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多摩

Last-modified: 2017-06-28 (水) 12:01:44
No.040
軽巡、多摩です。猫じゃないにゃ。多摩(たま)球磨型 2番艦 軽巡洋艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久25火力14 / 39
装甲10 / 29雷装24 / 79
回避36 / 69対空13 / 49
搭載2対潜19 / 59
速力高速索敵8 / 39
射程10 / 49
最大消費量
燃料25弾薬25
搭載装備
114cm単装砲
1未装備
装備不可
装備不可
改造チャート
多摩多摩改(Lv20)
図鑑説明
球磨型軽巡洋艦の2番艦、多摩だにゃ。
水雷戦隊の旗艦として、ご奉公*1するにゃ!
にゃ?多摩って名前だけど、猫じゃないもん!

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:佐倉綾音、イラストレーター:UGUME (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

  • 2013年12月11日のアップデートにおいて追加されたクエスト『「第5艦隊」を編成せよ!』に必要となる。
  • その後、更に2015年9月25日のアップデートにて多摩を必要とする『新編「第二一戦隊」出撃準備!』『新編「第二一戦隊」北方へ出撃せよ!』の二つの任務が実装された。合計3つの任務で必要になるため、枠に余裕があれば遠征要員としてでも確保しておいて損はないだろう。勿論育てて可愛がるに越したことはないのだが。
  • (能力的に)クセモノ揃いの球磨型で現状唯一の「普通の軽巡」ポジション。
    • 球磨型に限らず、軽巡洋艦全体で見てもこの「普通の軽巡」ポジションは17年6月現在オンリーワンの個性である(後述)。特長が無いのが特徴。
    • 姉は総合力トップクラスのエリート、妹達は雷巡という強みがあるのだが、多摩にはそういう際立った部分が無い。猫好きは愛を注いであげよう。
    • 確かに数字だけ見れば「弱い方」などと言われても否定はしづらいのであるが…仕様上、夜戦での攻撃力はなんと138を誇るまでに成長する。*2
  • 17年6月現在、改二やネームシップの補正がなく燃費や最終的な能力値が「普通の軽巡」なのはいまや多摩だけである。
    • 17年6月23日、長く運用面で一緒に扱われていた由良にも改二が実装。とうとう「普通の軽巡」が多摩唯一の個性になってしまった。普通とは一体……?
    • なお、改止まりで数えた場合由良さんの他に五十鈴木曾も該当する。
    • じゃあ他の長良型は?というと何故か火力と雷装の高い三番艦や、こちらは改二になったが弾薬消費がちょっと増える鬼怒阿武隈などの違いがあった。
    • 故に天龍姉妹についで遠征向けと言える…かも知れない。*3
  • ドロップ範囲が非常に広く、1-1から5-3までほとんどの海域のほとんどの場所でドロップする。

  • もともと妙に多くの家具に関わっていたのだが(小ネタ参照)、2015年12月8日のアップデートではついに「北方迷彩な桐箪笥」が登場した。説明文には、北方迷彩の5,500トン型軽巡の精密模型が鎮座して「いい感じがするニャ……」との文言が。


  • 2015年9月25日のアップデートで「限定ボイス?」と浴衣姿の「秋季限定艦娘グラフィック」が実装された。多摩さん、金魚食べちゃダメよ?
    限定ボイスに?が付いてるのは、半分鳴き声だかららしい。ただし、のボイスがまさかの全部鳴き声だったので半分とはそのことだったのかもしれない……。
    秋季限定艦娘グラフィックは立ち絵限定で、カードイラストはそのまま。
    他の限定グラフィック同様、限定期間終了後に図鑑に格納された。
    限定イラスト:秋季限定Ver.


  • 翌2016年10月21日のアップデートでは何と、当日に【秋刀魚mode】の実装が発表された。
    秋刀魚を咥えている、肉球マークの大漁旗を持っているなどツッコミどころは多々あったが、
    多くの提督たちは彼女の服装睦月っぽいと、ある部分に目を奪われることになる。「2番艦は〜」の法則は彼女にも適用された
    更に中破絵では、黒ストの一部以外服や艤装が全て吹っ飛び、大漁旗で身体を隠す裸大漁旗なるファッションを披露した。多摩姉たまんねぇ
    「限定ボイス?」や期間終了後の変化は去年と変わらないが、提督たちに与えた衝撃は去年の比ではなかった。
    「大井の姉」「あざとい姉キソ…」「いやしい妹クマ…」
    限定イラスト:秋刀魚mode

