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Гангут

Last-modified: 2017-05-22 (月) 23:46:25
No.311
Здравствуйте.(こんにちは)Гангут(ガングート)Гангут級 1番艦 戦艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久59火力55 / 78
装甲55 / 73雷装14 / 28
回避23 / 47対空22 / 58
搭載4対潜0
速力低速索敵8 / 30
射程20 / 69
最大消費量
燃料75弾薬100
艦載装備
130.5cm三連装砲
130.5cm三連装砲
1未装備
1未装備
改造チャート
ГангутОктябрьская революция(Lv.45) → Гангут два(Lv.75)
図鑑説明
三連装主砲を持つロシアの弩級戦艦Гангут級、その一番艦だ。
革命後はОктябрьская революцияと名前を変えたが、*1
近代化改装後、再びГангутの名に戻ったさ。冬戦争、そしてあの大きな戦いにも参加した。
地上戦支援で勝利に大きく貢献した私は勲章ももらったな。この戦い、私も貢献しよう。私に任せておけ!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:瀬戸麻沙美、イラストレーター:やどかり(クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • Bismarck drei同様に雷装値を持ち雷撃戦に参加する。ただし魚雷は装備できない。
    • 消費燃料、弾薬がトップクラスに軽い。
    • 雷装値がある分夜戦火力ではIowa(105)にほぼ並ぶ。
  • ただし、火力、耐久などが他の戦艦と比べてもワースト1になってしまった。
    • 他戦艦も同様の事ではあるが、改造前の時点ではリ級flagshipレベルの敵からあっさり大ダメージを受ける事も。
      雷装値を持つことによる火力の上昇を当てにして未強化で使う場合、夜戦以外の戦艦に求められる役割は果たしにくい。
  • 速力「低速」だが、「中口径主砲を装備できない」「連合艦隊第2艦隊に編成できる」「入渠時間が重巡と同等」など高速の戦艦組と同じ特徴を有する。
    また艦種ソートでの並ぶ位置から、内部データでの分類的に大和型等と同じ艦種ではなく金剛型・Bismarck級・VV級と同じ艦種扱いであると考えられる。
    • ただし無意識に運用すると連合艦隊で高速統一艦隊を組んだはずなのになぜか低速混じりということもある、そこだけはご注意。
  • 他の戦艦クラスと比べて、搭載可能な偵察機の機数が圧倒的に少ない。
    • 各スロ1ずつで計4と一般的な重巡にも劣る。改二にあたるдваまで改造すれば(1,1,2,2)の6に微増するが、やっぱり貧弱であることに変わりはない。
    • 特に気にする必要のない点ではあるが、一応、触接の発生率に影響する……かもしれない。
  • マンスリー任務「水上打撃部隊」南方へ!」では自由枠扱いとなるので注意。
    この任務の前提任務である「戦艦を主力とした水上打撃部隊を編成せよ!」で大和型・長門型・伊勢型・扶桑型が指定されているため。同じ例としてはWarspiteが当てはまる。
  • 春日丸同様、新規実装時にそのまま改二まで実装されている。実装同時に純粋に改二まで改造できるのは共に初めて。

キャラクター設定について Edit

  • 余談だが実装直後Android版でのグラフィックが戦艦ル級になるという特大なバグがあった。
  • イラストレーターはやどかり氏で、駆逐艦以外の艦娘を描いたのはこれが初めて。これは、同じソ連海軍賠償艦のВерныйを描いた経緯からと思われる。
    • なお、更にやどかり氏が初期実装艦以外の艦娘を描いたのもこれが初となる。

