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浦波 の変更点


 |CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
 |>|>|>|>|~No.286|
 |&attachref(./uranami.jpg,"特I型駆逐艦吹雪型の末娘、浦波です。");|>|浦波(うらなみ)|>|吹雪型 10番艦 駆逐艦|
 |~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
 |~|~耐久|15|~火力|10 / 29|
 |~|~装甲|5 / 19|~雷装|27 / 69|
 |~|~回避|42 / 84|~対空|10 / 39|
 |~|~搭載|0|~対潜|20 / 49|
 |~|~速力|高速|~索敵|5 / 19|
 |~|~射程|短|~運|14 / 54|
 |~|>|>|>|~最大消費量|
 |~|~燃料|15|~弾薬|20|
 |~|>|>|>|~装備|
 |~|>|>|>|[[12.7cm連装砲]]|
 |~|>|>|>|[[61cm三連装魚雷]]|
 |~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
 |~|>|>|>|COLOR(GRAY):装備不可|
 |>|>|>|>|~改造チャート|
 |>|>|>|>|''浦波'' → [[浦波改]](Lv30) |
 |>|>|>|>|~図鑑説明|
 |>|>|>|>|LEFT:吹雪型駆逐艦十番艦、特改I型、浦波です。&br;佐世保生まれです。磯波姉さんや、綾波、敷波と共に、第十九駆逐隊を編成しました。&br;緒戦からミッドウェー、南方へも出動しました。第十九駆逐隊……覚えていてくださいね。|
 ※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
 
 #region(CV:上坂すみれ、イラストレーター:しばふ(クリックするとセリフ一覧が開きます))
 |セリフ|CV:上坂すみれ、イラストレーター:しばふ|
 |入手/ログイン|特I型駆逐艦吹雪型の末娘、浦波です。&br;司令官、どうぞ宜しくお願い致します!|
 |母港/詳細閲覧|はい!特改I型「浦波」です!|
 |~|あ゛、そこ…ですか? はい、機関吸気口は綾波たちと同じなんです。気付かれましたか?|
 |~|浦波、参ります!|
 |母港/詳細閲覧(新春)|新年あけましておめでとうございます。本年も、第19駆逐隊、どうぞよろしくお願い申し上げます。|
 |母港/詳細閲覧(節分)|節分?私達の鬼役は誰でしょう?え、三水戦旗艦の…ちがう!?えぇっ!?二水戦旗艦の方ですか!?それは…あのっ…|
 |母港/詳細閲覧(バレンタイン)|司令官! 浦波、一生懸命作ってみました。どうか、受け取って下さいっ!!|
 |母港/詳細閲覧(春)|この季節…桜の季節は、良いですね。司令官、第19駆逐隊のお花見、是非いらっしゃいって下さい。お誘いしますね。|
 |母港/詳細閲覧(梅雨)|雨…外出には傘が要りますが、少し落ち着いた気分になれて、雨の日もいいですよね。ほうじ茶でもいかがですか?|
 |母港/詳細閲覧(初夏)|今年も夏が来ますね。ふぅ…|
 |母港/詳細閲覧(晩秋)|ふぅ…浦波、苦手な季節を乗り越えた気がします。もう、大丈夫。心配かけて、すみません…|
 |母港/詳細閲覧【秋刀魚】|艦隊で、秋刀魚漁支援ですか? りょ、了解です! 第十九駆逐隊、出撃準備に入ります!|
 |母港/詳細閲覧(Xmas)|うぁ、おいしーい!この、「けーき」というものは、とっても甘くって、美味しいです〜!しれいか〜ん!!|
 |母港/詳細閲覧(師走)|司令官。年末も、鎮守府大掃除ですね? 第19駆逐隊、了解しました。頑張ります!|
 |母港/詳細閲覧(四周年)|艦隊は四周年を迎えたそうです。司令官、ありがとうございます! これからも、艦隊と第一九駆逐隊、どうぞ宜しくお願い致します!|
 |ケッコンカッコカリ(反転)|COLOR(#F0F8FF):司令官、浦波参りました。第十九駆逐隊再編の件でしょうか? え、違う? これを、浦波に…うそ、あの! 開けてみても、いいですか?|
 |ケッコン後母港(反転)|COLOR(#F0F8FF):司令官! …喉、乾きませんか? そうですか…そうだ! 磯波姉さんから、美味しいお茶菓子もらったんです。今、ほうじ茶を入れますね!|
 |編成|吹雪型駆逐艦、浦波、抜錨致します!|
 |出撃|第19駆逐隊、浦波、出撃致します!|
 |~|吹雪型駆逐艦、浦波、抜錨致します!|
 |遠征選択時|いけそうですね。|
 |アイテム発見|いけそうですね。|
 |開戦|敵艦隊、発見! 砲戦、魚雷戦、よーーい! 参りましょう!|
 |夜戦開始|艦隊、再集結をお願いします。突撃します!|
 |攻撃|撃ち方…はじめっ!|
 |~|敵艦隊、発見! 砲戦、魚雷戦、よーーい! 参りましょう!|
 |連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃|磯波姉さん、浦波も、頑張ります!|
 |小破|きゃあぁ! やだっ!?|
 |~|だめ! だめだからぁっ!!|
 |中破/大破|あぁー! 被弾? どこ? 空から!? か、可燃物を捨てて!|
 |勝利MVP|えっ、浦波の戦果が? そんなことって…いえ、褒めていただいて、浦波、光栄ですっ!|
 |旗艦大破|ダメっ!ダメだからー!|
 |帰投|作戦完了! 艦隊、帰投しました!|
 |補給|はいっ! 直ちに再出撃、可能です!|
 |改装/改修/改造|これは、ありがたいです!|
 |~|いいですね。素敵です。|
 |~|いけそうですね!|
 |入渠(小破以下)|すみません。浦波、整備してまいります…|
 |入渠(中破以上)|司令官、すみません。浦波、修繕して参ります…|
 |建造完了|司令官、新造艦就役です!|
 |戦績表示|情報ですか? お待ち下さい、お持ちします。|
 |轟沈(反転)|COLOR(#F0F8FF):浦波、ここまでの…ようです。磯波姉さん、綾波、敷波…皆…どこ?|
 |放置時|あ、あの…司令官、お忙しそう。お仕事のお邪魔してはいけませんね。あ、そうだ。今のうちに、綾波や敷波の様子を見てこよう。お茶菓子も持っていきましょう。|
 #endregion
 
