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◇
二人で並んで歩く帰り道。私たちだけの時間。 夕暮れが私たちの背中を照らして、目の前に長い影を作っていた。
橙色に染まった街の空気はひんやりとしていて、街路樹の葉っぱが地面に赤色の絨毯を敷いている。 樹に葉っぱはもうほとんど残っていない。季節がまた変わろうとしていた。
前からやって来た車が通り過ぎたとき、私たちに向けて小さな風が吹く。 それが思ったよりも冷たくて、思わず体を震わせた。
「大丈夫?まどか」
立ち止まって、心配そうに声を掛けてくれた。
「えへへ、大丈夫だよほむらちゃん」
一緒に登校することはできないから、帰るときくらいは一緒がいい。 私がそう言ってから、今日までずっとそうしてきた。
「だいぶ寒くなってきたね」
「ええ…日が沈むのも随分と早くなったわ」
後ろで沈んでいく夕陽を眺めるほむらちゃん。 揺れる髪の隙間からその光が透けて、とっても綺麗だった。
「あ、ごめんなさい。立ち止まってしまって」
「ううん、全然いいよ」
止まってしまった一歩を一緒に踏み出す。 歩幅を合わせながら、早くならないように、遅くならないように。
「今日の数学は難しかったなぁ…覚えてないところってけっこうあるんだね」
「最近は総復習ばかりだから、覚えてないところを思い出すには丁度いいわよ」
「でも来年までに間に合うかな…あーあ、今ならマミさんの気持ちがよくわかるよ」
「焦ったって仕方が無いわ。私も手伝うから、頑張りましょう?まどか」
あの一ヶ月から何度か季節が過ぎた。 もうすぐ、これまでの人生では経験したことが無いほど忙しい冬が来る。
冬は寒くて嫌い。 だけど、そんな弱音を吐いてる暇もないんだろうな。
頑張らなくちゃ。 ほむらちゃんとおんなじ高校に行くんだから。
ときどき右側を歩くほむらちゃんの方を見ながら、他愛無い話をする。 話題が途切れてなにも喋らなかったりもしたけど、それでも一緒にいられるだけで心があったかくなっていった。
それは、ほむらちゃんがいつか言った「時間のずれ」を埋められている気がしたから。
「一緒に過ごす時間」が増えれば、いつかそのずれも無くなると思ったから。
…なんて、それらしいことを考えたりもしたけど。
本当の理由はもっと簡単。
好きな人と一緒にいられる。たったそれだけで、私の中を流れる「時間」は愛しさでいっぱいになる。
もしほむらちゃんもそうだったら、それはとっても嬉しいな。
そっと右手を出して細い左手を捕まえる。 ほむらちゃんの指の間に私の指を絡めてぎゅっと握った。
「まどか?」
「えへへ、やっぱり寒いから…ダメ?」
「…ダメなわけないじゃない」
私のほうに微笑みながら、ぎゅっと握り返してくれた。 また心があったかくなる。
「そろそろ手袋とか用意しなくちゃね」
「その必要は無いわ。私がいつだって手を握ってあげるから」
「…えへへ、ありがとう。ほむらちゃん」
この笑顔も、この言葉も、きっとほむらちゃんだからこんなにも優しく感じるんだろうな。 ほむらちゃんらしい笑顔で、ほむらちゃんらしい言葉だから。
そう思えば思うほど、もっとほむらちゃんが好きになった。
口に出して言えば、きっとほむらちゃんは喜んで受け入れてくれる。
だけど恥ずかしくて言えないよ。そう思うってことは、私はまだ子どもなんだろうな。
気持ちは伝わってるといいけど、でもたぶん、それとはちょっと違ってるよ。
ほむらちゃんが思ってる以上に、私はほむらちゃんのことを大事に想ってるから。
いつかちゃんと伝えられたらいいな。
もっともっと大人になって、この言葉が似合うようになったら、きっと。
ねぇ、ほむらちゃん。私はあなたを―――
◆
まどかの手の温もりが私の手を包む。
これじゃどっちがどっちを暖めているのかわからないわね… 暖かな手の感触を確かめていると、ふと脳裏に映像が映る。
あの夜を乗り越えた後、自暴自棄になってめちゃくちゃになった私の部屋で。
時間停止という最大の武器を失くして自分の弱さに絶望していたときのこと。
まどかが私の手を取って、強く強く握ってくれたときのこと。
私の目を真っ直ぐに見つめてゆっくりと顔を近づけてくる。
躊躇いがちに、だけど真剣に私の目を見続けながら。
「まどか…?」
「ほむらちゃん、目、閉じて」
言葉の意味を探ることもせず、大人しくまどかの言葉に従った。 真っ暗になった視界。でも、たしかにまどかが近付いてくるのを感じて…
柔らかいまどかのそれが、私のそれに重なった。
それは一瞬のことのようで、ずっと続いたようで。
心地良い感触が、言葉に出来ない感情が全身を駆け巡って。
気がついて目を開いたときには、もうまどかは顔を離していた。
「こういうこと、したことないから得意じゃなくて…」
うつむきながら、私の手をもっと強く握った。
「だけど、ほむらちゃんが悲しんでいるところ、ただ見てるだけなんて嫌だったから…」