  • 所属した第五艦隊をモデルにした2017年春イベントでは妹の木曾や那智さん、阿武隈と共にバナーに抜擢。おにぎりを頬張る姿は実に可愛い。
    • E-2にてルート固定要員の一人として使用することができた。

小ネタ Edit

  • 三菱造船長崎造船所にて1920(大正9)年2月10日進水、1921(大正10)年1月29日竣工。
  • 就役してすぐ、シベリア出兵(1918〜1922)に龍田球磨とともに従事した。
    軽巡で参加したのは天龍型と球磨型だけである。ちなみに木曾は撤兵時のみ参加。
  • 1925(大正14)年、日本で客死したアメリカのバングロフト駐日大使の遺体を米国まで礼送した。
    • 後に、アメリカで客死した日本大使の遺骨を米国から礼送してきた艦に対し木曾が礼砲を打っている。
  • 戦争中は第五艦隊第二十一戦隊に所属。レイテ沖海戦で艦隊ごと動員されるまで、北はアリューシャン・千島・樺太方面、南はトラック諸島からカロリン諸島まで幅広く活動していた。
    • 第二十一戦隊の仲間としては第五艦隊旗艦の那智に加え、足柄木曾がいる。
  • 艦歴が古い影響で最前線ではなく輸送任務が主だった為、アッツ・キスカ島作戦以外で目立つ戦歴はない。
    • 名高いキスカ島撤収作戦で、1回目の出撃では「多摩の機関では心許ない」ということで泊地で待機させられた。
      1回目は突入を断念し、2回目の出撃では木村昌福艦隊の「督戦」として、河瀬四郎第五艦隊司令長官ほか司令部一同を載せて出撃している*4
      映画などでは省略されているので、意外に思う人も多いそうな。
    • そのかわり、北方から南方まであちこち輸送に駆けめぐった縁の下の力持ちである。猫の手も借りたいとはこの事か温度差の激しいのは猫にはよろしくn…猫じゃないにゃ。
    • 1944年8月末から戦没する同年10月末の期間には、かねてより輸送作戦に出向いていた第十一水雷戦隊に転属し、戦没した長良に代わり旗艦を務めたこともある。
      この十一水戦とは連合艦隊直属の錬成部隊であり、その特性ゆえに最後まで残った水雷戦隊である。
      しかし新型駆逐艦(という名の戦時急造艦)の育成をするという名目の部隊ではあったが、訓練だけをやっていられる戦況では勿論ないので逐次輸送作戦や戦闘などに投入され、そのせいで入れ替わりも激しかった。*5
      歴代旗艦は先輩に龍田長良、後輩に酒匂と艦これ的に知名度の高いメンツが並ぶ。かなり異色なところでは日向も旗艦をやってたり。松型駆逐艦が来たら多摩幼稚園が組めるにゃ。
      • 前述の輸送作戦には木曾も参加しており終了後は元の艦隊に戻った。しかし多摩は十一水戦に残ったため、これが開戦からおよそつかず離れずの行動をしていた二人の今生の別れとなった。
  • 以上のように長い期間と幅広い範囲で活動をしていたため改装やその計画も多かった。練習艦化や重雷装化計画の初期候補に挙げられたり(両者とも実際に改装がなされたのは北上大井の二隻)、任務中に幾度か損傷を受け改修を施されていたり、南方諸島に出向いた時は大幅な対空改修を受けていたりもする。
    潜水艦隊の旗艦になる計画もあったり由良みたいになってたのかにゃ?
    • 最終的な改装では主砲を二基下ろし高角砲対空機銃電探などの増設を施された。
      なお、防空巡洋艦になった軽巡と異なりこちらは改修後も主砲やカタパルトを残しているため、防空巡洋艦になったわけではない。
      • そもそも「防空巡洋艦」という艦種自体、公式には存在しない。基本的には主砲の代わりに高角砲や電探、対空機銃を山盛りにした対空特化の巡洋艦や駆逐艦をこう呼んだのである。「重雷装艦」とか「潜水空母」の呼称みたいなものだにゃ。
      • 天龍型や球磨型を始めとする軽巡を防空巡洋艦化する計画は開戦前からあったのだが、艦歴の古さ*6や拡張性に難があり「せっかく改装してもすぐ旧式化するのでは…」という懸念が強く、
        実現されたのは損傷が大きかった上に実験的な意味合いの強い五十鈴や、そうした試行錯誤を元に建造された秋月型駆逐艦のみである。
  • 艦長リストには百武源吾*7、及川古志郎*8、嶋田繁太郎*9といった錚々たる面々が。「海の辻政信」といわれたあの神重徳*10もいたりして。山本長官と喧嘩してた人間ばっかじゃねぇかとか言うな。
    多摩は大人しいけどひょっとして猫かぶってるんだろうか。
  • 「ご奉仕するにゃ」「しょうがないにゃあ」「猫じゃないもん!」「これで大丈夫にゃ。問題にゃい」と色々と突っ込みどころのある台詞が多い。元ネタ全部分かる提督はほぼ間違いなくおっさん。
  • この猫ネタと球磨とのコンビネタなど、持ちネタは多め。動物ネタは時代を選ばない。
    • 「なのです」掛け軸の足跡は多摩のものらしい。ということは、多摩の素足って…?艤装だから猫じゃないにゃ