小ネタ Edit

艦名と設計 Edit

  • ガングート級はロシア帝国が計画した最初の弩級戦艦である。同海軍の正式な分類では「戦列艦」と呼ばれる。
    • ロシア帝国海軍は日露戦争で主力艦*4のほぼ全てを喪失し、事実上壊滅していた。その上ドレッドノートの登場により、わずかに残った戦艦も建造中のものを含めて一気に旧式化してしまう。
      そこで海軍の再建をかけて計画されたのが本級である。
    • ロシアの建艦技術は発展途上にあり、英独伊米など国外からも設計案を募っている。最終的にはドイツの名門ブローム・ウント・フォス社の案を叩き台に、1909年4月、ペテルブルクのバルト工廠が設計を完成させた。*5
      なお、同工廠は船体・機関設計の最終段階でイギリスのジョン・ブラウン社の支援を受けている。*6
  • 艦名をラテン文字に転写するとGangutとなる。
    18世紀の大北方戦争中に、ロシア海軍がスウェーデン海軍を撃滅しバルト海の制海権を奪った「ガングートの海戦」*7にちなむ。
    戦争の帰趨を決定づけ、ロシアが大国として飛躍する契機となった記念碑的な戦いである。現在はフィンランド領のハンコ半島の沖合である。
    • 余談ながら、ゲーム内の家具のモチーフになった映画で有名な戦艦ポチョムキン*8は反乱後パンテレイモンへと改名されたが、この名はガングートの海戦が聖パンテレイモンの祝日であったことにちなむ。
    • 本級の名は全て古戦場にちなんでいる。
      3番艦は大北方戦争の陸上での決戦だったポルタヴァ。2番艦のペトロパヴロフスクと4番艦のセヴァストーポリはクリミア戦争での戦場である。*9
      • ペトロパヴロフスクはカムチャツカ半島のペトロパヴロフスク=カムチャツキー包囲戦にちなむ。
        当時は極東におけるロシア最大の拠点であり、日露和親条約を締結したプチャーチン提督も帰路、戦闘の終わった同地にヘダ号で寄港している。クリミア戦争の戦火は日本の目と鼻の先にも及んでいたわけである。
  • 主砲の52口径30.5cm三連装砲は全て同一甲板の中心線上に配置され、背負い式配置は取られなかった。2番・3番両砲塔は艦橋や煙突などの上部構造物に前後の射界を大きく妨げられていた。
    舷側への火力投射に特化した設計思想であったことや、背負い式砲塔では上段の発砲炎が下段の砲塔に悪影響を与え、前方投射火力が増加しないと考えられていたことなどが理由として挙げられる。
    • この配置は負荷が分散して強度上有利・重心低下に有利・艦影が小さくなるといった利点があった。
      特に暗礁の多い内海での活動を重視するロシア海軍では艦の喫水を浅くするため重心の低下に熱心で、この後も非背負い式配置の戦艦の計画案を多く作成している。
      一方で弾薬庫と機関室の配置が複雑になり容積上不利・主砲発砲時の爆風が上甲板全体を覆うため対水雷艇砲の配置が不利という欠点があった。
      また、本級特有の配置ではないが弾薬庫と機関部が隣接しており、生存性の面でも不利だった。
    • 主砲口径は30.5cmでいわゆる弩級戦艦に分類されるものの、当時としては大重量の砲弾を高初速で発射する事から貫徹力は高く、第一次大戦期の超弩級戦艦にも匹敵する火力を有していた。
  • 副武装として50口径12cm単装砲を片舷8基ずつ砲廓式に搭載したほか、45.7cm単装水中魚雷発射管を片舷2基ずつ装備していた。
    乾舷が低くフォアヘビー気味でもあったため、前部副砲はおだやかな海況でもしばしば波に洗われたといわれる。副砲は一つの砲廓につき上下二段重ねで設置されていた。
    また、ド級戦艦らしく衝角は廃止され、かわりに冬季には結氷するバルト海での行動のため砕氷型艦首となっている。
  • 機関は定格42,000馬力で23ノット。ポルタヴァは公試で24ノットを発揮した。列国のド級戦艦に比べると1割以上優速で、射程の長さも相俟って同時期のドイツ戦艦に対して優位に立った。
    航続距離は16ノットで4000海里と、バルト海や黒海での運用には十分であった。
  • 防御面では日本海海戦の戦訓を取り入れ、外部装甲と内部隔壁からなる対榴弾防御を全体に施している。一種の全体防御であり、代償として主装甲帯は最大225mmと列国の1割から2割以上薄くなってしまった。
    特に仮想敵のドイツにはド級戦艦でも最大300mmの装甲を備えたものもあり、徹甲弾に対する防御では明確に劣っていたと言える。
    同じく日本海海戦の戦訓により舷窓を大幅に減らしたため、夏場の居住性は劣悪だったともいわれる。
    • また装甲配置にも問題があり、バーベット部の装甲が(舷側装甲の内側とはいえ)薄く、重装甲部分には弾片防御隔壁もなかった。
      何よりの問題は水雷防御を備えていなかったことで、魚雷・機雷は大きな弱点だったとされる。日露戦争では機雷で太平洋艦隊司令部もろとも戦艦を失っているのだが。
  • 準同型艦に黒海艦隊向けの発展型として建造されたインペラトリッツァ・マリーヤ級戦艦3隻があったが、1隻が1915年に事故爆沈し、残る2隻はロシア革命後のウクライナ地域の情勢に翻弄され第一次世界大戦期から戦間期にかけて姿を消している。

