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艦隊これくしょん -艦これ- 攻略 Wiki*
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.349|
|&attachref(./349_2nd.jpg,nolink,"Hi! Essex class航空母艦、5番艦。Intrepidよ!");|>|Intrepid&nobr{(イントレピッド)};|>|Essex級 5番艦 &nobr{正規空母};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|65|~火力|0 / 55|
|~|~装甲|43 / 80|~雷装|0|
|~|~回避|40 / 64|~対空|50 / 90|
|~|~搭載|96|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|50 / 80|
|~|~射程|中|~運|45 / 90|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|75|~弾薬|80|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|37|>|>|[[F6F-3]]|
|~|36|>|>|未装備|
|~|19|>|>|未装備|
|~|4|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Intrepid'' → [[Intrepid改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:&ruby(エセックス){Essex};級航空母艦、5番艦、&ruby(イントレピッド){Intrepid};よ! そう、艦隊型正規空母として量産されたあの戦い最強の空母姉妹の一隻です。&br;あの大戦が終わった後も、近代化改装され、アングルド・デッキを備えた現代
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:久保田ひかり、イラストレーター:しばふ(クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:久保田ひかり、イラストレーター:しばふ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Intrepid/定型ボイス]])
#table_edit(Intrepid/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Intrepid/時報ボイス]])
#table_edit(Intrepid/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Intrepid/季節ボイス]])
#table_edit(Intrepid/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#game]
-2018年冬イベント『[[捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)]]』後段作戦にて実装。
--最終海域である [[E-7>捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)/拡張作戦#area7]] のクリア報酬として入手できた。
-未改造の時点で[[加賀改]]に次ぐ96機の搭載数を持つ。初期装備((F6F-3は下位機からの改修更新または選択報酬であり、改装後初期装備のコルセアは選択報酬のみだった。))も地味にありがたい。
--96機の内訳は、史実でクェゼリン攻略作戦時に編成されていた艦載機構成に準拠している。
--性能だけなら良かったのだが、燃費も加賀改や[[赤城改]]とほぼ同じ。微差ではあるが、長期的にみるとやや重めに分類される。&br;改造するともっと悪化する。
---耐久が低めである以外は、未改造状態で既に一線級の性能を持っている。&br;いっそのこと、ある程度育ちきるまでは改造せずに運用するのもアリだろう。
-装甲の高さと裏腹に耐久が比較的低いのは、優れたダメコン能力の一方、防御構造そのものは比較的平凡なことの反映か?
-この搭載数ながら、射程中。運用は[[Graf Zeppelin]]や[[Saratoga]]に近いのでそのあたりは当該参考。
--上記2隻とは異なり夜間攻撃能力は持っていない。
-2021年秋イベント『[[海上護衛!本土近海航路の防衛>帰ってきた鎮守府秋刀魚祭り]]』[[E-3>帰ってきた鎮守府秋刀魚祭り]] にて複数所持ドロップが解禁となった。
**キャラクター設定について [#character]
-しばふ艦としては初の海外艦で、発艦の際に弓矢を用いた一航戦・二航戦とは一線を画す。
-右手に携えた銃は、アメリカ軍で使われていたボルトアクションライフル、スプリングフィールドM1903がモデル。&br;二次大戦時にはセミオートライフルの傑作であるM1ガーラントに主力小銃の座を譲っていたが、絶対数の不足からM1903の生産も続けられていた。
またボルトアクションゆえの命中精度の良さを生かして、スコープを装着し狙撃銃としても運用されている。&br;左手に持っているのはクリップ((装弾子。銃に弾薬をまとめて装填するための道具。))で5発まとめられた銃弾2つ。&br;ライフル側面に空母のエレベータ
-肩から首元を覆っているのはカポックと呼ばれる救命胴衣(の首の部分)。
大戦時の米海軍で広く使われていたもので、通常は胴の部分に縫い付けられている。
参考 http://thecanvasshack.com/wwii-kapok-life-vests.html
--カポックだけでなく米海軍のベルト、足元のレギンスとこれまでに比べて軍装色の強い服装をしている。
*小ネタ [#neta]
-元ネタはエセックス級航空母艦3番艦の同名鑑、第4代イントレピッド(CV-11)。エセックス級としての就役は5番目。
-Interpidとは「in(否定)+trepidus(心配・恐れる)」で「大胆不敵」「恐れ知らず(何も恐れない)」という意味。Dreadnought(恐れるもの無し)」と同じノリの命名。
-[[Iowa]]と同じく艦体が現存しており、現在はニューヨーク市マンハッタンの86番桟橋で「''イントレピッド海上航空宇宙博物館''」として展示されている。
-対日戦で挙げた数々の武勲から、「Evil I」、「Fighting I」等に加えて、度々特攻機の直撃を受けたことから「Dry I(ドライドックのI(ntrepid))」「Decrepit(ガタガタのズタボロ)」といった異名を持つ。&color(Silver){艦隊にいるほうが珍しい空母って……
-%%日本のネット界隈では[[スカイママ>俗称・スラング集/さ#sky_mama]]として知られる%%
-イギリス海軍のI級駆逐艦に全く同名の「イントレピッド(Intrepid)」という艦がいるが、特に関係はない。
--イギリスもアメリカも同じ英語圏のため、このような艦名かぶりはしばしば見られる((イントレピッドという艦名はイギリス海軍でも代々使われており、I級のイントレピッドは7代目にあたる))。
-1969年11月19日、月面の嵐の海に着陸したアポロ12号の着陸船にもその名が冠されるが、四代目の本艦が末期とは言えまだ現役なので厳密には「継承」とは言い難い。
**エセックス級空母について(戦前・戦中編) [#EssexClass]
#fold(エセックス級空母について(戦前・戦中編)){{{
エセックス級空母について(戦前・戦中編)
***概要 [#ce3872c6]
-太平洋戦争アメリカ勝利の立役者とも言われる、''米帝プレイ''の象徴たる存在。1番艦エセックスが42年12月31日に就役して以降、ほぼ2ヶ月に1隻のペースで完成して空母機動部隊を再建し、44年以降の反攻作戦を主導した。終戦までに17隻が就役し、戦後完成まで
&color(Silver){クリーブランド級軽巡洋艦、フレッチャー級駆逐艦とともに、アメリカ兵器の「必要なのはわかるが、そこまで沢山作る理由がわからない」を体現する艦でもある。};
--1939年度の第二次ヴィンソン案で1番艦が予算承認され、以降第三次ヴィンソン案で3隻、スターク案で一挙18隻もの多数が追加された。アメリカは真珠湾攻撃で空母に目覚めたと言われることも多いが、現実には戦前の計画ですでに20隻以上の量産に動いていた。
ただしこれはアメリカ海軍全体の増強計画であり、空母を特別重視したものではない。
エセックス級の建造数が凄まじく、太平洋では主力として活躍したので誤解されがちだが、当時の海軍戦術の基本は「味方が制空権を確保したのち戦艦部隊が決戦を行う」というものだった。その中で特にアメリカ海軍は日本本土への侵攻と言う戦略の都合上「移動す
また、仮にこの計画通りにすべての艦艇を建造した場合、旧式艦も含めると戦艦と空母だけで60隻越えの大艦隊(まさに米帝)になるが、その比率はほぼ1:1である。
--この後も太平洋戦争開戦に伴って直ちに2隻が戦時計画として追加、大型空母ミッドウェー級と並行しつつ最終的に合計32隻ものエセックス級が予算承認された。
--圧倒的な数に隠れて目立たないが、建造期間の短さもアメリカの工業力の象徴として知られる。3万トン近い大型空母を概ね2年以内で完成、タイコンデロガに至っては起工からわずか15ヶ月で就役している。日本は[[雲龍]]で丸二年、[[天城]]や[[葛城]]でも22ヶ月
---読者もよくご存知のように空母というのは「艦載機がなければタダの輸送船もどき」、艦載機も「パイロットがなければ無用の長物」なわけだが、こちらもアメリカは五大湖にて周遊用の外輪式客船2隻を訓練空母に改造し、実に18,000名という、母艦航空隊パイロ
つまるところ、量産においても人員育成についても標準的なマニュアルやシステムが確立しており、これが敵を「数で圧倒する」原動力の一つになったといえる。
***計画の経緯 [#ce3872c6]
-1934年、第二次ロンドン軍縮会議の予備交渉が不調に終わり、日本はワシントン条約の破棄を通告、1936年にはロンドン軍縮本会議も脱退した。それにより1938年、英米仏の三か国のみで締結された第二次ロンドン条約のエスカレータ条項が発動し、アメリカは新た
-それを受けてアメリカは2万t級空母2隻の建造を計画するが、新型空母の設計が間に合わなかったため、差し当たり1隻をヨークタウン級の準同型艦として1938年度計画で発注(CV-8「[[ホーネット>Hornet]]」)、もう1隻は新規設計として、1939年度計画に後ろ倒しす
-2万t強の排水量制限内に多くの要求が盛り込まれたため設計は難航、一時はヨークタウン級4番艦となる可能性もあったが、第二次大戦の勃発で条約の縛りが無くなったことにより一挙に2万7000tにまで拡大して設計を完了、1941年4月にネームシップ「エセックス」
***設計について [#jc742e34]
-基本的な設計はヨークタウン級の拡大改良型である。ヨークタウン級が4個航空隊96機の運用を想定していたところを5個航空隊120機に拡大し、それに伴う所定のサイズアップを図ったものと考えて良い。
--あくまでもヨークタウン級の拡大であり格納庫も同級の4割増しの面積を持つが、1層のみのため実は床面積では日本の[[大鳳]]よりも少ない。※格納庫の大きさについては下記一覧表を参照
それでこれだけの搭載機数を確保できているのは、搭載している艦載機が主翼を根元から折れる構造を持つことでコンパクトに収容できることと、カタパルトを実用化できたことで飛行甲板での発艦に必要なスペースを省略でき、その分飛行甲板に露天係留できる機数
|~艦級名|~格納庫の広さ(長さ×幅×高さ)|~搭載定数|h
|エセックス級|199.4m×21.3m×5.35m&br;総面積4250㎡|55~60機※ほかに露天駐機で最大36機|
|ヨークタウン級|166.4m × 19.2m × 5.3m&br;総面積3,194㎡|98機((1994年末の空母エンタープライズの搭載数。但しこの時は対特攻対策のため爆撃機や攻撃機よりも小型の戦闘機の搭載数を増やした状態での搭載数であることを留意する必要がある))※露天駐機も含む
|イラストリアス級|139.6m×18.7m×4.9m|33機※他に露天駐機で最大18機収容可能|
|アーク・ロイヤル級|173.1m×18.3m×4.9m(上段)&br;137.8m×18.3m×4.9m(下段)|60機※露天駐機は基本無し|
|大鳳型|152.0m×22.5m×5.0m(上段)&br;152.5m×22.5m×5.0m(下段)&br;総面積5988.1㎡|48機※他に露天駐機で最大13機収容予定((但しこの数値は計画値で、機体が大型化した[[烈風>試製烈風 後期型]]、[[流星]]を基にした数値。[[零戦>零式艦戦52型]]や[[彗星]]、[[
|翔鶴型|190.0m × 20.0m × 4.8m(上段)&br;160.0m × 20.0m × 4.8m(下段)&br;総面積6712.6㎡|72機((補用機数は含まず。補用機とは本来修理時の交換部品として分解して収容していたり、損失機が出た場合にすぐ補充できるよう予算確保している書類上の機で、戦力
-大戦中の実際は、概ね90機~100機くらいでの搭載例が多い。同時期のエンタープライズが夜戦空母化して60機程度で運用されていることから見ても、エセックス級の余裕ある運用能力が見て取れる。
--搭載機はヘルキャット・ヘルダイバー・アベンジャーをバランス良く配備していたが、カミカゼ特攻が開始されると対応のために戦闘機の数を大幅に増やした。この頃にはクセの強いコルセアの運用が安定してきたこともあり、機材の置き換えも進んでいる。