表情はよく見えなかった。でも、泣いていることはわかった。 声が震えていて、頬を涙が流れていったから。
「どうしたらいいかわかんなくって…だけどわたし…わたし……」
涙が落ちる。それがまどかの手の甲に当たって弾けて、私の手にかかる。
「ほむらちゃんが…いなくなっちゃったら…いやだよっ…」
その言葉が、私を救い出した。
穢れきったはずのソウルジェムが、光を取り戻した気がした。
明るくなった視界が歪む。頬を何かが滑る。
気がつかないうちに、私も泣いていた。
私の涙も頬を流れ落ちて、手の上でまどかの涙と混ざり合った。
まどかの優しさに、気持ちに、心に触れて。
私は私を取り戻すことができた。
だけど、それはきっと私の勝手な思い違い。 まどかの本当の心は、まどかにしかわからないのだから。
まどかの底知れない優しさが、私に情を掛けただけかもしれない。
今だって、私が心配だからという情けだけで一緒に帰っているのかもしれない。
私がいくら愛しいと想っても、まどかはそんな風に思ってはいないかもしれない。
知りようが無い。あくまで私たちは別々の人間なんだから。
でも、それでも。
私はまどかを信じる。初めて出会ったときと同じように。 まどかの事をすべて、ずっと。
その優しさのおかげで私はまた立ち上がれて、強くなれたんだから。
先程よりいっそう冷たい風が吹き付ける。 それにたじろいで二人とも歩みを止めてしまう。
「一段と寒くなってきたわね…」
「そうだね…もうすぐ冬かぁ…」
憂鬱そうな顔をするまどか。寒いのはどうにも苦手なようだ。
さっきはああ言ったけれど、こうやって手を握るだけじゃこの寒さは防げそうに無い。 もっと私にしてあげられることがあればいいのに…
今年のクリスマスに何か暖かいものでもプレゼントしようか。 去年は確かまどかに似合いそうな可愛らしいぬいぐるみをあげた。 だから今年は、もっと実用性のあるものを…やっぱり手袋かしら?
だけどそうしたら、まどかの手を握っても、この暖かさを感じられなくなっちゃう。 何かもっと別のものを…あれ?
「…ふふふっ」
「え?どうしたの、ほむらちゃん」
「いえ、何でも無いのよまどか」
そうか、もう二回目の冬なんだ。 いつまでも終わらない時間の中にいると思っていたのに、もう。
楽しい時間はあっという間だと言うけれど本当にその通りだ。 そのことに気付いて、思わず笑みがこぼれてしまった。
まどかとの日々は本当に楽しくて、幸せで。 辛い時間のことなど無かったかのように忘れてしまっていた。
ありがとう、まどか。これもすべて貴女がいてくれたからだよ。
この気持ちを伝えたいけれど、もしそれがまどかを困らせるような事になったら嫌だから。
それに私はまだ胸を張って言えるほど強くなってないから、まだ心の中に秘めていよう。
でもいつか、自分にもっと自信が持てるようになったら、きっと。
ねぇ、まどか。私は貴女を―――
◇◆
何度か季節は変わって、その中で色々なことをしてきたけど。
どんな季節でも変わらない、今日みたいな日を大事にしていきたいな。
それがきっと、ほむらちゃんにとっての幸せだろうし、私の幸せでもあるから。
どれだけの季節を越えても、どれだけの思い出を作っても。
今日のようななんでもない日こそ、大事に噛み締めて生きていきたい。
それが私の幸せだから。そして、まどかの幸せでもあればいいのだけど。
ほむらちゃんが守ってくれたから、今の私がいる。
まどかが助けてくれたから、今の私がいる。
ねぇ、ほむらちゃん。私はあなたを―――
ねぇ、まどか。私は貴女を―――
―――いつだって、愛してる。
長く伸びた二つの影が、くっつきあうように並んでる。
この角を右に曲がればほむらちゃんの家へ、左に曲がれば私の家へ。
ここがいつもの終点。「今日」の終わりの場所。
「今日」が終わればまたきっと「明日」がくる。
そんな当たり前だけど、その当たり前は絶対じゃない。
もしほむらちゃんが事故に遭っちゃったりしたら。もしほむらちゃんが魔女にやられたりしちゃったら。
そんな不安が、いつも心に湧いてくる。
ちゃんと明日も会えるよね?
これまでみたいに、これからもずっと…
この曲がり角に来ると、いつも立ち止まってしまう。
せっかく楽しい雰囲気で話せていても、ここに来た途端に空気が重くなってしまう。
悪い癖だ。すぐに別れを切り出せばいいものを、それができないでいる。
一人が寂しいからからじゃない。
私の弱い心がその時間を、その存在を求めてしまうから。
もっとまどかと一緒に話していたい。もっとまどかの傍にいたい。
そう考えてしまって、何も言えなくなる。
明日になればきっとまた会えるのに。
途切れてしまうのが怖いから、これからもずっと…
「それじゃ、ほむらちゃん」
不安を押し隠して、精一杯の笑顔で言う。
「ええ、まどか」
寂寥を押し隠して、何とか微笑んで言う。
ずっと一緒にいられたらいい。そう思いながら。
「「また あした」」