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艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.254|
|&attachref(装備カード一覧/weapon254.png,nolink);|>|F6F-3N|>|艦上戦闘機|
|~|>|>|>|~装備ステータス|
|~|~火力||~雷装||
|~|~爆装||~対空|+8|
|~|~対潜|+4|~索敵|+2|
|~|~命中|+2|~回避|+3|
|~|~&nobr{[[戦闘行動半径>基地航空隊]]};|5|>|BGCOLOR(#ccc):|
|~|>|>|>|~装備可能艦種|
|~|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):駆逐艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):軽巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):重巡洋艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):戦艦|
|~|軽空母|正規空母|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):水上機母艦|BGCOLOR(#ccc):COLOR(#ddd):航空戦艦|
|~|>|>|>|~備考|
|~|>|>|>|開発不可、改修不可、[[入手方法>#HowtoGet]]|
//|>|>|>|>|~[[改修更新>改修工廠#item]]|
//|>|>|>|>|[[F4F-3]] → [[F4F-4]] → ''F6F-3''|
|>|>|>|>|LEFT:大戦初期の太平洋上で零戦としのぎを削った艦上戦闘機F4Fシリーズの後継機、&br;大出力エンジンを装備した強力な主力艦上戦闘機F6Fシリーズ初期型の夜戦タイプです。&br;主翼下に機上レーダーを装備し、夜間の作戦行動を可能とした夜間戦闘機型
*ゲームにおいて [#about]
-&color(Navy){''【夜間戦闘機】''};のひとつであり、アイコンが&color(Navy){''「夜戦」''};と専用のものになっている。
--装備分類は艦上戦闘機である。
--[[F6F-3]]に比べ火力&color(red){-1};、対潜&color(blue){+4};、索敵&color(blue){+1};、命中&color(blue){+1};、回避&color(blue){+1};。
-[[夜間作戦航空要員]]と一緒に搭載する事により、空母の[[''夜間航空攻撃''>夜戦#NightCombatByAircrafts]]が可能になった。
--[[Saratoga Mk.II]]([[Mod.2>Saratoga Mk.II Mod.2]]は''不可'')など一部の夜間作戦空母は航空要員なしでも可能。
--夜間戦闘機の中では制空値は低いが、夜戦攻撃力は「[[烈風改二戊型(一航戦/熟練)>烈風改二戊型(一航戦/熟練)]]」より高い。
--昼戦では他の艦戦と同様に制空に参加する。
//--通常の艦戦との違いは現状特にないが、運営曰く次回アップデートで真価を発揮するとのこと。
-[[F6F-5N]]の入手任務の解放条件に、本装備の入手任務がある。
**入手方法について [#HowtoGet]
-初期装備艦
--[[Gambier Bay Mk.II]]
-2017年 7月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]] (1位~20位) x1、(21位~100位) x2、(101位~500位) x1
-2017年 9月12日 任務『[[夜戦型艦上戦闘機の開発>任務#id-F61]]』確定報酬
--任務達成には「[[F6F-3]]の練度maxかつ&color(Teal){★max};」が必要。
**性能比較表([[装備最大値/艦戦上位早見表/テーブル]]より転送) [#SpecTable]
#fold(長いので折りたたんでいます){{
#table_edit(装備最大値/艦戦上位早見表/テーブル)
}}
**アップデート履歴 [#update]
-2017/08/29:7月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]]として実装。
--同時実装に、一群以上に配布された上位互換の[[F6F-5N]]がある。
-2017/09/12:任務報酬として本実装。
*小ネタ [#trivia]
-[[F6F-3]]の夜間戦闘機型の1つ、F6F-3Nが元ネタか。
--F6F-3の右主翼端にAN/APS-6レーダーを搭載し夜間戦闘を行えるようにしたタイプ。
229機が改修され、またAN/APS-4レーダーを搭載したF6F-5E夜間戦闘機が本機の前に18機つくられている。
