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艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.315|
|&attachref(./315_2nd.jpg,nolink,"私は、Her Majesty's Ship Ark Royal.");|>|Ark Royal&br;(アークロイヤル)|>|Ark Royal級 1番艦&br;正規空母|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|55|~火力|0 / 27|
|~|~装甲| 26/ 47|~雷装|0|
|~|~回避|32 / 57|~対空| 30/ 72|
|~|~搭載|72|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵| 40/ 72|
|~|~射程|短|~運|8 / 58|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|55|~弾薬|50|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|18|>|>|[[Skua]]|
|~|30|>|>|[[Swordfish]]|
|~|12|>|>|未装備|
|~|12|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Ark Royal'' → [[Ark Royal改]](Lv45)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:&ruby(ハー マジェスティース シップ){Her Majesty's Ship};((女王陛下の艦艇)) Ark Royal。&br;本格的な艦隊型航空母艦として就役し、大西洋や地中海まで数々の作戦に参加した。&br;あの戦艦Bismarck追撃戦では、この必殺の&ruby(ソードフィッ
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:内田秀、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:内田秀、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Ark Royal/定型ボイス]])
#table_edit(Ark Royal/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Ark Royal/時報ボイス]])
#table_edit(Ark Royal/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Ark Royal/季節ボイス]])
#table_edit(Ark Royal/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2017年8月12日実装。
--同日より開催された夏イベント『[[西方再打通!欧州救援作戦]]』の最終作戦海域 [[E-7>西方再打通!欧州救援作戦/拡張作戦#area7]] 突破報酬。
--2020年10月16日アップデートにて、[[大型艦建造]]に追加され恒常で入手可能になった。
公式からは「紅茶の国の戦艦がサポートすることで、航空母艦レシピにおいて」建造可能と説明されており、同日から大型艦建造に追加された[[Warspite]]を秘書艦にして建造できたとの報告がある。
-搭載数やステータスは概ね未改造の二航戦と同程度。
--初期状態と考えれば特筆するほど低くはないが、改造にそれなりのレベルが必要な点を考えると耐久に問題を抱える期間は長い。
育成は極力先手で敵を殲滅できる海域で行いたい。
-[[Swordfish]]およびその派生型を搭載した場合に限り、夜戦に参加できる。これは、史実で夜戦の際にSwordfishを飛ばし、[[Bismarck]]に大打撃を与えたことにちなんだものか。
--夜戦火力は低いので、どちらかといえば保険程度。
--仕様については改ページ参照。
--余談だが、''艦これアーケードではこの特性が最高に輝いている。''
**キャラクター設定について [#character]
-提督たちからの愛称は「アー子」「アーちゃん」「アー様」など。BismarckやWarspiteに比べて初見だとやや分かりにくいので注意。
-一見凜々しい女騎士然とした立ち振る舞いだが、時報([[改>Ark Royal]]で実装)を聴く限り微妙に天然も入ってる。
-ソードフィッシュLOVEで、[[Nelson>Nelson改]]の時報でもラム酒を飲みながら語っている。そして酒癖はあまりよろしくない様子。
--[[Sheffield>Sheffield改]]の時報では[[某師匠>日向改]]ばりにソードフィッシュを推して、シェフィールドを辟易させている。
--[[Victorious]]の放置時セリフでは''まだ''ソードフィッシュを使っていることに驚愕されている。
彼女からは[[Barracuda>Barracuda Mk.II]]を勧められているが、やはりソードフィッシュがいいらしい。
--ちなみに公式四コマ16巻の描き下ろしおまけマンガでは、瑞ぐるみへの対抗かソードフィッシュのぬいぐるみを作ろうかと考えていた。
-ボイスにおいて、Her Majesty's Ship(女王陛下の艦艇)と言っているが、アークロイヤルの存在していた頃のイギリスは国王ジョージ6世を戴いていたので、His Majesty's Ship(国王陛下の艦艇)であった。
--どちらも略称は「HMS」である。これはイギリス王立海軍における艦船接頭辞でもある。
--因みにイギリスの国歌は、時代により王が男性(King)か女性(Queen)かで、曲名および歌詞が変わる。
--敢えて(女王エリザベス2世を指して?)Herを使用しているのであれば、「艦これ=現代が舞台」ということなのかもしれない。&color(Silver){伊168がスマホに言及してる世界なわけだし};
-
#fold(では、WW2当時のエリザベス王女殿下はどういうことしてたかというと){{
では、WW2当時のエリザベス王女殿下はどういうことしてたかというと
-エリザベス・ウインザーの名前で英国女子国防軍に入隊。油まみれで軍用トラックの整備をしてたり、トラックの運転をしてたりしました。→[[togetterまとめ>https://togetter.com/li/1134037]]
-女王戴冠後の1998年(当時''72歳'')には「私の走りを見なさい!!」とばかりに愛車ランドローバーの助手席にサウジのアブドラ皇太子を乗せて暴走しまくった…らしい。[[故アブドラ国王、エリザベス女王の無謀な運転に怯える>http://www.huffingtonpost.jp/20
-暴走ではないが運転の様子は[[こちらに>https://youtu.be/kZ42dE6BJWI]]。
-そして2019年4月、女王が運転をやめるとの[[一報>https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/93-3_1.php]]が。王室所有の私有地では今後も元気に運転を続けるとみられているようだが…。
-2022年9月8日、女王エリザベス2世、崩御。次のイギリス国王にチャールズ皇太子改めチャールズ3世が即位したことにより、70年ぶりにHis Majestyの敬称が復活する。
}}
-手にしている弓のモチーフは両端の滑車(カム)が特徴的な化合弓(コンパウンドボウ)。オリンピック競技のアーチェリーに使用される洋弓(リカーブボウ)とは別物であり、洋弓と比べ効率的に引け、引き切った際も少ない力で保持できる優れもの。
--ちなみに化合弓が発明されたのは1966年である。太平洋戦争後じゃないかって?%%イラストが1980年代のもの([[16inch三連装砲 Mk.7+GFCS]])もあるし、てーとく指定のスクール水着だって1970年代だし…%%こまけぇこたぁいいんだよ!
-煙突型の矢筒に入っている矢の矢羽はイギリス艦載機の塗装を模している。戦前のシルバー単色塗装と戦中のダークシーグレー・ダークスレートグレー二色迷彩の2種類が確認できる。
-中破グラで、艤装のマストの先端に付いている円筒形の物体は72型帰投用ビーコンである。洋上で艦載機が帰投する道しるべとなる電波を発信する装置であり、アメリカから導入したYEビーコンに代替される大戦中盤頃まで、イギリス空母の多くに搭載されていた。
-中の人を見ればわかるとおり、[[Warspite]]に次いで英会話教室第2幕開催である。第1幕のネイティブスピーキングの早口に曖昧な笑みを浮かべて"イエス"しか返せない提督に気を遣った…かどうかは分からないが、今回の英語の発音はかなり遅めである。&color(Sil
*小ネタ [#trivia]
-「アーク・ロイヤル」(Ark Royal)のArkとは、「方舟」、特に旧約聖書に登場する「ノアの方舟」を指す。そのため、アーク・ロイヤルのクレスト(紋章)は[[王冠を被った方舟>http://arkroyal.net/images/memorial/memcrest.png]]である。アーク・ロイヤルと
-[[ウォースパイト>Warspite]]と同様に、アーク・ロイヤル(Ark Royal)という名前はエリザベスI世の時代に遡る由緒あるものである。
--初代アーク・ロイヤルは、イングランド海軍がスペインの無敵艦隊を破ったことで有名なアルマダの海戦にも参加した、1587年進水のガレオン船である。アーク・ロイヤルという名前は、以下のように形成されたといわれている。
--建造当初、この船は単に「アーク」(Ark)と呼ばれていた。完成後、エリザベスI世の寵臣サー・ウォルター・ローリーがこの船を入手した際に、彼の名を付けて「アーク・ローリー」(Ark Raleigh)となった。さらに、この船はすぐにエリザベスI世によって購入
-歴代アーク・ロイヤルの概要を以下に列挙する。いずれもイギリス海軍の歴史において重要な艦ばかりである。
-
#fold(初代アーク・ロイヤル - 無敵艦隊を破ったガレオン船){{
初代アーク・ロイヤル - 無敵艦隊を破ったガレオン船
エリザベスI世の寵臣サー・ウォルター・ローリーの発注に基づいて建造された1587年進水のガレオン船である。当時のイングランド海軍で最大級の軍艦の1隻であり、1588年のアルマダの海戦では、チャールズ・ハワード提督率いるイングランド艦隊の旗艦として活躍
}}
-
#fold(二代目アーク・ロイヤル - 艦隊航空の歴史を切り拓いた水上機母艦){{
二代目アーク・ロイヤル - 艦隊航空の歴史を切り拓いた水上機母艦
1914年就役の水上機母艦である。石炭運搬船として建造着手時に海軍に購入されて水上機母艦として建造されたため、当初から水上機母艦として完成した世界初の艦となった。((世界初の水上機母艦は防護巡洋艦を改造したフランス海軍のフードルである。))第一次世
}}
--三代目アーク・ロイヤル - 今回実装の中型空母。詳細は後述。
-
#fold(四代目アーク・ロイヤル - イギリス海軍最強にして最後の正規空母){{
四代目アーク・ロイヤル - イギリス海軍最強にして最後の正規空母