 *ゲームにおいて [#about]
 -2016/9/16アップデートで新規実装。運営ツイートによると2-4以降の複数の海域でドロップするとのこと。([[リンク1>https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/776688395900686336]],[[リンク2>https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/776691032226267136]])
 --現時点でドロップ報告があるのは[[2-4のH,P,ボスマス>南西諸島海域#area4]]、[[4-1ボスマス>西方海域#area1]]、[[5-1ボスマス>南方海域#area1]]、[[6-2ボスマス>中部海域#area2]]。
 ---2-4北東ルートなら運が良ければドロップチャンスが2回あるものの羅針盤次第。北西ルートやNマスに行く可能性もある。
 5-1はボスまでルート固定可能だが、道中大破撤退率は2-4より高く、修理費が高くなりがち。
 各マスのドロップ確率は判明していない。
 ---その他のドロップ報告について。5-2ボスマスは現時点では数が少なく精度が低い。2-4Nマスは現時点ではソースが無い。
 
 -同時に追加された任務『[[「第十九駆逐隊」を編成せよ!>任務#id-A72]]』、『[[「第十九駆逐隊」出撃せよ!>任務#id-B78]]』、『[[「第十九駆逐隊」敵主力に突入せよ!>任務#id-B79]]』では本艦が必要。
 
 -16年11月04日メンテで追加された任務[[輸送作戦を成功させ、帰還せよ!>任務#id-B86]]においても本艦([[浦波改]])が必須。また、[[精鋭「第十六戦隊」を再編成せよ!>任務#id-A74]],[[精鋭「第十六戦隊」突入せよ!>任務#id-B85]]でも選択ではあるが浦波改が指定されている。
 
 -通常海域における新規実装は2014年12月26日の[[山雲]]以来、1年9か月ぶり。吹雪型の新規実装は本艦が初。
 //特に吹雪型は、長らく桃井涼太氏の[[公式4コマ>http://www.famitsu.com/comic_clear/se_kancolle/]]のレギュラー格としておなじみの[[第>吹雪]][[十一>白雪]][[駆逐>初雪]][[隊>深雪]]勢、[[叢雲]]、[[磯波]]の6隻しかいなかっただけに、吹雪型の新規艦娘実装はなんとこれが初めてとなる。自身も言っているように吹雪型では10番艦浦波が末妹である。
 //ゲーム本編からは外れる内容且つ事前事後コメント無い為一旦コメントアウトしました。吹雪型の新規実装は初である旨のみコンパクトに記載しました。
 