---小柄な戦闘機が増え、大型の艦爆・艦攻が減ったことから、100機を超える搭載例も見られるようになった。
---一例として、本艦の推移を追うと。
1944.01 96機(F6F-3×37, F4U-2×4, SBD-5×36, TBF-1×7,-1C×7,TBM-1C×5)…クェゼリン攻略作戦時
1944.08 88機(F6F-3/-5×35, -5P×3, -3N×4, SB2C-3×28, TBM-1C×18)…ウルシー占領作戦時
1944.10 89機(F6F-3N×5, -5×35, -5P×3, SB2C-3/-3E×28, TBM-1C/-3×18)…台湾沖航空戦時
1945.03 101機(F4U-1D×65,FG-1×1,F6F-5N×4,-5P×1, SB2C-4E×15, TBM-3/-3E×15)…本土空襲時
等の作戦記録が残されている。
---搭載機の三分の二近くを戦闘機とした例では、152機という途方も無い数字が記録に残されている。
-25%の戦力増を図るため、船体はヨークタウンの2万トンから2万7000トンへ大きく拡大し、我が[[翔鶴]]型や[[大鳳]]とほぼ同規模の大型空母となった。この船体を前級と同じく33ノットで走らせるため、機関出力も12万馬力→15万馬力へ向上させている。
--エセックス級は戦訓により艦首に対空砲座を設けるため、設計の間に合った艦は船体をやや延長した。このため「短船体型」と「長船体型」の2タイプが存在するが、艦首の40mmボフォース銃座以外に大きな差異はない。
-外観上の特徴は、すっきりした四角形で広大な飛行甲板と、大型の艦橋構造物が挙げられる。上構には前後に背負い式で12.7cmMk.38連装両用砲を2基ずつ装備していたこともあって、シルエット上かなり大きなアイランドとなっている。
--これと併せて飛行甲板左舷側前後に2基ずつ単装両用砲を配置しており、計12門の両用砲を装備した。舷側には40mmボフォースと20mmエリコンの両機銃を所狭しと配置し、まさにハリネズミの対空砲火を形成した。
--ワスプで試されたサイドエレベータはより本格的な、現代空母と同型式のものに改善され、左舷側に1基が設けられた。飛行甲板前後の通常型エレベータと併せて、計3基で艦載機を昇降させる。
--油圧カタパルト2基が艦首に設けられ、発艦のための滑走が不要なことから駐機面積が増え、甲板上にズラリと多数を並べた写真が何枚も残されている。格納庫内にも緊急発進用の側方射出カタパルトが設けられていたが、実用的でないとされ後に撤去された。
-エセックス級は強靱な防御力を有するように思われるが、ほぼヨークタウン級のそれを踏襲・改善した程度であり、優秀なダメージコントロール能力に助けられた一面も大きい。要するにあくまでも大型空母「相応」ということで、甲板装甲のような際だった特徴は
--具体的には第1甲板に厚さ2.5インチのSTS特殊鋼製装甲版が張られ、水線下には四重の防御縦壁を仕込んで魚雷の爆発力を吸収、船底も三重構造というものだった。
正規空母としては標準的な対15.5cm防御であるが、あくまで船体部分の話。飛行甲板は非装甲のため、その下の格納庫共々吹っ飛ばされた艦はいくつかある。
--一方で水線下には弱点を抱えていた。大戦中の対空火器増強などに伴う重量増は復元性を悪化させており、「魚雷2本が片舷に命中したら転覆する恐れがある」と艦政本部から警告が回ってきたことが知られている。
---原案では両用砲の数こそ変わらないものの、機銃兵装はボフォース40mm機銃4連装6基と20mm機銃少数程度であった。最終的に18基もの40mmと60挺もの20mmを飛行甲板レベルに近い高さにズラリと並べたことで、トップヘビーが進行してしまったのである。また充実
---とはいえ本級が本格的に参戦した大戦末期の日本陸海軍の航空部隊に、アメリカ艦隊の防空網を突破する力は残っていなかったため、恐れていたような事態は起きずに済んだ。
---対空火器の大幅増によるトップヘビー化や、操作要員の増員による居住性の低下は各国共通の悩みであったが、アメリカではこの問題は特に深刻視されており、アトランタ級軽巡洋艦がジュノー級に、ボルチモア級重巡洋艦がオレゴンシティ級に、クリーブランド
---空母の例では次に建造された大型空母ミッドウェー級で、装甲飛行甲板によるトップヘビーもあり対空兵装配置は船体甲板高さの位置で低く抑えて両舷側にズラリと並べ、両舷指向による対空火力効率化を諦めるに至っている。
-意外な機能として、後進全力で最大19ノットというかなりの高速を発揮することができる。これは、艦首を損傷して速力が低下した時でも、艦尾のカタパルトを使って搭載機を発艦させられるだけの合成風力が得られるようにとの対策だったという。
--もっとも普段からそうそう使われるような能力ではなく、公試以外で艦尾からの発艦が行われたのは、沖縄戦中でホーネット(CV-12)が台風のため艦首の飛行甲板を損壊した際と、映画((トラ・トラ・トラ!とパールハーバーの都合2作))の撮影でレキシントン(CV-16
***3番艦?5番艦? [#b00f698a]
-本艦・CV-11「イントレピッド」は艦番号(ハル・ナンバー)ではエセックス級の3隻目だが、就役順では5隻目となっている。
-大戦期の米艦艇全てに言える事だが、ハル・ナンバーと就役順はまったく一致していない。これは、造船所への発注時、割り当てた枠にまとめて艦番号を振り、造船所はそのリストを頭から消化していくという手順だったからである。
-エセックス級の割り当ては以下の通り。
--CV-9~15,21,32,46…ニューポート・ニューズ造船所
--CV-16~19,47,50…ベスレヘム・スチール-フォアリバー造船所
--CV-20,31,33~35,51,52…ニューヨーク海軍工廠
--CV-36~37,45,53…フィラデルフィア海軍工廠
--CV-38~40,54,55…ノーフォーク海軍工廠
---CV-22~30はインディペンデンス級航空母艦のハル・ナンバーで配分された。
---CV-41~44,56,57はミッドウェイ級航空母艦のハル・ナンバーで配分された。
---CV-48~49はサイパン級航空母艦、のハル・ナンバーで配分された。
---CV-58は不運な名前のユナイテッド・ステーツ。
---CV-59~62は超大型航空母艦、フォレスタル級のハル・ナンバーで配分された。
-そしてハル・ナンバーを就役順に並べると以下の通り。
9→(43年)16→10→17→11→18→12→(44年)13→19→14→20→38→15→31→(45年)36→21→39→(終戦)37→40→(46年)33→32→47→45→(50年)34
一見バラバラだが、造船所ごとに見ると綺麗に番号順になっているのがお分かりだろう。ニューポート・ニューズ第一期発注分の最終艦・CV-''15''「ランドルフ」はベスレヘム・スチール発注分の一号艦・CV-''16''「レキシントン」より1年8か月遅れで完成し、ノー
-このように、大戦期の米艦艇はハル・ナンバーと就役時期の逆転現象が日常茶飯事である点、ご注意されたい。&color(Silver){この子は何番艦?と考え始めると、結構ややこしい事になります。};
#fold(エセックス級航空母艦の各艦名とハルナンバーの一覧){{
エセックス級航空母艦の各艦名とハルナンバーの一覧
|CENTER:80|150|150|CENTER:80|150|150|c
|~ハルナンバー|艦名|就役年月日|~ハルナンバー|艦名|就役年月日|
|~CV-9|エセックス|1942.12/31|~CV-10|ヨークタウンⅡ|1943.4/15|
|~CV-11|イントレピッド|1943.8/16|~CV-12|ホーネットⅡ|1943.11/29|
|~CV-13|フランクリン|1944.1/31|~CV-14|タイコンデロガ|1944.5/8|
|~CV-15|ランドルフ|1944.10/9|~CV-16|レキシントンⅡ|1943.2/17|
|~CV-17|バンカー・ヒル|1943.5/24|~CV-18|ワスプⅡ|1943.11/24|
|~CV-19|ハンコック|1944.4/15|~CV-20|ベニントン|1944.8/6|
|~CV-21|ボクサー|1945.4/16|~CV-31|ボノム・リチャード|1944.11/26|
|~CV-32|レイテ|1946.4/11|~CV-33|キアサージ|1946.3/2|
|~CV-34|オリスカニー|1950.9/25|~CV-35|レプライザル|建造中止|
|~CV-36|アンティータム|1945.1/28|~CV-37|プリンストンⅡ|1945.11/18|
|~CV-38|シャングリラ|1944.9/15|~CV-39|レイク・シャンプレイン|1945.6/3|
|~CV-40|タラワ|1945.12/8|~CV-45|ヴァ―リ・フォージ|1946.11/3|
|~CV-46|イオー・ジマ|建造中止|~CV-47|フィリピン・シー|1946.5/11|
※この他にCV-50から55までの5隻の建造計画があったが艦名が決まる前に計画中止となる
※CV-22から30がないのはインディペンデンス級軽空母の9隻に割り振られた為((但し後にCVからCVLに変更されている。))。同様にCV-41から44はミッドウェイ級航空母艦の4隻((実際に就役したのは3隻でCV-44は建造中止となる。))に割り振られた。
※就役前、第二次世界大戦中に戦没した艦名を襲名したものに関しては便宜上(Ⅱ)をつけて表示
[[海外のサイト>https://www.ibiblio.org/hyperwar/OnlineLibrary/photos/shusn-no/cv-no.htm]]でも一覧している。
}}
***意外に少ないんです? [#i39387bf]
-計24隻という数からアメリカの物量の象徴のように言われる本級だが、戦争中期から一番艦が就役しだした事もあり、第二次大戦の実戦に間に合ったのは14隻しかいない。同級が主力となった主な戦闘を見ても、参加隻数はそこまで多いわけではない。
-以下、それぞれの戦闘の参加艦をハルナンバーで示す。
--マリアナ沖海戦…9,10,12,16,17,18
--レイテ沖海戦…9,11,13,16,17
--グラディチュード作戦((フィリピン・ルソン本島への侵攻の支援作戦として1945年1月10日から25日にかけて米機動部隊の大部を投入して南シナ海で実施された大空襲作戦。周辺の日本軍基地の撃破は無論のこと、通商船団も攻撃にさらされ多くの船団が壊滅した。)
--沖縄戦(坊ノ岬沖海戦)…9,10,11,12,17,19,20((これはあくまでも大和の迎撃に参加したエセックス級の数であり、沖縄戦自体には10隻が投入されている。ハルナンバーで示すと13,15,18がそれにあたるのだが、沖縄侵攻に向けて行った本土空襲で損傷したため戦線を
-%%レイテ沖海戦の瞬間がわずか5隻なのが象徴的で(3隻を擁するTF38の第1群は補給で後退中)、修理や補給のために戦列を離れている艦が常に存在する事に注目されたい。「エセックス級の」「隻数だけならば」開戦時の南雲機動部隊と大差ない規模とまで言える。全
--実際は異なる。まず沖縄戦での補足にあるように、沖縄侵攻戦に投入されたエセックス級は10隻であり二桁投入を実際はしている。このうち3隻が沖縄侵攻に際の露払いとして行われた九州や呉軍港への空襲で損傷し、戦線離脱したので大和迎撃の際は7隻になってい
--次に各作戦での投入戦力だが、それぞれの作戦時のエセックス級のその時点の就役数でみると
・マリアナ沖海戦時…就役数10隻
・レイテ沖海戦時…就役数13隻
・グラディチュード作戦時…就役数14隻
・沖縄戦時…就役数15隻
であり、その時点で保有しているエセックス級の過半数は前線に投入されている事が判る。また軍艦は就役しても乗員の慣熟訓練などがあるので直ぐには前線に投入する事は出来ないし、幾らアメリカといえども前線近くに本格的な整備のできる施設を用意する事は出
--そもそも本拠地よりも遠くに侵攻して作戦行動する場合は戦力を全て前線に張り付けるような行為は普通はしない。というのもそういった長期間の作戦行動だと艦の乗員の休養や船体のオーバーホール、補給のための後退などをする場合、全ての戦力を前線に出して
-これを補ったのがインディペンデンス級軽空母である。同級は43年中に9隻全艦が就役しており、機動部隊を構成する高速空母の隻数は倍以上に増えることになった。
エセックス級の数が揃うのを待っていては戦争が長期化する、と海軍側の反対を押し切って建造中のクリーブランド級軽巡洋艦を軽空母に転用させたのは他でもない、大統領F・D・ルーズベルトである。国力に頼るだけでなく、早期に数量を確保する努力を惜しまなか
--ただこの話も厳密にいえば事実と少し異なる。まず大統領のこの発言は太平洋戦争開戦前のものであり、戦争長期化を懸念したものではない。またこの発言時点で計画されていたエセックス級8隻も当初は全艦が就役するのは1944年初頭と予定されていて、インディ
}}}
**エセックス級空母について(戦後の改装編) [#z23cbd62]
#fold(エセックス級空母について(戦後の改装編)){{
エセックス級空母について(戦後の改装編)
-エセックス級の多くの艦は戦後数々の改修を受けており、ベトナム戦争の時代まで前線にあり続けた。
90年代まで一線で現役であったミッドウェイ級ほどではないが、後年まで使われた艦では''艦歴すなわち魔改造の歴史''という性格を持っている。
-最初に施された大改修はSCB-27((SCBはShip Characteristics Boardの略。))改造と呼ばれるもので、レシプロ機の運用が前提のエセックス級をジェット機や誘導ミサイル((V-1飛行爆弾のような巡航ミサイルのこと。))の運用に適した艦に作り変えるものだった。