第一次大戦とロシア革命 Edit

  • ユリウス暦1909年6月3日*10、ガングート級戦艦は一斉に起工された。ガングートとポルタヴァはペテルブルクの海軍本部工廠で、残りはバルト工廠で建造された。
    この時点では砲塔や弾薬庫の設計が未完了という見切り発車で、また議会の反対でなかなか予算がつかず、工事は遅々として進まなかった。
  • ガングートは姉妹の中では最後の1911年10月7日に進水し、就役も最も遅い1914年12月末だった。姉妹揃って第一次大戦がはじまってからの就役であり、既に世界の主流は超ド級戦艦へと移り変わっていた。
    • なお、進水・就役が最も早かったのはセヴァストーポリであり、本級はロシアでは「セヴァストーポリ級」と呼ばれることが多い。
  • 就役後は揃ってバルト海艦隊の第一戦艦戦隊に配備され、フィンランド湾口の防衛に当たった。しかしドイツ海軍主力が進撃してくることはなく、もっぱら訓練や機雷敷設作戦の火力支援を行っていた。
    • 1915年8月14日には現在のラトビア南部沖で機雷敷設を支援したが、これが第一次大戦においてロシアのド級戦艦が最も南に進出した事例となった。暗礁の多い沿岸での行動は危険を伴い、28日には触礁により軽微な損傷を受けている。
  • 同年10月末、載炭作業後の昼食として恒例だった肉とマカロニの昼食が供されなかったことで、艦上で小規模な抗命事件が発生した。
    所用から帰艦した艦長が夕食に肉の缶詰を出すと宣言したため事は収まったものの、好転しない戦局や苦しい戦時勤務への不満は水兵の間に鬱積していった。
  • 1917年2月23日、ついに首都ペトログラード*11で暴動が発生した。混乱が混乱を呼び、3月2日には皇帝ニコライ二世は退位に追い込まれ、ロマノフ朝が幕を閉じた。ロシア二月革命である。
    • 報せを受けたバルト海艦隊では3日より反乱が勃発。彼女の乗員たちもこれに加わり将校を排除すると、下士官・兵士を中核とするソヴィエト(評議会)を結成。
      「パン・土地・平和」をスローガンとするボリシェヴィキが多くの支持を得て実権を握った。
  • しかし立憲民主党や社会革命党を中核とする臨時政府は、国民の望んだ講和ではなく英仏など同盟国の望んだ継戦を決定する。
    大規模な攻勢に出るものの士気は上がらず、ドイツ・オーストリア軍の反撃に遭って戦線は崩壊、逆に戦線を押し込まれてしまった。
    • これに対し兵士や労働者の不満が爆発した。幾度かの曲折の末ついに10月25日夜、バルト海艦隊の防護巡洋艦アヴローラ*12がボリシェヴィキの蜂起に同調、臨時政府の置かれた冬宮を砲撃した。
      臨時政府は倒され、ボリシェヴィキが政権を掌握。こうしてロシア十月革命がなったのだった。
    • しかし反ボリシェヴィキ勢力や独立を求める諸民族の勢力が各地に乱立し、革命波及を懸念する列強による干渉もあって、ロシアはこの後約5年にわたる内戦の坩堝と化すのであった。
    • 兵士たち、とりわけ水兵のソヴィエトは二月革命以来ほぼ一貫してボリシェヴィキを支持し続け、様々な場面において実戦力の中核として活躍した。
  • さて、ドイツ帝国は革命政権の出した「無賠償・無割譲」という条件を受け入れず、ペテログラードへと猛進撃した。
    革命政権にこれを止める力はなく、1918年2月、ガングートを含むバルト海艦隊は結氷したバルト海を渡り、エストニアからフィンランドへと後退することになる。
    さらに対独講和でフィンランドの独立を認めたことにより3月、彼女たちは再び凍った海を渡ってクロンシュタットへと戻った。
    一連の行動は「氷結巡航」と呼ばれる。決して簡単な航海ではなかったが、幸いにして氷海による損失は潜水艦1隻のみですんだ。
    • その後しばらくは革命・内戦の混乱のため、海軍はほとんど活動状態になかった。
      中枢を担う高級・中堅将校はもちろん、ありとあらゆる場面で人員不足が顕在化していたからだ。
    • ガングートはグレゴリオ暦1918年11月9日*13に予備艦となった。様々な運命をたどる妹たちを横目に見ながら、彼女自身はほとんど放置された状態で数年間を過ごしたのだった。