 -初期装備のひとつ[[61cm三連装魚雷]]はコモン装備だが、駆逐艦ネームシップの[[吹雪]]、[[綾波]]、[[暁]]、[[初春]]を除くと、レベル1で持参する初の艦。
 
 -しばふ氏がイラストを担当した艦娘では、初めて%%%通常の%%%中破グラフィックが差分ではない艦娘である。(期間限定を含めると[[伊401]]が最初)
 
 -2017/01/25のアップデートで、季節限定グラフィックの節分modeが実装された。
 --鬼役が[[二水戦旗艦>神通]]と聞いて躊躇っているが、結局豆を投げつけようとしてるのだろうか?&color(silver){どうなっても知らないぞ…};
 -
 #region(限定イラスト:節分限定(2017)Ver.)
 &attachref(./286_Setsubun.jpg,nolink,節分?私達の鬼役は誰でしょう?え、三水戦旗艦の…ちがう!?えぇっ!?二水戦旗艦の方ですか!?それは…あのっ…);
 //中破絵は無しで
 #endregion
 
 -2017年9月15日に公開された運営Twitterのアイコンが、本艦の観艦式modeに変更された。先に公開された[[磯波]]の観艦式modeはデジタル一眼レフカメラを持っているのに対し、浦波はコンパクトデジタルカメラを持っている。同年9月29日に実装。
 --カメラのモデルはソニーのヒット商品、[[「Cyber-shot DSC-RX100」系>http://www.sony.jp/cyber-shot/products/DSC-RX100M4/]]と思われる。&color(Silver){いいの持ってんじゃんかよ};
 *小ネタ [#trivia]
 #region(艦歴)
 |CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):40|CENTER:40|650|c
 |1927|4.8|佐世保工廠において「第44号駆逐艦」の名で起工|
 |1928|8.1|「浦波」に改名|
 |~|11.29|進水|
 |1929|6.30|竣工。呉鎮守府籍|
 |~|11.30|第19駆逐隊([[磯波]]/''浦波'')新編|
 |~|12.24|[[敷波]]竣工、第19駆逐隊に編入|
 |1930|4.30|[[綾波]]竣工、第19駆逐隊に編入|
 |1931|11.30|[[磯波]]が第19駆逐隊より離脱、[[吹雪]]・東雲と共に第20駆逐隊を新編。&br;[[第2艦隊第2水雷戦隊>鬼怒]]に編入|
 |1932|2.6|上海上陸戦に参加|
 |~|12.1|第2水雷戦隊より除籍|
 |1936|12.1|[[磯波]]が第19駆逐隊に復帰|
 |1937|8.19|[[磯波]]と接触事故を起こす。横須賀で修理を実施|
 |1941|11.20|呉を出港|
 |~|12.7|ノルウェー貨物船を拿捕、自沈処分((のちに浮揚、「二揚丸」となる。))|
 |~|12.8|''太平洋戦争開戦''。マレー上陸戦に参加|
 |~|12.20|蘭軍潜水艦O-20を撃沈|
 |1942|6.9|ミッドウェー海戦からの帰途、[[磯波]]と衝突事故を起こす|
 |~|11.12|[[綾波]]が第三次ソロモン海戦で戦没。浦波は艦長・作間英邇中佐以下乗員196名を救助|
 |>|>|CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):以降は海上護衛・哨戒・輸送活動が主任務となる|
 |1943|3.3|八十一号作戦に参加|
 |~|4.2|セレベス島近海で座礁事故を起こす|
 |1944|1.11|航空隊の雷撃訓練に参加中、[[球磨]]が戦没。浦波は艦長・杉野修一大佐以下乗員約300名を救助|
 |~|6.2|第二次渾作戦発令。ビアク島へ兵員輸送を行う|
 |~|6.4|作戦中止|
 |~|10.10|第19駆逐隊解散|
 |~|10.24|[[鬼怒]]・[[青葉]]を護送中に空襲を受け13名死傷、最大速力28ktに低下|
 |~|10.26|第1次多号作戦に参加中、パナイ島付近で空襲を受け戦没。艦長以下102名戦死、94名が輸送艦により救助される|
 |~|12.10|除籍|
 #endregion
 #region(艦長)
 ※いずれも着任当時
 |CENTER:BGCOLOR(#eeeeee):55|150|250|c
 |艤装員長|五藤存知 中佐|1929年1月15日〜1929年4月25日|
 |第1代|~|1929年4月25日〜1931年11月2日|
 |第2代|江戸兵太郎 少佐→中佐|1931年11月2日〜1932年12月1日|
 |第3代|八島元徳 中佐|1932年12月1日〜1933年5月1日|
 |第4代|木村進 中佐|1933年5月1日〜1933年11月15日|