    • 前出の百武源吾は、艦長時代に生まれた末娘に「多摩」と名付けている。
  • でも史実でコンビだったのは木曾であり、球磨ではない。*11凸凹コンビにもほどがある。ナゼダクマー。
    • 1922年に連合艦隊が常設された際に球磨や大井と3人で第三戦隊を組んだことはある。すると今度は北上だけが多摩と艦隊を組んだことのない事になってしまうが。モータマッチーナカマハズレニスルノヤーメテヨー。
      なおこの時北上は後に語り継がれる華の二水戦旗艦をやっていた。こっちのほうが良かったにゃ。
      • この前後に金剛型姉妹が二度に亘って務めていたことからも第三戦隊はかなり有力な戦隊と言われており、連合艦隊設立時のそれといえば相当な名誉だった事は間違いない。
        でも1921年から1933年に解隊するまでの三代目第三戦隊は、北上以外の5,500t型軽巡のみんなと夕張がやった事があるのは内緒。初代連合艦隊なのが大事なんだにゃ。
        チョットミンナホントニヤメテヨー。*12
    • 「水雷戦隊の旗艦としてご奉仕するにゃ」と言っているが、旗艦にしても随伴にしても、水雷戦隊にいたことはあんまりない。戦時中のほとんどを過ごした第五艦隊でもだいたい第二十一戦隊所属で、こちらに所属する第一水雷戦隊にいた期間は短かった。
      ちなみに北上は1921年に第二水雷戦隊、木曾は1937年に第四水雷戦隊の旗艦になっている。多摩は最後の最後に第十一水雷戦隊の旗艦になったが、大井はマル三計画で第六水雷戦隊旗艦になる予定はあったものの実現せず(この時に多摩と北上で戦隊を組む計画もあったがこれも無くなる)、球磨に至っては計画も無かったということを見ると多摩は結構幸運だったのかもしれない。イクラナンデモアンマリダクマー。
    • 第二十一戦隊所属の2隻はどちらも北方迷彩が施されていた。多摩の艤装の塗装も実はアリューシャン風味。
  • 名前の由来はもちろん多摩川。山梨県から東京都を通り、神奈川県との境を流れる一級河川である。多摩ちゃん意外と都会派。しかし首都圏の一級河川としては珍しく多く自然の姿が残っている。つまり純朴でもある。初代バイオハザードのOPムービーの実写部分は多摩川の河川敷で収録されていたりするにゃ。
    • 海軍・海自・海保では、他に「多摩」「たま」という艦名は使われていない。
    • 艦内神社の分祀元は”武蔵総社”こと東京都府中市に在る大國魂神社。多摩乗組員も参拝に行っていた模様。*13
      総社だけあって立派な神社であり、周囲も摩天楼東京都のイメージからは想像出来ないくらい緑豊かな土地である。東京、特に多摩地区に来た折にはぜひ参拝して欲しい。
    • 因みに生まれは三菱造船(現三菱重工業)長崎造船所。
      同郷には妹の木曾の他、霧島日向武蔵川内隼鷹などが居る。
      同造船所は現代でも、こんごう型やあたご型などを始めとする大型艦艇を多数建造している由緒正しい造船所であり、
      そこで建造された多摩ちゃんも、最上級の血統書付きと言えr「猫じゃないにゃ」
    • ちなみに三菱長崎謹製*14である為かタービン翼に新規軸の不銹鋼製の物を採用し試験を行っていた。それまでの艦のタービン翼は強度に劣る燐青銅が用いられていた為折損事故が多発していた為である。
      この試験運用が成功したので、他の球磨型や以降に生産された艦などにもこのタービン翼を採用するようになった。
  • 微妙に誤字られる。割と見るのが「たまたま」や「弾」と打とうとしたら「多摩多摩」、「多摩」となってしまったり、逆に球磨と混ざって「多磨」となっているもの。しかし後者は「多摩」の異字表記として古くから存在しており(府中市多磨町という地名にその名残が見られる)、全く無縁の間違いではない。矢作とか木曽みたいな感じだにゃ*15
    • ついでに言うと多磨町には多磨霊園という大きな公園墓地(東京都による公営)があり、そこには東郷平八郎*16、山本五十六、古賀峯一の3名(3人とも元帥海軍大将並びに連合艦隊司令長官経験者)が眠っていたりする。つくづく海軍と妙な縁がある名前である。
      因みにそれ以外にも、栗田健男(第二艦隊司令長官)や平賀譲(夕張ほか多数の艦艇を設計)、水城圭次(元神通艦長)などそうそうたる顔ぶれ。陸軍さんになるともはや書ききれないくらい。
    • 日本初の公園墓地として開園*17したこの多磨霊園。総面積128万平方メートルという、おおよそ東京のど真ん中とは思えない凄まじい広さであり、軍人以外にも数多くの著名人が眠る地でもある。
      公園墓地とはいえこれほど広いところは数えるほどしか無い。あまりに広すぎて地図を見ないと簡単に迷える。というか目標物が区画数字くらいなので見てもわりと迷える。


