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那智

Last-modified: 2017-02-17 (金) 02:40:25
No.056
貴様が司令官か。私は那智。よろしくお願いする。那智(なち)妙高型 2番艦 重巡洋艦
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久44火力40 / 54
装甲32 / 49雷装24 / 49
回避34 / 59対空16 / 54
搭載6対潜0
速力高速索敵12 / 39
射程10 / 49
最大消費量
燃料40弾薬65
搭載装備
220.3cm連装砲
2未装備
2未装備
装備不可
改造チャート
那智那智改(Lv25) → 那智改二(Lv65)
図鑑説明
生まれは呉海軍工廠。
妙高型重巡2番艦の私は、上海事変にも警備出動したぞ。
太平洋戦線では第五艦隊の旗艦として、暴れまわったさ。
敵艦載機? ああ、あれは少し苦手だな。

※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。

CV:種田梨沙、イラストレーター:bob (クリックするとセリフ一覧が開きます)

ゲームにおいて Edit

小ネタ Edit

  • む?貴様、*1その行為は何だ?何かの戦術行動か?
    ……まあいい、では私のことを少し話して聞かせよう。作戦行動ではないから安心しろ。
  • 私は妙高型重巡の2番艦なのだが、竣工はより半年以上早かったのだ。
    これには事情があってな、昭和天皇即位記念の大観艦式に間に合わせるためだったというんだ。*2
    書類上は妙高型だが流石に半年も先に産まれてはな……故に那智型という人もいるんだそうだ。*3
    • 私の名前は和歌山県南部の那智山が由来なのだが、これは個別の山のことではなくて、数々の山の総称なのだ。熊野三山という別称も有る。霧島山系が由来の霧島と同じ感じだな。
      • 熊野の所にも書かれているが、艦内神社の分祀元は私が熊野那智大社、熊野が熊野本宮大社だ。
    • 「My Name is Nachi.  It is not Nazi
    • ふふ、凄いだろ。大観艦式で英国東洋艦隊の新型巡洋艦が3隻も参列してな、*4彼女らが話しているのを聞いて勉強したのだ。機械翻訳??なんのことだ?
      ……コホン、それはともかく、たまに言われるがドイツのナチとは綴りも発音も違う*5いらん心配はしなくていいぞ。当のドイツも気にしていないようだしな。
    • そういえばこのとき、我が軍の士官が英巡洋艦の乗り心地の良さをしきりに話していたな……。の逸話はここから繋がってるのかもしれんな。
    • お召艦として陛下をお乗せしたこともある。そのときの縁で私の名前を商標にした会社*6もあるのだ。
    • 戦後は東京〜新宮間(東海道本線・関西本線・紀勢本線を経由)を走る夜行急行になったぞ。多気で鳥羽から来た伊勢*7と合流して夜を駆け抜けたのだ。