改造を受けた時期によって27A・27Cの2つのメニューがあり、後期型の27Cは27Aよりも進歩した改修メニューを盛り込んでいる。
--まず、終戦に伴い工程85%の状態で建造が中断されていたCV-34「オリスカニー」をSCB-27改修を盛り込んで建造再開(1950年完成)。「オリスカニー」の就役と実証を待たず1949年には予備役のCV-9「エセックス」とCV-18「ワスプ」もSCB-27改修を受け、最終的に24
---最新鋭空母を予備役にしていたというのも変な話と思われるが、実はアメリカも戦後になって大量のエセックス級のやり場に困り、大戦中に酷使した前期型の艦を中心に半数以上を予備役入りさせていたのだ。
本当ならばそのまま退役させるつもりだったようだが、皮肉にも冷戦の脅威の本格化と朝鮮戦争の勃発により、殆どの艦は攻撃空母(CVA)として現役復帰することとなる。((例外は対日戦で大損害を受けたCV-13「フランクリン」とCV-17「バンカー・ヒル」で、予備役
---朝鮮戦争勃発時点で現役にあったのはCV-21「ボクサー」・CV-32「レイテ」・CV-45「ヴァリー・フォージ」・CV-47「フィリピン・シー」のわずか4隻。それぞれおっとり刀で極東に駆け付け緒戦の貴重な航空兵力となった。
--SCB-27での主な改修メニューは飛行甲板とエレベーターの強化、カタパルトを従来のH4B油圧カタパルトからより強力なカタパルトに換装、艦橋の換装、対空砲の更新、重量増加に伴う復原性向上のためのバルジ増設などである。
---カタパルトは27Aの艦ではH8油圧カタパルトが装備され、27Cの艦では英国からもたらされた技術によって開発されたC-11蒸気カタパルトを装備している。
また27Cの艦にはカタパルトの後ろ艦載機のジェット排気を遮る起倒式のジェット・ブラスト・デフレクター((映画「トップガン」などで見られるアレ。))を装備している。
---艦橋は換装の言葉通りほぼ別物レベルで改装されており、艦橋構造物と一体化した背の高い煙突が特徴的。艦橋前後の12.7cm連装両用砲も撤去された。
また飛行機搭乗員の待機所も格納庫上のギャラリー甲板からもっと安全な格納庫下の甲板に移されており、この際にフル装備の搭乗員が階段をいくつも登って疲弊しないように、飛行甲板に通じる長大なエスカレーターが設置された。
---対空火器も一新し、上述のように艦橋前後の12.7cm連装両用砲を撤去した代わりに艦首尾の舷側スポンソンに露天砲架型の12.7cm単装砲を8基装備、ボフォース40mm4連装機銃もより強力な3インチ連装速射砲に交換された。
---この他初期型のエセックス級では旧式の着艦装置を後の艦と同じものに換装していたり、27C改装艦では艦の中央にあった第3エレベーターを右舷側に移している。
---なお短船体型として竣工した艦では砲座増設のために艦首が延長されており、長船体・短船体の区別はなくなった。
-更に徹底した近代化改修プランが第二の大改修であるSCB-125だ。
--これはSCB-27を受けた艦にさらなる機能拡張を狙った改修で、SCB-27改修が後に回されていたCVA-16「レキシントン」、CVA-31「ボノム・リシャール」、CVA-38「シャングリラ」の3隻がSCB-27Cと並行して施行されたのを皮切りに、1954年から57年までにすでにSCB-
--主な改造メニューは飛行甲板のアングルドデッキ化、艦首のハリケーンバウ化など。この改修を受けたエセックス級は原型をほとんど留めない姿となってしまった。
---SCB-27Aが施行された艦ではこれに加えて第三エレベーターの位置を右舷側に移設する改造も実施している。
なおSCB-27A施行艦では後述のCVA-34「オリスカニー」以外ではカタパルトが蒸気カタパルトに換装されておらず、退役するまで油圧カタパルトのままだった。
--CVA-34「オリスカニー」は今度は改装の順番が最後に回され、SCB-125Aと呼ばれる更に抜本的な改修計画を施行されている。
SCB-125のメニューに加えてカタパルトをC-11を更に改良したC-11-1蒸気カタパルトに換装し、着艦装置も最新型のフォレスタル級航空母艦((アメリカの戦後第一世代空母にして、同海軍初のスーパー・キャリアー。空母「信濃」を超える全長325m・満載排水量79,250t
このため後年「オリスカニー」では他のエセックス級で扱えない重量級攻撃機((と言っても軽攻撃機のA-7コルセアⅡなのだが。))を運用できたのである。
--ちなみに「近代空母の三大発明(蒸気カタパルト・アングルドデッキ・光学式着艦補助装置)」のうち光学式式着艦補助装置は大改修時には取り付けられず、後年になってから順次装備された。
-SCB-27とSCB-125の両方の実施、もしくはSCB-125の実施が行われなかった艦は1953年から対潜哨戒機を運用する対潜空母(CVS)に転用されている。
だが艦載機の進歩に取り残された未改修艦では対潜哨戒機も運用できなくなり、フォレスタル級などの超大型航空母艦が就役する中、1950年代末では8隻のSCB-27A施行艦((「エセックス」、「ヨークタウン」、「ホーネット」、「ランドルフ」、「ワスプ」、「ベニン
--うちCVS-21「ボクサー」、CVS-37「プリンストン」、CVS-45「ヴァリー・フォージ」の3隻は1959年から1961年にかけてボクサー級強襲揚陸艦(LPH)へと改造されている。
---艦載機の着艦設備の撤去や主機関の半減、両用砲削減と機銃の全廃、海兵隊員と物資の搭載スペースの確保が主な改修点で、元が空母なので使い勝手は悪かったものの、LPH-4「ボクサー」が初のヘリボーン作戦を展開するなど、後の強襲揚陸艦の運用基礎を築いた
-そして1960年代後半に入ると、ソ連の原潜に対抗できるように対潜戦能力向上のFRAM((Fleet Rehabilitation and Modernization。))II近代化改修の一環として、対潜空母の中SCB-125施行艦は一隻以外、艦首にSQS-23ソナーを取り付けるSCB-144改修を受けた。
--イントレピッドはSCB-144施行艦の中唯一のSCB-27C施行艦のため、一部の資料では「イントレピッド級」に分類された。
--この時、「レキシントン」は改修対象外のため、1969年で練習空母(CVT、1978年以降はAVT)に転用、実に1991年まで使用された。
-エセックス級24隻全体の退役時点での大規模改修施工歴は以下の通り。
--原型…5隻(「フランクリン」、「バンカー・ヒル」、「レイテ」、「タラワ」、「フィリピン・シー」)
--アングルドデッキー改修実験艦…1隻(「アンティータム」((他の改修一切施行されなかったから、開放式艦首かつ甲板に両用砲砲塔そのままながらアングルドデッキ持ちという珍しい外観になっていた。)))
--SCB-27Aのみ施行…1隻(「レイク・シャンプレーン」)
--SCB-27A+SCB-125+SCB-144を施行…7隻(「エセックス」、「ヨークタウン」、「ホーネット」、「ランドルフ」、「ワスプ」、「ベニントン」、「キアサージ」)
--SCB-27C+SCB-125を施行…5隻(「タイコンデロガ」、「レキシントン」、「ハンコック」、「ボノム・リシャール」、「シャングリラ」)
--SCB-27C+SCB-125+SCB-144を施行…1隻(「イントレピッド」)
--SCB-27A+SCB-125Aを施行…1隻(「オリスカニー」)
--強襲揚陸艦化…3隻(「ボクサー」、「プリンストン」、「ヴァリー・フォージ」)
-イントレピッドでは1952年から1954年までSCB-27C、1956年から1957年までSCB-125、さらに1965年SCB-144が施行されており、エセックス級の中でもかなりの魔改造を受けた艦である。
-このように多くの改装を受けながらエセックス級航空母艦の姉妹たちは戦後のアメリカ海軍の中核として働いた。
--太平洋戦争終結後は巨大化した海軍の縮小が行われ、エセックス級も15隻が予備役入りとなった。しかし朝鮮戦争が勃発すると全艦が現役復帰している。
--ベトナム戦争では米軍が本格的に介入しだした1964年の時点で「フランクリン」「バンカー・ヒル」の2隻が退役していたが、残りのうち攻撃空母となっていた5隻と対潜空母となっていた9隻から2隻の計7隻が参戦している。
--しかしベトナム戦争の時点でエセックス級の艦齢は既に30年に達しており、改装を受けていたとはいえ旧式化は否めなかった。フォレスタル級など次世代の航空母艦が次々と就役していた事もあり、ベトナム戦争終結を待たずにエセックス級は順次予備役や除籍とな
---長命だった事もあり「レキシントン」は数多くの戦争映画やドラマで日米両方の空母役を演じており、「トラ・トラ・トラ」(1970年)や「パールハーバー」(2001年)では空母「[[赤城]]」役を、「ミッドウェイ」(1976年)ではアメリカ側の3空母役を演じ、実際に
--また「ホーネット」は月への有人宇宙飛行計画「アポロ計画」に関わり、初めて月に降りた「アポロ11号」の乗員を回収する任務を行っている。アポロ計画には他のエセックス級空母も関わっており、計画で最初の有人宇宙船である「アポロ7号」の乗員回収に「エ
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**イントレピッドの艦歴 [#v6cb0967]
#fold(イントレピッドの艦歴){{
イントレピッドの艦歴
***1.就役~第二次世界大戦終結まで [#ce3872c6]
-1941年12月1日、バージニア州のニューポートニューズ造船所で起工。太平洋戦争が始まる、わずか1週間前の出来事だった。
--艦首に機銃座の無い短船体型で、ニューポートニューズ発注分としては三隻目にあたる。
-1943年4月26日に進水、「勇猛果敢」「大胆不敵」などを意味するイントレピッドと命名される。この名を持つ艦としては4代目にあたる。
--初代は、1798年にフランスで建造されたボムケッチ。元の名前はマスティコだが1803年にアメリカ海軍に拿捕されイントレピッドに改名した。2代目は1874年に建造された衝角付き蒸気魚雷艇。3代目は、1904年に建造された練習船。なおメア・アイランドの海軍工廠
--同年8月16日に就役。初代艦長はトーマス・L・スプレイグ大佐。後にレイテ沖海戦で、77.4任務群および77.4-1(タフィ1)の指揮官だった。
2018年2月の冬イベントでイントレピッドが実装されたのには、こういう縁も影響しているのかもしれない。
---栗田艦隊と直接戦った77.4-3(タフィ3)を指揮していたクリフトン・A・F・スプレイグ少将とは、苗字は同じだが血縁関係は無い。
---でもこの二人、アナポリスの同期生だとか。
--就役後のイントレピッドは、カリブ海で慣熟訓練を行った後、太平洋に廻航された。
--就役時のイントレピッドは、メジャー21と呼ばれるダークブルー一色の迷彩塗装を施されていた。カードに描かれた儀装も、この状態を元にしていると思われる。
-初陣は1944年2月17日のトラック島空襲で、第58任務部隊の一員として参加した。
--イントレピッドの攻撃隊は、エンタープライズ(CV-6、未実装)、エセックス(CV-9、未実装)の攻撃隊と協同で、トラック島脱出を図る民間人多数の載せた4121船団を攻撃する。攻撃隊は護衛の[[香取]]、[[舞風]]、[[野分]]を攻撃したが、スプルーアンス大将が
--イントレピッドは、この戦いでさっそく、戦火の洗礼を受けている。17日深夜、残存の攻撃機をかき集めて出撃させた夜間攻撃隊のうち、七五五航空隊の[[一式陸攻]]が放った魚雷が艦尾に命中、舵が故障し取舵ができなくなった。この攻撃成功が、トラック島空襲
---空転する左舷のスクリューとアイドリング状態の右舷エンジンのせいで、イントレピッドは風見鶏のごとく強風に煽られ、2日間東京へ向かうコースに乗っていた。もっともスプレイグ艦長は後に、その時は行き先に何があるかなんて全く興味なかったと語っている
--[[ウィキペディアのイントレピッドのページ>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%89_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]には、[[ドック入りした時に撮影された被弾個所の写真>http://www.researcheratlarge.c
-修理を終えたイントレピッドは、1944年10月17日から始まったレイテ島侵攻作戦に、第38.2任務群の司令官、ジェラルド・F・ボーガン少将の旗艦として参加する。
--シブヤン海を航行する日本艦隊を発見したのは、イントレピッドから発艦した索敵機だったとされている。
--日本艦隊に対する第一次空襲は、イントレピッドとカボット(CVL-28、未実装)から出撃した攻撃隊によって行われ、[[武蔵]]の主砲天蓋に爆弾命中(装甲に弾かれ被害なし)、至近弾2発を与えて軽度な漏水を発生させた他、魚雷1本を命中させている。戦果とし
--また、この攻撃隊は[[妙高]]にも魚雷を命中させている。(このあたり、詳しくは[[妙高のページ>妙高]]で)
--続く第2次攻撃隊は[[大和]]と武蔵に攻撃を集中し、特に武蔵はこの攻撃により、いよいよ後落が始まった。なお、イントレピッドとカボットは、初期から攻撃隊を出していたこともあり、第3次以降の攻撃隊には参加していない。
-日本海軍が壊滅的打撃を被り退却した後も、イントレピッドは同地に留まり、フィリピン攻略の支援任務に従事している。
--この期間中、10月30日と11月25日にそれぞれ一機の特攻機の突入を受け、死傷者を出している。特に11月25日の被害は甚大で、長期の戦線離脱を余儀なくされた。
-修理を完了したイントレピッドは、ドックから出るとすぐさま、1945年2月から3月にかけて行われた硫黄島攻略に参加している。
--引き続いて行われた沖縄攻略戦では、海上特攻隊として編成された[[大和]]以下の第二艦隊攻撃にも参加している。つまりイントレピッドは、大和型戦艦2隻ともの最期に直接関わった空母という事ができる。
