上田重安

Last-modified: 2009-11-19 (木) 12:19:38

生まれ

うえだしげやす
1563年生まれ
1650年没

どんな人?

戦国時代の武将で茶人・造園家

尾張の上田重元?の子として生まれた。
10歳の時に父親が死んだため、おじいちゃんい育てられた。
父が丹羽長秀の家臣だったので、元服してから父と同じく丹羽長秀に従う。
本能寺の変が起きると、明智光秀と関わりがあったとされる津田信澄を討ち取った。

その後、天下人が豊臣秀吉になると、秀吉の下につく。
そして小田原征伐九州征伐など数々の合戦に参加した。
関ヶ原の合戦では西軍に入ったため、領地を没収されてしまう。
が、蜂須賀家政が来ないか?と誘ってくれたため客将として蜂須賀家政のいる徳島へ行く。
ここで徳島城にすごいいい庭を造った。

その後、親戚の浅野幸長の家臣になり、1万石を与えられる。
ここでもいろんな庭を造った。
ちなみに大阪の陣にも徳川方に参加し、塙団右衛門の首を取った。
でもってその後は武功の間に慣れしたんだ茶道&造園に没頭し、死去した

逸話



関連のある人々

主君 織田信長丹羽長秀丹羽長重豊臣秀吉浅野幸長
父親・・・上田重元?
兄弟・・・上田重光

妻 ・・杉原家次の娘
子・・・上田重秀 上田重政

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