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艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.233|
|&attachref(装備カード一覧/weapon233.png,nolink);|>|F4U-1D|>|艦上爆撃機|
|~|>|>|>|~装備ステータス|
|~|~火力|+1|~雷装||
|~|~爆装|+7|~対空|+7|
|~|~対潜|+1|~索敵|+1|
|~|~命中||~回避|+1|
|~|~&nobr{[[戦闘行動半径>基地航空隊]]};|6|>|BGCOLOR(#ccc):|
|~|>|>|>|~装備可能艦種|
|~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):駆逐艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):重巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):戦艦|
|~|軽空母|正規空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):水上機母艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):航空戦艦|
|~|>|>|>|~備考|
|~|>|>|>|開発不可、改修不可、[[入手方法>#HowtoGet]]|
|>|>|>|>|~[[改修更新>改修表#id277]]|
|>|>|>|>|[[FM-2]] →((新型航空兵装資材を2個、熟練搭乗員を1個消費)) ''F4U-1D''|
|>|>|>|>|LEFT:高性能艦上戦闘機として開発が進められたF4U、航空母艦での運用が難しいと思われた初期型は陸上から運用されました。&br;その改良戦闘爆撃機型である本機及び同後期シリーズは、機動部隊で運用され、マルチロールな活躍ぶりを発揮、戦闘爆撃機
*ゲームにおいて [#about]
-対地攻撃が可能な艦爆の一つ。&color(Silver){図鑑説明の通り、対地対空対艦とマルチロールな活躍ぶりを発揮することだろう。};
--対地艦爆については「[[彗星一二型(六三四空/三号爆弾搭載機)>彗星一二型(六三四空/三号爆弾搭載機)]]」を参照。
--爆戦ならびに艦戦それぞれの制空力および攻撃力比較は[[リンク先のページ>零戦62型(爆戦/岩井隊)#bakusen_table]]を参考のこと。
-[[零戦62型(爆戦/岩井隊)>零戦62型(爆戦/岩井隊)]]に比べ火力&color(Blue){+1};、爆装&color(Blue){+3};、対潜&color(Red){-2};、命中&color(Red){-1};、回避&color(Red){-1};、半径&color(Blue){+1};。
--対空値7は岩井爆戦と同値である。しかし、改修値が付けられる岩井爆戦の&color(Teal){★max};が実質対空値&color(Blue){+9.5};。また、爆戦岩井は「空母夜襲CI・夜戦補正」や「[[敵対空射撃回避>対空砲火#avoid_AAfire]]」等の特殊能力を持つ。一方でF4U-1D
また、対陸上型の特性も異なるため、そこも使い分けとなる。
-爆装7は通常の爆撃機である[[九九式艦爆(熟練)]]と同値で[[彗星]]と比較しても&color(Red){-1};と高水準。
--開幕威力は小型艦の処理程度なら可能であるほど。
砲撃火力の向上の面で見ても火力&color(Blue){+1};と合わせてかなり高められる([[流星]]と同等)。
-爆撃機カテゴリで初の行動半径6。
--陸攻を除く攻撃機では艦攻の流星関連が半径6で最大であったがそれと並びトップタイ。
半径6での制空調整が可能になる事は岩井爆戦 (半径5) や「[[爆装一式戦 隼III型改(65戦隊)]]」(半径5) と比較しても便利である。
**入手方法について [#HowtoGet]
-初期装備艦
--[[Intrepid改]]
-「[[FM-2&color(teal){★max};>FM-2]]」からの[[改修更新>改修表#id277]]
--更新の際に[[F6F-3]]を1個、[[新型航空兵装資材>アイテム#NewModelAerialArmamentMaterials]]を2個、[[熟練搭乗員>アイテム#expert]]を1個消費する。
-任務『[[精強「任務部隊」を編成せよ!>任務#id-A80]]』選択報酬
--[[F6F-3]]との2択となるが、''&color(Red){[[F6F-3]]は他の任務でも入手が可能};''。
-
#fold(過去の入手方法){{
過去の入手方法
-2017年 5月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]] (1位~20位)
}}
**対地特効補正について [#AntiGround]
[[対地特効補正について/艦上爆撃機・噴式戦闘爆撃機]]より転送
#include(対地特効補正について/艦上爆撃機・噴式戦闘爆撃機,notitle)
**性能比較表([[装備最大値/艦爆上位早見表/テーブル]]より転送) [#SpecTable]
#fold(長いので折りたたみ){{
#table_edit(装備最大値/艦爆上位早見表/テーブル)
}}
**アップデート履歴 [#update]
-2017年 06月29日:実装。5月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]]として。
-2017年 09月12日:[[任務>任務#id-A80]]報酬として実装。
-2018年 02月22日:[[Intrepid改]]の初期装備としても入手可能となった。
-2019年 03月28日:対地攻撃が可能となった。([[運営告知>https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/1110889611591507971]])
-2021年 03月01日:[[FM-2]]からの更新で入手可能に。