 |第5代|古木百蔵 中佐|1933年11月15日〜1935年1月15日|
 |第6代|久宗米次郎 中佐|1935年1月15日〜1935年10月31日|
 |第7代|田原吉興 中佐|1935年10月31日〜1936年12月1日|
 |第8代|島崎利雄 中佐|1936年12月1日〜1937年12月1日|
 |第9代|折田常雄 中佐(([[敷波]]艦長兼務。))|1937年12月1日〜1938年10月5日|
 |第10代|野間口兼知 少佐→中佐|1938年10月5日〜1939年11月15日|
 |第11代|仙波繁雄 中佐|1939年11月15日〜1941年4月15日|
 |第12代|萩尾力 少佐→中佐|1941年4月15日〜1943年5月15日|
 |第13代|田中知生 少佐|1943年5月15日〜1944年4月15日|
 |第14代|佐古加栄 少佐((戦死により中佐に進級。))|1944年4月15日〜1944年10月26日|
 #endregion
 -吹雪型10番艦。[[神風]]型・[[睦月]]型・[[吹雪]]型等といった当時の日本駆逐艦は、1928年8月1日まで『第○○号駆逐艦』という番号名であった。
 浦波も例に漏れず「第44号駆逐艦」の名があった。
 -名前は「浦に打ち寄せる波」から。古くは万葉集にある言葉である。浦とは海や湖の湾曲して陸地に入り込んだ所をいう。
 --碇を鎖分銅のように持っているが、浦波は武芸の技名としてもよく使われている(無拍子流柔術や新陰流など)。&color(silver){ちなみに一心流鎖鎌術には「磯ノ波」という技がある。};
 -当初は特II型([[綾波]]型)として建造される予定だったが、建造中の1927年に開催されたジュネーブ海軍軍縮会議の進行内容を受けて、浦波も他の特II型とともに竣工予定日を繰り上げられた。
 しかし竣工を急いだため特II型用の三年式[[12.7cm連装砲B型>12.7cm連装砲B型改二]]が足りなくなり、急遽ストックのあった[[A型連装砲>12.7cm連装砲]]が搭載された。
 そのため浦波は「改特I型」「特IA型」などと呼称される、特II型の艦体に特I型の武装と艦橋を備えた%%デビルマン%%折衷的な艦として生を受けたのである。
 --浦波の建造に大きな影響を与えたジュネーブ海軍軍縮会議はワシントン軍縮条約で規制対象外であった補助艦の制限をどうするかが大きな争点となった会議だったが、補助艦制限に関してはアメリカの意見(艦種ごと一律にトン数制限を設けるべき)とイギリスの意見(大型巡にだけ制限を設けて、小型巡以下は自由にすべき)の相違からご破算となり、補助艦制限問題は3年後のロンドン軍縮条約まで持ち越されることとなった。
 --上記のような経緯からか、服装も両者の折衷のようになっており、セーラー服とスカートの色は特儀燭里發里世リボンの色は特況燭琉叔函ι瀁箸帽腓錣擦特秧Г箸覆辰討い襦
 --竣工は1929年6月30日。奇しくも長姉[[磯波]]の丁度1年後であり、番号通りの10番目であった。なおこの1日前、浦賀船渠で[[深雪]]が竣工している。
 -そして同年11月30日、磯波とともに第19駆逐隊を編成。第2水雷戦隊隷下となる。
 磯波は1度第20駆逐隊へ転出したことがあるが、浦波は1944年10月10日の解隊まで移籍することはなかった。隊の歴史は彼女の歴史そのものなのだ。
 -日華事変、そしてミッドウェー海戦において、僚艦磯波と2度もごっつんこしたことがある。
 駆逐艦の衝突事故は割と多いものの((夜間演習中に吹雪にも追突され、合計3回も衝突した浦波はその筆頭格である。))、同一の相手と2度もぶつかるというのはそうは無い。
 --さらにミッドウェーでの衝突の際は川内と共に艦隊からはぐれてしまい[[鳳翔]]の艦載機に連れ戻してもらっている。
 -マレー沖海戦で蘭潜水艦「O-20」に止めを刺した。
 --[[川内]]の所に記してある通り、最初は輸送船団護衛をしていた際、川内の九四式水偵が哨戒中O-20を発見、爆弾で攻撃を行った、そこへ綾波や天霧、浦波と駆潜艇8号は急行し爆雷攻撃を加える。
 ---そして輸送船団は港への荷揚げが終わり、O-20自体は見失っていたが、川内座乗の橋本少将は「敵潜水艦は必ず浮上してくる」と判断し、浦波に残って追撃する様指示。
 程無くして先の爆雷攻撃で潜水機能を失ったO-20を発見し主砲で攻撃、O-20を撃沈した。
 -第3次ソロモン海戦第2夜戦には19駆司令艦として参加。サボ島付近の捜索のため、敷波と川内の先頭に立ち、綾波と二手に別れて向かった。
 そこで図らずも綾波の大奮戦を目撃、さらにその最期を看取ることとなった。
 --米戦艦ワシントンの16インチ主砲弾初弾は浦波めがけて着弾。日本がまだ知る由もないレーダー射撃の弾着は、左右は正確だが距離は1,500メートル足りなかったという。
