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太郎坊の怪

Last-modified: 2017-12-10 (日) 02:30:03

太郎坊の怪       土御門澄姫


これからする話は怪談よ
結構怖いから覚悟しなさい覚悟ー


商人のましろがある晩おそく黄泉平坂を急いで登って行くと、ただひとり岩の前にかがんで、ひどく泣いている太郎坊を見た。
身を投げるのではないかと心配して、商人は足をとどめ、自分の力に及ぶだけの助力を与えようとした。
女は華奢な上品な人らしく、みなりも綺麗であった。
――『太郎坊』と商人は女に近寄って声をかけた――『太郎坊、そんなにお泣きなさるな!……何がお困りなのか、私に仰しゃい。その上でお助けをする道があれば、喜んでお助け申しましょう』(実際、ましろは自分の云った通りの事をするつもりであった。何となれば、この人は非常に深切な人であったから。)しかし女は泣き続けていた――その長い一方の袖を以て商人に顔を隠して。
『太郎坊』と出来る限りやさしく商人は再び云った――『どうぞ、どうぞ、私の言葉を聴いて下さい!……ここは夜若い御婦人などの居るべき場処ではありません! 御頼み申すから、お泣きなさるな!――どうしたら少しでも、お助けをする事が出来るのか、それを云って下さい!』徐ろに女は起ち上ったが、商人には背中を向けていた。そしてその袖のうしろで呻き咽びつづけていた。
商人はその手を軽く女の肩の上に置いて説き立てた――『太郎坊!――太郎坊!――太郎坊! 私の言葉をお聴きなさい。ただちょっとでいいから!……太郎坊!――太郎坊!』……するとその太郎坊なるものは向きかえった。そしてその袖を下に落し、手で自分のステータスを晒した――見ると火力も属性も精神力もない――きゃッと声をあげて商人は逃げ出した。


一目散に黄泉平坂をかけ登った。自分の前はすべて真暗で何もない空虚であった。振り返ってみる勇気もなくて、ただひた走りに走りつづけた挙句、ようよう遥か遠くに、蛍火の光っているように見える提灯を見つけて、その方に向って行った。
それは岩に式姫を投げていたアピ助の提灯に過ぎない事が解った。しかしどんな明かりでも、どんな人間の仲間でも、以上のような事に遇った後には、結構であった。
商人はアピ助の足下に身を投げ倒して声をあげた『ああ!――ああ――ああ……
『これ! これ!』とアピ助はあらあらしく叫んだ『これ、どうしたんだ? 誰れかにやられたのか?』
『否いや、――誰れにもやられたのではない』とましろは息を切らしながら云った――『ただ……ああ!――ああ!』……
『――ただおどかされたのか?』とアピ助はすげなく問うた『式姫狩りにか?』『式姫狩りではない――式姫狩りではない』とおじけたましろは喘ぎながら云った『私は見たのだ……太郎坊を見たのだ――岩の前で――その女が私に見せたのだ……ああ! 何を見せたって、そりゃ云えない』……
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』とアピ助は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、アピ助の顔は太郎坊になった……そして同時に灯火は消えてしまった。