  • 初の任務は1932年。第1次上海事変での警備行動だ。砲門を開く機会こそなかったが、警備も重要な任務だからな。
  • 1935年には姉妹4隻揃って大演習に参加することになった。臨時に一個艦隊を編成してな、妙高型はその中核となったのだ。
    台風の接近が報じられていたが、実戦は時と場合を選ばないのだから荒天を切り抜けることもまた訓練だ――そう考えて、艦隊は台風に突入した。
    その結果は――貴様も知っているだろう。後に第四艦隊事件と呼ばれる惨事だった。
    • 私自身はさしたる被害はなかったのだが、姉の妙高は船体の鋼板をつなぐリベットが緩むという大打撃を受けた。駆逐艦たち*8に至っては、緩むどころか千切れてしまったのだ。
    • そして、その千切れて漂流する初雪の艦首を発見したのが私だった。なんとか曳航したかったんだが、航海長の観測では波高10メートルを越す荒海の中、叶わぬことだった……。
      吹雪型の艦首には電信室があってな、そこに保管されている暗号表は万が一にも他国の手に委ねるわけにはいかなかった。
      仕方なく……私が砲撃して沈めたのだ。多くの生存者と共にな……。本当に申し訳なく、悔しく思う。
    • いっぽう初雪の救援にはが駆けつけてくれた。沈没は免れることができて、本当に幸いだったよ。
  • 初の戦闘任務は妙高型3隻で編成された第五戦隊の旗艦としてスラバヤ沖海戦に参加した時だな。*9
    ん?妙高型3隻?ああ、そうか。飢えてる方の妹が最初は居なかったな……。聞いた話では別働隊として暴れてたらしいな。
    ま、戦況も戦況だ、スラバヤ沖海戦の途中、我が艦隊が弾薬の消耗が激しいため、やむを得ず多忙の足柄も呼んできたんだ。初めて姉妹四人で戦えて、嬉しかったな。
    いつもオドオドしている方の妹も、あの戦いで武勲を上げていたんだ*10、姉としても鼻が高いぞ。
  • その後、姉や妹たちと別れて、北東方面担当の第五艦隊旗艦となり、アッツ島沖海戦に参加したんだ、艦隊旗艦だぞ。この戦いはちょっと微妙だったが私は頑張ったのだぞ。*11
  • そういえば、潜水艦に魚雷を2本食らったことがあったよ。あの時は肝を冷やしたが、幸い2本とも不発だった。
    うむ、私は好運だった。しかしなぜ運が10なんだ?沈んでもおかしくないのに助かったのだ。もうちょっとあっても罰は当たらないと思うのだが……*12
  • 第五艦隊といえばキスカ島撤収作戦が有名だが……
    • 私も参加するはずだったのだ。一回目の出撃で何もせず手ぶらで帰ってきた木村提督*13の督戦役としてな。もう二度とチャンスはなかったのだから当然だ。
      しかし燃料がなく、動けなかった。役目は猫みたいな艦娘に譲ったさ、歴史の証人になれず残念なことをした。*14
  • 捷号作戦に際し、私の第五艦隊は南西方面艦隊に編入された。レイテの大海戦には第二遊撃部隊、すなわち「志摩艦隊」の旗艦として参加したのだ。
    貴様ももう気がついただろう?私はどこに行っても旗艦だったのだ。これは誇りにすべきだと思う、故に私は「那智戦隊」と呼ぶのだ。