 巨砲に狙われている事に気づいた川内は煙幕を焚きつつ回避運動を命令。その混乱のさなか、突如綾波が燃え上がった。
 浦波の艦橋では声にならないどよめきが起き、浦波そして敷波からも綾波救援のため「突っ込みましょう」と進言がなされた。
 しかし、敵情が不詳のままで闇雲に突撃をかけるわけにもいかず、川内は突撃命令を下さなかった。
 --浦波が救援に駆けつけた時には、すでに綾波は完全に停止し、猛火が全艦を覆い尽くしつつあった。
 しかし、人影の見当たらない綾波の惨状と裏腹に、周囲の海面からは元気いっぱいの歌声が流れてきた。
 「……如何に狂風吹きまくも、如何に怒涛は逆巻くも……大和魂充ち満てる、我らの眼中難事無し……」
 「…空飛び翔ける砲弾に、水より躍る水雷に、敵の艦隊見るうちに、皆々砕かれ粉微塵……余りに脆き敵の船、この戦いは物足らず……」
 敵艦隊を単独でやっつけた綾波の乗員たちは士気天を衝くばかり、海に飛び込んで救助を待ちつつ、軍歌「如何に狂風」を大合唱していたのだった。
 「よくやったぞ」「ありがとう」「えらいぞ」。浦波と綾波の乗員は救助作業のさなか、手荒く祝辞を交わしあった。
 大戦果の当事者である谷中水雷長など、報告を終えるなり浦波の知人に抱きつき、「おい、綾波に乗ってなくて口惜しいだろう、え?」と自慢してみせた。
 --浦波は綾波の処分のため魚雷発射管を旋回したが、その必要はなかった。全乗員が救助された直後、火災に炙られ続けた綾波の搭載魚雷がついに誘爆したのである。
 2度の大爆発とともに100メートルにも達する大火柱を夜空に噴き上げ、綾波は真っ二つになって姿を消していった。時に11月15日午前0時10分。
 浦波の艦橋から、砲塔から、甲板から、見張台から、「綾波、ばんざーいッ!」両艦乗員の怒号とも号泣ともつかない惜別の絶叫が響き渡った。
 ---英語版wikipediaでは、満身創痍となった綾波の乗組員を収容した後、雷撃で介錯したと伝えられている。
 日本側では先述の通り綾波の最期は雷撃処分をしようとしたがその前に火災により搭載魚雷が誘爆し沈没というのが通説となっている。
 -昭和18年3月3日の八十一号作戦には護衛隊列の右列最先頭を承って参加。
 --しかし、敵制空権下へ鈍足輸送船団を強行突入させる本作戦は無茶もいいところで、当初から全滅の公算が高いと危惧されていた。
 そして[[白雪]]や[[朝潮]]の項目に詳述されているとおり、その危惧は最悪の形で的中してしまったのだった。
 新戦法反跳爆撃の前に、参加輸送船8隻は全滅、護衛駆逐艦も旗艦[[白雪]]、[[時津風]]、[[荒潮]]、さらには救助に引き返した[[朝潮]]も戦没。死者実に4,500名超。
 悪戦苦闘の末どうにか生き残ったのは浦波および[[敷波]]、[[雪風]]、[[朝雲]]のみだった。
 本海戦は米側では「ビスマルク海海戦」と呼ばれているが、あまりの無残な結果に日本側は海戦名をつけることすらできず、一般に「ダンピールの悲劇」と呼ばれている。
 --なお、本艦の実装により、八十一号作戦参加護衛駆逐艦は全員が揃うこととなった。
 -最期はレイテ沖海戦最中の昭和19年10月26日。
 [[鬼怒]]とともに輸送作戦を行った帰路、パナイ島付近で栗田艦隊攻撃に向かう途中の米艦載機群と遭遇。敵機は急遽目標を変更して襲いかかった。
 日本の主力艦隊を攻撃する予定の戦力が、わずか2隻に飛びかかったのである。逃れるすべはなかった。
 浦波は直撃弾を浴びて炎上した後、魚雷に引火したか大爆発とともに轟沈した。
 沈没時刻12時24分、地点北緯11度50分、東経123度23分。艦長以下102名が運命を共にした。
 --鬼怒もまた満身創痍となったのち力尽きて撃沈された。両艦の生存者は後続してきていた輸送艦に救助された。
 生き残った浦波乗員94名のうち35名はその後マニラに上陸、地獄の陸上戦へと身を投じることになった。
 --鬼怒から救助された左近允尚正第十六戦隊司令官は「1730鬼怒沈没、将旗ヲ一時第10号輸送艦二移揚シ「マニラ」二向カフ」と打電させた。
 しかし、この無電は当時の混乱する戦況のためだろうか、第一水雷戦隊旗艦の[[霞]]の元へ届かなかった。
 このため救援に向かった[[不知火]](十八駆司令座乗)はそのまま鬼怒と浦波の遭難現場で捜索を実施、当たり前だが成果はなかった。
 そしてその帰途、擱座中の[[早霜]]を発見して救援しようとしたところ空襲に遭い、こちらも艦長・司令以下乗組員全滅の憂き目にあうこととなった。
 --なお、浦波は特I型最後の喪失艦であり、浦波の沈没をもって特I型は帝国海軍から姿を消すこととなった。
 -彼女の慰霊碑は広島県呉市の旧海軍墓地長迫公園に、第19駆逐隊の仲間たちの碑とともに建立されている。
 