---この攻撃は、トラック島空襲とは逆に、先に戦艦部隊による砲戦が計画されていた。スプルーアンス大将のカミカゼ攻撃に呼応して水上部隊も出撃してくるだろうと推測が的中し、デヨ少将の戦艦部隊に水上戦闘の準備を行うよう命じ、ミッチャー中将の機動部隊
---大和以下の艦隊が日本海側への脱出を図るように見せかける韜晦航路を取ったことで運命が変わる。取り逃がすことを恐れたマーク・ミッチャー中将の独断で攻撃隊が出され、なし崩し的に航空攻撃に切り替えられたのだ。
---この時、ミッチャー中将からの「Do you take them? Or us?」(貴官がやるのか、あるいは小官がやるのか?)という事後承諾の問いかけに対して、スプルーアンス大将は「You take them」(貴官がやれ)という「世界一短い作戦命令」を出したエピソードを残
--この第一次空襲で、機関故障で後落していた[[朝霜]]を攻撃したのがイントレピッド攻撃隊だとされている(朝霜攻撃は、バンカー・ヒル(CV-17、未実装)の攻撃隊だったとする説もある)。
-引き続き沖縄攻略戦に参加していたイントレピッドは、4月16日に行われた菊水三号作戦(沖縄へ侵攻する米軍に対する日本海軍の特攻作戦「菊水作戦」の三回目)において、[[零式艦戦52型]]一機の突入を受けた。
--突入角度がほぼ垂直だったことから、特攻機は飛行甲板を貫通し、格納庫で大火災が発生した。この被害によりイントレピッドは、修理のために本土まで後退を余儀なくされる。
--修理完了は6月になったため、結局はこの沖縄戦が、イントレピッドの最後の戦域。8月6日のウェーク島空襲が太平洋戦争における最後の戦闘となった。
-イントレピッドは、就役以来、参加したすべての戦いでなにがしかの損傷を受けている。
--1回の雷撃と4回の特攻機命中により、戦場へ出るたびにドック送りにされたイントレピッドは、「The Dry I」(「&color(red){Dry}; dock(乾ドック)の&color(red){I};ntrepid」と眼病の「Dry eye」を掛けている)や「Decrepit」(「よぼよぼの」「ガタが来
-余談だが、イントレピッド搭載の第18戦闘隊(VF-18、[[F6F-5]]装備)には、海軍の撃墜数第二位の記録を持つエースパイロット、セシル・E・ハリス中尉(生涯撃墜数24機、終戦時大尉)が所属していた。
--ハリス中尉の初陣はガダルカナル攻防戦で、ここで2機撃墜の戦果を上げている。
--イントレピッドに移ってから、1944年11月25日の神風攻撃による大破撤退までの期間で、残る22機の撃墜戦果を上げている。
--この間、全く被弾しなかった。
---イントレピッドの入渠を機に、F8Fへの機種転換に入るが、訓練中に終戦になったため除隊。
---終戦後は、戦前の職だった小学校教師に戻ったそうな。
***2.戦後編・1 CVA時代 [#j9488ff3]
-イントレピッドは1945年8月21日から、日本占領支援のために日本に滞在する。
--その後、12月2日に横須賀を出港、同15日にカリフォルニア州サン・ペドロに帰港した。
--1946年2月4日にサンフランシスコに移され、同年8月15日付で予備役となった。
--さらに翌年3月22日には解役された。
-そのまま静かに余生を過ごすと思われたが、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争と、それに端を発する東西対立が、イントレピッドにも再び出番をもたらした。
--1952年2月9日には再び予備役に指定され、同年3月12日にノーフォーク海軍工廠へ廻航、近代化改修プログラムSCB-27C(詳細は上の「戦後の改装編」を参照)を施工される。
--完成後は攻撃空母に艦種変更され、艦番号もCVA-11となったイントレピッドは、そのまま大西洋艦隊に配属された。
-1955年9月5日、ニューヨーク海軍工廠に廻航されたイントレピッドは、そこで近代化改修プログラムSCB-125(詳細は上記の「戦後の改装編」を参照)を施工し、アングルドデッキを持つ、本格的な近代空母に生まれ変わる。
--イントレピッドはこの改装で、米海軍初の蒸気カタパルトを装備するが、これが「米海軍の艦載機が蒸気カタパルトを使って発艦した第一号」という栄誉を担うことになる。
-1957年9月3日から10月22日まで、NATO合同軍事演習「Operation Strikback」に参加する。
--これにはイントレピッドの他に、米海軍からエセックス(CVA-9)、ワスプII(CVS-18)、タラワ(CVS-40)、フォレスタル(CVA-59)、サラトガ(CVA-60)、英海軍からアークロイヤルIV(艦これ実装済みの三代目[[Ark Royal]]の次)、イーグル(四代目アークロ
***3.戦後編・2 CVS時代 [#dce86dc6]
-1961年12月8日、対潜空母に指定され、艦番号もCVS-11となる。
--この頃のイントレピッドが持つ珍しいエピソードとして、二度のNASAへの協力が挙げられる。エセックス級がアポロ計画に多くの艦が関わっていた事は前述の通りだが、それ以前の計画にもイントレピッドを始めとして関わっている。
---1962年5月24日、大西洋上でマーキュリー・アトラス7号(スコット・カーペンター飛行士)の再突入カプセル回収に従事している。
---更に1965年3月23日には、ジェミニ3号(ガス・グリソム飛行士、ジョン・ヤング飛行士)の再突入カプセルを回収している。
-1966年に入るとイントレピッドは、太平洋に回航され、ベトナム戦争に従事している。
--他のエセックス級が援護や飛行機輸送が主任務だったのに対してイントレピッドは艦種記号こそ対潜空母のままだが、艦載機は戦闘機や攻撃機が主体の実質的な軽攻撃空母として用いられた。
--この時に珍しいエピソードとして、同年10月9日のミグ撃墜が挙げられる。
---撃墜したのはイントレピッドのVA-176所属艦上攻撃機A-1スカイレイダー4機のチームで、相手はベトナム空軍のMiG-17。レシプロ攻撃機によるジェット戦闘機撃墜という、非常に珍しい記録である。
垂直尾翼から胴体に掛けて大きな赤い稲妻が走り、その先端に漫画チックな蜂が描かれた、かなり有名な塗装の機体で、日本でも何度も模型化されているので、見たことのある方も多いのではないだろうか。
-この帰路、1967年の大西洋艦隊復帰時には、第三次中東戦争への示威行動として、アラブ諸国とイスラエルが火花を散らすスエズ運河を、白昼堂々と通行している。
-イントレピッドに、ようやく静かな海が訪れた。解役の命令書が発令されたのだ。
--この時をもってイントレピッドは、ようやくその戦歴を閉じた。時に1974年3月15日、就役から30年7ヵ月のことだった。
***4.博物館としての余生 [#nc356b96]
-1976年、建国200年を機に、モスボール保管されていたイントレピッドが、海上博物館として整備されることになった。
--元々はスクラップとして売却が決まっていたイントレピッドだったが、就役以降に太平洋で行われた、空母の参加した戦い全てに参加し、何度も叩かれながらも戦場に舞い戻った戦歴を惜しむ声にも助けられ、大物投資家なども巻き込んだ熱心な運動の結果、ついに
--1982年8月、整備を完了したイントレピッドはハドソン川を臨むニューヨーク86番桟橋に係留され、海上航空宇宙博物館として開館する。
---2001年9月11日に発生した同時多発テロでは、テロ攻撃を受けて緊急避難先を探していたFBIが、臨時にオペレーションセンターを設置したことでも有名。
---ウィル・スミス主演の「アイ・アム・レジェンド」の撮影が行われたのも、この改装前時代。
-繋留されている86番桟橋の老朽化が激しくなったことから、整備話が持ち上がる。
--2006年6月頃から始まった計画では、同時にイントレピッドも一時的に移動し、ドックで整備を行うこととされた。
--2006年11月6日、大潮の満潮時を狙って、タグボート6隻により曳航が開始されたが、長年積りに積もった土砂により、半ば座礁したような状態となっていたため、移動に失敗した。
---一時は解体撤去の話も出たが、陸海軍共同の調査で、あと少しの土砂の浚渫で離礁が可能なことが判り、1か月後の12月5日に再び迎える大潮の満潮時に間に合わせるため、突貫で浚渫工事が行われた。
---今度こそ移動に成功したイントレピッドは、約二年の歳月をかけてリニューアル工事が終わった86番桟橋に戻され、2008年11月8日から再び博物館として再開された。
--トム・ハンクス主演の映画「ハドソン川の奇跡」や、日本のバラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」のロケに使われたのは、このリニューアル後のことだ。
-2009年1月15日に発生した「ハドソン川の奇跡」として知られるUSエアウェイズ1549便不時着水事故では本艦の目前で救出活動が行われた。(沿岸警備隊の監視カメラによる[[動画>https://www.youtube.com/watch?v=fwIe-e7Apkc]]の3分50秒付近でイントレピッドの
-2012年7月19日、86番桟橋に、新しい仲間が加わった。
--イントレピッドと共に戦った空母エンタープライズの名を受け継いだ、スペースシャトルの一番船エンタープライズの展示が始まったのだ。
---共に太平洋で戦ったヨークタウン級のエンタープライズ(CV-6、未実装)、ともに大西洋艦隊で活躍した世界初の原子力空母エンタープライズ(CVN-65)に続けて、三代に亘る奇縁だ。
-これが今、我々が見ることのできる、[[最新の彼女姿(英語)>https://www.intrepidmuseum.org/]]である。
}}
*この艦娘についてのコメント [#comment]
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#fold(過去ログ){{
#ls
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|CENTER:218|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|CENTER:80|c
|>|>|>|>|~No.349|
|&attachref(./349_2nd.jpg,nolink,"Hi! Essex class航空母艦、5番艦。Intrepidよ!");|>|Intrepid&nobr{(イントレピッド)};|>|Essex級 5番艦 &nobr{正規空母};|
|~|>|>|>|~艦船ステータス(初期値/最大値)|
//下記にもある通り、左側の初期値は改造直後の値とは異なります。
|~|~耐久|65|~火力|0 / 55|
|~|~装甲|43 / 80|~雷装|0|
|~|~回避|40 / 64|~対空|50 / 90|
|~|~搭載|96|~対潜|0|
|~|~速力|高速|~索敵|50 / 80|
|~|~射程|中|~運|45 / 90|
|~|>|>|>|~最大消費量|
|~|~燃料|75|~弾薬|80|
|~|~搭載|>|>|~装備|
|~|37|>|>|[[F6F-3]]|
|~|36|>|>|未装備|
|~|19|>|>|未装備|
|~|4|>|>|未装備|
|>|>|>|>|~改造チャート|
|>|>|>|>|''Intrepid'' → [[Intrepid改]](Lv50)|
|>|>|>|>|~図鑑説明|
|>|>|>|>|LEFT:&ruby(エセックス){Essex};級航空母艦、5番艦、&ruby(イントレピッド){Intrepid};よ! そう、艦隊型正規空母として量産されたあの戦い最強の空母姉妹の一隻です。&br;あの大戦が終わった後も、近代化改装され、アングルド・デッキを備えた現代
※初期値はLvや近代化改修の補正を除いた時の数値であり、最大値はLv99の時の最大値を指します。
#fold(CV:久保田ひかり、イラストレーター:しばふ(クリックするとセリフ一覧が開きます)){{
CV:久保田ひかり、イラストレーター:しばふ
#shadowheader(2,[[定型ボイス一覧>Intrepid/定型ボイス]])
#table_edit(Intrepid/定型ボイス)
~
#shadowheader(2,[[時報ボイス一覧>Intrepid/時報ボイス]])
#table_edit(Intrepid/時報ボイス)
~
#shadowheader(2,[[季節ボイス一覧>Intrepid/季節ボイス]])
#table_edit(Intrepid/季節ボイス)
~
}}
*ゲームにおいて [#game]
-2018年冬イベント『[[捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)]]』後段作戦にて実装。
--最終海域である [[E-7>捷号決戦!邀撃、レイテ沖海戦(後篇)/拡張作戦#area7]] のクリア報酬として入手できた。
-未改造の時点で[[加賀改]]に次ぐ96機の搭載数を持つ。初期装備((F6F-3は下位機からの改修更新または選択報酬であり、改装後初期装備のコルセアは選択報酬のみだった。))も地味にありがたい。
--96機の内訳は、史実でクェゼリン攻略作戦時に編成されていた艦載機構成に準拠している。
--性能だけなら良かったのだが、燃費も加賀改や[[赤城改]]とほぼ同じ。微差ではあるが、長期的にみるとやや重めに分類される。&br;改造するともっと悪化する。
---耐久が低めである以外は、未改造状態で既に一線級の性能を持っている。&br;いっそのこと、ある程度育ちきるまでは改造せずに運用するのもアリだろう。
-装甲の高さと裏腹に耐久が比較的低いのは、優れたダメコン能力の一方、防御構造そのものは比較的平凡なことの反映か?