建造中に当初の艦名の「イリジスティブル」から改名された、1955年就役のオーディシャス級航空母艦4番艦((実際には1番艦と4番艦しか就役していないため実質的には2番艦。また1番艦オーディシャスも建造中に「イーグル」に改名されているため、ネームシップの
--ちなみに、アーク・ロイヤルは70年代のイギリスで唯一現役の正規空母だったため、テレビへの出演も多かった。
---BBCが1976年に制作したドキュメンタリー番組「Sailor」は、退役を数年後に控える中、アメリカへの巡航に従事するアーク・ロイヤルと乗員達の半年間を追った佳作である。テーマソングはロッド・スチュアートの名曲「Sailing」。アーク・ロイヤル解体後の198
---コメディ番組の世界的傑作「空飛ぶモンティ・パイソン」の[[エピソード33話・救命艇スケッチ>https://www.youtube.com/watch?v=VVYjS8r7b_w]]に記録映像がワンカット使用されている。(老婦人が空母アーク・ロイヤルと同型艦イーグルにお菓子を投げ与える
---1964年から1970年まで放送されたBBCのコメディ番組「Not Only... But Also」のエピソードに出演している。[[飛行甲板に大きくタイトルを描いてネタを披露したり>https://www.youtube.com/watch?v=B9vqPgxO7Mg]]、番組の最後で主演のピーター・クックとダド
}}
-
#fold(五代目アーク・ロイヤル - シーハリアー搭載の軽空母){{
五代目アーク・ロイヤル - シーハリアー搭載の軽空母
1985年就役のインヴィンシブル級軽空母。艦番号はR07であり、デッキコードは『R』。垂直離着陸機シーハリアーと共にフォークランド紛争で活躍したインヴィンシブル級軽空母3番艦として建造された。起工は1978年だが、就役は1985年のため姉のインヴィンシブル
}}
-残念ながら、最新鋭のクイーン・エリザベス級空母の2番艦は「プリンス・オブ・ウェールズ」となったため((恐らく当時の「プリンス・オブ・ウェールズ」こと現チャールズ3世が老齢で、彼の在位中に彼の名前の艦を建造するのが難しく、せめて彼の名の艦を残し
-アーク・ロイヤルのモットーは、フランス語で「Desire n'a pas Repos」(熱意は休むことなし)である。
-乗員達からは「''アーク''」(Ark)の愛称で呼ばれていた。
-タバコの銘柄「アークロイヤル」は本艦に因んで名付けられている。
-1978年には、イギリス国鉄の50形ディーゼル機関車の1両が本艦に因んで「アーク・ロイヤル」と命名されている。命名は、当時まだ現役だった四代目の艦長や乗員によって行われた。
--ちなみに同形式には「ウォースパイト」という名の機関車も居る(こちらは戦艦ではなく次代のヴァリアント級原潜の方に因んだらしい)。
-アーク・ロイヤルは乗員達から「''幸運艦''(Lucky Ship)」であると見なされていた。1941年にUボートの攻撃で沈むまでの間、戦闘で幾度もの雷撃や爆撃を受けたが、全く損傷を受けずに済んだからである。さらに沈んだ時でさえ、約1,500名の乗員から犠牲者は
-アーク・ロイヤルはスポーツが盛んであり、サッカーは所属するH部隊各艦艇の中でも特に強かったという。
--空母カレイジャスをはじめとする各艦の代表チームと試合をしたり、時にはジブラルタルの陸軍部隊とも対抗試合をして好成績を残している。
--ウォーターポロも盛んで、他にも飛行甲板を利用してホッケーをしたりもしていた。
-アーク・ロイヤルは艦内の環境が非常に良かったと伝えられている。快適で過ごしやすく、時には格納庫で映画上映をすることもあった。
--また、調理員の腕もよく食事の質の高さも有名な、いわゆるメシウマ艦であった。参考に、第二次世界大戦に突入して1年余り経った後の1940年のクリスマスメニューを挙げる。((当時のメニューカードより。カード自体も初代と三代目アーク・ロイヤル、艦載機(
--''朝食''
---コーンフレーク、ベーコン・エッグ、マーマレード
--''ティータイム''
---全粒粉パン、クリスマスケーキ
--''夕食''
---モツスープ、ロースト・ターキー(付け合わせとしてロースト・ポテトとフレッシュ・ランマービーンズ)、クリスマスプディング・ソース添え、デザート(イチジク、ナツメヤシ、ナッツ、オレンジ)
--''夜食''
---クリームトマトスープ、ハム、ピクルス
-アーク・ロイヤル喪失の翌1942年、海軍省と情報省はアーク・ロイヤルの戦歴を紹介するパンフレット「Ark Royal:The Admiralty Account of Her Achievement」を発行している。個別の艦でこのような対応は異例なことであり、イギリス海軍がアーク・ロイヤルの
-真珠湾攻撃前に戦没しているため、太平洋側で始まった戦争を知らない艦である。
--他の実装艦では日本の[[深雪]]、ドイツの[[ビスマルク>Bismarck]]、[[Z1]]、[[Z3]]、イタリアの[[ザラ>Zara]]、[[ポーラ>Pola]]、[[リベッチオ>Libeccio]]が該当する。
-彼女のセリフにある「Force H」(H部隊)とは、フランス降伏による戦力の空白とイタリアの参戦による脅威から地中海西部を防衛する目的で1940年6月に編成された艦隊である。
--スペイン南端の英領ジブラルタルに基地を置き、初代司令官はジェームズ・サマーヴィル提督((後に東洋艦隊司令長官として、ウォースパイトらを率いて日本海軍と対峙することになる人物である。))。本来なら「Force」(部隊)というのは、あくまで一時的な目
--エジプトのアレクサンドリアに本拠地を置き地中海東部を担当していた戦艦[[ウォースパイト>Warspite]]以下の地中海艦隊(司令長官:アンドリュー・カニンガム提督)と共に、ドイツ・イタリア軍と激戦を繰り広げた。アーク・ロイヤルは戦没するまでの間、H部
---ちなみに、サマーヴィル提督とカニンガム提督は海軍士官学校の同期であり生涯親友であった。通信畑で通信・情報のエキスパートであるが軍艦勤務の少ないサマーヴィル提督と戦艦ロドネー初代艦長を始めとする艦隊畑のカニンガム提督は全く専門が異なってい
**空母「アーク・ロイヤル」 [#if2f7ace]
-1935年9月16日起工、1938年11月16日就役。艦番号91。同型艦はない。アメリカのヨークタウン級、日本の[[蒼龍]]型と共に、中型空母の完成形と並び称される傑作空母である。[[進水の様子>https://www.youtube.com/watch?v=zDHViXrP258]]
--開戦から2年余りで戦没しているものの、その短い戦歴の中で様々な戦果を上げ活躍したことで知られている。
-
#fold(実艦について){{
実艦について
-本艦が建造されることになったそもそもの計画は、イギリス海軍省が1923年に重巡洋艦8隻建造をはじめとする艦隊整備の10ヵ年計画を立てたところに遡る。
--その計画では一隻の航空母艦建造が含まれており、これが後のアーク・ロイヤルとなった。世界恐慌後の予算削減や大艦巨砲主義全盛の時代における否定的意見にもかかわらず、関係者の努力によって計画中止されることなく建造が実現した。
-本艦が評価されているのは、近代的な航空母艦としての装備を全て備えていた点に尽きる。既に就役していた6隻の空母((フューリアス、グローリアス、カレイジャス、アーガス、イーグル、ハーミーズ))の運用で得られた知見を盛り込んだ、サー・アーサー・ジョン
--エンクローズド・バウ(ハリケーン・バウ)採用による高い耐荒性。
--72機という多数の艦載機搭載を要求され、2段格納庫で大スペースを確保した。しかし露天繋止を嫌がった海軍は定数を60機に減らし、実際にはさらに少ない数で運用した。
--重量5.4tまでの機体を射出できる油圧式カタパルト2基を採用した。
--新型の着艦制動装置を採用した。イギリス海軍は日米と同じく初期の縦索式着艦制動装置が能力不足だと分かると、なんと1926年に制動装置そのものを廃止して転落防止柵と''人力''で艦載機を止めるという暴挙に出た。日米に遅れたものの、本艦は建造時から能力
--島型艦橋の採用。艦橋を右舷に移して煙突も一体化したことで、操艦を容易にしつつ飛行甲板をフラットに保つことができた。またフューリアスやアーガス、そして[[極東の元戦艦>加賀]]を苦しめた煙路と排煙の処理という問題をクリアした。
-その他の特徴。
--比較的良好な防御力を持っていた。舷側装甲は耐6インチ砲弾相当の114mm、水平装甲は爆弾227kgまで、水中防御は炸薬量340kgまでの魚雷に耐えられる設計だった。
--エレベーター((イギリス海軍では「リフト」という。))が艦中央部に互い違いに3か所あった。格納庫内のハンドリングを考慮した変速配置だったが、互い違いに配置した=配置できた、とはどういうことか? エレベータ自体のサイズが小さかったのである。翼を折
--建造時に溶接を大規模に取り入れた。全体の65パーセントを溶接で組み立てたため、リベット工法と比べて約500トンの軽量化に成功している。溶接技術者が足りず、建造を担当したキャメル・レアード社は新たに200人余りの技術者を養成したという。
--イギリス空母で初めて3軸推進だった。従来の4軸では船体の長さが足りず、かと言って2軸では遅すぎたからである。
--船体が世界の空母の中でも異常に太かった。本来はもっと全長を伸ばしたかった(当初は274mの計画)が、それではイギリスのドックに入りきらず、さらにワシントン海軍軍縮条約と第二次ロンドン海軍軍縮条約の排水量制限もあって短縮されたためである。その結
---この短い船体で目一杯の飛行甲板を確保するため前後、特に後ろに大きくオーバーハングして243.8mの飛行甲板長を実現した。水線長に対して実に16%も延ばしたサマは、さながら身の丈に合わない無茶なハイヒールを履いているかのよう。この無茶な甲板延長を
--無理して色々詰め込んだ結果、飛行甲板が非常に高い位置になった。シルエットだけなら倍近い図体の[[加賀]]に匹敵する巨大空母、に見えるほど。
-優れた空母であるアーク・ロイヤルにも欠点はあった。
--一番の欠点は、なんと言ってもトップヘビーであることである。イギリス海軍は艦載機を全て格納庫に収容することを前提としていたため、全高が高くなっても格納庫を2段にして収容機数を増やす必要があった。そして、上記の制約から全長を短縮する必要性も相
--また、排水ポンプなどの非常用機器の電源は主機関に依存しており、機関が停止した際にはそれらが全て使用不能となる危険が大きかった。これらの欠点は、後にアーク・ロイヤル喪失の大きな原因となった。
--エレベーターも弱点の一つで、当初下部格納庫から上部格納庫へと上部格納庫から飛行甲板への2系統用意するはずだったエレベーターを、小型化のため1系統のエレベーターに変更した。だがこのエレベーターは構造上、上部格納庫で一度艦載機を下ろして再度載せ
-1941年11月14日の沈没後船体の行方は永らく不明であったが、2002年12月にイギリスの公共放送BBCの依頼で調査を行った海洋調査会社によって発見された。アーク・ロイヤルはジブラルタル沖56km地点の水深1,000mの海底に眠っている。船体は二つに折れた状態で、
}}
**戦歴について [#j0842c4e]
#fold(アーク・ロイヤルの戦歴){{{
アーク・ロイヤルの戦歴
-第二次世界大戦が始まると、アーク・ロイヤルはイギリス海軍最新鋭の空母として本国艦隊に所属、イギリス本土の北西近海に配備されUボートなどの警戒にあたった。これは1939年9月3日、開戦から僅か数時間後にグラスゴーからモントリオールに向かっていた旅客