--AN/APS-4はスペリー社、[[AN/APS-6>https://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ref/NightFighterRadars/APS-6PilotsManual.pdf]]はウェスティングハウス社が開発した機上レーダーで、Xバンド((当時は5~15GHz帯を指す。))を使用する。
それぞれ最大出力40kW((ちなみに13号電探が10kW、11号電探の後期型が40kW。さらに日本陸海軍ではFD-2やタキ2号など実用レベルの夜間戦闘にも使える機上用対空レーダーが開発できず、二式大艇などに搭載された哨戒用レーダーの三式空六号無線電信機も最大70km
--レーダーの他にも、電波高度計、IFF、後方警戒レーダーと至れり尽くせりの装備がされていた。ただ日本側夜戦との空中戦に備えた後方警戒レーダーは取り越し苦労とわかり、必要ない後方警戒レーダーは取り外されたものと思われる。
--その他に、キャノピーに計器の灯りが反射して見えなくなることへの対策として赤色灯に変更し、曲面の多いキャノピー前面の枠を減らして、前面の平面ガラスの大型化を行った。これは好評で後に昼間型にも導入された。
--これらの改修により機体重量と空気抵抗の増加により、速度は580kmまで低下し上昇力も落ちた。
-昭和18年以降、防衛側に回った日本陸海軍航空隊は昼間攻撃を行う傍ら、敵の迎撃が鈍くなる夜間に飛行場や水上艦艇へ雷撃や水平/急降下爆撃を行うことが増え、一定の被害を与えてアメリカ軍を悩ませつつあった。
--これに対応すべくアメリカ海軍は、当時の主力艦上戦闘機であったF4UとF6F-3に夜間戦闘用のレーダーポッドを搭載して夜間戦闘機として改修することとなった。AN/APS-4を搭載したタイプをF4U-2、F6F-3Eとして、AN/APS-6を搭載したタイプはF6F-3Nとして採用し
-F6F-3Nの高性能に喜んだ海軍はF6Fの半分を夜戦型にしようと考えたくらいである。だがレーダーの生産が追いつかないこと、夜間パイロットの条件がファイタースクールの成績優秀者か実戦経験者の中から選抜され、さらに29週間の訓練が必要とされたため断念した
-F6Fによる初の夜間戦闘は1943年11月ギルバート諸島沖海戦。バットパトロールと呼ばれたレーダー搭載TBFとの連携作戦であり、この時使われたのは普通の昼間型F6F-3であった。
--11月26日、野中五郎少佐率いる七五二空・一式陸攻15機の迎撃に向かった、最初の夜間迎撃隊を率いたオヘア少佐が未帰還となる。原因は味方のTBFの誤射ではないかと推定される。
-それから2ヶ月後の1944年1月より、F6F-3Nを装備したVF(N)-76がバンカーヒルとヨークタウンにそれぞれ4機ずつ配属された。また海軍初の夜間戦闘隊のVF(N)-101のF4U-2もまたエンタープライズとイントレピッドに同じように4機ずつ配属された。このように、当初
--たとえば1944年1月29日から始まったクエゼリン環礁攻撃では、夜間戦闘隊は待機したままであった。この時空母からは夜明けから日没まで15時間以上に渡り発着艦が繰り返され、LSOを含む甲板での作業員が疲れ切ってしまっていた。そこから更に無理してたかだか
--待機を続けるうちに技量が低下し、低下した技量では空母の作戦関係者も彼らを信頼できず、出撃を見送るという悪循環であった。
-それでも2月17日のトラック島空襲の際、日本側の反撃を予期し夜戦を上空哨戒に上げたが、闇に紛れてやってきた九七艦攻を捕捉できず、イントレピッドが雷撃され艦尾を損傷した。翌18日にTBF-1Cによる艦載機による初の夜間攻撃が大成功したことから、ふがいな
--本機による初の撃墜は2月22日であり、零戦5機、一式陸攻1機が記録されている。ただこの時は夜が明けてからであり、夜戦能力とは関係なかった。
--初の夜間撃墜はVF(N)-77のジョージ・タールトン少尉が6月20日グアム島上空で九九艦爆を撃墜したものである。
--7月4日、海軍夜間航空隊で一夜の戦果としては最多の撃墜が記録される。
---ホーネットを発艦したVF(N)-76det.BのFred L. Dungan中尉とJohn W. Dear中尉は空襲本隊から先行し父島を偵察((夜間戦闘機はレーダーを装備していたので偵察任務に投入されることも多かった))した際、佐世保海軍航空隊父島派遣隊の二式水戦9機と戦闘、二人
--このように夜間戦闘隊は戦果を上げていたが、艦隊の首脳にとっては戦闘機隊全体の戦果の中ではほんの僅かにすぎず、手間のほうが大きいと考えていた。戦闘機隊は昼間だけでいい、夜間攻撃は対空砲火と操艦で対処できるという判断であった。
--それを変えたのはVF(N)-79のターナー・コールドウェル中佐であった。彼は今までの少数の夜間飛行隊を各空母に派遣する方式ではなく、空母1隻すべて夜間航空隊にするよう進言、それがいれられ真珠湾に戻っていたインディペンデスが初の夜間空母とった。VF(N)