-2021年 08月31日:英国に供与された機体が[[艦戦>Corsair Mk.II]]として実装された。
-2022年 08月27日:[[夜間戦闘機型>F4U-2 Night Corsair]]と[[後期生産型>F4U-4]]がそれぞれ実装された。
-2022年 09月11日:[[攻撃機型>AU-1]]とフランス海軍向けの[[最終型>F4U-7]]が実装された。
*小ネタ [#trivia]
-元ネタはアメリカ海軍の艦上戦闘機F4U-1D「コルセア((フランス語「corsaire」に由来する語。英単語としては慣例的にコルセアとカナ表記され海賊と訳されるが、実際の発音はコーセアに近く、意味も海賊(=pirateパイレイト)だけではなく私掠船(=privateerプ
-説明文には戦闘爆撃機型と書かれているが、ヴォート社においてF4U-1D及びそれ以降の派生型が戦闘爆撃機として開発された経緯はない。
--大戦中での戦闘爆撃任務上または飛行隊(VBF)での分類であり、“Type”ではなく“Role”における呼称である。
--数多くあるF4Uの派生型の中でF(Fighter)以外であるのは、A(Attack)の符号を付けられた[[AU-1]]のみである。
-F4Uはそれまで海軍の主力艦上戦闘機であったF2Aバッファローの後継機として1938年2月より開発開始された機体。
開発を担当した会社はチャンス・ヴォート((1939年よりユナイテッド・エアクラフトの一部門であったシコルスキーと合併し、ヴォート・シコルスキーエアクラフトに改名。ちなみに日本海軍が当時F4Uをシコルスキーと呼んだのはこのため))。
-
#fold(開発史){{
開発史
-試作機では高速艦上戦闘機の仕様をSD112-14案としてアメリカ海軍は開発要求を告知し((この時の要求はもっと速く、とにかく速くというもの))、グラマン社やベル社と共に、チャンス・ヴォート社は4月に1,200馬力級エンジンを搭載するV-166A案と2,000馬力級エン
当時1000馬力が常識だったのを覆すように2000馬力ものエンジンを搭載するというまさに野心的な計画であり、アメリカ海軍もそれに同調したため6月11日にXF4U-1として海軍から試作発注がなされた。
当時としては大きさも怪物級であり、海軍で一番大きなプロペラをつけた、海軍一重たい艦上戦闘機となった。
--このエンジンこそP&WR2800であり、幾多のアメリカの名機達に使われた空冷エンジンである。
なおこの時点ではまだ開発中であり、さらにアメリカ陸軍はP&W社に空冷エンジンの開発をやめて、水冷エンジンを開発するよう要請していた。
R-2800の開発が中止になって、XF4Uがこけたら倒産のヴォート社が全力で開発に協力したのである。
--このでかいプロペラが着陸面に接することがないように、両主翼は胴体付け根から一旦斜め下に出て、その後翼端に向かって斜め上に跳ね上がる、正面から見ると『W』型の構造となった。
この主翼折れ曲がりの関節の部分に主脚を配置することで、短い主脚で巨大なプロペラの回転径を稼いでいるのである。((この特徴的な逆ガルウイングはパイロットの視界を悪くするために、現場では不評であった。が、同時にF4Uシリーズの代名詞ともいえるように
--初飛行は1940年5月29日で時速650kmを記録するなど、性能は良好であった。
--F4Uの生産が始まったのは、41年6月30日である。チャンスボート社の最初の見込みとしては、100機か200機くらいの予定であった。
そんな数でも中小企業のチャンスボートにとってはでかいビジネスであり、生産性には当然ながらまったく考慮していなかった。
不具合の改修と生産性向上の改修が重なり、当初は生産はまったくはかどらず、海軍からいますぐ納入できなければすべてキャンセルすると最後通告をつきつけられたこともある。
だが最終的に、フランス海軍向けの[[F4U-7]]の最終号機がロールアウトする1953年1月31日までに足掛け12年、1万2千機以上が生産された。
--量産型F4U-1の初飛行は1942年6月25日である。
この間に欧州の戦訓を受けて武装の強化と燃料タンクの防弾化が要求され、機首の7.7mm機銃を廃止、翼の12.7mm機銃を2丁から6丁に増やした。そのため翼に燃料タンクを設けるスペースがなくなってしまった。
F6Fほど胴体が太ければコックピットの下に燃料タンクを増設できただろうが、R2800の直径ぎりぎりの細い胴体では不可能であり、コクピットを91cm後退させそこに燃料タンクを設置することになった。
--チャンスヴォート社だけでは製造能力が不足することが予測され、グッドイヤー社とブリュースター社にライセンス生産も手配されている。
それぞれFG、F3Aの呼称が与えられたが、F3Aはブリュースター社の方も量産能力が低かったために生産数量はごくわずかなものとなっている。
}}
-これでF4U-1は海軍の主力艦上戦闘機として大活躍……する計画だったはずだったが、現実では[[F6F-3]]、その改良型の[[F6F-5]]に主力艦載機のお株を奪われている。
高度20,000ft(約6,000m)での速度は1型で671km/h、後の1D型で658km/hなどとF6F-3の612km/hに比べれば明らかに高速ではあったのだが……。
--評価が低い原因としては、低いまま後退させたコクピットのせいで前下方視界は主翼に遮られ「最悪」になってしまい母艦を捉えて周回するのも一苦労。
着艦する際の三点姿勢を取ると飛行甲板が見えず、さらに大直径プロペラのための逆ガル翼は失速限界域では右翼が失速してバランスを崩すという艦上戦闘機としては致命的に使えない機体になってしまったのである。
--さらにこの大直径プロペラというのが曲者で、ただでさえ空を飛ばすには出力重量比不足も甚だしいレシプロ機時代、プロペラが大直径化するとエンジンのスロットルレスポンスが悪くなり、米軍機の持ち味であるダッシュ力を殺してしまった。
対する日本機はこの頃機体の改良が進んで急降下制限が緩くなってきており、エンジン出力も開戦時よりは2割ほど上がっており、特に低空にいるF4Uなどカモネギ状態だったろうことは想像に難くない。
--これにより初期生産機はすべて海兵隊に引き渡されて陸上戦闘機として使われ、太平洋戦線に投入された。
