天津風

Last-modified: 2014-07-06 (日) 16:23:04
No.181
天津風.png天津風(あまつかぜ)陽炎型 9番艦 駆逐艦
艦船ステータス
耐久18火力10
装甲7雷装28
回避48対空22
搭載0対潜26
速力高速索敵8
射程18
装備
12.7cm連装砲
61cm四連装魚雷
強化型艦本式缶
装備不可
改造チャート
天津風天津風改(Lv20)
図鑑説明
我是阳炎型驱逐舰9号舰,天津风。
担任为次世代舰队型驱逐舰开发的新型高温高压锅炉的试验舰。
数据的话全都有好好记录后交给岛风啦。
努力克服了许许多多的危机和苦难,我可是很辛苦的哦!
CV:未公布;画师:しずまよしのり (点击加号展开浏览)
セリフCV:未発表、イラストレーター:しずまよしのり*1
入手/ログイン不错的风吹来了吧?次世代型驱逐舰原型舰,天津风,该我出场了呢。
母港/詳細閲覧现在吹着什么风呢?
风真不错啊。
讨厌,别碰我的头发啊。风向旗都要掉了。
ケッコンカッコカリ(选中查看)那个…那是什么?诶?!给我的?…这个,要我勉为其难地收下也不是不行…你,是真心地选择了我吗?谢、谢谢了。
ケッコン後母港(选中查看)亲爱的…时不时也休息一下如何?休息也很重要…我说!你没在听吧?!…真是的
編成第十六驱逐队,天津风。起航!
出撃第十六驱逐队,天津风。起航!
从属二水战的我可不是花瓶。雪风,跟上来哦!
遠征選択時风真不错…
アイテム発見风真不错…
開戦风真不错啊…。炮击,开始吧!
航空戦開始時
夜戦開始都说了不会让你跑掉的吧?
攻撃休想逃!
风真不错啊…。炮击,开始吧!
攻撃(夜戦)没问题…毕竟风吹得正好呢!
小破真,真敢干啊…!
中破
被弾カットイン啊啊,舰首和第一炮塔!但是,只是这点损伤的话还是不会沉的!
勝利MVP我…天津风是功臣吗?啊啦,不错嘛!时津风,你说呢―?
旗艦大破真,真敢干啊…!
帰投舰队回港咯,辛苦啦
補給谢谢,我开动了
改装/改修/改造啊啦…不错嘛
人家的连装炮君,肯定要更可爱一些的吧?
风真不错…
入渠(小破以下)哈啊~,累啦累啦。可以回去不?
入渠(中破以上)洗澡啦洗澡。汗味好讨厌的。
建造完了貌似有新的孩子来了呢。还不错。
戦績表示成绩如何呢?…嗯。一般般吧。
轟沈(反転) 
時報
放置時诶?人家才没有感到无聊呢。新型锅炉记录数据之类的,很多麻烦的事情要做啦。真,真的喔!

ゲームにおいて

  • 2014/04/23アップデート、イベント「発艦始め!」にて先行実装。
  • 島風雪風に続いて3人目のホロ駆逐艦娘である(改造後を含めればZ1改Z3改・その他改二もいる)。
  • 初期装備で缶を持ってくる。さらに改造後は上位互換の新型高温高圧缶三式ソナーが手に入る。
  • 未改造でスロットが3つあり、改造レベルも20と育てやすい部類に入る。
    その代わり燃料の消費がちょっぴり多い(史実ではむしろ缶のおかげで良燃費。この辺の扱いは島風と同じだったりする)。