改名と大改装 Edit

  • ようやく内外の状況が落ち着いてきた20年代なかば、ガングートはついに現役復帰を果たすことになり、第一次近代化改装が行われた。
    工事中の1925年6月27日、彼女は新しくОктябрьская революция(オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤ)すなわち「十月革命」の名を与えられた。
    彼女は翌年3月23日に再就役し、新たな艦歴を歩み始めたのであった。
    • 彼女の改名は、1921年3月31日にペトロパヴロフスクとセヴァストーポリがそれぞれ「マラート」「パリージスカヤ・コンムーナ」へ改名されたのに合わせるため行われた。
      独裁を強めるボリシェヴェキ政権に対して水兵が決起したクロンシュタット反乱で二隻は指導的な立場にあり、彼女たちの改名はその記憶を抹消するために行われた。*14
    • 残るポルタヴァはというと、1919年にボイラー室で大火災を起こして大破しており、活動不能状態だった。
      彼女は26年に、夭折した内戦期の名将にちなみフルンゼと改称され、復旧作業が断続的に行われたが、結局現役復帰はかなわなかった。
  • オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤの大改装は、31年10月より行われ34年8月に完了した。
    • 主砲は天蓋装甲が大幅に強化され、第1・第4砲塔天蓋には3インチ単装高角砲が3基ずつ搭載された。
    • 25基あった混焼缶は12基の重油専焼缶に置き換えられた。これにより余ったスペースは水密区画に改造され、弱点だった水中防御力は大きく向上した。
      なお、改装後は出力が61,000馬力に増大し、最大速力は24.6ノットに向上したとする資料もあるが、不詳。
    • 同世代の列国戦艦の改装と同様艦橋機能も拡充され、艦橋は直後にあった第一煙突を抱き込む形で肥大化した。
      これに合わせて煙突は途中で後方に大きく折れ曲がる形に改装されており、外観上の特徴となっている。
      その姿はどことなく極東の十三重の塔を思わせるとも。
    • また巨大な艦載艇用デリックが後部マスト両脇に設けられているが、これは同型艦の中でも彼女に特有の配置である。
    • 凌波性向上のため変更された艦首形状や煙突など、鋭角や直線が目立つ艦影となっており、極めて前衛的な外観を呈している。
      どことなくソ連の勤労ポスターの構図やデザインに通じるものがあると言えなくもない……かもしれない。
    • このほか、カタパルトは設置されなかったが水偵が1機搭載されたようである。
  • こうして順当に強化が行われた「レヴォリューツィヤ」だが、装甲だけはほとんど強化されなかった。
    • 舷側装甲は金剛型やライオン級といった巡洋戦艦の竣工時と同等のまま、水平防御に至っては最厚部でわずか50mmの甲板一枚のみと輪をかけて薄弱だった。
    • もっとも、ヴェルサイユ体制下でのバルト海や黒海ではガングート級が圧倒的に強力な主力艦であったことは間違いなく、そこまでコストをかける必要がないと判断されたのかもしれない。
  • この時期には内政も落ち着き工業化も軌道に乗っており、革命以来初の大型水上艦であるキーロフ級巡洋艦の計画が始動していた。
    さらにはかのソヴィエツキー・ソユーズ級を中核とする整備計画も構想されており、ソ連海軍が発展へ向けて大きく前進した時期でもあった。*15