このとき最初の部隊はVMF-124であるが、不具合が多々あり改修の連続であったF4Uの生産は進まず、部隊がF4Uをすべて受け取ったのはガダルカナル島へ進出するわずか一週間前、F4Uでの飛行時間はわずか20時間しかなかったのである。
-初戦は1943年2月14日のブーゲンビル島航空戦で、宮野善治郎大尉(海兵65期)率いる[[零戦21型>零式艦戦21型]]及び[[零戦32型>零式艦戦32型]]主体の第204海軍航空隊と交戦した際、米軍側が8機(P-38 4機、B-24 2機、F4U 2機)被撃墜、日本側は零戦1機が自爆し
--後にコルセア最初のエースとなり21機を撃墜したケネス・ウォルシュ少尉は、この時はF4Uで日本機とどう戦えば良いか、誰もわからなかったと語っている。
F4Uは低速時の運動性と上昇性以外はすべて零戦より勝っており、速度を落としてはならないという鉄則に気がつくまでは時間がかかったが、気づいた後は、警戒していた零戦が獲物に思えたと好意的にF4Uを評価している。
もっとも、ケネス少尉自身何度も低速で零戦と戦っており、よく生きて帰れたものだと回想している。
--ボイントンを始めとするコルセアエース達は高度と速度を保って有利な態勢から一撃離脱を行うことで撃墜戦果を挙げているのである。
事実、初陣は散々だったものの、VMF-124のひと月後にはVMF-213と海兵隊の戦闘機隊は[[F4F>F4F-3]]からF4Uに変わってゆき、ソロモン諸島における激戦の末に米軍を勝利に導いたのである。
-一方海軍では、VF-12が最初のF4U装備部隊に選ばれ、訓練を重ねていたが[[サラトガ>Saratoga]]に配備される直前にF6Fに変更になった。
公式には補給部品が用意できないためとなっているが、数々の悪評が影響したのだと思われる。サラトガ妖精なのはこれが理由だろうか。
--また、VF-17ジョリーロジャースではF4Uにさまざまな改修を行い、それがヴォート社にフィードバックされてA型へとなってゆく。
13フィートもある巨大プロペラも、VF-17の一部がF6F用にあった10フィートほどのプロペラと交換したところ、速度が10ノットも向上したのでこれもまたフィードバックされた((これが、タミヤの1/72スケール『ウォーバードコレクション』のF4Uプラモデルキットに
なお空母バンカーヒルで訓練をしていたものの、結局陸上基地からの行動になった。
-A型でなんとか空母に搭載できるようコクピットを高くしたり、バブルキャノピー((風防全体を1枚のガラスで成形したうえ、機体シルエットから膨らませるようになっている形状の風防のことである。大戦期の機体で有名なものにP-51Dの風防がある。P-51の初期型で
-一方、&color(Silver){マトモな艦載機の確保に難儀していた};英海軍にも供与されており、左旋回で視界を確保しながらアプローチするというアクロバティックな着艦法を編み出してまで、米海軍に先行して積極的な艦載運用が行われている。
英軍呼称はF4U-1がコルセアMk.I、F4U-1A/1Dが[[コルセアMk.II>Corsair Mk.II]]、F3A-1/1D((それぞれF4U-1、F4U-1D相当))がコルセアMk.III、FG-1/1A/1D((それぞれF4U-1、F4U-1A、F4U-1D相当))がコルセアMk.IV。
初陣は44年4月のタングステン作戦(ノルウェーに引き籠る戦艦ティルピッツへの攻撃)。
--これらはイラストリアス級での使用に合わせ翼端が切り詰められている。
--なお、英空母イラストリアス級のうち、格納庫を一部二段とした第二グループ(インドミタブル)および全二段とした第三グループ二隻(インプラカブル・インディファティガブル)は二段にするために格納庫の高さを削ったのが災いし、コルセアを収容できなかった。
対して第一グループ三隻(イラストリアス・フォーミダブル・[[ヴィクトリアス>Victorious]])は一段格納庫ながらその分天井が高く、ギリギリで収容できた。
よって大戦中にコルセアを運用したイラストリアス級は後者の三隻のみである。
-元ネタであるD型は水噴射装置((過給機で圧縮した吸気は、「断熱圧縮」という現象により温度が上がってしまう。そうするとせっかく濃くした空気が熱膨張を起こして意味がなくなるばかりか、熱によってエンジンの効率が下がり、最悪エンジンブローの可能性もあ
--実戦では、ソロモン、ギルバート、マーシャル諸島の海兵隊航空隊で主力戦闘機となり、制空戦闘の他に地上攻撃も行った。
海軍にも配備されているが、こちらはF6Fと比べて運動性が悪かった為空戦はF6Fに任せてF4U-1Dは地上攻撃に専念した。
---また、海兵隊でF4U-1Dが配備されたあと、海兵隊所属のF4U-1D飛行隊は一部空母に搭載された。
これは神風対策であり、このころアメリカはもう戦争は終わりが近いとみて、パイロット養成数を減らしていた。
すぐに戦闘機を増やしたくても、乗せるパイロットが足りなかった。そこで急遽海兵隊のF4U航空隊が正規空母に乗ることになったのである。
この時、艦攻や艦爆の数を減らし、その分減った攻撃力をF4Uを戦闘爆撃飛行隊として使用することで補った。
急降下爆撃も行われたが((エアブレーキは無いが、主脚が頑丈だったためエアブレーキ代わりに使用された))、ロケット弾の使用が多くなっていた。そういった事実を反映し、艦これ内でも爆戦という項目に入れられたのかもしれない。
-[[グレゴリー・ボイントン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3]]((エースパイロットであると同時にVMF-214の創設者。ちなみに1944年1月3日ラバウル上空の
F6Fと戦果を比較するとF4U側が登場は早いが((F6Fが1943年8月、F4Uが1943年2月))、アメリカ海軍の公式では''F4Uは2140機もの日本軍機を撃墜を主張''し((あくまでアメリカ側の主張であり、さらに裏付けが行われておらず戦果誤認も多数含まれている為実際の戦果
--なおWW2当時のアメリカの被撃墜システムは戦闘空域で撃墜されたと認定した機を被撃墜としてカウントし、反対に不時着機や帰着後に大破された機は被撃墜にカウントしない。
-
#fold(対戦した日本側の評価){{
対戦した日本側の評価