--TF38には、計41機のF6F-3Nが各空母に分散配置されていたが、夜間撃墜はまれにしかなかった。一方CVLG(N)-41の1944年9月から1945年1月までの作戦行動で、撃墜46不確実3、そのうち夜間撃墜27と、夜間空母というアイディアが正しいことを証明したのであった。
-夜戦機としてのF6F-3Nは機体が単座であり、夜間戦闘機隊はしばしば昼間でも防空任務を行ったあと((夜間専門部隊という扱いではなく、あくまで夜間戦闘"も"できる部隊という扱いで、場合によっては昼間防空に駆り出されることもあった。搭乗員たちにも、時間
*この装備についてのコメント [#comment]
#pcomment(./コメント1,reply,15)
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|~|~火力||~雷装||
|~|~爆装||~対空|+8|
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|~|>|>|>|~備考|
|~|>|>|>|開発不可、改修不可、[[入手方法>#HowtoGet]]|
//|>|>|>|>|~[[改修更新>改修工廠#item]]|
//|>|>|>|>|[[F4F-3]] → [[F4F-4]] → ''F6F-3''|
|>|>|>|>|LEFT:大戦初期の太平洋上で零戦としのぎを削った艦上戦闘機F4Fシリーズの後継機、&br;大出力エンジンを装備した強力な主力艦上戦闘機F6Fシリーズ初期型の夜戦タイプです。&br;主翼下に機上レーダーを装備し、夜間の作戦行動を可能とした夜間戦闘機型
*ゲームにおいて [#about]
-&color(Navy){''【夜間戦闘機】''};のひとつであり、アイコンが&color(Navy){''「夜戦」''};と専用のものになっている。
--装備分類は艦上戦闘機である。
--[[F6F-3]]に比べ火力&color(red){-1};、対潜&color(blue){+4};、索敵&color(blue){+1};、命中&color(blue){+1};、回避&color(blue){+1};。
-[[夜間作戦航空要員]]と一緒に搭載する事により、空母の[[''夜間航空攻撃''>夜戦#NightCombatByAircrafts]]が可能になった。
--[[Saratoga Mk.II]]([[Mod.2>Saratoga Mk.II Mod.2]]は''不可'')など一部の夜間作戦空母は航空要員なしでも可能。
--夜間戦闘機の中では制空値は低いが、夜戦攻撃力は「[[烈風改二戊型(一航戦/熟練)>烈風改二戊型(一航戦/熟練)]]」より高い。
--昼戦では他の艦戦と同様に制空に参加する。
//--通常の艦戦との違いは現状特にないが、運営曰く次回アップデートで真価を発揮するとのこと。
-[[F6F-5N]]の入手任務の解放条件に、本装備の入手任務がある。
**入手方法について [#HowtoGet]
-初期装備艦
--[[Gambier Bay Mk.II]]
-2017年 7月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]] (1位~20位) x1、(21位~100位) x2、(101位~500位) x1
-2017年 9月12日 任務『[[夜戦型艦上戦闘機の開発>任務#id-F61]]』確定報酬
--任務達成には「[[F6F-3]]の練度maxかつ&color(Teal){★max};」が必要。
**性能比較表([[装備最大値/艦戦上位早見表/テーブル]]より転送) [#SpecTable]
#fold(長いので折りたたんでいます){{
#table_edit(装備最大値/艦戦上位早見表/テーブル)
}}
**アップデート履歴 [#update]
-2017/08/29:7月[[作戦報酬>情報倉庫#PastRewards]]として実装。
--同時実装に、一群以上に配布された上位互換の[[F6F-5N]]がある。
-2017/09/12:任務報酬として本実装。
*小ネタ [#trivia]
-[[F6F-3]]の夜間戦闘機型の1つ、F6F-3Nが元ネタか。
--F6F-3の右主翼端にAN/APS-6レーダーを搭載し夜間戦闘を行えるようにしたタイプ。
229機が改修され、またAN/APS-4レーダーを搭載したF6F-5E夜間戦闘機が本機の前に18機つくられている。
--AN/APS-4はスペリー社、[[AN/APS-6>https://www.ibiblio.org/hyperwar/USN/ref/NightFighterRadars/APS-6PilotsManual.pdf]]はウェスティングハウス社が開発した機上レーダーで、Xバンド((当時は5~15GHz帯を指す。))を使用する。
それぞれ最大出力40kW((ちなみに13号電探が10kW、11号電探の後期型が40kW。さらに日本陸海軍ではFD-2やタキ2号など実用レベルの夜間戦闘にも使える機上用対空レーダーが開発できず、二式大艇などに搭載された哨戒用レーダーの三式空六号無線電信機も最大70km