--当時中立国であったアメリカ人を含む船員・乗客117名(112名とも)が犠牲となったこの事件を受けたチャーチル首相の指示で対潜警戒を強化することになり、地中海から駆逐艦12隻を回航すると共にカレイジャス、ハーミーズ、そしてアーク・ロイヤルの3隻の空
#fold(Uボートとの戦い - 敵潜水艦初撃沈){{
Uボートとの戦い - 敵潜水艦初撃沈
--9月14日、アーク・ロイヤルはU-30の追尾を受けた商船ファナド・ヘッドからの救難信号を受けた。アーク・ロイヤルは直ちに[[スクア>Skua]]艦上爆撃機3機と[[ソードフィッシュ>Swordfish]]艦上雷撃機6機を出撃させるが、直後に付近にいたもう1隻のUボート(U
--ファナド・ヘッドの上空に到着したスクア爆撃隊が見たものは、U-30の乗員がボートでファナド・ヘッドに乗り込み拿捕しようとしているところであった。爆撃隊は直ちにU-30に爆撃を試みたが、全て外れてしまう。それどころか自らの放った爆弾で出来た水柱に巻
---両機の後部機銃手(シンプソン及びマッケイ軍曹)は戦死、2名の大尉は捕虜となった。彼らはそれぞれ''艦隊航空隊(Fleet Air Arm)初の戦死者と捕虜''という不名誉な称号を得ることになった。
---スクアの攻撃を受けたU-30のレンプ艦長はこれ以上留まるのは危険と判断、ファナド・ヘッドを雷撃で処分すると離脱を図る。そこに低速のため遅れて到着したソードフィッシュ6機が爆弾と機銃で攻撃をかけたが、損傷を与えたもののU-30に逃げられてしまった。
}}
--この戦いでアーク・ロイヤル達はUボート初撃沈という武勲を上げたが、一方で対潜攻撃作戦に空母を投入するのはリスクがあると判断され、間もなく空母中心の対潜群は放棄された。実際アーク・ロイヤルは最初の雷撃をかわすことが出来たが、3日後の17日には空
-9月24日、イギリス海軍の潜水艦スピアフィッシュがデンマークとスウェーデンの間にあるカテガット海峡でドイツ海軍の駆逐艦に捕捉された。スピアフィッシュは追跡を逃れたものの、爆雷攻撃でひどく損傷し潜航不能となったため、浮上してイギリスを目指すこと
#fold(敵機初撃墜とアーク・ロイヤル「撃沈」){{
敵機初撃墜とアーク・ロイヤル「撃沈」
-そして護衛中だった9月26日、艦隊に接触してきたドイツ空軍のDo18飛行艇をアーク・ロイヤル搭載のスクア3機が迎撃した。そして、そのうちの一機(機長:マクユーイン大尉)がDo18を見事撃墜し、''第二次世界大戦初となるドイツ軍機撃墜''を成し遂げたのであ
-その後、艦隊は飛行艇が呼び寄せたドイツ空軍機による爆撃を受けた。当初、友軍のロッキード・ハドソン哨戒機と誤認したため接近を許してしまう。アーク・ロイヤルを狙った爆撃機のうち4機までは対空砲火で追い払ったものの、5機目はそのまま突っ込んできて1
--直撃すれば大被害は免れ得ない状況だったが、アーク・ロイヤルは奇跡的に右方向への急転舵で回避に成功する。爆弾は左舷30mで爆発、巨大な水柱を上げた。艦体を揺さぶるほどの衝撃は凄まじく、乗員や机の上の物品は床に転がり探照灯の反射板は割れ、吹き上
--ドイツ側は、航空偵察の結果からアーク・ロイヤルを撃沈したと誤認、先のアテニア撃沈はイギリス潜水艦の仕業という主張と合わせて大々的に宣伝した。ドイツの新聞にも沈むアーク・ロイヤルの絵が躍ったが、すぐにイギリス側は中立国アメリカやイタリア経由
}}
-その後アーク・ロイヤルはフリータウンに異動し、別任務を帯びる事になる。開戦以来南大西洋やインド洋で暴れまわるドイツ海軍のポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」を攻撃すべく、アーク・ロイヤルはK部隊に配備される。直接の交戦機会はなかっ
--この間アーク・ロイヤルは艦載機を飛ばしてドイツ側の商船を拿捕したり、中立国船を監視したりしている。
-1940年になるとアーク・ロイヤルは本国艦隊に戻り、空母グローリアスと共にノルウェーに侵攻したドイツ軍に対して戦う連合軍を支援する任務に出動する。
#fold(ノルウェーの戦い - 激しい爆撃を切り抜ける){{
ノルウェーの戦い - 激しい爆撃を切り抜ける
-アーク・ロイヤルは艦隊の対空・対潜警戒や敵施設への空襲を続けた。補給と艦載機の補充のため一時的に帰国した際に、それまでのアーサー・パワー初代艦長が退任し新たにセドリック・ホランド大佐が新艦長として着任している。その後再度ノルウェーへ向かっ
--ちなみにこの時、迎撃に飛び立ったロック戦闘機の性能不足が改めて露呈、間もなく一線を退くこととなった。ロックは前方機銃がなく低速であるため、アーク・ロイヤルを狙う敵爆撃機を追いかけても攻撃できず、そのまま爆撃を許してしまったのである。その時
-ノルウェー南部から撤退する連合軍を支援中だった5月1日に、アーク・ロイヤルは再びドイツ空軍の激しい爆撃にさらされた。近いものでは僅か40m程の距離に着弾したが、ここでもアーク・ロイヤルの幸運は彼女を無傷で切り抜けさせたのである。
-戦況は連合軍側不利に傾き、ノルウェーから部隊を撤退させる「アルファベット作戦」が始まったため、アーク・ロイヤルとグローリアスは撤退を支援する。ところがグローリアスは作戦の中イギリス本土へ戻る際、ドイツ戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウに捕
--アーク・ロイヤルは艦載機を出してトロンヘイムの港にいたドイツ戦艦シャルンホルストを爆撃しようとしたが、この攻撃は大失敗に終わる。護衛の駆逐艦が濃霧のために衝突事故を起こした挙句、アーク・ロイヤルから発進した15機のスクアは、直前に行われた英
}}
-1940年6月にアーク・ロイヤルは地中海に進出、ジェームズ・サマーヴィル提督の指揮するH部隊に所属する。アーク・ロイヤルは地中海の激しい戦いに加わることになったのである。
#fold(メルセルケビール海戦 - 昨日の友は今日の敵){{
メルセルケビール海戦 - 昨日の友は今日の敵
-7月3日にはメルセルケビール海戦に参加する。フランスの降伏により、無傷のフランス海軍艦艇がドイツ側に渡る事を恐れたイギリス海軍が行ったフランス海軍艦艇の接収・無力化作戦の1つで、メルセルケビールにはフランス海軍襲撃部隊司令長官兼第1艦隊司令長
--イギリス側は連合国側に再度つく、もしくは自沈するなど、6つの厳しい条件を提示しフランス側に迫ったが、本国政府がドイツに降った以上連合国側につくことは出来ず、さりとてほんの数日前までは共にドイツと戦ったイギリスと戦う事も心情的にできないフラ
---この時交渉役として、パリの英国大使館付海軍駐在武官の経験がありフランス語を話せたアーク・ロイヤルのホランド艦長が派遣されている。
--だがイギリス側は「味方にならないなら無力化せよ」との指令を受けており、明確な回答がない事から攻撃を決断する。アーク・ロイヤル艦載機による機雷投下で入口を封じ、巡洋戦艦フッド他2隻の戦艦とアーク・ロイヤル、2隻の軽巡洋艦と11隻の駆逐艦は数日前
---艦首を陸上側に向けて停泊していたフランス戦艦ダンケルク、ストラブールは新鋭戦艦[[リシュリュー>Richelieu]]同様主砲は艦首側にのみ搭載されており、砲撃が出来なかった。それでもストラブールは出航し、15ノットで港外に逃れようとする。イギリス駆逐
---脱出に成功したストラブールやコマンダン・テスト他は南部フランスのトゥ―ロンに移動し、1942年11月27日共に自沈する事になる。
--3日後、アーク・ロイヤルのソードフィッシュは砂浜に乗り上げたダンケルクの戦闘能力を奪おうと再度雷撃をかけた。直撃はしなかったものの、魚雷が至近の哨戒艇に当たり、搭載爆雷の誘爆でダンケルクは大被害を受け着底した。
---この攻撃の際、ピアソン中尉操縦のソードフィッシュはフランス軍の戦闘機に攻撃された。しかし彼は、''低速を生かして''戦闘機が真似できない直角に近い急旋回やジグザグ飛行、海面スレスレの超低空飛行を行い攻撃を回避、逆に敵機を急旋回で迎えうち機銃
}}
-その後7月下旬から10月上旬にかけて、マルタ島への戦闘機輸送任務や、マルタ島へ向かう輸送船団を支援するためにサルデーニャ島のイタリア軍飛行場への空襲作戦に従事。いずれも成功した。
-1940年9月23日、自由フランス軍はヴィシー側である仏領西アフリカの首府ダカールを攻略しようとした。良港を持つダカールを味方につけ、拠点の一つにしようとしたのである。アーク・ロイヤルらH部隊も、「メナス作戦」と名付けられた作戦の支援に出撃した。
--だがヴィシー政府に忠誠を誓い、メルセルケビール海戦の影響で反英感情が高まっていた現地フランス軍は、アーク・ロイヤルから飛行機で飛び立ち説得しようとした使者を逮捕、両軍の間で激しい戦闘が始まった。
---未成でダカールに所在していた戦艦[[リシュリュー>Richelieu]]を攻撃しようとしたアーク・ロイヤルだったが、ソードフィッシュの雷撃は不成功に終わる。戦闘によって双方に大きな損害が発生したため英仏軍は撤退、作戦は失敗した。
-1940年11月27日に発生したスパルティヴェント岬沖海戦に参加。これといった戦果は挙げられなかったものの、イタリア空軍機から投下された爆弾を全弾無事に回避した。[[その姿は写真にも納められている。>https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7
-1941年1月に行われたマルタ島への輸送作戦「エクセス作戦」では、ジブラルタルから出撃しマルタ向けのソードフィッシュを運ぶ役目を担っている。なお、この時アレクサンドリアからの護衛部隊にはウォースパイトもいた。
-この頃、アーク・ロイヤルは親枢軸の中立国スペインの参戦阻止や地中海艦隊への負担軽減の目的でイタリア各地を攻撃している。
--1941年1月2日のサルデーニャ島のダムへの攻撃は失敗したが、1月6日にジェノバ港を攻撃した時は見事に成功を収めた。港を艦砲射撃する戦艦マレーヤと巡洋戦艦レナウンらへの上空援護と、ソードフィッシュによる爆撃を成功させている。また3日後には、ラ・ス
-1941年5月5日、エジプトのアレクサンドリアへ向かう輸送船5隻からなる船団を護衛するためにアーク・ロイヤルらH部隊はジブラルタルを出撃した。
--「タイガー作戦」と名付けられたこの輸送作戦は、ドイツ・アフリカ軍団の猛攻で苦戦するウェーヴェル将軍の西部砂漠軍を支える物資・兵器を輸送するために極めて重要なものであった。出撃前にホランド艦長が健康を害したため、新たに艦長となったローヴェン
--輸送船に合わせて14ノットの低速で地中海を横切る船団に対して、5月8日からドイツ・イタリア両軍の激しい空襲が始まった。
---アーク・ロイヤルの[[フルマー>Fulmar]]戦闘機12機は、低性能にもかかわらず勇敢にも数倍の敵編隊と戦い船団を守った。しかし戦闘によって、最終的に機数は7機まで減っていた。そして、未帰還機にはティラード海軍少佐のフルマーが含まれていた。その機の
---アーク・ロイヤル自身も激しい空襲を受け、周囲に爆弾による水柱が林立した。一度は雷撃機が投下した2本の魚雷が、急転舵で回避する彼女の左舷僅か50mを通過していったこともあった。しかし彼女が損害を受けることは一度もなかったのである。
--船団は触雷で輸送船1隻を失ったものの、ついにアレキサンドリアに到着。「タイガー作戦」は成功した。燃料・弾薬その他物資、戦車307両、梱包されたハリケーン戦闘機43機などの重要な貨物をエジプトに届けることに成功したのだった。