  • 1944年10月25日エンガノ岬沖海戦で、日向五十鈴らとともに千歳千代田を護衛していたが、被雷して速力を発揮できなくなった。
    心配した五十鈴が救援のために近づくと、多摩は千代田の救援優先を依頼し、「本艦の救助には及ばず、貴艦のご健闘を祈る」と五十鈴に告げて、単独で離脱していったという。
    • また、この後霜月(秋月型駆逐艦七番艦、未実装)*18の護衛を受けたが、霜月も瑞鳳の援護に回ったので、単独で沖縄を目指して航行した。
    • しかしこの日の夜、時速6ノットの低速で北上しているところを米潜水艦ピンタード(Pintado:SS-387)及びジャラオ(Jallao:SS-368)に捕捉される。
      当日は月夜で、月光を浴びて輝く海面には三本煙突のシルエットがくっきり浮かび上がっていたという。
      ピンタードの艦長はのちに「月光を浴びた多摩はペンタゴンほどにも大きく見えた」と語っている。
      位置関係からジャラオが攻撃を担当することになり、魚雷合計7本を発射。23時10分魚雷3本が命中し、うち2発が炸裂。
      多摩の船体は真っ二つに折れたのち、間もなく沈んでいった。艦長・山本岩多大佐以下乗組員全員が戦死を遂げた。
    • ちなみに、この潜水艦たちは数日後その足で輸送任務中の隼鷹とその護衛、木曾たちを発見し攻撃している。これも姉妹の縁?
  • 前述の大國魂神社の宮司さんによれば「分霊した御霊が還っていない状態なので出来れば沈没した地点で洋上慰霊祭を行いその上で大國魂神社内に『多摩』の慰霊碑を建立したい」との事であったが……。*19
    • 2014年10月4日に沖縄・護国神社で多摩戦死者の霊を呼び戻す招魂祭が行われ、エンガノ岬沖海戦のあった同月25日に大國魂神社にて慰霊祭・並びに慰霊碑の除幕が行われた。
      戦中・戦後の混乱で情報が不足していたため、慰霊祭が行われたのも戦没後70年にして初めてのことであった。