 ~
 -艦長は「[[ワレアオバ>青葉]]」で御馴染みの第6戦隊司令官[[五藤存知>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%97%A4%E5%AD%98%E7%9F%A5]]少将(艤装員長・第1代)、と青葉艦長久宗米次郎少将(第6代)、最後の海軍航海学校長で第10戦隊の司令官を2度も務めた[[木村進少将>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E6%9D%91%E9%80%B2_(%E6%B5%B7%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA)]](第4代)、[[金剛]]艦長として運命を共にした島崎利雄少将(第8代)など艦これ界でも名のある人物が多い。
 --「[[ワレアオバ>青葉]]」でお馴染みのサボ島沖海戦に関係ある人物が艦長経験者であるという不思議な因縁がある。
 初代艦長がサボ島沖海戦で指揮を執り、青葉艦上から「ワレアオバ」の信号を送った五藤存知少将、6代目艦長はその時の青葉艦長で負傷した久宗米次郎大佐なのは上記したが、その久宗大佐の後任艦長として新造の軽巡大淀の艤装委員長との2職を兼務したのが田原吉興中佐で、7代目の浦波艦長だったりする。
 --木村少将は第10戦隊創設時の司令官で、ミッドウェー海戦からソロモン海域での死闘まで第十戦隊司令官として奮戦、1943年1月に旗艦秋月が被雷した際に負傷したので内地に帰還。療養しつつ横須賀鎮守府に勤めたり、錬成部隊の第11水雷戦隊の司令官をしたりしていたが、12月になって再び第10戦隊司令官に就任、マリアナ沖海戦やレイテ沖海戦に参加するという、第10戦隊の参加した作戦の殆どを指揮したという人物である。
 -戦後、「浦波(うらなみ)」の名は海自で1回、海保で3回使われている。
 --海自の「うらなみ」は[[あやなみ>綾波]]型護衛艦の3番艦(DD-105、1958〜1986)。同僚にはあやなみ、[[いそなみ>磯波]]、[[たかなみ>高波]]、[[しきなみ>敷波]]等がいる。
 --東宝映画「大怪獣バラン」ではバランと戦っています。
 --一方海保では、3代目うらなみ(はまぐも型巡視艇3番艦)の主任航海士が2010年、尖閣諸島で中国漁船が巡視船に衝突してきた映像をネットに無断公開した事で話題となった。3代目はその後、「ゆふぎり」と改名し今も現役である。
 *この艦娘についてのコメント [#comment]
 #region(過去ログ)
 #ls(./)
 #endregion
 #pcomment(./コメント3,reply,30)