--ジブラルタルに帰投して一か月後には、空母フューリアスと共にマルタ島へハリケーン戦闘機を輸送している。
-1941年5月、ドイツ海軍の新鋭戦艦[[ビスマルク>Bismarck]]が[[プリンツ・オイゲン>Prinz Eugen]]を従えて出撃。これを迎撃したイギリス海軍巡洋戦艦フッドを轟沈させ、プリンス・オブ・ウェ―ルズも大破させる。アーク・ロイヤルは巡洋戦艦レナウンなどを従え
--同機には性能の悪い磁気雷管を搭載した航空魚雷が搭載されており、撃沈するよりも足止め程度の役割しか期待されていなかった。実際最初に攻撃に向かった際は投下した魚雷の多くは投下した際の海面接触で殆どが自爆し、残りの魚雷も友軍の軽巡洋艦「[[シェフ
--魚雷を信頼性の高い接触雷管のものに替えた上で再度出撃した雷撃隊は今度は間違いなくビスマルクの上空に到着し攻撃を開始する。日没直前の攻撃であったが3本の魚雷が命中し、2本は機関室の前部、残り1本は左舷の操舵室に当たる。この1本は舵を左舷15°で固
-しかし武勲を多く上げるアーク・ロイヤルにも、突如として最期が訪れる。1941年11月13日、マルタ島へ空軍のハリケーン戦闘機を輸送後、ジブラルタルに向かっていたアーク・ロイヤルはドイツ海軍潜水艦U-81の雷撃を受けたのである。
#fold(アーク・ロイヤルの最期 - 受け継がれる魂){{
アーク・ロイヤルの最期 - 受け継がれる魂
-サマーヴィル提督はUボートの襲撃を警戒し、駆逐艦とアーク・ロイヤルのソードフィッシュによる対潜警戒を強化していた。そしてその予想は的中する。アーク・ロイヤル以下H部隊が帰投中であることを知ったドイツ側は、Uボートを攻撃に向かわせたのである。
--11月13日、そのうちの1隻、フリ-ドリッヒ・グッゲンベルガー艦長((Friedrich Guggenberger(1915-1988)本艦を含む17隻の艦船合計66,848総トンを撃沈したUボート艦長であり、その功績から柏葉付騎士鉄十字章を受章している。1943年に乗艦U-513が撃沈されア
-命中した魚雷は1本だけだったが、被雷によって右舷ボイラー室と電話交換室、燃料タンク、ビルジタンクに大量の進水が発生する。魚雷の深度が深くとられていた事もあり被害が拡大、これによって右舷側の主機は停止し、アーク・ロイヤルの後半部分は停電した。
--艦長はすぐに艦橋へ上がり、浸水を抑えるために艦を停止させようとしたが、そこで彼は機関室との通信が途絶したことを知った。停止命令がすぐに機関室に届かなかった結果停止が遅れ、それが浸水の増大に繋がった。
--大量の浸水によって、命中から僅か20分の間に傾斜は18度に達した。さらに艦内各所と通信途絶したことで混乱が広がり、「戦闘配置」や「総員退艦」といった正反対の命令が飛び交った。
--唯一の犠牲者となったのは、下部操舵室勤務だったエドワード・ミッチェル二等水兵であった。彼は第一次世界大戦当時から海軍に勤務しており、アーク・ロイヤルでも最古参の一人であったという。経験豊富で若い水兵から父親のように慕われており、上官からも
---上官のベーカー大尉によると、彼は被雷した時ちょうど下部操舵室の小部屋へ入ったところだったという。次の瞬間、彼は衝撃と共に雪崩れ込んできた大量の海水と燃料に飲み込まれ、あっという間に見えなくなった。大尉達はなすすべもなく水密扉を閉めるしか
-マウンド艦長は被雷後大傾斜と通信途絶という状況に陥ったことで、すぐに総員退艦を命じた。空母カレイジャスのように数分で転覆沈没する事を恐れたからである。
--リージョンがアーク・ロイヤルに接近して、乗員の移乗が開始された。だが、被雷から30分経っても傾いた船体は安定していた。
---マウンド艦長とオリバー機関長も、各所からの損害報告からアーク・ロイヤルは復旧可能だと考えた。そして旗艦マレーヤでジブラルタルに帰投した司令官サマーヴィル提督も、艦長命令を撤回しダメージコントロールの実施を指示、ジブラルタルから救援の艦艇
--オリバー機関長以下機関科員が、傾斜・浸水した艦内に苦労しながらもアーク・ロイヤルの機関部へ入りボイラーの再点火を行った。さらに横付けした駆逐艦ラフォーレイも排水ポンプを動かすための電源を提供した。
--彼らの努力でアーク・ロイヤルの機関は再稼働し、ジブラルタルから来たソードフィッシュによる対潜警戒と曳船テームズによる曳航によってアーク・ロイヤルに希望の光が見えたかに思われた。((この時ラフォーレイがサマーヴィル提督に送った電文には、機関復
-しかし、そうはならなかった。日付が変わった11月14日午前2時頃、増大しつつある艦内への浸水によって配管が詰まったことで、ボイラーから火災が発生。やがて機関室内に濃い煙が充満し始めた。そしてついに、アーク・ロイヤルの機関は再び停止してしまう。ア
--大切な「アーク」を救おうと機関室に留まっていた機関科員達も、もはや退避するしかなかった。彼らの顔や白い作業服は汗や煤で真っ黒に汚れていた。作業中にあまりの熱気と煙で2名が倒れたほどの激闘は終わったのである。
---彼らは傾斜のために梯子と化した階段、壁と化した床に難儀しながらも飛行甲板へ上がり、その後救助された。
-午前4時には傾斜がついに27度((既に35度に達していたとする文献もある。))に達し、マウンド艦長は再度総員退艦を令する。駆逐艦ラフォーレイやモーターランチが乗員達を救助していった。
-乗員の退艦は午前4時30分頃に完了した。そして1941年11月14日午前6時頃アーク・ロイヤルはついに完全に横転、その後3分ほど浮いていたがやがて沈んでいった。後にはホッケー用のゴールポストが浮かんでいるだけだった。
--マウンド艦長は、モーターランチで駆け付けたサマーヴィル提督と共に、ラフォーレイの艦橋から沈みゆくアーク・ロイヤルを静かに見守っていた。そして彼女が沈んだ時、サマーヴィル提督はマウンド艦長を艦内へ戻らせたという。提督は艦長に自らの艦の最期を
--高速魚雷艇に救助されたある乗員は、沈むアーク・ロイヤルの姿を見て次のような気持ちを抱いたという。誰も一言も言葉を発しなかったが、それはその場にいた19名の乗員全ての心の声であった。
「''かわいそうな老嬢だ。彼女は逝きたくないんだよ。まさに最期を迎えようとしている彼女は、俺達にとって良き船だったんだ''」
-かくしてアーク・ロイヤルは失われた。その後、彼女がたった1本の魚雷で沈んだ要因として、マウンド艦長の被雷直後の対応の不手際が指摘され、軍法会議にかけられることになった。
--年が明けた1942年1月19日に開かれた軍法会議が下した判決は、''有罪''。
---判決の要旨は、「被雷後に適切な対応を取らずに早々に退艦命令を下した結果、浸水の増大・機関停止を招き、本来救うことができたはずのアーク・ロイヤルを沈没に至らしめた」というものであった。
--だがしかし、この判決には現在に至るまで異論が出ている。
---サマーヴィル提督もその一人であった。提督は判決直後に妻にあてた手紙の中で艦長への同情を記している。
「''巨大な飛行甲板が20度にまで傾斜する様子を見た時、君はきっとそのまま転覆してしまうだろうという予感を抱く、そして1,700名((原文ママ。文献により乗員数にはばらつきがある。))を超える乗員達のこと、それからその空母の甲板に立っている困難さを考慮
---また、海底に沈むアーク・ロイヤルの潜水調査を行ったこともあるドキュメンタリー監督のマイク・ロッシーター氏も、著書の中で疑問を呈している。沈没時の目撃証言から、アーク・ロイヤルの破孔は130フィート×30フィート(約39.6m×約9.1m)に達していたこ
--マウンド艦長は判決後陸上勤務に回され、以降二度と水上艦艇の艦長になることはなかった。しかし幸いにも、彼はその後中東地域の陸上航空基地司令官として遥かに多くの航空機を指揮した。1942年夏には中東地域の統合作戦部長に就任、後に海軍少将として北ア
-アーク・ロイヤルが沈んだ後、救助された乗員達は悲しみと沈黙の中ジブラルタルに移送された。しかしその後、彼らは話し合いの末に全員一致である決めごとをした。彼らはカンパを集め、そして集まったお金を基に、[[一つの銀色の鐘を買った>http://www.iwm.o
--彼らが決めたこととは、いつかアーク・ロイヤルの名を受け継いだ新たな空母が誕生した時に、この鐘を使おうというものであった。その鐘にはこう刻まれていた。
「''この鐘の音によって、力強き我らと男達の団結が思い出されんことを''」
(MAY THE SOUND OF THIS BELL REMIND US OF THE POWER AND HARMONY OF MEN)
--そしてその鐘は、後に四代目アーク・ロイヤルの号鐘として使われた。魂は確かに受け継がれたのである。
}}
}}}
**船乗り猫「オスカー」の伝説 [#c5303ce8]
#fold((自分だけは)不沈の猫){{
(自分だけは)不沈の猫
-ビスマルク沈没時、その乗員の救助に向かったイギリス駆逐艦「コサック」は、船の木切れに乗って漂流する1匹の猫を発見、救助する。オスカーと命名されたこの猫はビスマルクの艦内で乗員が飼っていた猫で、白黒のブチ模様のオス猫だった。オスカーは艦内で飼
-ジブラルタルに戻ったリージョンだが、そこにアーク・ロイヤルも寄港していた。リージョンの乗員たちはオスカーをアーク・ロイヤルの乗員に進呈、こうしてオスカーは「サム」という新たな名前と共にアーク・ロイヤルにその居を移すのだが、新居は出撃してま
--4隻の船に乗り半年ほどの間にそのうち3隻が沈んだことで、オスカーは「不沈のサム」と呼ばれるようになる%%(もっとも不沈なのはオスカーだけだが)%%。迷信深い水兵たちは二度とサムを乗船させないことにし、ジブラルタルの地上勤務の士官に進呈、その後サ
--なおアーク・ロイヤルにオスカーを進呈したリージョン、そして一緒にオスカーを救助したライトニングもまた半年もせず沈んだ。リージョンは1942年3月26日にマルタ島で空爆を受け沈没・解体され、ライトニングも3月12日にアンナバ沖で魚雷艇によって撃沈され
-アーク・ロイヤルが沈む際、飛行甲板上でペットを逃がす乗員達が目撃されている。鳥籠を開放して小鳥を飛ばしたり、複数の飼い猫達を木箱に入れて脱出させていたという。そしてその内の1匹がオスカーだったのだという。
-1941年11月21日付の朝日新聞にも、ヨーロッパからのニュースとしてオスカーのエピソードが紹介されている。
-戦争中からその名を知られた存在であるオスカーだが、現在''その存在が疑問視''されている。例えば、元海軍軍人でジャーナリスト・作家のサー・ルードヴィック・ケネディ氏は著書の中で、オスカーの話を「都市伝説」に過ぎないと断定している。オスカーの実
--オスカーのものとされる写真は2種類の異なる猫を写したものである。
--ビスマルクの生存者を含む乗員達に、オスカーの存在に対して証言がない。
--公式記録にも一切オスカーへの言及がない。
--そもそもビスマルク沈没後、イギリス艦隊はUボートの襲撃を恐れて救助活動を打ち切ったため、漂流するビスマルク乗員の多くが死亡している。大時化の中、イギリス軍艦に助けを求めて重油に塗れた漂流者が群がる壮絶な状況下で、果たして一匹の猫が海に浮か
等々。しかし事実か否かはともかくとしても、オスカーのエピソードはこれからも多くの人々の興味と好奇心を引き付けてゆくことだろう。
ついでに付けられた名前も日本人としてはいろいろあるしね((「オスカー」は一式戦の、「サム」は烈風の連合国コードネーム。))。
}}
*この艦娘についてのコメント [#comment]
#fold(過去ログ){{
#ls(./)