--レーダーの他にも、電波高度計、IFF、後方警戒レーダーと至れり尽くせりの装備がされていた。ただ日本側夜戦との空中戦に備えた後方警戒レーダーは取り越し苦労とわかり、必要ない後方警戒レーダーは取り外されたものと思われる。
--その他に、キャノピーに計器の灯りが反射して見えなくなることへの対策として赤色灯に変更し、曲面の多いキャノピー前面の枠を減らして、前面の平面ガラスの大型化を行った。これは好評で後に昼間型にも導入された。
--これらの改修により機体重量と空気抵抗の増加により、速度は580kmまで低下し上昇力も落ちた。
-昭和18年以降、防衛側に回った日本陸海軍航空隊は昼間攻撃を行う傍ら、敵の迎撃が鈍くなる夜間に飛行場や水上艦艇へ雷撃や水平/急降下爆撃を行うことが増え、一定の被害を与えてアメリカ軍を悩ませつつあった。
--これに対応すべくアメリカ海軍は、当時の主力艦上戦闘機であったF4UとF6F-3に夜間戦闘用のレーダーポッドを搭載して夜間戦闘機として改修することとなった。AN/APS-4を搭載したタイプをF4U-2、F6F-3Eとして、AN/APS-6を搭載したタイプはF6F-3Nとして採用し
-F6F-3Nの高性能に喜んだ海軍はF6Fの半分を夜戦型にしようと考えたくらいである。だがレーダーの生産が追いつかないこと、夜間パイロットの条件がファイタースクールの成績優秀者か実戦経験者の中から選抜され、さらに29週間の訓練が必要とされたため断念した
-F6Fによる初の夜間戦闘は1943年11月ギルバート諸島沖海戦。バットパトロールと呼ばれたレーダー搭載TBFとの連携作戦であり、この時使われたのは普通の昼間型F6F-3であった。
--11月26日、野中五郎少佐率いる七五二空・一式陸攻15機の迎撃に向かった、最初の夜間迎撃隊を率いたオヘア少佐が未帰還となる。原因は味方のTBFの誤射ではないかと推定される。
-それから2ヶ月後の1944年1月より、F6F-3Nを装備したVF(N)-76がバンカーヒルとヨークタウンにそれぞれ4機ずつ配属された。また海軍初の夜間戦闘隊のVF(N)-101のF4U-2もまたエンタープライズとイントレピッドに同じように4機ずつ配属された。このように、当初
--たとえば1944年1月29日から始まったクエゼリン環礁攻撃では、夜間戦闘隊は待機したままであった。この時空母からは夜明けから日没まで15時間以上に渡り発着艦が繰り返され、LSOを含む甲板での作業員が疲れ切ってしまっていた。そこから更に無理してたかだか
--待機を続けるうちに技量が低下し、低下した技量では空母の作戦関係者も彼らを信頼できず、出撃を見送るという悪循環であった。
-それでも2月17日のトラック島空襲の際、日本側の反撃を予期し夜戦を上空哨戒に上げたが、闇に紛れてやってきた九七艦攻を捕捉できず、イントレピッドが雷撃され艦尾を損傷した。翌18日にTBF-1Cによる艦載機による初の夜間攻撃が大成功したことから、ふがいな
--本機による初の撃墜は2月22日であり、零戦5機、一式陸攻1機が記録されている。ただこの時は夜が明けてからであり、夜戦能力とは関係なかった。
--初の夜間撃墜はVF(N)-77のジョージ・タールトン少尉が6月20日グアム島上空で九九艦爆を撃墜したものである。
--7月4日、海軍夜間航空隊で一夜の戦果としては最多の撃墜が記録される。
---ホーネットを発艦したVF(N)-76det.BのFred L. Dungan中尉とJohn W. Dear中尉は空襲本隊から先行し父島を偵察((夜間戦闘機はレーダーを装備していたので偵察任務に投入されることも多かった))した際、佐世保海軍航空隊父島派遣隊の二式水戦9機と戦闘、二人
--このように夜間戦闘隊は戦果を上げていたが、艦隊の首脳にとっては戦闘機隊全体の戦果の中ではほんの僅かにすぎず、手間のほうが大きいと考えていた。戦闘機隊は昼間だけでいい、夜間攻撃は対空砲火と操艦で対処できるという判断であった。
--それを変えたのはVF(N)-79のターナー・コールドウェル中佐であった。彼は今までの少数の夜間飛行隊を各空母に派遣する方式ではなく、空母1隻すべて夜間航空隊にするよう進言、それがいれられ真珠湾に戻っていたインディペンデスが初の夜間空母とった。VF(N)
--TF38には、計41機のF6F-3Nが各空母に分散配置されていたが、夜間撃墜はまれにしかなかった。一方CVLG(N)-41の1944年9月から1945年1月までの作戦行動で、撃墜46不確実3、そのうち夜間撃墜27と、夜間空母というアイディアが正しいことを証明したのであった。
-夜戦機としてのF6F-3Nは機体が単座であり、夜間戦闘機隊はしばしば昼間でも防空任務を行ったあと((夜間専門部隊という扱いではなく、あくまで夜間戦闘"も"できる部隊という扱いで、場合によっては昼間防空に駆り出されることもあった。搭乗員たちにも、時間
*この装備についてのコメント [#comment]
#pcomment(./コメント1,reply,15)
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