姉川の合戦

Last-modified: 2009-12-11 (金) 09:43:31

信長は浅井長政がめちゃお気に入りでした
自分の妹・お市の方をお嫁さんにしたりと、長政を信頼しきってたのです
そんな長政が信長を裏切り、朝倉の味方についたもんだから、信長はめちゃくちゃ怒ったのです

ということで、浅井・朝倉を滅ぼすべく復讐の念に燃えた信長

こうして姉川の合戦が始まるのです

信長のとこには徳川家康が援軍としてやってきました

家康は朝倉担当 そして信長は浅井担当ってことで、両軍が姉川をはさんでにらみ合い

朝6時 戦闘の火蓋を切ったのは徳川勢の服部半蔵でした
人数の多い朝倉軍は、徳川軍に迫りました
それを徳川軍の酒井忠次らが迎え撃ちました

6000人の徳川軍は、1万人の朝倉軍に押され始めたのです

戦局は朝倉軍に有利かと思われましたが、家康は本多忠勝大久保忠世松平忠次を一度に突入
さらに榊原康政を朝倉軍の右側を攻めるよう命令
朝倉軍はこの奇襲にびっくりし、一気に形勢逆転
朝倉軍に敗走者が目立ち始めたのです

織田VS浅井はというと・・・

浅井勢は後がないもんだからもう必死!

特に浅井軍の先鋒・磯野員政(いそのかずまさ)の進軍がすごくて戦死者続出

織田軍の13段構えの第1段の坂井政尚を破り、第二段の池田恒興を破り、なんと秀吉・柴田勝家をも破って13段構えの11段までくるほどの勢い

が、徳川軍が頑張った

朝倉軍の敗走者が続出すると、浅井軍の士気がだんだん下がりだしたのです

さらに朝倉軍の豪傑・真柄直隆が討死!

朝倉軍の末尾が崩れ、浅井軍の側面ががら空きになったのです

そこを狙ったのが織田軍の氏家ト全(ぼくぜん)ら美濃勢でした
氏家ら美濃勢は横山城の監視をしており、さきほど到着したばかり
朝から動きっぱなしで疲れまくっている浅井軍は、隊が乱れまくったのです

さらに稲葉良通らの軍が浅井軍の右を攻撃すると、とうとう総崩れとなり小谷城へ逃げ込むこととなりました

午後二時ごろ、信長は勝鬨を上げました
取った首は3000となり、姉川は血に染まり、屍だらけとなったのです

小谷城に逃げた長政らを、信長は追撃するのをやめました

城の守りが堅く、また自分の軍隊も8時間に及ぶ乱戦に疲れきってたから

翌日、信長は陥落させた横山城を秀吉に任せることに
戦いに勝ったものの、朝倉義景浅井長政を討ち取ることはできませんでした

信長は一度岐阜へ帰り、再び浅井・朝倉を討つチャンスを伺うことになったのです

そしてこの後すぐ、浅井・朝倉は織田に討ち取られてしまうこととなるのでした

ちなみにこの勝負、正直家康がいなかったら信長はやばかったかもしれませんねぇ~