    • 夜間に海峡に突入した時、炎に包まれた複数の船を見た。私の艦橋では、志摩清英中将以下艦隊の幕僚達が、「先に突入した西村艦隊が大戦果を上げた!」と喝采をあげていた。
      だが歓喜の時は長く続かなかった……見張り員の悲鳴にも似た絶叫……。
  • 「左の炎上する戦艦は扶桑!」「右に燃えながら突っ込んで行くのは山城!」*15
  • 私達は歓喜から一転絶望の淵に叩き落とされた。そんななか、私は西村艦隊の最上と衝突してしまった。*16
    仲間たちの仇を討つどころか、被弾して断末魔だった最上に追い打ちをかけてしまった……くっ……
    戦艦2隻と重巡1隻が致命傷を負う戦場に、重巡と軽巡駆逐艦しかいない我々が突っ込んで何になる?
    しかも私と阿武隈は傷を負っている……引き返すしか、無かったんだ……。*17
  • 阿武隈にはを、最上にはを護衛につけて、わが艦隊はマニラに向かった。だが、勢いに乗った敵は大小艦艇に艦載機や陸上機までも差し向けて追撃を仕掛けてきた。
    手負いの阿武隈と最上は航空機に捕捉され……その餌食となってしまったんだ。
  • 最上が致命傷を受けてから20分後、第三波の攻撃隊が我々を包囲した。もう、逃げられない。
    しかしこの時、私に司令部通信諜報係として亀田重雄少尉が乗り込んでいた。
    レシーバーで敵編隊の交信を聞いていた彼は、もう一刻の猶予もないと判断して、とっさに敵攻撃隊と敵空母との交信へ割り込んだんだ。
    「ヘロー・チャリー・ワン、ヘロー・チャリー・ワン、日本空母機われを攻撃中、ただちに攻撃をやめ母艦に帰れ!繰り返す…」
  • 幸い送信機は敵の使用電波に合わせてあった。敵攻撃隊指揮官機の呼出符号も、敵の通話法も判明していたし、何より彼が英語に堪能だからこその機転だ。
    敵攻撃隊は見事、このニセ通信に騙された。襲撃寸前だというのに急に包囲を解いて引き上げていったんだ。
    目を血走らせて待ち構えていた部下たちは皆あっけにとられていたさ。それはそうだろう。まあ、一番あっけにとられたのは、母艦に帰り着いた敵機の搭乗員たちだろうがな。
    いくつも大きな悔いが残るレイテだが、これだけは上手くいったと言える…かな。
  • 他の者はなんとか帰投することができたのだが、不知火はろくに休息も取らぬまま、「軽巡鬼怒、攻撃を受く」の報を受けて救援のため再び出港していった。
    ……それが、私が見た不知火の最後の姿だった。
  • それから5日経って、私の水上偵察機が浅瀬に擱座している駆逐艦を発見した。夕雲型の早霜が、攻撃を受け沈没を避けるために自ら浅瀬に乗り上げていたんだ。
    驚いたことに、不知火の最期を目撃していたのがこの早霜だった。聞けば、不知火は早霜が止めるのも聞かずに行き足を停め、救助を試みたそうだ。
    しかし、そこを敵機に襲われて……な。
    身動きも取れぬまま、不知火が火達磨となり躰を折って沈んでいくのを見ていることしかできなかったその心中、察するに余りある……。*18
    いずれ、早霜とは一献傾けたいものだ。
     