戦火の下で Edit

  • 1939年、ソ連は宿敵ナチスドイツと不可侵条約を結び、東欧諸国を互いの勢力圏として分割する秘密協定を結んだ。
    ソ連はポーランド東部(西ウクライナ)・バルト三国・フィンランドなど革命での失地を勢力圏と認められ、これらの諸国への恫喝・侵略を開始した。
    • 対独戦争中に背後から襲い掛かられたポーランド、圧力に屈したバルト諸国とは異なり、フィンランドは恫喝を毅然としてはねつけた。
      これに対してソ連は「フィンランドによる先制攻撃」をでっち上げて侵攻を開始*16、こうして始まったのが冬戦争である。
    • 12月、レヴォリューツィヤはマラートとともに*17フィンランド湾の沿岸要塞を攻撃したが、恒久的な打撃は与えられなかった。
      至近弾が送り込まれ始めたことで二隻はそのまま撤退し、やがてバルト海が結氷したことで活動は終了した。
    • 余談であるが、冬戦争の結果ソ連が租借地として獲得した中に、ガングートの名の由来となったハンコ半島も含まれている。
  • 1941年の2月から3月にかけて、レヴォリューツィヤは対空火器の増強を受けた。高射装置も2基設置されている。
    後甲板に3インチ連装高角砲2基を増設し、かわりに両舷最後部の副砲は取り外され、砲廓が高角砲弾薬庫に転用された。
    また、37mm単装機銃が12基搭載された。このうち2番・3番砲塔の天蓋にそれぞれ3基ずつが設置されている。
    • 特徴的だったクレーンはスペースを空けるため、ドイツから購入した巡洋艦リュッツォウの、より小型のものに換装された。
  • ドイツが不可侵条約を破ってソ連への侵攻を始めた1941年6月22日、レヴォリューツィヤはエストニアのタリン軍港にいた。
    クズネツォフ海軍人民委員*18は一か月ほど前から警戒態勢を独断で*19命じており、トリブツ提督の指揮するバルト海艦隊も6月21日には第一種即応態勢に入っていた。*20
    しかしドイツ軍の進撃は迅速を極め、レヴォリューツィヤもクロンシュタットへの撤退を余儀なくされた。
    • バルト海沿岸に再獲得した軍港はドイツに奪われ、今やバルト海艦隊に残された軍港はクロンシュタットのみだった。
      また、8月から9月にかけてドイツ海軍がティルピッツを含む大艦隊を護衛につけて機雷を敷設し、艦隊はすっかり封じ込められてしまった。
  • ドイツ軍がレニングラード*21に迫った9月8日、バルト海艦隊は満を持してその砲門を開いた。
    主砲から対空砲まで用いた艦隊の猛射と陸軍の堅固な陣地にドイツ軍の攻撃は撃退され、その方針は持久戦へと転換された。
    以後、彼女たちはレニングラードをほぼ封鎖した枢軸軍との間に死闘を展開していくこととなる。
    • 当初の活動場所はレニングラードのまさに至近だったが、水道が浅く狭いため行動に支障があり、沈没時には閉塞してしまう恐れもあった。
      そのため戦艦は場所を移し、たとえばマラートはクロンシュタット軍港に着桟したまま砲撃を行っていたという。
  • 9月21日、レヴォリューツィヤは艦首に爆弾3発を受け、主砲塔二基が使用不能となる大損傷を被った。
    レニングラードの造船所で修理を受けながら対空砲を増設し、37mm機銃が4基、3インチ連装砲が1基追加されている。
    この間42年4月4日夜に4発、24日には3発の大型・中型爆弾の直撃を受け、修理が完了したのは11月に入ってからだったとされる。
    • ただしこの頃乗組んでいた将校の回想では、造船所付近で停泊と移動を繰り返しながら艦砲射撃を続けていたとのことで、四六時中修理に専念していたわけではないことがわかる。
    • また、ド級戦艦にとっては相当な接近戦であり、重砲もしばしば撃ち込まれた。特に晴れた日が危険だったとのこと。