}}
#pcomment(./コメント2,reply,15)
終了行:
|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.315|
|&attachref(./315_2nd.jpg,nolink,"私は、Her Majesty's Ship Ark Royal.");|>|Ark Royal&br;(アークロイヤル)|>|Ark Royal級 1番艦&br;正規空母|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
|~|~耐久|55|~火力|0 / 27|
|~|~装甲| 26/ 47|~雷装|0|
|~|~回避|32 / 57|~対空| 30/ 72|
|~|~搭載|72|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵| 40/ 72|
|~|~射程|短|~運|8 / 58|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|55|~弾薬|50|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|18|>|>|[[Skua]]|
|~|30|>|>|[[Swordfish]]|
|~|12|>|>|未装備|
|~|12|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Ark Royal'' → [[Ark Royal改]](Lv45)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:&ruby(ハー マジェスティース シップ){Her Majesty's Ship};((女王陛下の艦艇)) Ark Royal。&br;本格的な艦隊型航空母艦として就役し、大西洋や地中海まで数々の作戦に参加した。&br;あの戦艦Bismarck追撃戦では、この必殺の&ruby(ソードフィッ
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:内田秀、イラストレーター:コニシ (クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:内田秀、イラストレーター:コニシ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Ark Royal/定型ボイス]])
#table_edit(Ark Royal/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Ark Royal/時報ボイス]])
#table_edit(Ark Royal/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Ark Royal/季節ボイス]])
#table_edit(Ark Royal/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#about]
-2017年8月12日実装。
--同日より開催された夏イベント『[[西方再打通!欧州救援作戦]]』の最終作戦海域 [[E-7>西方再打通!欧州救援作戦/拡張作戦#area7]] 突破報酬。
--2020年10月16日アップデートにて、[[大型艦建造]]に追加され恒常で入手可能になった。
公式からは「紅茶の国の戦艦がサポートすることで、航空母艦レシピにおいて」建造可能と説明されており、同日から大型艦建造に追加された[[Warspite]]を秘書艦にして建造できたとの報告がある。
-搭載数やステータスは概ね未改造の二航戦と同程度。
--初期状態と考えれば特筆するほど低くはないが、改造にそれなりのレベルが必要な点を考えると耐久に問題を抱える期間は長い。
育成は極力先手で敵を殲滅できる海域で行いたい。
-[[Swordfish]]およびその派生型を搭載した場合に限り、夜戦に参加できる。これは、史実で夜戦の際にSwordfishを飛ばし、[[Bismarck]]に大打撃を与えたことにちなんだものか。
--夜戦火力は低いので、どちらかといえば保険程度。
--仕様については改ページ参照。
--余談だが、''艦これアーケードではこの特性が最高に輝いている。''
**キャラクター設定について [#character]
-提督たちからの愛称は「アー子」「アーちゃん」「アー様」など。BismarckやWarspiteに比べて初見だとやや分かりにくいので注意。
-一見凜々しい女騎士然とした立ち振る舞いだが、時報([[改>Ark Royal]]で実装)を聴く限り微妙に天然も入ってる。
-ソードフィッシュLOVEで、[[Nelson>Nelson改]]の時報でもラム酒を飲みながら語っている。そして酒癖はあまりよろしくない様子。
--[[Sheffield>Sheffield改]]の時報では[[某師匠>日向改]]ばりにソードフィッシュを推して、シェフィールドを辟易させている。
--[[Victorious]]の放置時セリフでは''まだ''ソードフィッシュを使っていることに驚愕されている。
彼女からは[[Barracuda>Barracuda Mk.II]]を勧められているが、やはりソードフィッシュがいいらしい。
--ちなみに公式四コマ16巻の描き下ろしおまけマンガでは、瑞ぐるみへの対抗かソードフィッシュのぬいぐるみを作ろうかと考えていた。
-ボイスにおいて、Her Majesty's Ship(女王陛下の艦艇)と言っているが、アークロイヤルの存在していた頃のイギリスは国王ジョージ6世を戴いていたので、His Majesty's Ship(国王陛下の艦艇)であった。
--どちらも略称は「HMS」である。これはイギリス王立海軍における艦船接頭辞でもある。
--因みにイギリスの国歌は、時代により王が男性(King)か女性(Queen)かで、曲名および歌詞が変わる。
--敢えて(女王エリザベス2世を指して?)Herを使用しているのであれば、「艦これ=現代が舞台」ということなのかもしれない。&color(Silver){伊168がスマホに言及してる世界なわけだし};
-
#fold(では、WW2当時のエリザベス王女殿下はどういうことしてたかというと){{
では、WW2当時のエリザベス王女殿下はどういうことしてたかというと
-エリザベス・ウインザーの名前で英国女子国防軍に入隊。油まみれで軍用トラックの整備をしてたり、トラックの運転をしてたりしました。→[[togetterまとめ>https://togetter.com/li/1134037]]
-女王戴冠後の1998年(当時''72歳'')には「私の走りを見なさい!!」とばかりに愛車ランドローバーの助手席にサウジのアブドラ皇太子を乗せて暴走しまくった…らしい。[[故アブドラ国王、エリザベス女王の無謀な運転に怯える>http://www.huffingtonpost.jp/20
-暴走ではないが運転の様子は[[こちらに>https://youtu.be/kZ42dE6BJWI]]。
-そして2019年4月、女王が運転をやめるとの[[一報>https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/04/93-3_1.php]]が。王室所有の私有地では今後も元気に運転を続けるとみられているようだが…。
-2022年9月8日、女王エリザベス2世、崩御。次のイギリス国王にチャールズ皇太子改めチャールズ3世が即位したことにより、70年ぶりにHis Majestyの敬称が復活する。
}}
-手にしている弓のモチーフは両端の滑車(カム)が特徴的な化合弓(コンパウンドボウ)。オリンピック競技のアーチェリーに使用される洋弓(リカーブボウ)とは別物であり、洋弓と比べ効率的に引け、引き切った際も少ない力で保持できる優れもの。
--ちなみに化合弓が発明されたのは1966年である。太平洋戦争後じゃないかって?%%イラストが1980年代のもの([[16inch三連装砲 Mk.7+GFCS]])もあるし、てーとく指定のスクール水着だって1970年代だし…%%こまけぇこたぁいいんだよ!
-煙突型の矢筒に入っている矢の矢羽はイギリス艦載機の塗装を模している。戦前のシルバー単色塗装と戦中のダークシーグレー・ダークスレートグレー二色迷彩の2種類が確認できる。
-中破グラで、艤装のマストの先端に付いている円筒形の物体は72型帰投用ビーコンである。洋上で艦載機が帰投する道しるべとなる電波を発信する装置であり、アメリカから導入したYEビーコンに代替される大戦中盤頃まで、イギリス空母の多くに搭載されていた。
-中の人を見ればわかるとおり、[[Warspite]]に次いで英会話教室第2幕開催である。第1幕のネイティブスピーキングの早口に曖昧な笑みを浮かべて"イエス"しか返せない提督に気を遣った…かどうかは分からないが、今回の英語の発音はかなり遅めである。&color(Sil
*小ネタ [#trivia]
-「アーク・ロイヤル」(Ark Royal)のArkとは、「方舟」、特に旧約聖書に登場する「ノアの方舟」を指す。そのため、アーク・ロイヤルのクレスト(紋章)は[[王冠を被った方舟>http://arkroyal.net/images/memorial/memcrest.png]]である。アーク・ロイヤルと
-[[ウォースパイト>Warspite]]と同様に、アーク・ロイヤル(Ark Royal)という名前はエリザベスI世の時代に遡る由緒あるものである。
--初代アーク・ロイヤルは、イングランド海軍がスペインの無敵艦隊を破ったことで有名なアルマダの海戦にも参加した、1587年進水のガレオン船である。アーク・ロイヤルという名前は、以下のように形成されたといわれている。
--建造当初、この船は単に「アーク」(Ark)と呼ばれていた。完成後、エリザベスI世の寵臣サー・ウォルター・ローリーがこの船を入手した際に、彼の名を付けて「アーク・ローリー」(Ark Raleigh)となった。さらに、この船はすぐにエリザベスI世によって購入
-歴代アーク・ロイヤルの概要を以下に列挙する。いずれもイギリス海軍の歴史において重要な艦ばかりである。
-
#fold(初代アーク・ロイヤル - 無敵艦隊を破ったガレオン船){{
初代アーク・ロイヤル - 無敵艦隊を破ったガレオン船
エリザベスI世の寵臣サー・ウォルター・ローリーの発注に基づいて建造された1587年進水のガレオン船である。当時のイングランド海軍で最大級の軍艦の1隻であり、1588年のアルマダの海戦では、チャールズ・ハワード提督率いるイングランド艦隊の旗艦として活躍
}}
-
#fold(二代目アーク・ロイヤル - 艦隊航空の歴史を切り拓いた水上機母艦){{
二代目アーク・ロイヤル - 艦隊航空の歴史を切り拓いた水上機母艦
1914年就役の水上機母艦である。石炭運搬船として建造着手時に海軍に購入されて水上機母艦として建造されたため、当初から水上機母艦として完成した世界初の艦となった。((世界初の水上機母艦は防護巡洋艦を改造したフランス海軍のフードルである。))第一次世
}}
--三代目アーク・ロイヤル - 今回実装の中型空母。詳細は後述。
-
#fold(四代目アーク・ロイヤル - イギリス海軍最強にして最後の正規空母){{
四代目アーク・ロイヤル - イギリス海軍最強にして最後の正規空母