  • こんな装備があったら是非ほしいにゃ。

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • 猫じゃないにゃっていってるけど、どうみてもねこですよろしくおねがいします -- 2017-05-27 (土) 02:57:30
    • また収容不足 -- 2017-05-27 (土) 19:49:11
    • O5-■■「またDクラス提督か壊れるなぁ」 -- 2017-05-28 (日) 09:34:47
      • 「클릭」かな? -- 2017-05-28 (日) 09:40:12
      • 提督Dクラス職員説はセクハラ体質や攻撃受けても平気な現象に妙に説明がつくのでNG -- 2017-05-29 (月) 00:37:30
      • 次の提督はうまくやってくれることでしょう(パラノイア感) -- 2017-06-27 (火) 15:56:12 New
  • 半年ほどずれてる限定グラで登場@公式四コマ 猫じゃ無い言うても説得力皆無www -- 2017-06-02 (金) 12:24:34
    • 全くもって最高だけど地味に雲龍型を呼び捨てなのも多摩らしくていいと思うんだ -- 2017-06-02 (金) 14:15:11
    • でも、東北方面は寒いだろうから上着のある限定グラでって解釈は個人的にはありだと思う -- 2017-06-02 (金) 15:00:42
      • 占守と国後のコート(?)とか似合いそう -- 2017-06-03 (土) 13:15:52
      • 実際に4月下旬〜5月の頭は寒かったからあの服装は正解だと思う -- 2017-06-08 (木) 17:39:54
  • ホッケの煮つけ美味しかったにゃ。 -- 2017-06-02 (金) 14:13:34
    • ご飯もいいけど酒の肴にもいいな -- 2017-06-03 (土) 18:52:12
  • 公式4コマより足柄「(しまった…!)」 多摩って意外としたたかニャ? -- 2017-06-02 (金) 19:39:35
  • 今回はナレーションも担当とは @ -- 2017-06-03 (土) 05:14:20
    • 途中送信してしまった、四コマの話 -- 2017-06-03 (土) 05:15:10
  • 小ネタの改行おかしかったところを修正 -- 2017-06-04 (日) 13:49:16
  • やっぱり多摩の中破以上入渠ボイスは可愛い。癒し度MAXだ -- 2017-06-18 (日) 02:41:19
  • 由良さんがめでたく改二になったので、ゲームにおいての記述を修正。ついでに春イベのバナーについて追記しました。 -- 2017-06-24 (土) 12:13:20
    • 乙なんだにゃ! -- 2017-06-24 (土) 13:11:52
  • 木曾に甲標的の使い方教わるとか阿武隈に大発の使い方教わるとかネタはありそうなんだが実現するかと言われるとうーん・・・ -- 2017-06-25 (日) 04:39:04 New
  • もし多摩に改二が来るとしたら雷巡化は難しいかもだけど防空巡洋艦っぽくなって対空CIができるようになる可能性が微レ存てことでおk? -- 2017-06-25 (日) 17:29:09 New
    • 色々計画はあったらしいからどうだろうね。今より強くなるだけで嬉しいけど、軽巡は個性派揃いだから使いやすくなってくれるといいな -- 2017-06-25 (日) 20:37:55 New
      • だよなぁ……敷設艦や練習巡洋艦への改装予定もあったけどそれが実装されようとしてた理由のほとんどが艦の老朽化だっていわれてるからなぁ………せめて艦これでは老朽艦だなんて言われずにまともな改装を受けてもらいたいよ………あぁ、早く見てぇなぁ……嫁の晴れ姿(改二)。 -- 2017-06-25 (日) 20:56:53 New
      • 練習巡洋艦の話は結局新しく香取鹿島の建造になったしな…。でも球磨多摩が練習巡洋艦になったら球磨型は全員艦種が変化する軽巡になれるな -- 2017-06-26 (月) 23:46:14 New
      • こういうこと言うとアレだが、改二も程々の強さでいい。 劇的に強くなっていろんな提督に使われるよか多摩にこだわりニキだけの軽巡でいて欲しいと思う。 あるいは妹たちに習って雷巡化も面白そう笑 -- 2017-06-27 (火) 00:03:37 New
      • 設計図なしで65くらいで改造できる普通の軽巡改ニでもいいかなーとは思う(可愛ければそれだけでも充分幸せ) -- 2017-06-27 (火) 06:29:20 New