      艦体自体にはさほど効果的ではないが、死傷者は非常に多かったそうだ。
      セヴァストーポリ陥落後は攻城砲がレニングラードに転用され、砲撃は激しさを増していった。
      • ある時には、搭載していた機雷が砲撃のため誘爆の危機に見舞われた。二人の水兵が文字通りの火事場の馬鹿力で機雷を投棄し、からくもレヴォリューツィヤは難を逃れることができたのだった。
        艦を救った二人は名誉乗組員として永遠に記録されたのだが、ともに後に戦死してしまったという。
      • 43年4月16日にも砲撃により、左舷3インチ連装高角砲弾庫で火災が発生した。
        この時砲長のトンバーソフ一等兵曹が決死の弾薬投棄作業にあたり、ついに最後の砲弾が手の中で爆発し戦死した。
        その英雄的行動は大いに宣伝され、兵曹には赤旗勲章が追贈された。また、1964年にはレニングラードのアルタイ通りがトンバーソフ通りに改名され、ソ連崩壊に伴い街の名がペテルブルクに復した現在もその名を保っている。
  • レニングラード包囲戦は封鎖による飢餓で知られ、スターリングラードの市街戦とはまた違った意味で凄惨なことで有名である。
    さすがに戦闘部隊で餓死に至ることはなかったが、パンの配給が一日300グラム*22にまで落ち込んだ時期もあったという。
    将校の昼食が一塊のパンだけ、というような状況もざらで、マラートでは軍医が野草の煎汁を開発して食事に供しさえしたという。
補足:レニングラード方面の姉妹艦
  • 44年1月、ついにレニングラード方面でもソ連軍が本格的な攻勢を開始。レヴォリューツィヤは激しい砲火でこれを支援した。
    6月にはフィンランド方面での攻勢を支援し、同月9日、彼女はソ連戦艦として最後となる実戦射撃を行ったのだった。
    • なお、44年から翌年にかけてイギリスから供与されたレーダーを増備しているが、内訳ははっきりしない。
      Type279対空警戒レーダーのみとする説のほか、加えてType285対空射撃レーダーを装備したとされることもある。
      また、Type281対空警戒レーダーとType284主砲射撃レーダー、そしてアメリカのSG-1水上捜索レーダーだったとする資料もある。
    • このほか、44年中には魚雷発射管が撤去されたようである。
  • 44年7月22日、それまでの功績に対しオクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤに赤旗勲章が授与された。
    • 赤旗勲章はソ連最初の勲章であり、また軍事勲章としては事実上最高位にあり続けた、歴史と実力を兼ね備えた勲章だった。*24*25
    • ソ連の勲章は各級部隊や団体にも授与される物が多く、正式名称にその勲章の名を戴いた。つまり、彼女の正式名称は「赤旗勲章受勲オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤ」となったわけである。
      黒海艦隊の旗艦として対地支援に活躍したパリージスカヤ・コンムーナあらためセヴァストーポリも、戦後まもなく赤旗勲章を与えられている。
  • 以降、レヴォリューツィヤをはじめバルト海艦隊の大型水上艦は活動をほぼ終了させた。
    • バルト海には開戦前後からドイツ軍が濃密な機雷原を構築しており、安全な海面はレニングラード・クロンシュタット近辺に限られていたのだ。
      ドイツ海軍も残存艦艇を可能な限りかき集めたため掃海作業はなかなか進まず、戦後も数年にわたって続くことになる。
  • オクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤは1954年に練習艦となり、1956年に除籍された。
    解体作業はゆっくりと行われ、船体は58年になっても残っていたという。