小ネタ

  • 天津風とは「高い天空に吹く風」を意味する。決して天津飯ではない
    「天津風 雲の通ひ路吹き閉ぢよ 乙女の姿しばしとどめむ(僧正遍照)」という歌で知られる言葉だろう。
    本艦は2代目。初代は磯風型駆逐艦で浜風らと姉妹であった。
  • 当時、列強が建造しつつある新型戦艦の速度は上がる一方だった。
    「理想的な」艦隊型駆逐艦として完成されたはずの陽炎型だが、速力は35ノットに過ぎず、これは当時の新型駆逐艦としてはやや遅いものだった。
    駆逐艦による雷撃の成功というものは、如何にして命中魚雷を得やすい射点(発射場所)に到達できるかにかかっており、その為に必要なのは何よりも目標に対する優速だった。
    そのためには概ね10ノット以上の優速が求められていたが、陽炎型の35ノットという速度は敵主力艦を襲撃するには明らかに不足であり、次期主力駆逐艦にはそれ以上の高速性能が求められていた。
    しかし速度を上げる為には陽炎型に搭載されたものよりも強力な機関が何としても必要。
    そこで、次期主力駆逐艦に搭載する予定の新型ボイラーを陽炎型に試験的に搭載することになり、その試験艦として選ばれたのがこの「天津風」である。
  • 従来の「甲型」のボイラーが温度300°C、圧力30kg/cm²の蒸気を生み出したのに対し、天津風のボイラーは更に高温高圧の温度400°C、圧力40kg/cm²の蒸気を送り出すことが可能であり、
    この新型缶の搭載によって燃料の消費量を抑え、また缶そのものも軽量であったので機関重量の軽減も実現した。
  • 天津風乗組員には各種学校の卒業者など特に優秀者を集め、機関の運転状況や整備状況などの詳細な報告をしていた。試験結果は良好で、海軍は大変満足したとされている。
  • 天津風の成功を踏まえ建造された、新型缶を搭載した次期主力駆逐艦こそ、日本駆逐艦史上に名高い重雷装高速駆逐艦「島風」である。
    そのため島風の従姉、もしくはプロトタイプ島風のような関係にあたる。
    • 天津風の機関は試作型なのでそこまで無理をした性能ではない。缶は島風と同一ではなく、出力は同型である陽炎型の52,000馬力に準拠している。
      一方の島風は79,240馬力を誇る。最近島風を見慣れてきてしまった提督は、彼女がすべての駆逐艦どころか扶桑型戦艦をも凌駕する途轍もない怪力の持ち主だということを再認識しておこう。
      飛鷹も高温高圧缶を搭載したが当時の最新世代同士なだけであって、島風・天津風の艦本式自然循環型とは大きく構造が異なる。(飛鷹は川崎ラモント式強制循環型)
    • タービンは他の陽炎型と同じだったので最高速力に大差はないが、燃費は13%向上、航続距離は5000海里から6%(300海里)延伸したという。
  • 開戦当初は同型艦である初風雪風、時津風(未実装)とともに、「華の二水戦」指揮下の第十六駆逐隊の一員として、南方攻略作戦に参加。空母や輸送船団の護衛も行った。
    • クリスマス島攻略作戦の際は大破した那珂が曳航されている間の護衛も行っている。
  • 開戦間もない1942年1月、夜間の掃蕩任務(いわゆる潜水艦狩り)に参加した天津風は、暗い艦橋内で海図を確認していたため小さな島を見落としてしまい、島に直進するハプニングに遭遇する。
    迂回して島を避けるにしても、掃蕩は8隻ほどの駆逐艦が横一線に並んで水中探知機により潜水艦を探す作業なので、探知機がカバーできないスペースを作らぬよう他の艦と連携してコースを変える必要がある。
    天津風艦長は直ちに駆逐隊司令に相談した。「前方に島があるのですがどの方向に避けたらいいでしょう?」  程なくして司令から命令が届く。「飛び越えろ
    • 流石にジョークであり「ムリなら避けていい」と言われたので避けました。
  • 夕立無双でおなじみ第三次ソロモン海戦第1夜戦にも参加。駆逐艦1隻を仕留めた後探照灯照射を行うが狙い撃ちにされ死者負傷者多数を出してしまう。同じく探照灯照射を行っていた暁は撃沈されてしまった。