-セントバレンタインデーの虐殺で交戦した大原亮治氏は「高速で逃げられたら追いつかないが、ダッシュが悪くて、空戦になると比較的捕捉しやすい」と語り、こちらが初動を間違えなければそれほど怖い相手ではないとF4Uを評価している。
-さらに大原亮治氏以外の日本海軍パイロットも、F4Uは速度は凄まじいが急降下からの引き起こしや運動性が悪いのが明らかで、戦闘においてほとんど直進しかできないので回避は容易、こちらが攻撃する際は背後から組みやすいのでF4UはF6Fと比べて簡単な相手だっ
--これはF4Uの空母実戦配備を遅らせた大径プロペラが原因の一端である。B-29と大差ないプロペラを回すのには、実は2000hpのP&W R-2800は出力不足だったのだ。
そのためスロットルレスポンスが悪く、特に大気の厚い低高度に誘い込まれたら日本機に遊んでくれと言ってるようなものである。
カタログスペックで劣るF6Fの方が対日戦では全般的に評価が高いのはこのあたりが理由である。これと対局の位置にあるのが日本陸軍の[[一式戦『隼』>一式戦 隼II型]]と、その後継である[[四式戦『疾風』>四式戦 疾風]]である。
-谷水竹雄氏はF4Uに背後に付かれた際、降下して海面ギリギリで零戦の機首を引き起こして相手F4Uを海面に激突させるという荒業を時にはしていた((いわゆる「マニューバー・キル」というもので、火器によるものではないが、公式な「撃墜」として記録されている
それ以外にも谷水氏は、F4Uは機体が重いのか、降下から機首引き起こしが間に合わずジャングルや海面に激突するのも目撃している。 ただし、同時に谷水氏はF4Uの防御力の高さを褒めている。
-その一方、ソロモン諸島方面で戦っていた第204航空隊の電文では[[零式艦戦52型]]の項にある通り、"21型の補充を拒否、当時開発中であった52型を強く要望し、さらには少数でいいから[[開発中の局地戦闘機>雷電]]を回してくれれば作戦上有利になる"とF4Uの高高
}}
-さらにF4UはR-2800エンジンの強化によって性能向上を続けていた。1944年9月に製造開始した[[F4U-4]]は水噴射時に2,380馬力を発揮、最高速度728km/hにまで達している。これが大戦に間に合った最後のタイプとなった。
-そしてF4Uの戦闘爆撃機としての能力の高さが、第二次大戦終結後、F6Fやその後継機F8Fと明暗を分けることになった。
ジェットエンジン搭載機の登場により、レシプロ機は制空戦闘機の座から追いやられ、戦闘爆撃機として活用されることになったからだ。
「最強のレシプロ艦戦」とも評されるF8Fであったが、機体設計を徹底的に洗練して純粋な戦闘機としての性能を最優先としたため、爆弾搭載量や航続距離などがF6Fよりも低下したことが、「初期ジェット機時代のレシプロ機」に求められた汎用性に欠けるとして急速
一方、戦闘爆撃機として活用されたF4Uは1950年代まで生産が続けられ、朝鮮戦争でソ連のジェット戦闘機MiG-15を米軍機で初めて撃墜するなどの活躍を見せることになる。
--アメリカ海軍も海兵隊も、WW2以後は金がなくF9Fとスカイレイダーの配備が遅れており((制空戦闘機隊だけなんとかF9Fか大型のF2Hが配備された))、朝鮮戦争での主な任務の地上攻撃にF4Uが主力攻撃機として使われた。
朝鮮戦争中に再生産されたのもFナンバーの戦闘機としてではなくAナンバーの[[AU-1]]と攻撃機としてであった。
しかし1950年の朝鮮戦争開戦時には海軍で20個飛行隊370機((この段階では軽攻撃飛行隊のほぼ全て、奇しくも後述のコルセアIIと同じ任務である))、海兵隊で10個飛行隊223機あったF4Uも、1953年の朝鮮戦争の停戦時((ジェット機にはプロペラ機のようなプロペラの
-史上最後のレシプロ機同士の空中戦で本機の改良型及びライセンス生産型が参加している
--1969年7月17日ホンジュラス空軍のF4U-4及びF4U-5とエルサルバドル空軍のFG-1D(F4U-1Dのグッドイヤー社生産分)及びP-51Dが空戦。ホンジュラス空軍が勝利している
--中でもホンジュラス空軍F4U-5パイロットのフェルナンド・ソト・エンリケス大尉はこの戦闘で3機を撃墜。レシプロ機同士の空戦で最後の撃墜スコアとなっている
--なお、この戦争は俗に「サッカー戦争」と呼ばれるもので元々険悪だった隣国同士がワールドカップの予選でヒートアップしてリアルの戦争に発展した悲劇として知られている
-1966年にA-4の後継機として実戦投入されたA-7艦上攻撃機の愛称が『コルセアII』である。
これは初代コルセアを設計したチャンス・ヴォート社を買収した、リング・テムコ・ヴォート社(LTV)が設計した機体だからであるが……。
--実は初代『コルセア』は複葉機時代の観測機''O2U''とそのエンジン換装機種''O3U''であり、F4Uは2代目、A-7『コルセアII』は3代目である。
--当時の主力攻撃機A-4は小型軽量で操縦も整備もしやすい傑作機だったが、小型機のため行動半径と兵器搭載量が問題となっていた。
LTV社は開発期間とコストを下げるため、F-8クルセイダーの図面をもとに改設計したのがA-7である((機体構造は全くの別物だが、機体組み立てにはF-8の部品も一部使用された))
--こうして出来上がったA-7は、「搭載量が同じならA-4の倍を飛び、飛行距離が同じならA-4の倍は積める」と好評で、ベトナム戦では''戦闘機の護衛任務にも就いた''((当時の米軍は「ミサイル至上主義」であり、戦闘機は「いかに多くのミサイルを積めるか」に特
米海軍ではベトナム戦から湾岸戦争まで戦い抜いた息の長い機体で、1969年には空軍にも採用され((空軍では「海賊」という名前が嫌がられたため、"Short, Little, Ugry, Feller"の頭文字をとって「SLUF」というあだ名が付けられた。直訳すると「チビで醜い木こ
なお2017年現在、中古機がタイ海軍で海賊撃退任務に当たっており、「海賊という名前の機体が海賊を攻撃する」事態となっている。
-
#fold(さらに余談){{
さらに余談
歴史上の海賊(コルセア)が使っていた武器に「カットラス」という片刃剣があるのだが、それにちなんでか、チャンス・ヴォート社が開発したジェット艦上戦闘機に「F7Uカットラス」という機体がある……のだが、これが米海軍機最大の&color(Blue){''ウィドウ・メ
}}