  • 私は今はマニラ湾で眠っている、807名の将兵とともにな……。
    敵機動部隊の空襲を受けた、それが私の最期だ。最期まで付き従ってくれたには感謝せねばならんな。
    ああ……艦載機はやはり苦手だな。*19*20
  • 最後の艦長は鹿岡圓平大佐。着任前は内閣総理大臣東條英機の首相秘書官を組閣以来勤めてきた逸材だ。なんせあの細かい事に厳しくメモ魔の東條首相の秘書を何年も勤められるのだからな。艦長に着任した時は、重巡の艦長では最年少の着任だった。
    聞くところでは、東條大将は鹿岡氏戦死の報を受けると愛犬の名を「那智」にして彼を偲んだそうだ。それ以来東條家の犬は、大将の死後も代々「那智」の名を名乗っているのだそうだ。
  • 少し語り過ぎたな……今夜は飲ませてもらおう、貴様も一緒にどうだ?

この艦娘についてのコメント Edit

過去ログ

最新の15件を表示しています。 コメントページを参照

  • 中大破しても露出度低い那智さんのおみ足が拝めるとは...ケッコンして良かった -- 2017-04-27 (木) 11:47:31
  • 改二でも肌の露出少なめだからそういうのはやらせない娘なのかと思ってたが、まさか"穿いてない"がくるとは -- 2017-04-27 (木) 13:47:03
  • よし足柄さん、そのまま!そのまま!と言いつつ両手をワキワキさせながら近づいて悲鳴を上げさせたい -- 2017-04-27 (木) 14:11:53
    • いい声で啼いてくれそう -- 2017-04-30 (日) 01:35:09
  • 利根型コスのおみ足とあの表情見て涎出そうになったのって僕だけじゃないですよね? -- 2017-04-27 (木) 19:16:24
    • 私は股間から涎が出ました -- 2017-04-27 (木) 21:08:24
      • 尿もれは泌尿器科へ -- 2017-04-27 (木) 23:00:02
  • キワドイ衣装から除くおみ足は素敵なのだが、利根の衣装がこれ利根と筑摩どっちの衣装だ?見る限り利根の衣装っぽいが、そうなるとなっちはやはり貧ny(日誌はここで途切れている -- 2017-04-28 (金) 22:07:34
    • 筑摩が妙高型の制服着てるし筑摩とトレードじゃろ -- 2017-04-29 (土) 04:03:08
      • 身長的にも筑摩だよね -- 2017-04-30 (日) 01:34:16
  • 作戦名きたね ルート固定艦になるのは確定ですな -- 2017-04-29 (土) 11:30:19
    • て事は最終海域は、アッツ島とキスカ島の防衛成功、北方海域確保、みたいな感じかな? -- 2017-04-30 (日) 00:27:01
      • 基本的には千島樺太防衛なんだろうけど、アッツキスカも対象になるのかな? -- 2017-04-30 (日) 01:32:49
  • ちょうど妙高型育ててたからなんか嬉しい それでも、改二改造やって対空以外の近代化改修を終わらせたところで止まってるが -- 2017-04-29 (土) 12:02:12
  • 佐世保のセイルタワーで昭和50年頃に那智から引き揚げられた茶碗を見た事がある。マニラ湾、オルモック組はそれが出来るくらい浅瀬にいるって事なのかな。潜って見に行くって事が出来たらベストだけど。 -- 2017-04-29 (土) 21:17:34
    • へぇ、そんな展示あるんだね。 サルベージは戦時中(1945)に既に米軍にされてるからね…海にはもう殆ど痕跡は無いかな -- 2017-04-30 (日) 01:31:15
      • 米軍がサルベージしたのはレーダー関連と暗号書類、作戦書類関連だけで、船体は手付かずのはず -- 2017-05-03 (水) 17:54:32
  • イベントバナーの米粒を付けたSDなっちーかわいい…キスカ島の阿武隈おにぎりでしょうかねー -- 2017-05-03 (水) 09:48:48
  • 那智さん、今から約束しておく 作戦完遂の折には取って置きの吟醸を空けよう -- 2017-05-03 (水) 18:50:13
  • 那智さーんw 四周年イラスト見たよーw -- 2017-05-07 (日) 12:27:43
  • 足柄さんナイスw -- 2017-05-07 (日) 12:28:05
  • バナーの那智にご飯粒をニヤニヤしながら指摘したいのであった -- 2017-05-14 (日) 09:00:55
  • E4Qで秋月狙ってるけど結構出るね 貴重なドロップ枠を削ってほしくないな -- 2017-05-18 (木) 21:51:29
  • おめ -- 2017-06-15 (木) 05:25:07
お名前: URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White