-この搭載数ながら、射程中。運用は[[Graf Zeppelin]]や[[Saratoga]]に近いのでそのあたりは当該参考。
--上記2隻とは異なり夜間攻撃能力は持っていない。
-2021年秋イベント『[[海上護衛!本土近海航路の防衛>帰ってきた鎮守府秋刀魚祭り]]』[[E-3>帰ってきた鎮守府秋刀魚祭り]] にて複数所持ドロップが解禁となった。
**キャラクター設定について [#character]
-しばふ艦としては初の海外艦で、発艦の際に弓矢を用いた一航戦・二航戦とは一線を画す。
-右手に携えた銃は、アメリカ軍で使われていたボルトアクションライフル、スプリングフィールドM1903がモデル。&br;二次大戦時にはセミオートライフルの傑作であるM1ガーラントに主力小銃の座を譲っていたが、絶対数の不足からM1903の生産も続けられていた。
またボルトアクションゆえの命中精度の良さを生かして、スコープを装着し狙撃銃としても運用されている。&br;左手に持っているのはクリップ((装弾子。銃に弾薬をまとめて装填するための道具。))で5発まとめられた銃弾2つ。&br;ライフル側面に空母のエレベータ
-肩から首元を覆っているのはカポックと呼ばれる救命胴衣(の首の部分)。
大戦時の米海軍で広く使われていたもので、通常は胴の部分に縫い付けられている。
参考 http://thecanvasshack.com/wwii-kapok-life-vests.html
--カポックだけでなく米海軍のベルト、足元のレギンスとこれまでに比べて軍装色の強い服装をしている。
*小ネタ [#neta]
-元ネタはエセックス級航空母艦3番艦の同名鑑、第4代イントレピッド(CV-11)。エセックス級としての就役は5番目。
-Interpidとは「in(否定)+trepidus(心配・恐れる)」で「大胆不敵」「恐れ知らず(何も恐れない)」という意味。Dreadnought(恐れるもの無し)」と同じノリの命名。
-[[Iowa]]と同じく艦体が現存しており、現在はニューヨーク市マンハッタンの86番桟橋で「''イントレピッド海上航空宇宙博物館''」として展示されている。
-対日戦で挙げた数々の武勲から、「Evil I」、「Fighting I」等に加えて、度々特攻機の直撃を受けたことから「Dry I(ドライドックのI(ntrepid))」「Decrepit(ガタガタのズタボロ)」といった異名を持つ。&color(Silver){艦隊にいるほうが珍しい空母って……
-%%日本のネット界隈では[[スカイママ>俗称・スラング集/さ#sky_mama]]として知られる%%
-イギリス海軍のI級駆逐艦に全く同名の「イントレピッド(Intrepid)」という艦がいるが、特に関係はない。
--イギリスもアメリカも同じ英語圏のため、このような艦名かぶりはしばしば見られる((イントレピッドという艦名はイギリス海軍でも代々使われており、I級のイントレピッドは7代目にあたる))。
-1969年11月19日、月面の嵐の海に着陸したアポロ12号の着陸船にもその名が冠されるが、四代目の本艦が末期とは言えまだ現役なので厳密には「継承」とは言い難い。
**エセックス級空母について(戦前・戦中編) [#EssexClass]
#fold(エセックス級空母について(戦前・戦中編)){{{
エセックス級空母について(戦前・戦中編)
***概要 [#ce3872c6]
-太平洋戦争アメリカ勝利の立役者とも言われる、''米帝プレイ''の象徴たる存在。1番艦エセックスが42年12月31日に就役して以降、ほぼ2ヶ月に1隻のペースで完成して空母機動部隊を再建し、44年以降の反攻作戦を主導した。終戦までに17隻が就役し、戦後完成まで
&color(Silver){クリーブランド級軽巡洋艦、フレッチャー級駆逐艦とともに、アメリカ兵器の「必要なのはわかるが、そこまで沢山作る理由がわからない」を体現する艦でもある。};
--1939年度の第二次ヴィンソン案で1番艦が予算承認され、以降第三次ヴィンソン案で3隻、スターク案で一挙18隻もの多数が追加された。アメリカは真珠湾攻撃で空母に目覚めたと言われることも多いが、現実には戦前の計画ですでに20隻以上の量産に動いていた。
ただしこれはアメリカ海軍全体の増強計画であり、空母を特別重視したものではない。
エセックス級の建造数が凄まじく、太平洋では主力として活躍したので誤解されがちだが、当時の海軍戦術の基本は「味方が制空権を確保したのち戦艦部隊が決戦を行う」というものだった。その中で特にアメリカ海軍は日本本土への侵攻と言う戦略の都合上「移動す
また、仮にこの計画通りにすべての艦艇を建造した場合、旧式艦も含めると戦艦と空母だけで60隻越えの大艦隊(まさに米帝)になるが、その比率はほぼ1:1である。
--この後も太平洋戦争開戦に伴って直ちに2隻が戦時計画として追加、大型空母ミッドウェー級と並行しつつ最終的に合計32隻ものエセックス級が予算承認された。
--圧倒的な数に隠れて目立たないが、建造期間の短さもアメリカの工業力の象徴として知られる。3万トン近い大型空母を概ね2年以内で完成、タイコンデロガに至っては起工からわずか15ヶ月で就役している。日本は[[雲龍]]で丸二年、[[天城]]や[[葛城]]でも22ヶ月
---読者もよくご存知のように空母というのは「艦載機がなければタダの輸送船もどき」、艦載機も「パイロットがなければ無用の長物」なわけだが、こちらもアメリカは五大湖にて周遊用の外輪式客船2隻を訓練空母に改造し、実に18,000名という、母艦航空隊パイロ
つまるところ、量産においても人員育成についても標準的なマニュアルやシステムが確立しており、これが敵を「数で圧倒する」原動力の一つになったといえる。
***計画の経緯 [#ce3872c6]
-1934年、第二次ロンドン軍縮会議の予備交渉が不調に終わり、日本はワシントン条約の破棄を通告、1936年にはロンドン軍縮本会議も脱退した。それにより1938年、英米仏の三か国のみで締結された第二次ロンドン条約のエスカレータ条項が発動し、アメリカは新た
-それを受けてアメリカは2万t級空母2隻の建造を計画するが、新型空母の設計が間に合わなかったため、差し当たり1隻をヨークタウン級の準同型艦として1938年度計画で発注(CV-8「[[ホーネット>Hornet]]」)、もう1隻は新規設計として、1939年度計画に後ろ倒しす
-2万t強の排水量制限内に多くの要求が盛り込まれたため設計は難航、一時はヨークタウン級4番艦となる可能性もあったが、第二次大戦の勃発で条約の縛りが無くなったことにより一挙に2万7000tにまで拡大して設計を完了、1941年4月にネームシップ「エセックス」
***設計について [#jc742e34]
-基本的な設計はヨークタウン級の拡大改良型である。ヨークタウン級が4個航空隊96機の運用を想定していたところを5個航空隊120機に拡大し、それに伴う所定のサイズアップを図ったものと考えて良い。
--あくまでもヨークタウン級の拡大であり格納庫も同級の4割増しの面積を持つが、1層のみのため実は床面積では日本の[[大鳳]]よりも少ない。※格納庫の大きさについては下記一覧表を参照
それでこれだけの搭載機数を確保できているのは、搭載している艦載機が主翼を根元から折れる構造を持つことでコンパクトに収容できることと、カタパルトを実用化できたことで飛行甲板での発艦に必要なスペースを省略でき、その分飛行甲板に露天係留できる機数
|~艦級名|~格納庫の広さ(長さ×幅×高さ)|~搭載定数|h
|エセックス級|199.4m×21.3m×5.35m&br;総面積4250㎡|55~60機※ほかに露天駐機で最大36機|
|ヨークタウン級|166.4m × 19.2m × 5.3m&br;総面積3,194㎡|98機((1994年末の空母エンタープライズの搭載数。但しこの時は対特攻対策のため爆撃機や攻撃機よりも小型の戦闘機の搭載数を増やした状態での搭載数であることを留意する必要がある))※露天駐機も含む
|イラストリアス級|139.6m×18.7m×4.9m|33機※他に露天駐機で最大18機収容可能|
|アーク・ロイヤル級|173.1m×18.3m×4.9m(上段)&br;137.8m×18.3m×4.9m(下段)|60機※露天駐機は基本無し|
|大鳳型|152.0m×22.5m×5.0m(上段)&br;152.5m×22.5m×5.0m(下段)&br;総面積5988.1㎡|48機※他に露天駐機で最大13機収容予定((但しこの数値は計画値で、機体が大型化した[[烈風>試製烈風 後期型]]、[[流星]]を基にした数値。[[零戦>零式艦戦52型]]や[[彗星]]、[[
|翔鶴型|190.0m × 20.0m × 4.8m(上段)&br;160.0m × 20.0m × 4.8m(下段)&br;総面積6712.6㎡|72機((補用機数は含まず。補用機とは本来修理時の交換部品として分解して収容していたり、損失機が出た場合にすぐ補充できるよう予算確保している書類上の機で、戦力
-大戦中の実際は、概ね90機~100機くらいでの搭載例が多い。同時期のエンタープライズが夜戦空母化して60機程度で運用されていることから見ても、エセックス級の余裕ある運用能力が見て取れる。
--搭載機はヘルキャット・ヘルダイバー・アベンジャーをバランス良く配備していたが、カミカゼ特攻が開始されると対応のために戦闘機の数を大幅に増やした。この頃にはクセの強いコルセアの運用が安定してきたこともあり、機材の置き換えも進んでいる。
---小柄な戦闘機が増え、大型の艦爆・艦攻が減ったことから、100機を超える搭載例も見られるようになった。
---一例として、本艦の推移を追うと。
1944.01 96機(F6F-3×37, F4U-2×4, SBD-5×36, TBF-1×7,-1C×7,TBM-1C×5)…クェゼリン攻略作戦時
1944.08 88機(F6F-3/-5×35, -5P×3, -3N×4, SB2C-3×28, TBM-1C×18)…ウルシー占領作戦時
1944.10 89機(F6F-3N×5, -5×35, -5P×3, SB2C-3/-3E×28, TBM-1C/-3×18)…台湾沖航空戦時
1945.03 101機(F4U-1D×65,FG-1×1,F6F-5N×4,-5P×1, SB2C-4E×15, TBM-3/-3E×15)…本土空襲時
等の作戦記録が残されている。
---搭載機の三分の二近くを戦闘機とした例では、152機という途方も無い数字が記録に残されている。
-25%の戦力増を図るため、船体はヨークタウンの2万トンから2万7000トンへ大きく拡大し、我が[[翔鶴]]型や[[大鳳]]とほぼ同規模の大型空母となった。この船体を前級と同じく33ノットで走らせるため、機関出力も12万馬力→15万馬力へ向上させている。
--エセックス級は戦訓により艦首に対空砲座を設けるため、設計の間に合った艦は船体をやや延長した。このため「短船体型」と「長船体型」の2タイプが存在するが、艦首の40mmボフォース銃座以外に大きな差異はない。
-外観上の特徴は、すっきりした四角形で広大な飛行甲板と、大型の艦橋構造物が挙げられる。上構には前後に背負い式で12.7cmMk.38連装両用砲を2基ずつ装備していたこともあって、シルエット上かなり大きなアイランドとなっている。
--これと併せて飛行甲板左舷側前後に2基ずつ単装両用砲を配置しており、計12門の両用砲を装備した。舷側には40mmボフォースと20mmエリコンの両機銃を所狭しと配置し、まさにハリネズミの対空砲火を形成した。
--ワスプで試されたサイドエレベータはより本格的な、現代空母と同型式のものに改善され、左舷側に1基が設けられた。飛行甲板前後の通常型エレベータと併せて、計3基で艦載機を昇降させる。