-ヴォート社は買収や営業譲渡で様々な会社を渡り歩き((その中には、かつてのライバルだったノースロップ・グラマンも含まれている。このため、F4Uを始めとするヴォート社製航空機のライセンス管理は、2018年現在ノースロップ・グラマン社が担当している))、20
社名は表に出なくなったものの、様々な航空機のエンジニアリングや製造下請けに関与しており、その中にはあのB-1やF-22も含まれている。「先進的かつ挑戦的」な航空機を作るという[[ヴォートの遺産>http://www.vought.org/]]が今もなお生き続けているのだ。
*この装備についてのコメント [#comment]
#pcomment(./コメント1,reply,30)
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|>|>|>|>|[[FM-2]] →((新型航空兵装資材を2個、熟練搭乗員を1個消費)) ''F4U-1D''|
|>|>|>|>|LEFT:高性能艦上戦闘機として開発が進められたF4U、航空母艦での運用が難しいと思われた初期型は陸上から運用されました。&br;その改良戦闘爆撃機型である本機及び同後期シリーズは、機動部隊で運用され、マルチロールな活躍ぶりを発揮、戦闘爆撃機
*ゲームにおいて [#about]
-対地攻撃が可能な艦爆の一つ。&color(Silver){図鑑説明の通り、対地対空対艦とマルチロールな活躍ぶりを発揮することだろう。};
--対地艦爆については「[[彗星一二型(六三四空/三号爆弾搭載機)>彗星一二型(六三四空/三号爆弾搭載機)]]」を参照。
--爆戦ならびに艦戦それぞれの制空力および攻撃力比較は[[リンク先のページ>零戦62型(爆戦/岩井隊)#bakusen_table]]を参考のこと。
-[[零戦62型(爆戦/岩井隊)>零戦62型(爆戦/岩井隊)]]に比べ火力&color(Blue){+1};、爆装&color(Blue){+3};、対潜&color(Red){-2};、命中&color(Red){-1};、回避&color(Red){-1};、半径&color(Blue){+1};。
--対空値7は岩井爆戦と同値である。しかし、改修値が付けられる岩井爆戦の&color(Teal){★max};が実質対空値&color(Blue){+9.5};。また、爆戦岩井は「空母夜襲CI・夜戦補正」や「[[敵対空射撃回避>対空砲火#avoid_AAfire]]」等の特殊能力を持つ。一方でF4U-1D
また、対陸上型の特性も異なるため、そこも使い分けとなる。
-爆装7は通常の爆撃機である[[九九式艦爆(熟練)]]と同値で[[彗星]]と比較しても&color(Red){-1};と高水準。
--開幕威力は小型艦の処理程度なら可能であるほど。
砲撃火力の向上の面で見ても火力&color(Blue){+1};と合わせてかなり高められる([[流星]]と同等)。
-爆撃機カテゴリで初の行動半径6。
--陸攻を除く攻撃機では艦攻の流星関連が半径6で最大であったがそれと並びトップタイ。
半径6での制空調整が可能になる事は岩井爆戦 (半径5) や「[[爆装一式戦 隼III型改(65戦隊)]]」(半径5) と比較しても便利である。
**入手方法について [#HowtoGet]
-初期装備艦
--[[Intrepid改]]
-「[[FM-2&color(teal){★max};>FM-2]]」からの[[改修更新>改修表#id277]]
--更新の際に[[F6F-3]]を1個、[[新型航空兵装資材>アイテム#NewModelAerialArmamentMaterials]]を2個、[[熟練搭乗員>アイテム#expert]]を1個消費する。
-任務『[[精強「任務部隊」を編成せよ!>任務#id-A80]]』選択報酬
--[[F6F-3]]との2択となるが、''&color(Red){[[F6F-3]]は他の任務でも入手が可能};''。
-
#fold(過去の入手方法){{
過去の入手方法
-2017年 5月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]] (1位~20位)
}}
**対地特効補正について [#AntiGround]
[[対地特効補正について/艦上爆撃機・噴式戦闘爆撃機]]より転送
#include(対地特効補正について/艦上爆撃機・噴式戦闘爆撃機,notitle)
**性能比較表([[装備最大値/艦爆上位早見表/テーブル]]より転送) [#SpecTable]
#fold(長いので折りたたみ){{
#table_edit(装備最大値/艦爆上位早見表/テーブル)
}}
**アップデート履歴 [#update]
-2017年 06月29日:実装。5月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]]として。
-2017年 09月12日:[[任務>任務#id-A80]]報酬として実装。
-2018年 02月22日:[[Intrepid改]]の初期装備としても入手可能となった。
-2019年 03月28日:対地攻撃が可能となった。([[運営告知>https://twitter.com/KanColle_STAFF/status/1110889611591507971]])
-2021年 03月01日:[[FM-2]]からの更新で入手可能に。
-2021年 08月31日:英国に供与された機体が[[艦戦>Corsair Mk.II]]として実装された。
-2022年 08月27日:[[夜間戦闘機型>F4U-2 Night Corsair]]と[[後期生産型>F4U-4]]がそれぞれ実装された。
-2022年 09月11日:[[攻撃機型>AU-1]]とフランス海軍向けの[[最終型>F4U-7]]が実装された。
*小ネタ [#trivia]
-元ネタはアメリカ海軍の艦上戦闘機F4U-1D「コルセア((フランス語「corsaire」に由来する語。英単語としては慣例的にコルセアとカナ表記され海賊と訳されるが、実際の発音はコーセアに近く、意味も海賊(=pirateパイレイト)だけではなく私掠船(=privateerプ
-説明文には戦闘爆撃機型と書かれているが、ヴォート社においてF4U-1D及びそれ以降の派生型が戦闘爆撃機として開発された経緯はない。