建造中に当初の艦名の「イリジスティブル」から改名された、1955年就役のオーディシャス級航空母艦4番艦((実際には1番艦と4番艦しか就役していないため実質的には2番艦。また1番艦オーディシャスも建造中に「イーグル」に改名されているため、ネームシップの
--ちなみに、アーク・ロイヤルは70年代のイギリスで唯一現役の正規空母だったため、テレビへの出演も多かった。
---BBCが1976年に制作したドキュメンタリー番組「Sailor」は、退役を数年後に控える中、アメリカへの巡航に従事するアーク・ロイヤルと乗員達の半年間を追った佳作である。テーマソングはロッド・スチュアートの名曲「Sailing」。アーク・ロイヤル解体後の198
---コメディ番組の世界的傑作「空飛ぶモンティ・パイソン」の[[エピソード33話・救命艇スケッチ>https://www.youtube.com/watch?v=VVYjS8r7b_w]]に記録映像がワンカット使用されている。(老婦人が空母アーク・ロイヤルと同型艦イーグルにお菓子を投げ与える
---1964年から1970年まで放送されたBBCのコメディ番組「Not Only... But Also」のエピソードに出演している。[[飛行甲板に大きくタイトルを描いてネタを披露したり>https://www.youtube.com/watch?v=B9vqPgxO7Mg]]、番組の最後で主演のピーター・クックとダド
}}
-
#fold(五代目アーク・ロイヤル - シーハリアー搭載の軽空母){{
五代目アーク・ロイヤル - シーハリアー搭載の軽空母
1985年就役のインヴィンシブル級軽空母。艦番号はR07であり、デッキコードは『R』。垂直離着陸機シーハリアーと共にフォークランド紛争で活躍したインヴィンシブル級軽空母3番艦として建造された。起工は1978年だが、就役は1985年のため姉のインヴィンシブル
}}
-残念ながら、最新鋭のクイーン・エリザベス級空母の2番艦は「プリンス・オブ・ウェールズ」となったため((恐らく当時の「プリンス・オブ・ウェールズ」こと現チャールズ3世が老齢で、彼の在位中に彼の名前の艦を建造するのが難しく、せめて彼の名の艦を残し
-アーク・ロイヤルのモットーは、フランス語で「Desire n'a pas Repos」(熱意は休むことなし)である。
-乗員達からは「''アーク''」(Ark)の愛称で呼ばれていた。
-タバコの銘柄「アークロイヤル」は本艦に因んで名付けられている。
-1978年には、イギリス国鉄の50形ディーゼル機関車の1両が本艦に因んで「アーク・ロイヤル」と命名されている。命名は、当時まだ現役だった四代目の艦長や乗員によって行われた。
--ちなみに同形式には「ウォースパイト」という名の機関車も居る(こちらは戦艦ではなく次代のヴァリアント級原潜の方に因んだらしい)。
-アーク・ロイヤルは乗員達から「''幸運艦''(Lucky Ship)」であると見なされていた。1941年にUボートの攻撃で沈むまでの間、戦闘で幾度もの雷撃や爆撃を受けたが、全く損傷を受けずに済んだからである。さらに沈んだ時でさえ、約1,500名の乗員から犠牲者は
-アーク・ロイヤルはスポーツが盛んであり、サッカーは所属するH部隊各艦艇の中でも特に強かったという。
--空母カレイジャスをはじめとする各艦の代表チームと試合をしたり、時にはジブラルタルの陸軍部隊とも対抗試合をして好成績を残している。
--ウォーターポロも盛んで、他にも飛行甲板を利用してホッケーをしたりもしていた。
-アーク・ロイヤルは艦内の環境が非常に良かったと伝えられている。快適で過ごしやすく、時には格納庫で映画上映をすることもあった。
--また、調理員の腕もよく食事の質の高さも有名な、いわゆるメシウマ艦であった。参考に、第二次世界大戦に突入して1年余り経った後の1940年のクリスマスメニューを挙げる。((当時のメニューカードより。カード自体も初代と三代目アーク・ロイヤル、艦載機(
--''朝食''
---コーンフレーク、ベーコン・エッグ、マーマレード
--''ティータイム''
---全粒粉パン、クリスマスケーキ
--''夕食''
---モツスープ、ロースト・ターキー(付け合わせとしてロースト・ポテトとフレッシュ・ランマービーンズ)、クリスマスプディング・ソース添え、デザート(イチジク、ナツメヤシ、ナッツ、オレンジ)
--''夜食''
---クリームトマトスープ、ハム、ピクルス
-アーク・ロイヤル喪失の翌1942年、海軍省と情報省はアーク・ロイヤルの戦歴を紹介するパンフレット「Ark Royal:The Admiralty Account of Her Achievement」を発行している。個別の艦でこのような対応は異例なことであり、イギリス海軍がアーク・ロイヤルの
-真珠湾攻撃前に戦没しているため、太平洋側で始まった戦争を知らない艦である。
--他の実装艦では日本の[[深雪]]、ドイツの[[ビスマルク>Bismarck]]、[[Z1]]、[[Z3]]、イタリアの[[ザラ>Zara]]、[[ポーラ>Pola]]、[[リベッチオ>Libeccio]]が該当する。
-彼女のセリフにある「Force H」(H部隊)とは、フランス降伏による戦力の空白とイタリアの参戦による脅威から地中海西部を防衛する目的で1940年6月に編成された艦隊である。
--スペイン南端の英領ジブラルタルに基地を置き、初代司令官はジェームズ・サマーヴィル提督((後に東洋艦隊司令長官として、ウォースパイトらを率いて日本海軍と対峙することになる人物である。))。本来なら「Force」(部隊)というのは、あくまで一時的な目
--エジプトのアレクサンドリアに本拠地を置き地中海東部を担当していた戦艦[[ウォースパイト>Warspite]]以下の地中海艦隊(司令長官:アンドリュー・カニンガム提督)と共に、ドイツ・イタリア軍と激戦を繰り広げた。アーク・ロイヤルは戦没するまでの間、H部
---ちなみに、サマーヴィル提督とカニンガム提督は海軍士官学校の同期であり生涯親友であった。通信畑で通信・情報のエキスパートであるが軍艦勤務の少ないサマーヴィル提督と戦艦ロドネー初代艦長を始めとする艦隊畑のカニンガム提督は全く専門が異なってい
**空母「アーク・ロイヤル」 [#if2f7ace]
-1935年9月16日起工、1938年11月16日就役。艦番号91。同型艦はない。アメリカのヨークタウン級、日本の[[蒼龍]]型と共に、中型空母の完成形と並び称される傑作空母である。[[進水の様子>https://www.youtube.com/watch?v=zDHViXrP258]]
--開戦から2年余りで戦没しているものの、その短い戦歴の中で様々な戦果を上げ活躍したことで知られている。
-
#fold(実艦について){{
実艦について
-本艦が建造されることになったそもそもの計画は、イギリス海軍省が1923年に重巡洋艦8隻建造をはじめとする艦隊整備の10ヵ年計画を立てたところに遡る。
--その計画では一隻の航空母艦建造が含まれており、これが後のアーク・ロイヤルとなった。世界恐慌後の予算削減や大艦巨砲主義全盛の時代における否定的意見にもかかわらず、関係者の努力によって計画中止されることなく建造が実現した。
-本艦が評価されているのは、近代的な航空母艦としての装備を全て備えていた点に尽きる。既に就役していた6隻の空母((フューリアス、グローリアス、カレイジャス、アーガス、イーグル、ハーミーズ))の運用で得られた知見を盛り込んだ、サー・アーサー・ジョン
--エンクローズド・バウ(ハリケーン・バウ)採用による高い耐荒性。
--72機という多数の艦載機搭載を要求され、2段格納庫で大スペースを確保した。しかし露天繋止を嫌がった海軍は定数を60機に減らし、実際にはさらに少ない数で運用した。
--重量5.4tまでの機体を射出できる油圧式カタパルト2基を採用した。
--新型の着艦制動装置を採用した。イギリス海軍は日米と同じく初期の縦索式着艦制動装置が能力不足だと分かると、なんと1926年に制動装置そのものを廃止して転落防止柵と''人力''で艦載機を止めるという暴挙に出た。日米に遅れたものの、本艦は建造時から能力
--島型艦橋の採用。艦橋を右舷に移して煙突も一体化したことで、操艦を容易にしつつ飛行甲板をフラットに保つことができた。またフューリアスやアーガス、そして[[極東の元戦艦>加賀]]を苦しめた煙路と排煙の処理という問題をクリアした。
-その他の特徴。
--比較的良好な防御力を持っていた。舷側装甲は耐6インチ砲弾相当の114mm、水平装甲は爆弾227kgまで、水中防御は炸薬量340kgまでの魚雷に耐えられる設計だった。
--エレベーター((イギリス海軍では「リフト」という。))が艦中央部に互い違いに3か所あった。格納庫内のハンドリングを考慮した変速配置だったが、互い違いに配置した=配置できた、とはどういうことか? エレベータ自体のサイズが小さかったのである。翼を折
--建造時に溶接を大規模に取り入れた。全体の65パーセントを溶接で組み立てたため、リベット工法と比べて約500トンの軽量化に成功している。溶接技術者が足りず、建造を担当したキャメル・レアード社は新たに200人余りの技術者を養成したという。
--イギリス空母で初めて3軸推進だった。従来の4軸では船体の長さが足りず、かと言って2軸では遅すぎたからである。
--船体が世界の空母の中でも異常に太かった。本来はもっと全長を伸ばしたかった(当初は274mの計画)が、それではイギリスのドックに入りきらず、さらにワシントン海軍軍縮条約と第二次ロンドン海軍軍縮条約の排水量制限もあって短縮されたためである。その結
---この短い船体で目一杯の飛行甲板を確保するため前後、特に後ろに大きくオーバーハングして243.8mの飛行甲板長を実現した。水線長に対して実に16%も延ばしたサマは、さながら身の丈に合わない無茶なハイヒールを履いているかのよう。この無茶な甲板延長を
--無理して色々詰め込んだ結果、飛行甲板が非常に高い位置になった。シルエットだけなら倍近い図体の[[加賀]]に匹敵する巨大空母、に見えるほど。
-優れた空母であるアーク・ロイヤルにも欠点はあった。
--一番の欠点は、なんと言ってもトップヘビーであることである。イギリス海軍は艦載機を全て格納庫に収容することを前提としていたため、全高が高くなっても格納庫を2段にして収容機数を増やす必要があった。そして、上記の制約から全長を短縮する必要性も相
--また、排水ポンプなどの非常用機器の電源は主機関に依存しており、機関が停止した際にはそれらが全て使用不能となる危険が大きかった。これらの欠点は、後にアーク・ロイヤル喪失の大きな原因となった。
--エレベーターも弱点の一つで、当初下部格納庫から上部格納庫へと上部格納庫から飛行甲板への2系統用意するはずだったエレベーターを、小型化のため1系統のエレベーターに変更した。だがこのエレベーターは構造上、上部格納庫で一度艦載機を下ろして再度載せ
-1941年11月14日の沈没後船体の行方は永らく不明であったが、2002年12月にイギリスの公共放送BBCの依頼で調査を行った海洋調査会社によって発見された。アーク・ロイヤルはジブラルタル沖56km地点の水深1,000mの海底に眠っている。船体は二つに折れた状態で、
}}
**戦歴について [#j0842c4e]
#fold(アーク・ロイヤルの戦歴){{{
アーク・ロイヤルの戦歴
-第二次世界大戦が始まると、アーク・ロイヤルはイギリス海軍最新鋭の空母として本国艦隊に所属、イギリス本土の北西近海に配備されUボートなどの警戒にあたった。これは1939年9月3日、開戦から僅か数時間後にグラスゴーからモントリオールに向かっていた旅客
