本能寺の変

Last-modified: 2009-11-02 (月) 15:09:27

本能寺の変

織田信長は怒涛の勢いで天下を取るべく突き進んでいました

関東を滝川一益にまかせ、中国地方を羽柴秀吉・そして北陸を柴田勝家・四国を丹羽長秀にまかせておりました

が、秀吉が苦戦しているというニュースを聞いた信長は、明智光秀に「秀吉を助けに行け」と命令
助けに行け=、秀吉の下につけ・・・・ということであります

明智光秀はこの頃、かなり悩んでいました
信長の非道なやり方にです
比叡山延暦寺を焼き払い、さらに自分を侮辱しまくる毎日
インテリ光秀と野生児信長の性格はまさに火と油

光秀の心は揺らいでいた
今、信長の近くには自分しかいない
今が信長を殺すチャンスなのではないか・・・・
この機会を逃したら、二度と信長を殺せる時はない
また、罵られる毎日が始まる・・・・

明智光秀は、とうとう信長を討つ決心を固めたのです

6月1日 この日行われる本能寺でのお茶会は、信長自慢の茶器を披露するのが目的でした
披露されたのは、松永久秀から貰った九十九茄子(つくもなす)など38種類
信長の茶器コレクターぶりを、見せびらかしまくったのです

実際、この時代に「名品」と呼ばれる茶器は、そのほとんどが信長の物でした
茶事が終わると、酒宴が開かれました
近衛前久ら公卿らと、博多の豪商である島井宗叱(そうしつ)・また所司代である村井貞勝らと楽しみました
そこへ嫡男である信忠がやってきて、楽しい一時が繰り広げられました

酒宴が終わると、囲碁の名人である「本因坊算砂(ほんいんぼうしゅうさく)」らが対局
やがて夜もふけ、信忠は宿舎に帰りました
宗叱らは別間へ行き、村井貞勝らも帰宅して行ったのです

そして信長も寝所に入りました

明智光秀軍は秀吉の元へ向かうため、京都盆地を進軍していました
そして光秀は、もっとも信頼している5人の家臣に真意を告げたのです
信長を殺したい・・・・」と

娘婿の明智光満斉藤利三春日局のお父さんだよ)らはめちゃくちゃ驚きました
なんといってもあの信長信長に謀反を行おうとしているのです

ですが光秀の思いが本物だと知ると、これは思いとどまらせるのは無理だ・・・と、驚きつつも主に従うことにしたのです
用心深い光秀は、兵らには真意を伝えませんでした
「秀吉を助けに行く前に、一度信長様に会うため京都へ向かう」と告げたのです

京都は静かな夜を迎えていました・・・
夜10時 先鋒の斉藤利三軍が京都へ先にむかいました
そして軍勢が入りやすいように、木戸を開きまくったのです

光秀軍は桂川で止まりました
そして13000人の兵らに新しいわらじを履けと命令
兵らはなぜこんなトコロで?と疑問に思いました
そこで光秀は「敵は本能寺にあり」と号令したのです

もう後戻りはできない

空がしらみ始めた6時頃、光秀軍は本願寺を包囲しました
そして兵は塀や堀を乗り越え、すぐさま攻撃を開始したのです

どこからか騒がしい音がするので起きた信長

はじめはどこかの家臣らのケンカだと思った

が、なにやら近くで鉄砲を撃つ音が聞こえる

信長はこの時初めて、何者かが襲撃してきたことにやっと気がついたのです

そこへ小姓の森蘭丸がやってきて「明智光秀御謀反!!」と叫びました

光秀により謀反が起きたことを知った信長は「是非もなし」と言いました

これが何を意味するのかわかってません。
「なぜ・・・」と言ったとも言われています。

信長は近くにあった弓を放ち、弓矢がなくなると槍を手に戦いました

が、もはやこれまでとわかると、最後まで側にいた女を逃がし小姓たちに火をつけさせた
そして奥の部屋に入り切腹したのであります。

森蘭丸ら小姓らも討死しました

「人間五十年 下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり」

織田信長の愛した「敦盛」の一節と同じく、49歳で幕を閉じたのです

朝の8時に信忠との戦いは終わりました

すると光秀の家臣らは、京都の人々に「皆さんお静かに!今日からは天下殿は明智光秀光秀殿でござる!」とふれ回りました

さらに、信長の残党が潜んでいないかと、兵たちが色んな家に押し込み、探しまくりました
京都は混乱の場となったのです。

光秀は、すぐさま信長の居城である安土城へ向かう予定でした
が、ここで光秀は無駄な時間を過ごしてしまうのです
というのも、本能寺の焼け跡から「織田信長の首」が見つからないのです

光秀は「もしかしたら信長は生きているのではないか・・・」と、恐怖にさいなまれました

ここに至るまで光秀は、迷い・悩み・恐怖と、さまざまな気持ちが入り乱れていました

信長の首を見るまでは、不安がいつまでも続くのです

織田信長に対する恐怖が、まだ払拭されていないのでした
ノイローゼ状態だったのかもしれませんね
それほど信長という存在が恐怖だったのでしょう