*1 本来は字義通りの敬語であり、当時は敬意を込めた呼び方として海軍でよく使われていた。現代のような見下したニュアンスはないので注意。詳しくは雑学の当該項を参照。
*2 英海軍の新型巡洋艦が参列するとの情報が入り、青葉古鷹型だけでは役者不足と考えた日本海軍が、最新鋭の那智を観艦式に間に合わせるため急いで竣工させた。
*3 当時の帝国海軍の公文書にすら那智型という記載が見える。
*4 英海軍のケント級重巡が3隻参列している。他にも米仏伊蘭などの海軍艦艇も参加するという盛大なものであった。
*5 「那智」は「難地」(なんち。大変な場所、の意)が変化したものが由来であるらしい。当然ながら国家社会主義ドイツ労働者党とは何の関係もない。
*6 産業用ロボットや軸受けなどを製造する(株)不二越は現在もNACHIブランドを使用している。ちなみに該当ページには国産第1号の重巡洋艦「那智」と書かれている。おそらく国産第1号の10,000トン級重巡洋艦の間違いだと思われるが・・・。
*7 急行大和(東京〜湊町間、東海道本線・関西本線を経由)の鳥羽行きが独立して設定。
*8 吹雪型初雪と綾波型夕霧の特型駆逐艦姉妹。
*9 前述の大観艦式に参列したオランダ海軍の軽巡ジャワは、この戦いで那智の雷撃により撃沈されている。
*10 戦況打開の重巡「エクセター」への命中弾と駆逐艦「コルテノール」を撃沈したことを示す。
*11 ぶっちゃけ、ちょっとというかかなり残念な戦いだった。那智は誤って砲塔の電源を切ってしまったため一斉射撃不能で砲弾がさっぱり当たらず、艦橋に20cm砲弾を浴びて方位盤射撃もできなくなり、極めて効率の悪い砲側照準による各個射撃で戦っていた。那智・摩耶、一水戦の放った魚雷は総数43本だったが、遠距離過ぎて全て外れ。それでも那智は米重巡ソルトレイクシティに命中弾を叩き込み大破に追い込んでいる。しかし第五艦隊司令長官細萱戊四郎中将の消極的すぎる戦術指揮が災いし、「勝てる戦いをみすみす逃してしまった」と評されることに。また作戦目的だったアッツ島への増援も失敗に終わり、細萱中将はそのまずい指揮の責任を問われ司令長官を解任、予備役となった。
*12 なっちゃんはそう言うが、しかし当時「那智は妙に不運な艦」と思われていたようだ。建造中の事故でガントリークレーンが落下し作業員3人が惨死したのを皮切りに、どうも姉妹に比べ戦運に恵まれないところがあった。
*13 「帰ろう、帰ればまた来られるから」の台詞で有名なあの人だが、当時の上層部にはとんでもないへっぴり腰に見えた。
*14 映画「太平洋奇跡の作戦キスカ」にも第五艦隊旗艦として那智が出演している。劇中では南方に回された事になっているが、何故かキスカに錨を下ろした救出艦隊の中に那智の姿が見える。
*15 阿武隈の小ネタからお借りしました。実際には、両方共艦体が二つに割れた扶桑だと言われています。
*16 那智は雷撃後の回頭中に最上と衝突した。大破炎上していた最上を停止していると誤認したのである。那智艦長の鹿岡圓平大佐は海軍大学校を首席で出た稀代の逸材で、しかしそれゆえ参謀や首相秘書官などデスクワークが多く、軍艦の艦長として実戦に出るのは那智が初めて。やむを得ないこととはいえ、海上経験の不足が祟って事故を招いたらしい。
*17 志摩長官は鎌倉鶴岡八幡宮の破魔矢を振りかざし、なおも「突撃!突撃!」と連呼していたが、参謀たちは退却を進言し、鹿岡艦長もそれに同意した。目の前で西村中将の艦隊が壊滅、敵情不明、旗艦は衝突で艦首半壊高速発揮不能となっては、さすがに退かざるをえなかったようだ。
*18 しかも先に来援した夕雲型駆逐艦”藤波”も同様に早霜の目の前で空襲を受け沈められている。
*19 軽巡大淀の乗組員によれば、停泊していた那智は艦首を破断していたという。大淀が予定変更で出港した直後にマニラに大空襲があり、那智は空襲の標的となった。艦長鹿岡圓平大佐は「我々がここで敵機を引きつけていれば、必ず神風特攻隊が仇を討ってくれるぞ!」と絶叫し乗員を激励、全艦挙げて奮戦した。しかし多数の被弾によって上部兵装がことごとく破壊され、最後は弾薬庫が引火し大爆発、船体が3つに折れての文字通り轟沈であったという。また、この時那智を護ろうとたった1隻で付き従ったも爆弾2発を浴びて大破炎上し、航行不能となってに曳航救助された。
*20 那智の生存者は重傷者50名を含む250名ほどだった。負傷者たちは病院船氷川丸に乗船することができ、生還を果たした。しかしその後、元気な那智生存者および戦艦武蔵生存者を乗せて台湾へ向かっていた元特設潜水母艦さんとす丸が不運にも敵潜水艦の攻撃で轟沈し、その多くも戦死。結局、1,000余名の乗組員のうち生きて内地の土を踏めたのは47名だけだった。