--油圧カタパルト2基が艦首に設けられ、発艦のための滑走が不要なことから駐機面積が増え、甲板上にズラリと多数を並べた写真が何枚も残されている。格納庫内にも緊急発進用の側方射出カタパルトが設けられていたが、実用的でないとされ後に撤去された。
-エセックス級は強靱な防御力を有するように思われるが、ほぼヨークタウン級のそれを踏襲・改善した程度であり、優秀なダメージコントロール能力に助けられた一面も大きい。要するにあくまでも大型空母「相応」ということで、甲板装甲のような際だった特徴は
--具体的には第1甲板に厚さ2.5インチのSTS特殊鋼製装甲版が張られ、水線下には四重の防御縦壁を仕込んで魚雷の爆発力を吸収、船底も三重構造というものだった。
正規空母としては標準的な対15.5cm防御であるが、あくまで船体部分の話。飛行甲板は非装甲のため、その下の格納庫共々吹っ飛ばされた艦はいくつかある。
--一方で水線下には弱点を抱えていた。大戦中の対空火器増強などに伴う重量増は復元性を悪化させており、「魚雷2本が片舷に命中したら転覆する恐れがある」と艦政本部から警告が回ってきたことが知られている。
---原案では両用砲の数こそ変わらないものの、機銃兵装はボフォース40mm機銃4連装6基と20mm機銃少数程度であった。最終的に18基もの40mmと60挺もの20mmを飛行甲板レベルに近い高さにズラリと並べたことで、トップヘビーが進行してしまったのである。また充実
---とはいえ本級が本格的に参戦した大戦末期の日本陸海軍の航空部隊に、アメリカ艦隊の防空網を突破する力は残っていなかったため、恐れていたような事態は起きずに済んだ。
---対空火器の大幅増によるトップヘビー化や、操作要員の増員による居住性の低下は各国共通の悩みであったが、アメリカではこの問題は特に深刻視されており、アトランタ級軽巡洋艦がジュノー級に、ボルチモア級重巡洋艦がオレゴンシティ級に、クリーブランド
---空母の例では次に建造された大型空母ミッドウェー級で、装甲飛行甲板によるトップヘビーもあり対空兵装配置は船体甲板高さの位置で低く抑えて両舷側にズラリと並べ、両舷指向による対空火力効率化を諦めるに至っている。
-意外な機能として、後進全力で最大19ノットというかなりの高速を発揮することができる。これは、艦首を損傷して速力が低下した時でも、艦尾のカタパルトを使って搭載機を発艦させられるだけの合成風力が得られるようにとの対策だったという。
--もっとも普段からそうそう使われるような能力ではなく、公試以外で艦尾からの発艦が行われたのは、沖縄戦中でホーネット(CV-12)が台風のため艦首の飛行甲板を損壊した際と、映画((トラ・トラ・トラ!とパールハーバーの都合2作))の撮影でレキシントン(CV-16
***3番艦?5番艦? [#b00f698a]
-本艦・CV-11「イントレピッド」は艦番号(ハル・ナンバー)ではエセックス級の3隻目だが、就役順では5隻目となっている。
-大戦期の米艦艇全てに言える事だが、ハル・ナンバーと就役順はまったく一致していない。これは、造船所への発注時、割り当てた枠にまとめて艦番号を振り、造船所はそのリストを頭から消化していくという手順だったからである。
-エセックス級の割り当ては以下の通り。
--CV-9~15,21,32,46…ニューポート・ニューズ造船所
--CV-16~19,47,50…ベスレヘム・スチール-フォアリバー造船所
--CV-20,31,33~35,51,52…ニューヨーク海軍工廠
--CV-36~37,45,53…フィラデルフィア海軍工廠
--CV-38~40,54,55…ノーフォーク海軍工廠
---CV-22~30はインディペンデンス級航空母艦のハル・ナンバーで配分された。
---CV-41~44,56,57はミッドウェイ級航空母艦のハル・ナンバーで配分された。
---CV-48~49はサイパン級航空母艦、のハル・ナンバーで配分された。
---CV-58は不運な名前のユナイテッド・ステーツ。
---CV-59~62は超大型航空母艦、フォレスタル級のハル・ナンバーで配分された。
-そしてハル・ナンバーを就役順に並べると以下の通り。
9→(43年)16→10→17→11→18→12→(44年)13→19→14→20→38→15→31→(45年)36→21→39→(終戦)37→40→(46年)33→32→47→45→(50年)34
一見バラバラだが、造船所ごとに見ると綺麗に番号順になっているのがお分かりだろう。ニューポート・ニューズ第一期発注分の最終艦・CV-''15''「ランドルフ」はベスレヘム・スチール発注分の一号艦・CV-''16''「レキシントン」より1年8か月遅れで完成し、ノー
-このように、大戦期の米艦艇はハル・ナンバーと就役時期の逆転現象が日常茶飯事である点、ご注意されたい。&color(Silver){この子は何番艦?と考え始めると、結構ややこしい事になります。};
#fold(エセックス級航空母艦の各艦名とハルナンバーの一覧){{
エセックス級航空母艦の各艦名とハルナンバーの一覧
|CENTER:80|150|150|CENTER:80|150|150|c
|~ハルナンバー|艦名|就役年月日|~ハルナンバー|艦名|就役年月日|
|~CV-9|エセックス|1942.12/31|~CV-10|ヨークタウンⅡ|1943.4/15|
|~CV-11|イントレピッド|1943.8/16|~CV-12|ホーネットⅡ|1943.11/29|
|~CV-13|フランクリン|1944.1/31|~CV-14|タイコンデロガ|1944.5/8|
|~CV-15|ランドルフ|1944.10/9|~CV-16|レキシントンⅡ|1943.2/17|
|~CV-17|バンカー・ヒル|1943.5/24|~CV-18|ワスプⅡ|1943.11/24|
|~CV-19|ハンコック|1944.4/15|~CV-20|ベニントン|1944.8/6|
|~CV-21|ボクサー|1945.4/16|~CV-31|ボノム・リチャード|1944.11/26|
|~CV-32|レイテ|1946.4/11|~CV-33|キアサージ|1946.3/2|
|~CV-34|オリスカニー|1950.9/25|~CV-35|レプライザル|建造中止|
|~CV-36|アンティータム|1945.1/28|~CV-37|プリンストンⅡ|1945.11/18|
|~CV-38|シャングリラ|1944.9/15|~CV-39|レイク・シャンプレイン|1945.6/3|
|~CV-40|タラワ|1945.12/8|~CV-45|ヴァ―リ・フォージ|1946.11/3|
|~CV-46|イオー・ジマ|建造中止|~CV-47|フィリピン・シー|1946.5/11|
※この他にCV-50から55までの5隻の建造計画があったが艦名が決まる前に計画中止となる
※CV-22から30がないのはインディペンデンス級軽空母の9隻に割り振られた為((但し後にCVからCVLに変更されている。))。同様にCV-41から44はミッドウェイ級航空母艦の4隻((実際に就役したのは3隻でCV-44は建造中止となる。))に割り振られた。
※就役前、第二次世界大戦中に戦没した艦名を襲名したものに関しては便宜上(Ⅱ)をつけて表示
[[海外のサイト>https://www.ibiblio.org/hyperwar/OnlineLibrary/photos/shusn-no/cv-no.htm]]でも一覧している。
}}
***意外に少ないんです? [#i39387bf]
-計24隻という数からアメリカの物量の象徴のように言われる本級だが、戦争中期から一番艦が就役しだした事もあり、第二次大戦の実戦に間に合ったのは14隻しかいない。同級が主力となった主な戦闘を見ても、参加隻数はそこまで多いわけではない。
-以下、それぞれの戦闘の参加艦をハルナンバーで示す。
--マリアナ沖海戦…9,10,12,16,17,18
--レイテ沖海戦…9,11,13,16,17
--グラディチュード作戦((フィリピン・ルソン本島への侵攻の支援作戦として1945年1月10日から25日にかけて米機動部隊の大部を投入して南シナ海で実施された大空襲作戦。周辺の日本軍基地の撃破は無論のこと、通商船団も攻撃にさらされ多くの船団が壊滅した。)
--沖縄戦(坊ノ岬沖海戦)…9,10,11,12,17,19,20((これはあくまでも大和の迎撃に参加したエセックス級の数であり、沖縄戦自体には10隻が投入されている。ハルナンバーで示すと13,15,18がそれにあたるのだが、沖縄侵攻に向けて行った本土空襲で損傷したため戦線を
-%%レイテ沖海戦の瞬間がわずか5隻なのが象徴的で(3隻を擁するTF38の第1群は補給で後退中)、修理や補給のために戦列を離れている艦が常に存在する事に注目されたい。「エセックス級の」「隻数だけならば」開戦時の南雲機動部隊と大差ない規模とまで言える。全
--実際は異なる。まず沖縄戦での補足にあるように、沖縄侵攻戦に投入されたエセックス級は10隻であり二桁投入を実際はしている。このうち3隻が沖縄侵攻に際の露払いとして行われた九州や呉軍港への空襲で損傷し、戦線離脱したので大和迎撃の際は7隻になってい
--次に各作戦での投入戦力だが、それぞれの作戦時のエセックス級のその時点の就役数でみると
・マリアナ沖海戦時…就役数10隻
・レイテ沖海戦時…就役数13隻
・グラディチュード作戦時…就役数14隻
・沖縄戦時…就役数15隻
であり、その時点で保有しているエセックス級の過半数は前線に投入されている事が判る。また軍艦は就役しても乗員の慣熟訓練などがあるので直ぐには前線に投入する事は出来ないし、幾らアメリカといえども前線近くに本格的な整備のできる施設を用意する事は出
--そもそも本拠地よりも遠くに侵攻して作戦行動する場合は戦力を全て前線に張り付けるような行為は普通はしない。というのもそういった長期間の作戦行動だと艦の乗員の休養や船体のオーバーホール、補給のための後退などをする場合、全ての戦力を前線に出して
-これを補ったのがインディペンデンス級軽空母である。同級は43年中に9隻全艦が就役しており、機動部隊を構成する高速空母の隻数は倍以上に増えることになった。
エセックス級の数が揃うのを待っていては戦争が長期化する、と海軍側の反対を押し切って建造中のクリーブランド級軽巡洋艦を軽空母に転用させたのは他でもない、大統領F・D・ルーズベルトである。国力に頼るだけでなく、早期に数量を確保する努力を惜しまなか
--ただこの話も厳密にいえば事実と少し異なる。まず大統領のこの発言は太平洋戦争開戦前のものであり、戦争長期化を懸念したものではない。またこの発言時点で計画されていたエセックス級8隻も当初は全艦が就役するのは1944年初頭と予定されていて、インディ
}}}
**エセックス級空母について(戦後の改装編) [#z23cbd62]
#fold(エセックス級空母について(戦後の改装編)){{
エセックス級空母について(戦後の改装編)
-エセックス級の多くの艦は戦後数々の改修を受けており、ベトナム戦争の時代まで前線にあり続けた。
90年代まで一線で現役であったミッドウェイ級ほどではないが、後年まで使われた艦では''艦歴すなわち魔改造の歴史''という性格を持っている。
-最初に施された大改修はSCB-27((SCBはShip Characteristics Boardの略。))改造と呼ばれるもので、レシプロ機の運用が前提のエセックス級をジェット機や誘導ミサイル((V-1飛行爆弾のような巡航ミサイルのこと。))の運用に適した艦に作り変えるものだった。
改造を受けた時期によって27A・27Cの2つのメニューがあり、後期型の27Cは27Aよりも進歩した改修メニューを盛り込んでいる。