--大戦中での戦闘爆撃任務上または飛行隊(VBF)での分類であり、“Type”ではなく“Role”における呼称である。
--数多くあるF4Uの派生型の中でF(Fighter)以外であるのは、A(Attack)の符号を付けられた[[AU-1]]のみである。
-F4Uはそれまで海軍の主力艦上戦闘機であったF2Aバッファローの後継機として1938年2月より開発開始された機体。
開発を担当した会社はチャンス・ヴォート((1939年よりユナイテッド・エアクラフトの一部門であったシコルスキーと合併し、ヴォート・シコルスキーエアクラフトに改名。ちなみに日本海軍が当時F4Uをシコルスキーと呼んだのはこのため))。
-
#fold(開発史){{
開発史
-試作機では高速艦上戦闘機の仕様をSD112-14案としてアメリカ海軍は開発要求を告知し((この時の要求はもっと速く、とにかく速くというもの))、グラマン社やベル社と共に、チャンス・ヴォート社は4月に1,200馬力級エンジンを搭載するV-166A案と2,000馬力級エン
当時1000馬力が常識だったのを覆すように2000馬力ものエンジンを搭載するというまさに野心的な計画であり、アメリカ海軍もそれに同調したため6月11日にXF4U-1として海軍から試作発注がなされた。
当時としては大きさも怪物級であり、海軍で一番大きなプロペラをつけた、海軍一重たい艦上戦闘機となった。
--このエンジンこそP&WR2800であり、幾多のアメリカの名機達に使われた空冷エンジンである。
なおこの時点ではまだ開発中であり、さらにアメリカ陸軍はP&W社に空冷エンジンの開発をやめて、水冷エンジンを開発するよう要請していた。
R-2800の開発が中止になって、XF4Uがこけたら倒産のヴォート社が全力で開発に協力したのである。
--このでかいプロペラが着陸面に接することがないように、両主翼は胴体付け根から一旦斜め下に出て、その後翼端に向かって斜め上に跳ね上がる、正面から見ると『W』型の構造となった。
この主翼折れ曲がりの関節の部分に主脚を配置することで、短い主脚で巨大なプロペラの回転径を稼いでいるのである。((この特徴的な逆ガルウイングはパイロットの視界を悪くするために、現場では不評であった。が、同時にF4Uシリーズの代名詞ともいえるように
--初飛行は1940年5月29日で時速650kmを記録するなど、性能は良好であった。
--F4Uの生産が始まったのは、41年6月30日である。チャンスボート社の最初の見込みとしては、100機か200機くらいの予定であった。
そんな数でも中小企業のチャンスボートにとってはでかいビジネスであり、生産性には当然ながらまったく考慮していなかった。
不具合の改修と生産性向上の改修が重なり、当初は生産はまったくはかどらず、海軍からいますぐ納入できなければすべてキャンセルすると最後通告をつきつけられたこともある。
だが最終的に、フランス海軍向けの[[F4U-7]]の最終号機がロールアウトする1953年1月31日までに足掛け12年、1万2千機以上が生産された。
--量産型F4U-1の初飛行は1942年6月25日である。
この間に欧州の戦訓を受けて武装の強化と燃料タンクの防弾化が要求され、機首の7.7mm機銃を廃止、翼の12.7mm機銃を2丁から6丁に増やした。そのため翼に燃料タンクを設けるスペースがなくなってしまった。
F6Fほど胴体が太ければコックピットの下に燃料タンクを増設できただろうが、R2800の直径ぎりぎりの細い胴体では不可能であり、コクピットを91cm後退させそこに燃料タンクを設置することになった。
--チャンスヴォート社だけでは製造能力が不足することが予測され、グッドイヤー社とブリュースター社にライセンス生産も手配されている。
それぞれFG、F3Aの呼称が与えられたが、F3Aはブリュースター社の方も量産能力が低かったために生産数量はごくわずかなものとなっている。
}}
-これでF4U-1は海軍の主力艦上戦闘機として大活躍……する計画だったはずだったが、現実では[[F6F-3]]、その改良型の[[F6F-5]]に主力艦載機のお株を奪われている。
高度20,000ft(約6,000m)での速度は1型で671km/h、後の1D型で658km/hなどとF6F-3の612km/hに比べれば明らかに高速ではあったのだが……。
--評価が低い原因としては、低いまま後退させたコクピットのせいで前下方視界は主翼に遮られ「最悪」になってしまい母艦を捉えて周回するのも一苦労。
着艦する際の三点姿勢を取ると飛行甲板が見えず、さらに大直径プロペラのための逆ガル翼は失速限界域では右翼が失速してバランスを崩すという艦上戦闘機としては致命的に使えない機体になってしまったのである。
--さらにこの大直径プロペラというのが曲者で、ただでさえ空を飛ばすには出力重量比不足も甚だしいレシプロ機時代、プロペラが大直径化するとエンジンのスロットルレスポンスが悪くなり、米軍機の持ち味であるダッシュ力を殺してしまった。
対する日本機はこの頃機体の改良が進んで急降下制限が緩くなってきており、エンジン出力も開戦時よりは2割ほど上がっており、特に低空にいるF4Uなどカモネギ状態だったろうことは想像に難くない。
--これにより初期生産機はすべて海兵隊に引き渡されて陸上戦闘機として使われ、太平洋戦線に投入された。
このとき最初の部隊はVMF-124であるが、不具合が多々あり改修の連続であったF4Uの生産は進まず、部隊がF4Uをすべて受け取ったのはガダルカナル島へ進出するわずか一週間前、F4Uでの飛行時間はわずか20時間しかなかったのである。
-初戦は1943年2月14日のブーゲンビル島航空戦で、宮野善治郎大尉(海兵65期)率いる[[零戦21型>零式艦戦21型]]及び[[零戦32型>零式艦戦32型]]主体の第204海軍航空隊と交戦した際、米軍側が8機(P-38 4機、B-24 2機、F4U 2機)被撃墜、日本側は零戦1機が自爆し
--後にコルセア最初のエースとなり21機を撃墜したケネス・ウォルシュ少尉は、この時はF4Uで日本機とどう戦えば良いか、誰もわからなかったと語っている。
F4Uは低速時の運動性と上昇性以外はすべて零戦より勝っており、速度を落としてはならないという鉄則に気がつくまでは時間がかかったが、気づいた後は、警戒していた零戦が獲物に思えたと好意的にF4Uを評価している。