補足・その他 Edit

  • 43年5月31日、マラートはペトロパヴロフスクに、パリージスカヤ・コンムーナはセヴァストーポリにとそれぞれ旧名に復した。
    日本語資料ではオクチャーブリスカヤ・レヴォリューツィヤもガングートに復したとされているのだが、ロシアの文献では確認できない。
  • 母港であったクロンシュタットの「錨の広場」には、彼女が完成以来終生使い続けたとされる一対の錨・主砲塔装甲板の一部・トンバーソフ兵曹が指揮していた高角砲が展示されている。
  • ゲームにおいてはサービス開始以来4年間、1911年起工・1912年進水・1913年就役の金剛が最年長艦としてネタにされてきた君臨していたが、1909年起工・1911年進水のガングートが新たに最年長艦の座につくこととなった。
    ただし前述の通りガングートの就役は1914年にずれ込んでいるので、就役日基準だと金剛が先輩になるかもしれない。
  • 41年9月21〜23日に受けた6発の爆弾のうちいくつかは、かのルーデルが投下したもの。しかしすべて不発だったため逃げ延びることができた。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の30件を表示しています。 コメントページを参照

  • ゲームにおいて「高速の戦艦組と同じ特徴を有する。」「内部データでの分類的に」  ←この解釈自体を否定する訳ではないが・・・無改造段階で比較すると、全長212mの超ド級金剛型が3スロットなのに、全長181mのド級玩具は4スロット。 雷装も無視されているし、初期に実装された金剛型カワイソス。 -- 2017-05-22 (月) 06:58:46 New
    • デース級は設計上は巡洋戦艦(甲巡、重巡の1種)だからだろ -- 2017-05-22 (月) 14:55:21 New!
    • 長門型に肉薄する火力もらってる時点で金剛型の能力査定もそうとうガバいから文句言える筋合いでもない -- 2017-05-22 (月) 16:40:49 New!
  • 大型建造に来るの待ってるよ -- 2017-05-22 (月) 08:14:23 New
    • おそらく来年まで来ないぜ。 -- 2017-05-22 (月) 10:29:30 New!
  • この子のフィット砲って判明した? 多分35.6cm系列だと思うんだけど -- 2017-05-22 (月) 10:36:24 New!
  • 銃殺とか言い出すから鬼軍曹型かと思ったら・・・情報は取ってきてくれるし放置しても責めたりしないし、意外に温厚 -- 2017-05-22 (月) 16:12:14 New!
  • 増えろ、やどかり艦。砂浜を埋め尽くすのだ -- 2017-05-22 (月) 20:06:11 New!
  • 主砲はどこまでフィットするんだろうか 35.6が標準の金剛型とかが41で過重だし、41以上は無理っぽいけど -- 2017-05-22 (月) 23:28:35 New!
  • ロシア艦のくせにウォッカじゃないなんて! あれはそれともオーデコロンか?w最近は入浴剤かなぁ -- 2017-05-23 (火) 00:16:22 New!
  • MVPセリフの最初が初月とイントネーションも含めて似てるような気がする。てか提督「なんだその顔は」って結構変な顔してたんだろうな…おっと鏡が… -- 2017-05-23 (火) 00:23:29 New!