--まず、終戦に伴い工程85%の状態で建造が中断されていたCV-34「オリスカニー」をSCB-27改修を盛り込んで建造再開(1950年完成)。「オリスカニー」の就役と実証を待たず1949年には予備役のCV-9「エセックス」とCV-18「ワスプ」もSCB-27改修を受け、最終的に24
---最新鋭空母を予備役にしていたというのも変な話と思われるが、実はアメリカも戦後になって大量のエセックス級のやり場に困り、大戦中に酷使した前期型の艦を中心に半数以上を予備役入りさせていたのだ。
本当ならばそのまま退役させるつもりだったようだが、皮肉にも冷戦の脅威の本格化と朝鮮戦争の勃発により、殆どの艦は攻撃空母(CVA)として現役復帰することとなる。((例外は対日戦で大損害を受けたCV-13「フランクリン」とCV-17「バンカー・ヒル」で、予備役
---朝鮮戦争勃発時点で現役にあったのはCV-21「ボクサー」・CV-32「レイテ」・CV-45「ヴァリー・フォージ」・CV-47「フィリピン・シー」のわずか4隻。それぞれおっとり刀で極東に駆け付け緒戦の貴重な航空兵力となった。
--SCB-27での主な改修メニューは飛行甲板とエレベーターの強化、カタパルトを従来のH4B油圧カタパルトからより強力なカタパルトに換装、艦橋の換装、対空砲の更新、重量増加に伴う復原性向上のためのバルジ増設などである。
---カタパルトは27Aの艦ではH8油圧カタパルトが装備され、27Cの艦では英国からもたらされた技術によって開発されたC-11蒸気カタパルトを装備している。
また27Cの艦にはカタパルトの後ろ艦載機のジェット排気を遮る起倒式のジェット・ブラスト・デフレクター((映画「トップガン」などで見られるアレ。))を装備している。
---艦橋は換装の言葉通りほぼ別物レベルで改装されており、艦橋構造物と一体化した背の高い煙突が特徴的。艦橋前後の12.7cm連装両用砲も撤去された。
また飛行機搭乗員の待機所も格納庫上のギャラリー甲板からもっと安全な格納庫下の甲板に移されており、この際にフル装備の搭乗員が階段をいくつも登って疲弊しないように、飛行甲板に通じる長大なエスカレーターが設置された。
---対空火器も一新し、上述のように艦橋前後の12.7cm連装両用砲を撤去した代わりに艦首尾の舷側スポンソンに露天砲架型の12.7cm単装砲を8基装備、ボフォース40mm4連装機銃もより強力な3インチ連装速射砲に交換された。
---この他初期型のエセックス級では旧式の着艦装置を後の艦と同じものに換装していたり、27C改装艦では艦の中央にあった第3エレベーターを右舷側に移している。
---なお短船体型として竣工した艦では砲座増設のために艦首が延長されており、長船体・短船体の区別はなくなった。
-更に徹底した近代化改修プランが第二の大改修であるSCB-125だ。
--これはSCB-27を受けた艦にさらなる機能拡張を狙った改修で、SCB-27改修が後に回されていたCVA-16「レキシントン」、CVA-31「ボノム・リシャール」、CVA-38「シャングリラ」の3隻がSCB-27Cと並行して施行されたのを皮切りに、1954年から57年までにすでにSCB-
--主な改造メニューは飛行甲板のアングルドデッキ化、艦首のハリケーンバウ化など。この改修を受けたエセックス級は原型をほとんど留めない姿となってしまった。
---SCB-27Aが施行された艦ではこれに加えて第三エレベーターの位置を右舷側に移設する改造も実施している。
なおSCB-27A施行艦では後述のCVA-34「オリスカニー」以外ではカタパルトが蒸気カタパルトに換装されておらず、退役するまで油圧カタパルトのままだった。
--CVA-34「オリスカニー」は今度は改装の順番が最後に回され、SCB-125Aと呼ばれる更に抜本的な改修計画を施行されている。
SCB-125のメニューに加えてカタパルトをC-11を更に改良したC-11-1蒸気カタパルトに換装し、着艦装置も最新型のフォレスタル級航空母艦((アメリカの戦後第一世代空母にして、同海軍初のスーパー・キャリアー。空母「信濃」を超える全長325m・満載排水量79,250t
このため後年「オリスカニー」では他のエセックス級で扱えない重量級攻撃機((と言っても軽攻撃機のA-7コルセアⅡなのだが。))を運用できたのである。
--ちなみに「近代空母の三大発明(蒸気カタパルト・アングルドデッキ・光学式着艦補助装置)」のうち光学式式着艦補助装置は大改修時には取り付けられず、後年になってから順次装備された。
-SCB-27とSCB-125の両方の実施、もしくはSCB-125の実施が行われなかった艦は1953年から対潜哨戒機を運用する対潜空母(CVS)に転用されている。
だが艦載機の進歩に取り残された未改修艦では対潜哨戒機も運用できなくなり、フォレスタル級などの超大型航空母艦が就役する中、1950年代末では8隻のSCB-27A施行艦((「エセックス」、「ヨークタウン」、「ホーネット」、「ランドルフ」、「ワスプ」、「ベニン
--うちCVS-21「ボクサー」、CVS-37「プリンストン」、CVS-45「ヴァリー・フォージ」の3隻は1959年から1961年にかけてボクサー級強襲揚陸艦(LPH)へと改造されている。
---艦載機の着艦設備の撤去や主機関の半減、両用砲削減と機銃の全廃、海兵隊員と物資の搭載スペースの確保が主な改修点で、元が空母なので使い勝手は悪かったものの、LPH-4「ボクサー」が初のヘリボーン作戦を展開するなど、後の強襲揚陸艦の運用基礎を築いた
-そして1960年代後半に入ると、ソ連の原潜に対抗できるように対潜戦能力向上のFRAM((Fleet Rehabilitation and Modernization。))II近代化改修の一環として、対潜空母の中SCB-125施行艦は一隻以外、艦首にSQS-23ソナーを取り付けるSCB-144改修を受けた。
--イントレピッドはSCB-144施行艦の中唯一のSCB-27C施行艦のため、一部の資料では「イントレピッド級」に分類された。
--この時、「レキシントン」は改修対象外のため、1969年で練習空母(CVT、1978年以降はAVT)に転用、実に1991年まで使用された。
-エセックス級24隻全体の退役時点での大規模改修施工歴は以下の通り。
--原型…5隻(「フランクリン」、「バンカー・ヒル」、「レイテ」、「タラワ」、「フィリピン・シー」)
--アングルドデッキー改修実験艦…1隻(「アンティータム」((他の改修一切施行されなかったから、開放式艦首かつ甲板に両用砲砲塔そのままながらアングルドデッキ持ちという珍しい外観になっていた。)))
--SCB-27Aのみ施行…1隻(「レイク・シャンプレーン」)
--SCB-27A+SCB-125+SCB-144を施行…7隻(「エセックス」、「ヨークタウン」、「ホーネット」、「ランドルフ」、「ワスプ」、「ベニントン」、「キアサージ」)
--SCB-27C+SCB-125を施行…5隻(「タイコンデロガ」、「レキシントン」、「ハンコック」、「ボノム・リシャール」、「シャングリラ」)
--SCB-27C+SCB-125+SCB-144を施行…1隻(「イントレピッド」)
--SCB-27A+SCB-125Aを施行…1隻(「オリスカニー」)
--強襲揚陸艦化…3隻(「ボクサー」、「プリンストン」、「ヴァリー・フォージ」)
-イントレピッドでは1952年から1954年までSCB-27C、1956年から1957年までSCB-125、さらに1965年SCB-144が施行されており、エセックス級の中でもかなりの魔改造を受けた艦である。
-このように多くの改装を受けながらエセックス級航空母艦の姉妹たちは戦後のアメリカ海軍の中核として働いた。
--太平洋戦争終結後は巨大化した海軍の縮小が行われ、エセックス級も15隻が予備役入りとなった。しかし朝鮮戦争が勃発すると全艦が現役復帰している。
--ベトナム戦争では米軍が本格的に介入しだした1964年の時点で「フランクリン」「バンカー・ヒル」の2隻が退役していたが、残りのうち攻撃空母となっていた5隻と対潜空母となっていた9隻から2隻の計7隻が参戦している。
--しかしベトナム戦争の時点でエセックス級の艦齢は既に30年に達しており、改装を受けていたとはいえ旧式化は否めなかった。フォレスタル級など次世代の航空母艦が次々と就役していた事もあり、ベトナム戦争終結を待たずにエセックス級は順次予備役や除籍とな
---長命だった事もあり「レキシントン」は数多くの戦争映画やドラマで日米両方の空母役を演じており、「トラ・トラ・トラ」(1970年)や「パールハーバー」(2001年)では空母「[[赤城]]」役を、「ミッドウェイ」(1976年)ではアメリカ側の3空母役を演じ、実際に
--また「ホーネット」は月への有人宇宙飛行計画「アポロ計画」に関わり、初めて月に降りた「アポロ11号」の乗員を回収する任務を行っている。アポロ計画には他のエセックス級空母も関わっており、計画で最初の有人宇宙船である「アポロ7号」の乗員回収に「エ
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**イントレピッドの艦歴 [#v6cb0967]
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イントレピッドの艦歴
***1.就役~第二次世界大戦終結まで [#ce3872c6]
-1941年12月1日、バージニア州のニューポートニューズ造船所で起工。太平洋戦争が始まる、わずか1週間前の出来事だった。
--艦首に機銃座の無い短船体型で、ニューポートニューズ発注分としては三隻目にあたる。
-1943年4月26日に進水、「勇猛果敢」「大胆不敵」などを意味するイントレピッドと命名される。この名を持つ艦としては4代目にあたる。
--初代は、1798年にフランスで建造されたボムケッチ。元の名前はマスティコだが1803年にアメリカ海軍に拿捕されイントレピッドに改名した。2代目は1874年に建造された衝角付き蒸気魚雷艇。3代目は、1904年に建造された練習船。なおメア・アイランドの海軍工廠
--同年8月16日に就役。初代艦長はトーマス・L・スプレイグ大佐。後にレイテ沖海戦で、77.4任務群および77.4-1(タフィ1)の指揮官だった。
2018年2月の冬イベントでイントレピッドが実装されたのには、こういう縁も影響しているのかもしれない。
---栗田艦隊と直接戦った77.4-3(タフィ3)を指揮していたクリフトン・A・F・スプレイグ少将とは、苗字は同じだが血縁関係は無い。
---でもこの二人、アナポリスの同期生だとか。
--就役後のイントレピッドは、カリブ海で慣熟訓練を行った後、太平洋に廻航された。
--就役時のイントレピッドは、メジャー21と呼ばれるダークブルー一色の迷彩塗装を施されていた。カードに描かれた儀装も、この状態を元にしていると思われる。
-初陣は1944年2月17日のトラック島空襲で、第58任務部隊の一員として参加した。
--イントレピッドの攻撃隊は、エンタープライズ(CV-6、未実装)、エセックス(CV-9、未実装)の攻撃隊と協同で、トラック島脱出を図る民間人多数の載せた4121船団を攻撃する。攻撃隊は護衛の[[香取]]、[[舞風]]、[[野分]]を攻撃したが、スプルーアンス大将が
--イントレピッドは、この戦いでさっそく、戦火の洗礼を受けている。17日深夜、残存の攻撃機をかき集めて出撃させた夜間攻撃隊のうち、七五五航空隊の[[一式陸攻]]が放った魚雷が艦尾に命中、舵が故障し取舵ができなくなった。この攻撃成功が、トラック島空襲
---空転する左舷のスクリューとアイドリング状態の右舷エンジンのせいで、イントレピッドは風見鶏のごとく強風に煽られ、2日間東京へ向かうコースに乗っていた。もっともスプレイグ艦長は後に、その時は行き先に何があるかなんて全く興味なかったと語っている