もっとも、ケネス少尉自身何度も低速で零戦と戦っており、よく生きて帰れたものだと回想している。
--ボイントンを始めとするコルセアエース達は高度と速度を保って有利な態勢から一撃離脱を行うことで撃墜戦果を挙げているのである。
事実、初陣は散々だったものの、VMF-124のひと月後にはVMF-213と海兵隊の戦闘機隊は[[F4F>F4F-3]]からF4Uに変わってゆき、ソロモン諸島における激戦の末に米軍を勝利に導いたのである。
-一方海軍では、VF-12が最初のF4U装備部隊に選ばれ、訓練を重ねていたが[[サラトガ>Saratoga]]に配備される直前にF6Fに変更になった。
公式には補給部品が用意できないためとなっているが、数々の悪評が影響したのだと思われる。サラトガ妖精なのはこれが理由だろうか。
--また、VF-17ジョリーロジャースではF4Uにさまざまな改修を行い、それがヴォート社にフィードバックされてA型へとなってゆく。
13フィートもある巨大プロペラも、VF-17の一部がF6F用にあった10フィートほどのプロペラと交換したところ、速度が10ノットも向上したのでこれもまたフィードバックされた((これが、タミヤの1/72スケール『ウォーバードコレクション』のF4Uプラモデルキットに
なお空母バンカーヒルで訓練をしていたものの、結局陸上基地からの行動になった。
-A型でなんとか空母に搭載できるようコクピットを高くしたり、バブルキャノピー((風防全体を1枚のガラスで成形したうえ、機体シルエットから膨らませるようになっている形状の風防のことである。大戦期の機体で有名なものにP-51Dの風防がある。P-51の初期型で
-一方、&color(Silver){マトモな艦載機の確保に難儀していた};英海軍にも供与されており、左旋回で視界を確保しながらアプローチするというアクロバティックな着艦法を編み出してまで、米海軍に先行して積極的な艦載運用が行われている。
英軍呼称はF4U-1がコルセアMk.I、F4U-1A/1Dが[[コルセアMk.II>Corsair Mk.II]]、F3A-1/1D((それぞれF4U-1、F4U-1D相当))がコルセアMk.III、FG-1/1A/1D((それぞれF4U-1、F4U-1A、F4U-1D相当))がコルセアMk.IV。
初陣は44年4月のタングステン作戦(ノルウェーに引き籠る戦艦ティルピッツへの攻撃)。
--これらはイラストリアス級での使用に合わせ翼端が切り詰められている。
--なお、英空母イラストリアス級のうち、格納庫を一部二段とした第二グループ(インドミタブル)および全二段とした第三グループ二隻(インプラカブル・インディファティガブル)は二段にするために格納庫の高さを削ったのが災いし、コルセアを収容できなかった。
対して第一グループ三隻(イラストリアス・フォーミダブル・[[ヴィクトリアス>Victorious]])は一段格納庫ながらその分天井が高く、ギリギリで収容できた。
よって大戦中にコルセアを運用したイラストリアス級は後者の三隻のみである。
-元ネタであるD型は水噴射装置((過給機で圧縮した吸気は、「断熱圧縮」という現象により温度が上がってしまう。そうするとせっかく濃くした空気が熱膨張を起こして意味がなくなるばかりか、熱によってエンジンの効率が下がり、最悪エンジンブローの可能性もあ
--実戦では、ソロモン、ギルバート、マーシャル諸島の海兵隊航空隊で主力戦闘機となり、制空戦闘の他に地上攻撃も行った。
海軍にも配備されているが、こちらはF6Fと比べて運動性が悪かった為空戦はF6Fに任せてF4U-1Dは地上攻撃に専念した。
---また、海兵隊でF4U-1Dが配備されたあと、海兵隊所属のF4U-1D飛行隊は一部空母に搭載された。
これは神風対策であり、このころアメリカはもう戦争は終わりが近いとみて、パイロット養成数を減らしていた。
すぐに戦闘機を増やしたくても、乗せるパイロットが足りなかった。そこで急遽海兵隊のF4U航空隊が正規空母に乗ることになったのである。
この時、艦攻や艦爆の数を減らし、その分減った攻撃力をF4Uを戦闘爆撃飛行隊として使用することで補った。
急降下爆撃も行われたが((エアブレーキは無いが、主脚が頑丈だったためエアブレーキ代わりに使用された))、ロケット弾の使用が多くなっていた。そういった事実を反映し、艦これ内でも爆戦という項目に入れられたのかもしれない。
-[[グレゴリー・ボイントン>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3]]((エースパイロットであると同時にVMF-214の創設者。ちなみに1944年1月3日ラバウル上空の
F6Fと戦果を比較するとF4U側が登場は早いが((F6Fが1943年8月、F4Uが1943年2月))、アメリカ海軍の公式では''F4Uは2140機もの日本軍機を撃墜を主張''し((あくまでアメリカ側の主張であり、さらに裏付けが行われておらず戦果誤認も多数含まれている為実際の戦果
--なおWW2当時のアメリカの被撃墜システムは戦闘空域で撃墜されたと認定した機を被撃墜としてカウントし、反対に不時着機や帰着後に大破された機は被撃墜にカウントしない。
-
#fold(対戦した日本側の評価){{
対戦した日本側の評価
-セントバレンタインデーの虐殺で交戦した大原亮治氏は「高速で逃げられたら追いつかないが、ダッシュが悪くて、空戦になると比較的捕捉しやすい」と語り、こちらが初動を間違えなければそれほど怖い相手ではないとF4Uを評価している。
-さらに大原亮治氏以外の日本海軍パイロットも、F4Uは速度は凄まじいが急降下からの引き起こしや運動性が悪いのが明らかで、戦闘においてほとんど直進しかできないので回避は容易、こちらが攻撃する際は背後から組みやすいのでF4UはF6Fと比べて簡単な相手だっ
--これはF4Uの空母実戦配備を遅らせた大径プロペラが原因の一端である。B-29と大差ないプロペラを回すのには、実は2000hpのP&W R-2800は出力不足だったのだ。
そのためスロットルレスポンスが悪く、特に大気の厚い低高度に誘い込まれたら日本機に遊んでくれと言ってるようなものである。
