が流れており、本殿の真下より湧き出る水は御神水とされています。
実は神社の御神水を通販で販売しています。お参りせずとも水が飲めるとは時代も変わりましたね