      • 球磨型は設計図不要で統一でいいと思う。妹たちが設計図無しであれなんだから姉二人だけ要設計図ってのもなんか違う気がする -- 2017-06-27 (火) 11:51:38 New
      • 球磨と多摩は練巡化の話も頓挫してたから正直な所どうなるのか予想がつかないよな…大方対空系装備持ってくる感じだとは思うけど… -- 2017-06-27 (火) 22:49:54 New
      • 雷巡で変わった区別やるなら球磨が大発搭載可能な雷巡で多摩が高角砲と機銃で専用カットインやる雷巡とか? -- 2017-06-28 (水) 02:58:29 New
      • うーん、雷巡で大発積めても正直使い所がなぁ…雷巡はWG積めないし現状3スロだし仮に対地特効目当てで地上型のいる海域に出すにしても辛いんじゃない?由良さんみたいに海域とか必要に応じて幅広い運用が出来るならわかるんだけど対水上特化の雷巡に対地要素付け足してもなんか性能がちぐはぐにしかならん気がするよ -- 2017-06-28 (水) 07:54:12 New
      • まさかの素で高速+や最速の速力特化とか……はもし今後のマップで必須になったら大変ってレベルじゃないある意味やりすぎ改造か -- 2017-06-28 (水) 08:32:14 New
      • 多摩は南方から帰ってレイテに行った時にはカタパルト撤去して対空兵装強化してたみたいだしなぁ…やっぱり予想がつかないなw -- 2017-06-28 (水) 11:53:57 New
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 図鑑にはご奉公と書かれているが、台詞ではご奉仕となっている
*2 大和改の火力が139。多摩改に三号砲*2装備時の158は霧島改二に46cm砲*2を超える。「普通の軽巡」の夜戦攻撃力がどれだけ凄まじいものかよく分かるだろう。
*3 キラ付けが比較的容易なので東京急行など弾薬消費の大きい遠征や長時間遠征と相性が良いだろう。
*4 本来なら第五艦隊旗艦である重巡「那智」に座乗するはずだったが、燃料不足のため軽巡「多摩」になった。
*5 一瞬だけどレイテ出撃前の扶桑山城や摩耶様がいたりもする。
*6 具体的に言うと、昭和7年〜11年にかけて天龍、龍田、球磨、多摩の4隻は相次いで定められた艦齢を超過、現役軍艦としての寿命を終えて第一線を退くはずだった。しかし様々な理由により後継軽巡が阿賀野型まで誕生しなかったため、これら老朽艦も戦力としてとどめおかれたのである。
*7 早くから対米協調路線を説いた人物で日露戦争では戦艦「三笠」の着弾観測員として勝利に貢献した。ちなみにこの人と兄の三郎氏は日本海軍史上唯一兄弟揃って海軍大将になった人物。
*8 海軍大将として日独伊三国同盟に調印、後に初代海上護衛司令長官となった。
*9 山本五十六の同期で開戦時の海軍大将、海軍大臣。先述の及川長官や大井篤作戦参謀と共に海上護衛の「航路帯構想」を進めた。一方で条約派の山本らとは政治的に対立していたことから陸軍に近い立場をとることが多く、「東條の男妾」などという陰口をたたかれたりもしていた。
*10 「ダンピールの悲劇」の原因となった八十一号作戦を強行したり、多摩の艦長として参加したキスカ島撤退作戦では「ここで退いたら機会を失いますよ」と第五艦隊司令長官を急かしたりしていた人。扶桑姉妹を浮き砲台にしたサイパン奪還作戦(計画のみ)や大和の水上特攻なども発案している。
*11 先述の通り戦時中行動を共にしていたり、造船所が二人だけ同じだったり。
*12 ちょうどこの頃は八八艦隊の登場である。そのため新しく出来た順に一つか二つ押し出されて入れ替わっていく(これは5,500t型軽巡という括りで混用していたから。準同型艦で性能差が少ないため問題なかったようだ)という方式だったが北上はいなかった。球磨型が第三戦隊にいた1921〜23年はずっと二水戦旗艦だったからだろう。
*13 出典:帝国海軍と艦内神社
*14 大井の記事に記してある通り技本式タービンは三菱長崎も設計開発に参加している。
*15 勿論木曾の項で触れているように固有名詞である艦名の書き方がコロコロ変わってはいけないのだけれども。
*16 京王線多磨霊園駅南には別荘跡に建立された東郷寺もある。
*17 以後の日本における墓地のひな形になったのにゃ。
*18 出身は多摩と同じく三菱造船長崎造船所。更に言うとこの造船所、「しもつき」はまだいないが「あきづき型護衛艦」を2代にわたって造っている。
*19 出典:帝国海軍と艦内神社