カタログスペックで劣るF6Fの方が対日戦では全般的に評価が高いのはこのあたりが理由である。これと対局の位置にあるのが日本陸軍の[[一式戦『隼』>一式戦 隼II型]]と、その後継である[[四式戦『疾風』>四式戦 疾風]]である。
-谷水竹雄氏はF4Uに背後に付かれた際、降下して海面ギリギリで零戦の機首を引き起こして相手F4Uを海面に激突させるという荒業を時にはしていた((いわゆる「マニューバー・キル」というもので、火器によるものではないが、公式な「撃墜」として記録されている
それ以外にも谷水氏は、F4Uは機体が重いのか、降下から機首引き起こしが間に合わずジャングルや海面に激突するのも目撃している。 ただし、同時に谷水氏はF4Uの防御力の高さを褒めている。
-その一方、ソロモン諸島方面で戦っていた第204航空隊の電文では[[零式艦戦52型]]の項にある通り、"21型の補充を拒否、当時開発中であった52型を強く要望し、さらには少数でいいから[[開発中の局地戦闘機>雷電]]を回してくれれば作戦上有利になる"とF4Uの高高
}}
-さらにF4UはR-2800エンジンの強化によって性能向上を続けていた。1944年9月に製造開始した[[F4U-4]]は水噴射時に2,380馬力を発揮、最高速度728km/hにまで達している。これが大戦に間に合った最後のタイプとなった。
-そしてF4Uの戦闘爆撃機としての能力の高さが、第二次大戦終結後、F6Fやその後継機F8Fと明暗を分けることになった。
ジェットエンジン搭載機の登場により、レシプロ機は制空戦闘機の座から追いやられ、戦闘爆撃機として活用されることになったからだ。
「最強のレシプロ艦戦」とも評されるF8Fであったが、機体設計を徹底的に洗練して純粋な戦闘機としての性能を最優先としたため、爆弾搭載量や航続距離などがF6Fよりも低下したことが、「初期ジェット機時代のレシプロ機」に求められた汎用性に欠けるとして急速
一方、戦闘爆撃機として活用されたF4Uは1950年代まで生産が続けられ、朝鮮戦争でソ連のジェット戦闘機MiG-15を米軍機で初めて撃墜するなどの活躍を見せることになる。
--アメリカ海軍も海兵隊も、WW2以後は金がなくF9Fとスカイレイダーの配備が遅れており((制空戦闘機隊だけなんとかF9Fか大型のF2Hが配備された))、朝鮮戦争での主な任務の地上攻撃にF4Uが主力攻撃機として使われた。
朝鮮戦争中に再生産されたのもFナンバーの戦闘機としてではなくAナンバーの[[AU-1]]と攻撃機としてであった。
しかし1950年の朝鮮戦争開戦時には海軍で20個飛行隊370機((この段階では軽攻撃飛行隊のほぼ全て、奇しくも後述のコルセアIIと同じ任務である))、海兵隊で10個飛行隊223機あったF4Uも、1953年の朝鮮戦争の停戦時((ジェット機にはプロペラ機のようなプロペラの
-史上最後のレシプロ機同士の空中戦で本機の改良型及びライセンス生産型が参加している
--1969年7月17日ホンジュラス空軍のF4U-4及びF4U-5とエルサルバドル空軍のFG-1D(F4U-1Dのグッドイヤー社生産分)及びP-51Dが空戦。ホンジュラス空軍が勝利している
--中でもホンジュラス空軍F4U-5パイロットのフェルナンド・ソト・エンリケス大尉はこの戦闘で3機を撃墜。レシプロ機同士の空戦で最後の撃墜スコアとなっている
--なお、この戦争は俗に「サッカー戦争」と呼ばれるもので元々険悪だった隣国同士がワールドカップの予選でヒートアップしてリアルの戦争に発展した悲劇として知られている
-1966年にA-4の後継機として実戦投入されたA-7艦上攻撃機の愛称が『コルセアII』である。
これは初代コルセアを設計したチャンス・ヴォート社を買収した、リング・テムコ・ヴォート社(LTV)が設計した機体だからであるが……。
--実は初代『コルセア』は複葉機時代の観測機''O2U''とそのエンジン換装機種''O3U''であり、F4Uは2代目、A-7『コルセアII』は3代目である。
--当時の主力攻撃機A-4は小型軽量で操縦も整備もしやすい傑作機だったが、小型機のため行動半径と兵器搭載量が問題となっていた。
LTV社は開発期間とコストを下げるため、F-8クルセイダーの図面をもとに改設計したのがA-7である((機体構造は全くの別物だが、機体組み立てにはF-8の部品も一部使用された))
--こうして出来上がったA-7は、「搭載量が同じならA-4の倍を飛び、飛行距離が同じならA-4の倍は積める」と好評で、ベトナム戦では''戦闘機の護衛任務にも就いた''((当時の米軍は「ミサイル至上主義」であり、戦闘機は「いかに多くのミサイルを積めるか」に特
米海軍ではベトナム戦から湾岸戦争まで戦い抜いた息の長い機体で、1969年には空軍にも採用され((空軍では「海賊」という名前が嫌がられたため、"Short, Little, Ugry, Feller"の頭文字をとって「SLUF」というあだ名が付けられた。直訳すると「チビで醜い木こ
なお2017年現在、中古機がタイ海軍で海賊撃退任務に当たっており、「海賊という名前の機体が海賊を攻撃する」事態となっている。
-
#fold(さらに余談){{
さらに余談
歴史上の海賊(コルセア)が使っていた武器に「カットラス」という片刃剣があるのだが、それにちなんでか、チャンス・ヴォート社が開発したジェット艦上戦闘機に「F7Uカットラス」という機体がある……のだが、これが米海軍機最大の&color(Blue){''ウィドウ・メ
}}
-ヴォート社は買収や営業譲渡で様々な会社を渡り歩き((その中には、かつてのライバルだったノースロップ・グラマンも含まれている。このため、F4Uを始めとするヴォート社製航空機のライセンス管理は、2018年現在ノースロップ・グラマン社が担当している))、20
社名は表に出なくなったものの、様々な航空機のエンジニアリングや製造下請けに関与しており、その中にはあのB-1やF-22も含まれている。「先進的かつ挑戦的」な航空機を作るという[[ヴォートの遺産>http://www.vought.org/]]が今もなお生き続けているのだ。
*この装備についてのコメント [#comment]
#pcomment(./コメント1,reply,30)
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