--当時中立国であったアメリカ人を含む船員・乗客117名(112名とも)が犠牲となったこの事件を受けたチャーチル首相の指示で対潜警戒を強化することになり、地中海から駆逐艦12隻を回航すると共にカレイジャス、ハーミーズ、そしてアーク・ロイヤルの3隻の空
#fold(Uボートとの戦い - 敵潜水艦初撃沈){{
Uボートとの戦い - 敵潜水艦初撃沈
--9月14日、アーク・ロイヤルはU-30の追尾を受けた商船ファナド・ヘッドからの救難信号を受けた。アーク・ロイヤルは直ちに[[スクア>Skua]]艦上爆撃機3機と[[ソードフィッシュ>Swordfish]]艦上雷撃機6機を出撃させるが、直後に付近にいたもう1隻のUボート(U
--ファナド・ヘッドの上空に到着したスクア爆撃隊が見たものは、U-30の乗員がボートでファナド・ヘッドに乗り込み拿捕しようとしているところであった。爆撃隊は直ちにU-30に爆撃を試みたが、全て外れてしまう。それどころか自らの放った爆弾で出来た水柱に巻
---両機の後部機銃手(シンプソン及びマッケイ軍曹)は戦死、2名の大尉は捕虜となった。彼らはそれぞれ''艦隊航空隊(Fleet Air Arm)初の戦死者と捕虜''という不名誉な称号を得ることになった。
---スクアの攻撃を受けたU-30のレンプ艦長はこれ以上留まるのは危険と判断、ファナド・ヘッドを雷撃で処分すると離脱を図る。そこに低速のため遅れて到着したソードフィッシュ6機が爆弾と機銃で攻撃をかけたが、損傷を与えたもののU-30に逃げられてしまった。
}}
--この戦いでアーク・ロイヤル達はUボート初撃沈という武勲を上げたが、一方で対潜攻撃作戦に空母を投入するのはリスクがあると判断され、間もなく空母中心の対潜群は放棄された。実際アーク・ロイヤルは最初の雷撃をかわすことが出来たが、3日後の17日には空
-9月24日、イギリス海軍の潜水艦スピアフィッシュがデンマークとスウェーデンの間にあるカテガット海峡でドイツ海軍の駆逐艦に捕捉された。スピアフィッシュは追跡を逃れたものの、爆雷攻撃でひどく損傷し潜航不能となったため、浮上してイギリスを目指すこと
#fold(敵機初撃墜とアーク・ロイヤル「撃沈」){{
敵機初撃墜とアーク・ロイヤル「撃沈」
-そして護衛中だった9月26日、艦隊に接触してきたドイツ空軍のDo18飛行艇をアーク・ロイヤル搭載のスクア3機が迎撃した。そして、そのうちの一機(機長:マクユーイン大尉)がDo18を見事撃墜し、''第二次世界大戦初となるドイツ軍機撃墜''を成し遂げたのであ
-その後、艦隊は飛行艇が呼び寄せたドイツ空軍機による爆撃を受けた。当初、友軍のロッキード・ハドソン哨戒機と誤認したため接近を許してしまう。アーク・ロイヤルを狙った爆撃機のうち4機までは対空砲火で追い払ったものの、5機目はそのまま突っ込んできて1
--直撃すれば大被害は免れ得ない状況だったが、アーク・ロイヤルは奇跡的に右方向への急転舵で回避に成功する。爆弾は左舷30mで爆発、巨大な水柱を上げた。艦体を揺さぶるほどの衝撃は凄まじく、乗員や机の上の物品は床に転がり探照灯の反射板は割れ、吹き上
--ドイツ側は、航空偵察の結果からアーク・ロイヤルを撃沈したと誤認、先のアテニア撃沈はイギリス潜水艦の仕業という主張と合わせて大々的に宣伝した。ドイツの新聞にも沈むアーク・ロイヤルの絵が躍ったが、すぐにイギリス側は中立国アメリカやイタリア経由
}}
-その後アーク・ロイヤルはフリータウンに異動し、別任務を帯びる事になる。開戦以来南大西洋やインド洋で暴れまわるドイツ海軍のポケット戦艦「アドミラル・グラーフ・シュペー」を攻撃すべく、アーク・ロイヤルはK部隊に配備される。直接の交戦機会はなかっ
--この間アーク・ロイヤルは艦載機を飛ばしてドイツ側の商船を拿捕したり、中立国船を監視したりしている。
-1940年になるとアーク・ロイヤルは本国艦隊に戻り、空母グローリアスと共にノルウェーに侵攻したドイツ軍に対して戦う連合軍を支援する任務に出動する。
#fold(ノルウェーの戦い - 激しい爆撃を切り抜ける){{
ノルウェーの戦い - 激しい爆撃を切り抜ける
-アーク・ロイヤルは艦隊の対空・対潜警戒や敵施設への空襲を続けた。補給と艦載機の補充のため一時的に帰国した際に、それまでのアーサー・パワー初代艦長が退任し新たにセドリック・ホランド大佐が新艦長として着任している。その後再度ノルウェーへ向かっ
--ちなみにこの時、迎撃に飛び立ったロック戦闘機の性能不足が改めて露呈、間もなく一線を退くこととなった。ロックは前方機銃がなく低速であるため、アーク・ロイヤルを狙う敵爆撃機を追いかけても攻撃できず、そのまま爆撃を許してしまったのである。その時
-ノルウェー南部から撤退する連合軍を支援中だった5月1日に、アーク・ロイヤルは再びドイツ空軍の激しい爆撃にさらされた。近いものでは僅か40m程の距離に着弾したが、ここでもアーク・ロイヤルの幸運は彼女を無傷で切り抜けさせたのである。
-戦況は連合軍側不利に傾き、ノルウェーから部隊を撤退させる「アルファベット作戦」が始まったため、アーク・ロイヤルとグローリアスは撤退を支援する。ところがグローリアスは作戦の中イギリス本土へ戻る際、ドイツ戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウに捕
--アーク・ロイヤルは艦載機を出してトロンヘイムの港にいたドイツ戦艦シャルンホルストを爆撃しようとしたが、この攻撃は大失敗に終わる。護衛の駆逐艦が濃霧のために衝突事故を起こした挙句、アーク・ロイヤルから発進した15機のスクアは、直前に行われた英
}}
-1940年6月にアーク・ロイヤルは地中海に進出、ジェームズ・サマーヴィル提督の指揮するH部隊に所属する。アーク・ロイヤルは地中海の激しい戦いに加わることになったのである。
#fold(メルセルケビール海戦 - 昨日の友は今日の敵){{
メルセルケビール海戦 - 昨日の友は今日の敵
-7月3日にはメルセルケビール海戦に参加する。フランスの降伏により、無傷のフランス海軍艦艇がドイツ側に渡る事を恐れたイギリス海軍が行ったフランス海軍艦艇の接収・無力化作戦の1つで、メルセルケビールにはフランス海軍襲撃部隊司令長官兼第1艦隊司令長
--イギリス側は連合国側に再度つく、もしくは自沈するなど、6つの厳しい条件を提示しフランス側に迫ったが、本国政府がドイツに降った以上連合国側につくことは出来ず、さりとてほんの数日前までは共にドイツと戦ったイギリスと戦う事も心情的にできないフラ
---この時交渉役として、パリの英国大使館付海軍駐在武官の経験がありフランス語を話せたアーク・ロイヤルのホランド艦長が派遣されている。
--だがイギリス側は「味方にならないなら無力化せよ」との指令を受けており、明確な回答がない事から攻撃を決断する。アーク・ロイヤル艦載機による機雷投下で入口を封じ、巡洋戦艦フッド他2隻の戦艦とアーク・ロイヤル、2隻の軽巡洋艦と11隻の駆逐艦は数日前
---艦首を陸上側に向けて停泊していたフランス戦艦ダンケルク、ストラブールは新鋭戦艦[[リシュリュー>Richelieu]]同様主砲は艦首側にのみ搭載されており、砲撃が出来なかった。それでもストラブールは出航し、15ノットで港外に逃れようとする。イギリス駆逐
---脱出に成功したストラブールやコマンダン・テスト他は南部フランスのトゥ―ロンに移動し、1942年11月27日共に自沈する事になる。
--3日後、アーク・ロイヤルのソードフィッシュは砂浜に乗り上げたダンケルクの戦闘能力を奪おうと再度雷撃をかけた。直撃はしなかったものの、魚雷が至近の哨戒艇に当たり、搭載爆雷の誘爆でダンケルクは大被害を受け着底した。
---この攻撃の際、ピアソン中尉操縦のソードフィッシュはフランス軍の戦闘機に攻撃された。しかし彼は、''低速を生かして''戦闘機が真似できない直角に近い急旋回やジグザグ飛行、海面スレスレの超低空飛行を行い攻撃を回避、逆に敵機を急旋回で迎えうち機銃
}}
-その後7月下旬から10月上旬にかけて、マルタ島への戦闘機輸送任務や、マルタ島へ向かう輸送船団を支援するためにサルデーニャ島のイタリア軍飛行場への空襲作戦に従事。いずれも成功した。
-1940年9月23日、自由フランス軍はヴィシー側である仏領西アフリカの首府ダカールを攻略しようとした。良港を持つダカールを味方につけ、拠点の一つにしようとしたのである。アーク・ロイヤルらH部隊も、「メナス作戦」と名付けられた作戦の支援に出撃した。
--だがヴィシー政府に忠誠を誓い、メルセルケビール海戦の影響で反英感情が高まっていた現地フランス軍は、アーク・ロイヤルから飛行機で飛び立ち説得しようとした使者を逮捕、両軍の間で激しい戦闘が始まった。
---未成でダカールに所在していた戦艦[[リシュリュー>Richelieu]]を攻撃しようとしたアーク・ロイヤルだったが、ソードフィッシュの雷撃は不成功に終わる。戦闘によって双方に大きな損害が発生したため英仏軍は撤退、作戦は失敗した。
-1940年11月27日に発生したスパルティヴェント岬沖海戦に参加。これといった戦果は挙げられなかったものの、イタリア空軍機から投下された爆弾を全弾無事に回避した。[[その姿は写真にも納められている。>https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7
-1941年1月に行われたマルタ島への輸送作戦「エクセス作戦」では、ジブラルタルから出撃しマルタ向けのソードフィッシュを運ぶ役目を担っている。なお、この時アレクサンドリアからの護衛部隊にはウォースパイトもいた。
-この頃、アーク・ロイヤルは親枢軸の中立国スペインの参戦阻止や地中海艦隊への負担軽減の目的でイタリア各地を攻撃している。
--1941年1月2日のサルデーニャ島のダムへの攻撃は失敗したが、1月6日にジェノバ港を攻撃した時は見事に成功を収めた。港を艦砲射撃する戦艦マレーヤと巡洋戦艦レナウンらへの上空援護と、ソードフィッシュによる爆撃を成功させている。また3日後には、ラ・ス
-1941年5月5日、エジプトのアレクサンドリアへ向かう輸送船5隻からなる船団を護衛するためにアーク・ロイヤルらH部隊はジブラルタルを出撃した。
--「タイガー作戦」と名付けられたこの輸送作戦は、ドイツ・アフリカ軍団の猛攻で苦戦するウェーヴェル将軍の西部砂漠軍を支える物資・兵器を輸送するために極めて重要なものであった。出撃前にホランド艦長が健康を害したため、新たに艦長となったローヴェン
--輸送船に合わせて14ノットの低速で地中海を横切る船団に対して、5月8日からドイツ・イタリア両軍の激しい空襲が始まった。
---アーク・ロイヤルの[[フルマー>Fulmar]]戦闘機12機は、低性能にもかかわらず勇敢にも数倍の敵編隊と戦い船団を守った。しかし戦闘によって、最終的に機数は7機まで減っていた。そして、未帰還機にはティラード海軍少佐のフルマーが含まれていた。その機の
---アーク・ロイヤル自身も激しい空襲を受け、周囲に爆弾による水柱が林立した。一度は雷撃機が投下した2本の魚雷が、急転舵で回避する彼女の左舷僅か50mを通過していったこともあった。しかし彼女が損害を受けることは一度もなかったのである。
--船団は触雷で輸送船1隻を失ったものの、ついにアレキサンドリアに到着。「タイガー作戦」は成功した。燃料・弾薬その他物資、戦車307両、梱包されたハリケーン戦闘機43機などの重要な貨物をエジプトに届けることに成功したのだった。