--[[ウィキペディアのイントレピッドのページ>https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%94%E3%83%83%E3%83%89_(%E7%A9%BA%E6%AF%8D)]]には、[[ドック入りした時に撮影された被弾個所の写真>http://www.researcheratlarge.c
-修理を終えたイントレピッドは、1944年10月17日から始まったレイテ島侵攻作戦に、第38.2任務群の司令官、ジェラルド・F・ボーガン少将の旗艦として参加する。
--シブヤン海を航行する日本艦隊を発見したのは、イントレピッドから発艦した索敵機だったとされている。
--日本艦隊に対する第一次空襲は、イントレピッドとカボット(CVL-28、未実装)から出撃した攻撃隊によって行われ、[[武蔵]]の主砲天蓋に爆弾命中(装甲に弾かれ被害なし)、至近弾2発を与えて軽度な漏水を発生させた他、魚雷1本を命中させている。戦果とし
--また、この攻撃隊は[[妙高]]にも魚雷を命中させている。(このあたり、詳しくは[[妙高のページ>妙高]]で)
--続く第2次攻撃隊は[[大和]]と武蔵に攻撃を集中し、特に武蔵はこの攻撃により、いよいよ後落が始まった。なお、イントレピッドとカボットは、初期から攻撃隊を出していたこともあり、第3次以降の攻撃隊には参加していない。
-日本海軍が壊滅的打撃を被り退却した後も、イントレピッドは同地に留まり、フィリピン攻略の支援任務に従事している。
--この期間中、10月30日と11月25日にそれぞれ一機の特攻機の突入を受け、死傷者を出している。特に11月25日の被害は甚大で、長期の戦線離脱を余儀なくされた。
-修理を完了したイントレピッドは、ドックから出るとすぐさま、1945年2月から3月にかけて行われた硫黄島攻略に参加している。
--引き続いて行われた沖縄攻略戦では、海上特攻隊として編成された[[大和]]以下の第二艦隊攻撃にも参加している。つまりイントレピッドは、大和型戦艦2隻ともの最期に直接関わった空母という事ができる。
---この攻撃は、トラック島空襲とは逆に、先に戦艦部隊による砲戦が計画されていた。スプルーアンス大将のカミカゼ攻撃に呼応して水上部隊も出撃してくるだろうと推測が的中し、デヨ少将の戦艦部隊に水上戦闘の準備を行うよう命じ、ミッチャー中将の機動部隊
---大和以下の艦隊が日本海側への脱出を図るように見せかける韜晦航路を取ったことで運命が変わる。取り逃がすことを恐れたマーク・ミッチャー中将の独断で攻撃隊が出され、なし崩し的に航空攻撃に切り替えられたのだ。
---この時、ミッチャー中将からの「Do you take them? Or us?」(貴官がやるのか、あるいは小官がやるのか?)という事後承諾の問いかけに対して、スプルーアンス大将は「You take them」(貴官がやれ)という「世界一短い作戦命令」を出したエピソードを残
--この第一次空襲で、機関故障で後落していた[[朝霜]]を攻撃したのがイントレピッド攻撃隊だとされている(朝霜攻撃は、バンカー・ヒル(CV-17、未実装)の攻撃隊だったとする説もある)。
-引き続き沖縄攻略戦に参加していたイントレピッドは、4月16日に行われた菊水三号作戦(沖縄へ侵攻する米軍に対する日本海軍の特攻作戦「菊水作戦」の三回目)において、[[零式艦戦52型]]一機の突入を受けた。
--突入角度がほぼ垂直だったことから、特攻機は飛行甲板を貫通し、格納庫で大火災が発生した。この被害によりイントレピッドは、修理のために本土まで後退を余儀なくされる。
--修理完了は6月になったため、結局はこの沖縄戦が、イントレピッドの最後の戦域。8月6日のウェーク島空襲が太平洋戦争における最後の戦闘となった。
-イントレピッドは、就役以来、参加したすべての戦いでなにがしかの損傷を受けている。
--1回の雷撃と4回の特攻機命中により、戦場へ出るたびにドック送りにされたイントレピッドは、「The Dry I」(「&color(red){Dry}; dock(乾ドック)の&color(red){I};ntrepid」と眼病の「Dry eye」を掛けている)や「Decrepit」(「よぼよぼの」「ガタが来
-余談だが、イントレピッド搭載の第18戦闘隊(VF-18、[[F6F-5]]装備)には、海軍の撃墜数第二位の記録を持つエースパイロット、セシル・E・ハリス中尉(生涯撃墜数24機、終戦時大尉)が所属していた。
--ハリス中尉の初陣はガダルカナル攻防戦で、ここで2機撃墜の戦果を上げている。
--イントレピッドに移ってから、1944年11月25日の神風攻撃による大破撤退までの期間で、残る22機の撃墜戦果を上げている。
--この間、全く被弾しなかった。
---イントレピッドの入渠を機に、F8Fへの機種転換に入るが、訓練中に終戦になったため除隊。
---終戦後は、戦前の職だった小学校教師に戻ったそうな。
***2.戦後編・1 CVA時代 [#j9488ff3]
-イントレピッドは1945年8月21日から、日本占領支援のために日本に滞在する。
--その後、12月2日に横須賀を出港、同15日にカリフォルニア州サン・ペドロに帰港した。
--1946年2月4日にサンフランシスコに移され、同年8月15日付で予備役となった。
--さらに翌年3月22日には解役された。
-そのまま静かに余生を過ごすと思われたが、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争と、それに端を発する東西対立が、イントレピッドにも再び出番をもたらした。
--1952年2月9日には再び予備役に指定され、同年3月12日にノーフォーク海軍工廠へ廻航、近代化改修プログラムSCB-27C(詳細は上の「戦後の改装編」を参照)を施工される。
--完成後は攻撃空母に艦種変更され、艦番号もCVA-11となったイントレピッドは、そのまま大西洋艦隊に配属された。
-1955年9月5日、ニューヨーク海軍工廠に廻航されたイントレピッドは、そこで近代化改修プログラムSCB-125(詳細は上記の「戦後の改装編」を参照)を施工し、アングルドデッキを持つ、本格的な近代空母に生まれ変わる。
--イントレピッドはこの改装で、米海軍初の蒸気カタパルトを装備するが、これが「米海軍の艦載機が蒸気カタパルトを使って発艦した第一号」という栄誉を担うことになる。
-1957年9月3日から10月22日まで、NATO合同軍事演習「Operation Strikback」に参加する。
--これにはイントレピッドの他に、米海軍からエセックス(CVA-9)、ワスプII(CVS-18)、タラワ(CVS-40)、フォレスタル(CVA-59)、サラトガ(CVA-60)、英海軍からアークロイヤルIV(艦これ実装済みの三代目[[Ark Royal]]の次)、イーグル(四代目アークロ
***3.戦後編・2 CVS時代 [#dce86dc6]
-1961年12月8日、対潜空母に指定され、艦番号もCVS-11となる。
--この頃のイントレピッドが持つ珍しいエピソードとして、二度のNASAへの協力が挙げられる。エセックス級がアポロ計画に多くの艦が関わっていた事は前述の通りだが、それ以前の計画にもイントレピッドを始めとして関わっている。
---1962年5月24日、大西洋上でマーキュリー・アトラス7号(スコット・カーペンター飛行士)の再突入カプセル回収に従事している。
---更に1965年3月23日には、ジェミニ3号(ガス・グリソム飛行士、ジョン・ヤング飛行士)の再突入カプセルを回収している。
-1966年に入るとイントレピッドは、太平洋に回航され、ベトナム戦争に従事している。
--他のエセックス級が援護や飛行機輸送が主任務だったのに対してイントレピッドは艦種記号こそ対潜空母のままだが、艦載機は戦闘機や攻撃機が主体の実質的な軽攻撃空母として用いられた。
--この時に珍しいエピソードとして、同年10月9日のミグ撃墜が挙げられる。
---撃墜したのはイントレピッドのVA-176所属艦上攻撃機A-1スカイレイダー4機のチームで、相手はベトナム空軍のMiG-17。レシプロ攻撃機によるジェット戦闘機撃墜という、非常に珍しい記録である。
垂直尾翼から胴体に掛けて大きな赤い稲妻が走り、その先端に漫画チックな蜂が描かれた、かなり有名な塗装の機体で、日本でも何度も模型化されているので、見たことのある方も多いのではないだろうか。
-この帰路、1967年の大西洋艦隊復帰時には、第三次中東戦争への示威行動として、アラブ諸国とイスラエルが火花を散らすスエズ運河を、白昼堂々と通行している。
-イントレピッドに、ようやく静かな海が訪れた。解役の命令書が発令されたのだ。
--この時をもってイントレピッドは、ようやくその戦歴を閉じた。時に1974年3月15日、就役から30年7ヵ月のことだった。
***4.博物館としての余生 [#nc356b96]
-1976年、建国200年を機に、モスボール保管されていたイントレピッドが、海上博物館として整備されることになった。
--元々はスクラップとして売却が決まっていたイントレピッドだったが、就役以降に太平洋で行われた、空母の参加した戦い全てに参加し、何度も叩かれながらも戦場に舞い戻った戦歴を惜しむ声にも助けられ、大物投資家なども巻き込んだ熱心な運動の結果、ついに
--1982年8月、整備を完了したイントレピッドはハドソン川を臨むニューヨーク86番桟橋に係留され、海上航空宇宙博物館として開館する。
---2001年9月11日に発生した同時多発テロでは、テロ攻撃を受けて緊急避難先を探していたFBIが、臨時にオペレーションセンターを設置したことでも有名。
---ウィル・スミス主演の「アイ・アム・レジェンド」の撮影が行われたのも、この改装前時代。
-繋留されている86番桟橋の老朽化が激しくなったことから、整備話が持ち上がる。
--2006年6月頃から始まった計画では、同時にイントレピッドも一時的に移動し、ドックで整備を行うこととされた。
--2006年11月6日、大潮の満潮時を狙って、タグボート6隻により曳航が開始されたが、長年積りに積もった土砂により、半ば座礁したような状態となっていたため、移動に失敗した。
---一時は解体撤去の話も出たが、陸海軍共同の調査で、あと少しの土砂の浚渫で離礁が可能なことが判り、1か月後の12月5日に再び迎える大潮の満潮時に間に合わせるため、突貫で浚渫工事が行われた。
---今度こそ移動に成功したイントレピッドは、約二年の歳月をかけてリニューアル工事が終わった86番桟橋に戻され、2008年11月8日から再び博物館として再開された。
--トム・ハンクス主演の映画「ハドソン川の奇跡」や、日本のバラエティ番組「世界の果てまでイッテQ!」のロケに使われたのは、このリニューアル後のことだ。
-2009年1月15日に発生した「ハドソン川の奇跡」として知られるUSエアウェイズ1549便不時着水事故では本艦の目前で救出活動が行われた。(沿岸警備隊の監視カメラによる[[動画>https://www.youtube.com/watch?v=fwIe-e7Apkc]]の3分50秒付近でイントレピッドの
-2012年7月19日、86番桟橋に、新しい仲間が加わった。
--イントレピッドと共に戦った空母エンタープライズの名を受け継いだ、スペースシャトルの一番船エンタープライズの展示が始まったのだ。
---共に太平洋で戦ったヨークタウン級のエンタープライズ(CV-6、未実装)、ともに大西洋艦隊で活躍した世界初の原子力空母エンタープライズ(CVN-65)に続けて、三代に亘る奇縁だ。
-これが今、我々が見ることのできる、[[最新の彼女姿(英語)>https://www.intrepidmuseum.org/]]である。
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