  • アイオワ砲*2だと外しがちな気がしたけど、試製35.6cmと混載したら安定した。12インチ〜14インチがフィットするんかな? -- 2017-05-23 (火) 01:22:15 New!
  • 「ちはやふる」の綾瀬千早と中の人が同じとは驚いた -- 2017-05-23 (火) 07:17:07 New!
  • ガングート来てしまったからいつかヤウズが来そうなんだよなぁ…… -- 2017-05-23 (火) 07:32:18 New!
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*1 「Октябрьская революцияと」の部分はテキストでは表示されずボイスのみ
*2 「私が」の部分はテキストでは表示されずボイスのみ
*3 ”ズドラーストヴィチェ” 「(目上の人に対して)おはようございます/ こんにちは/ こんばんは。(直訳:健康であれ)」
*4 オスマン・トルコ帝国への対抗から動かせない黒海艦隊の他は、完成間もないスラヴァと青島で武装解除を受けた後に返還されたチェサレーヴィッチしかいなかった
*5 ドイツ案がそのまま採用されなかったのは、パテント料がドイツに入ることにロシアの債権国だったフランスが難色を示したのも一因と言われる
*6 日露戦争終結により英露対立も終焉を迎えており、両国は対独牽制で足並みをそろえ始めていた
*7 スウェーデンでは「ハンゲの海戦」。「ガングート」は「ハンゲ半島」の転訛である
*8 正式名称は「クニャージ・ポチョムキン・タヴリーチェスキー」。訳すと「タヴリーダ公ポチョムキン」となる
*9 この三姉妹の先代も揃ってペトロパヴロフスク級戦艦であった、日露戦争開戦時には旅順の太平洋艦隊に三姉妹全てが所属しており、長女のペトロパヴロフスクは日本軍の機雷に触れて沈没、次女のポルタヴァは大破着底したのち、日本軍が引き揚げて「丹後」となり、第一大戦中にロシアに返還されたがチェスマと改名された、既にガングート級戦艦に名前が使われていたからだった、三女のセヴァストーポリは旅順沖で自沈した
*10 グレゴリオ暦16日。以下暫くはユリウス暦を用いる
*11 対独開戦に伴い、ドイツ風の「ペテルブルク」をロシア風に改めていた
*12 日本海海戦を生き延びた古強者であり、現在もネヴァ川に係留されている
*13 以下、日付はグレゴリオ暦に従う
*14 上記した帝政時代のポチョムキンと同じ改名経緯である
*15 一般的なイメージとは裏腹に、スターリンは内憂外患の時期を除いて海軍戦力の整備に極めて熱心だった
*16 この結果ソ連は国際連盟を除名扠せられることとなった
*17 パリージスカヤ・コンムーナはローザンヌ条約の下で黒海に入り、黒海艦隊に転属していた
*18 海軍大臣に相当。クズネツォフ提督はなんと1904年生まれと、革命で若返った赤軍を象徴するような人物である
*19 ドイツ軍の集結や偵察など予兆はあったが、スターリンはドイツを刺激する行動を避けるよう厳命していた。この措置は、陸空軍の戦闘準備のみならず新型兵器転換訓練にも大きな悪影響を与えたとも言われる
*20 一説には、クズネツォフ提督に対応を迫ったのはトリブツ提督だったとも言われる
*21 かつてのペテルブルク・ペテログラード
*22 包囲開始当初の一般市民(各種労働者でない市民、おそらくは主婦や高齢者)向けと同量
*23 第2砲塔は42年の春までに修理が完了したという証言もある
*24 軍事勲章の最高位は勝利勲章だが、授与対象がごく一部の将帥に限られていた
*25 軍人に対象を限らないものとしてはレーニン勲章や十月革命勲章、また勲章ではないがソ連邦英雄称号が上位に存在する