--ジブラルタルに帰投して一か月後には、空母フューリアスと共にマルタ島へハリケーン戦闘機を輸送している。
-1941年5月、ドイツ海軍の新鋭戦艦[[ビスマルク>Bismarck]]が[[プリンツ・オイゲン>Prinz Eugen]]を従えて出撃。これを迎撃したイギリス海軍巡洋戦艦フッドを轟沈させ、プリンス・オブ・ウェ―ルズも大破させる。アーク・ロイヤルは巡洋戦艦レナウンなどを従え
--同機には性能の悪い磁気雷管を搭載した航空魚雷が搭載されており、撃沈するよりも足止め程度の役割しか期待されていなかった。実際最初に攻撃に向かった際は投下した魚雷の多くは投下した際の海面接触で殆どが自爆し、残りの魚雷も友軍の軽巡洋艦「[[シェフ
--魚雷を信頼性の高い接触雷管のものに替えた上で再度出撃した雷撃隊は今度は間違いなくビスマルクの上空に到着し攻撃を開始する。日没直前の攻撃であったが3本の魚雷が命中し、2本は機関室の前部、残り1本は左舷の操舵室に当たる。この1本は舵を左舷15°で固
-しかし武勲を多く上げるアーク・ロイヤルにも、突如として最期が訪れる。1941年11月13日、マルタ島へ空軍のハリケーン戦闘機を輸送後、ジブラルタルに向かっていたアーク・ロイヤルはドイツ海軍潜水艦U-81の雷撃を受けたのである。
#fold(アーク・ロイヤルの最期 - 受け継がれる魂){{
アーク・ロイヤルの最期 - 受け継がれる魂
-サマーヴィル提督はUボートの襲撃を警戒し、駆逐艦とアーク・ロイヤルのソードフィッシュによる対潜警戒を強化していた。そしてその予想は的中する。アーク・ロイヤル以下H部隊が帰投中であることを知ったドイツ側は、Uボートを攻撃に向かわせたのである。
--11月13日、そのうちの1隻、フリ-ドリッヒ・グッゲンベルガー艦長((Friedrich Guggenberger(1915-1988)本艦を含む17隻の艦船合計66,848総トンを撃沈したUボート艦長であり、その功績から柏葉付騎士鉄十字章を受章している。1943年に乗艦U-513が撃沈されア
-命中した魚雷は1本だけだったが、被雷によって右舷ボイラー室と電話交換室、燃料タンク、ビルジタンクに大量の進水が発生する。魚雷の深度が深くとられていた事もあり被害が拡大、これによって右舷側の主機は停止し、アーク・ロイヤルの後半部分は停電した。
--艦長はすぐに艦橋へ上がり、浸水を抑えるために艦を停止させようとしたが、そこで彼は機関室との通信が途絶したことを知った。停止命令がすぐに機関室に届かなかった結果停止が遅れ、それが浸水の増大に繋がった。
--大量の浸水によって、命中から僅か20分の間に傾斜は18度に達した。さらに艦内各所と通信途絶したことで混乱が広がり、「戦闘配置」や「総員退艦」といった正反対の命令が飛び交った。
--唯一の犠牲者となったのは、下部操舵室勤務だったエドワード・ミッチェル二等水兵であった。彼は第一次世界大戦当時から海軍に勤務しており、アーク・ロイヤルでも最古参の一人であったという。経験豊富で若い水兵から父親のように慕われており、上官からも
---上官のベーカー大尉によると、彼は被雷した時ちょうど下部操舵室の小部屋へ入ったところだったという。次の瞬間、彼は衝撃と共に雪崩れ込んできた大量の海水と燃料に飲み込まれ、あっという間に見えなくなった。大尉達はなすすべもなく水密扉を閉めるしか
-マウンド艦長は被雷後大傾斜と通信途絶という状況に陥ったことで、すぐに総員退艦を命じた。空母カレイジャスのように数分で転覆沈没する事を恐れたからである。
--リージョンがアーク・ロイヤルに接近して、乗員の移乗が開始された。だが、被雷から30分経っても傾いた船体は安定していた。
---マウンド艦長とオリバー機関長も、各所からの損害報告からアーク・ロイヤルは復旧可能だと考えた。そして旗艦マレーヤでジブラルタルに帰投した司令官サマーヴィル提督も、艦長命令を撤回しダメージコントロールの実施を指示、ジブラルタルから救援の艦艇
--オリバー機関長以下機関科員が、傾斜・浸水した艦内に苦労しながらもアーク・ロイヤルの機関部へ入りボイラーの再点火を行った。さらに横付けした駆逐艦ラフォーレイも排水ポンプを動かすための電源を提供した。
--彼らの努力でアーク・ロイヤルの機関は再稼働し、ジブラルタルから来たソードフィッシュによる対潜警戒と曳船テームズによる曳航によってアーク・ロイヤルに希望の光が見えたかに思われた。((この時ラフォーレイがサマーヴィル提督に送った電文には、機関復
-しかし、そうはならなかった。日付が変わった11月14日午前2時頃、増大しつつある艦内への浸水によって配管が詰まったことで、ボイラーから火災が発生。やがて機関室内に濃い煙が充満し始めた。そしてついに、アーク・ロイヤルの機関は再び停止してしまう。ア
--大切な「アーク」を救おうと機関室に留まっていた機関科員達も、もはや退避するしかなかった。彼らの顔や白い作業服は汗や煤で真っ黒に汚れていた。作業中にあまりの熱気と煙で2名が倒れたほどの激闘は終わったのである。
---彼らは傾斜のために梯子と化した階段、壁と化した床に難儀しながらも飛行甲板へ上がり、その後救助された。
-午前4時には傾斜がついに27度((既に35度に達していたとする文献もある。))に達し、マウンド艦長は再度総員退艦を令する。駆逐艦ラフォーレイやモーターランチが乗員達を救助していった。
-乗員の退艦は午前4時30分頃に完了した。そして1941年11月14日午前6時頃アーク・ロイヤルはついに完全に横転、その後3分ほど浮いていたがやがて沈んでいった。後にはホッケー用のゴールポストが浮かんでいるだけだった。
--マウンド艦長は、モーターランチで駆け付けたサマーヴィル提督と共に、ラフォーレイの艦橋から沈みゆくアーク・ロイヤルを静かに見守っていた。そして彼女が沈んだ時、サマーヴィル提督はマウンド艦長を艦内へ戻らせたという。提督は艦長に自らの艦の最期を
--高速魚雷艇に救助されたある乗員は、沈むアーク・ロイヤルの姿を見て次のような気持ちを抱いたという。誰も一言も言葉を発しなかったが、それはその場にいた19名の乗員全ての心の声であった。
「''かわいそうな老嬢だ。彼女は逝きたくないんだよ。まさに最期を迎えようとしている彼女は、俺達にとって良き船だったんだ''」
-かくしてアーク・ロイヤルは失われた。その後、彼女がたった1本の魚雷で沈んだ要因として、マウンド艦長の被雷直後の対応の不手際が指摘され、軍法会議にかけられることになった。
--年が明けた1942年1月19日に開かれた軍法会議が下した判決は、''有罪''。
---判決の要旨は、「被雷後に適切な対応を取らずに早々に退艦命令を下した結果、浸水の増大・機関停止を招き、本来救うことができたはずのアーク・ロイヤルを沈没に至らしめた」というものであった。
--だがしかし、この判決には現在に至るまで異論が出ている。
---サマーヴィル提督もその一人であった。提督は判決直後に妻にあてた手紙の中で艦長への同情を記している。
「''巨大な飛行甲板が20度にまで傾斜する様子を見た時、君はきっとそのまま転覆してしまうだろうという予感を抱く、そして1,700名((原文ママ。文献により乗員数にはばらつきがある。))を超える乗員達のこと、それからその空母の甲板に立っている困難さを考慮
---また、海底に沈むアーク・ロイヤルの潜水調査を行ったこともあるドキュメンタリー監督のマイク・ロッシーター氏も、著書の中で疑問を呈している。沈没時の目撃証言から、アーク・ロイヤルの破孔は130フィート×30フィート(約39.6m×約9.1m)に達していたこ
--マウンド艦長は判決後陸上勤務に回され、以降二度と水上艦艇の艦長になることはなかった。しかし幸いにも、彼はその後中東地域の陸上航空基地司令官として遥かに多くの航空機を指揮した。1942年夏には中東地域の統合作戦部長に就任、後に海軍少将として北ア
-アーク・ロイヤルが沈んだ後、救助された乗員達は悲しみと沈黙の中ジブラルタルに移送された。しかしその後、彼らは話し合いの末に全員一致である決めごとをした。彼らはカンパを集め、そして集まったお金を基に、[[一つの銀色の鐘を買った>http://www.iwm.o
--彼らが決めたこととは、いつかアーク・ロイヤルの名を受け継いだ新たな空母が誕生した時に、この鐘を使おうというものであった。その鐘にはこう刻まれていた。
「''この鐘の音によって、力強き我らと男達の団結が思い出されんことを''」
(MAY THE SOUND OF THIS BELL REMIND US OF THE POWER AND HARMONY OF MEN)
--そしてその鐘は、後に四代目アーク・ロイヤルの号鐘として使われた。魂は確かに受け継がれたのである。
}}
}}}
**船乗り猫「オスカー」の伝説 [#c5303ce8]
#fold((自分だけは)不沈の猫){{
(自分だけは)不沈の猫
-ビスマルク沈没時、その乗員の救助に向かったイギリス駆逐艦「コサック」は、船の木切れに乗って漂流する1匹の猫を発見、救助する。オスカーと命名されたこの猫はビスマルクの艦内で乗員が飼っていた猫で、白黒のブチ模様のオス猫だった。オスカーは艦内で飼
-ジブラルタルに戻ったリージョンだが、そこにアーク・ロイヤルも寄港していた。リージョンの乗員たちはオスカーをアーク・ロイヤルの乗員に進呈、こうしてオスカーは「サム」という新たな名前と共にアーク・ロイヤルにその居を移すのだが、新居は出撃してま
--4隻の船に乗り半年ほどの間にそのうち3隻が沈んだことで、オスカーは「不沈のサム」と呼ばれるようになる%%(もっとも不沈なのはオスカーだけだが)%%。迷信深い水兵たちは二度とサムを乗船させないことにし、ジブラルタルの地上勤務の士官に進呈、その後サ
--なおアーク・ロイヤルにオスカーを進呈したリージョン、そして一緒にオスカーを救助したライトニングもまた半年もせず沈んだ。リージョンは1942年3月26日にマルタ島で空爆を受け沈没・解体され、ライトニングも3月12日にアンナバ沖で魚雷艇によって撃沈され
-アーク・ロイヤルが沈む際、飛行甲板上でペットを逃がす乗員達が目撃されている。鳥籠を開放して小鳥を飛ばしたり、複数の飼い猫達を木箱に入れて脱出させていたという。そしてその内の1匹がオスカーだったのだという。
-1941年11月21日付の朝日新聞にも、ヨーロッパからのニュースとしてオスカーのエピソードが紹介されている。
-戦争中からその名を知られた存在であるオスカーだが、現在''その存在が疑問視''されている。例えば、元海軍軍人でジャーナリスト・作家のサー・ルードヴィック・ケネディ氏は著書の中で、オスカーの話を「都市伝説」に過ぎないと断定している。オスカーの実
--オスカーのものとされる写真は2種類の異なる猫を写したものである。
--ビスマルクの生存者を含む乗員達に、オスカーの存在に対して証言がない。
--公式記録にも一切オスカーへの言及がない。
--そもそもビスマルク沈没後、イギリス艦隊はUボートの襲撃を恐れて救助活動を打ち切ったため、漂流するビスマルク乗員の多くが死亡している。大時化の中、イギリス軍艦に助けを求めて重油に塗れた漂流者が群がる壮絶な状況下で、果たして一匹の猫が海に浮か
等々。しかし事実か否かはともかくとしても、オスカーのエピソードはこれからも多くの人々の興味と好奇心を引き付けてゆくことだろう。
ついでに付けられた名前も日本人としてはいろいろあるしね((「オスカー」は一式戦の、「サム」は烈風の連合国コードネーム。))。
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