    この際途中離脱したため味方からは一時沈没したと思われており、後で合流した際にはその生存を喜ばれたという。
    • その後工作艦明石による応急修理を受けてから単独帰国して本格的に修理された。彼女と明石の実装が同時期なのはこのためかもしれない。
  • 以後は輸送船団護衛任務に従事することになる。1944年1月16日、雪風千歳とともにヒ31船団の護衛任務を行っていた中で米潜水艦「レッドフィン」を発見。*2
    追撃を行うも逆に雷撃を受けてしまい、荒れた海も手伝って船体が真っ二つに断裂してしまう。
    艦橋や前部主砲を含む第一煙突より前の部分は失われ、一連の戦闘で古川文次第十六駆逐隊司令以下約80名死亡。
    艦橋もろとも海図を亡失していたため正確な遭難位置がわからず、雑誌付録の地図から無理矢理推定して救援を求めたが、案の定位置が大幅にズレており発見されなかった。
    行動不能の後部のみで一週間漂流し続ける羽目になり、食料も乗員の体力も尽き果てた頃、艦長はついに電波を発信し方位測定をしてもらうという決断を下した。
    敵潜水艦に発見される可能性が高く危険な賭けであったが、この結果天津風はやっと発見され、シンガポールへと曳航された。ド根性っぷりは艦娘一だと思う
    • 中破絵では連装砲くんを乗せた艦首がポロリ。
  • 彼女の損傷は大きく応急修理が終わったのは11月。後部のみしかなかったところに仮の艦首をくっつけたため全長が45mも縮んでしまった。睦月型もビックリの小型化である。
    この衝撃的な姿はWikipediaに掲載された奮戦中の姿で確認できる。*3
    とはいえ応急修理であることは否めず速力も20ノット程度しか出せないため、天津風は帰国しての本格修理を行うことが本国で決定される。
    現地指揮官である福留繁中将は彼女が本当に帰国できるかを懸念し残ることを勧めたが、新艦長となった森田友幸大尉*4は、貴重な機関を搭載していることも考慮して本土での修理を決断する。
  • 翌1945年3月19日、天津風は帰国のため香港から本国へ向かうヒ88J船団輸送船団護衛任務に就くが、
    米軍の執拗な攻撃により船団は全滅。天津風も何度も襲撃を受け、死者1名を出しながら命からがら香港へと逃げ帰った。
  • 4月2日香港で新たに輸送船2隻護衛艦5隻で構成されたホモ03船団*5の護衛艦として編成されるが、空襲により出発前から海防艦1隻が失われてしまう。
    この際損傷した択捉型海防艦の満珠(未実装)から25mm単装機銃2基、13mm単装機銃1基を受け継いだ。(満珠は現地で大破着底から浮遊後、現地で修理中に終戦。)
  • 4月4日に香港を出発するが、翌日には爆撃機の襲撃により輸送船が全滅してしまう。
    僚艦の1隻は輸送船の生存者を救助して香港へと退避していたが、天津風は無線機が故障していたため連絡が取れずそのまま日本へと向かい続けてしまう。
  • 4月6日。米軍爆撃機隊は香港に退避した艦以外の残りの僚艦2隻を沈め、最後の獲物である天津風を仕留めるべく爆撃を開始。
    天津風は譲り受けた機銃を使い18機中3機を撃墜、2機を損傷させるが天津風も爆撃により大破。一時は火薬庫に火が回りかけるが浸水により鎮火し難を免れる。
  • 同日夜。なんとか人力操舵で近くのアモイ湾まで航行したが、機関の潤滑油に海水が入り込んでしまい機関再始動に失敗。錨を失くしていた天津風はそのまま潮に流され浅瀬に座礁する。
    この際、現地の賊に一旦襲われるが見事に乗員の努力で撃退した。
    その後も修理・曳航が試みられるが不可能であると判断され、武装と物資のみを引き揚げた後搭載していた爆雷により自沈処分された。4月10日のことである。
    この直前坊の岬沖海戦浜風と磯風(未実装)が戦没していたため、残る陽炎型は雪風一隻となった。
  • 「艦トハ乗ルモノナリ」 
    • 後に海軍作家となる吉田俊雄元中佐が天津風乗組の新米中尉だった頃、天津風の操艦を行うことになった。
      彼が緊張とともに舵を握る中、二水戦旗艦神通より上の通信が入る。
    • つまり「乗セラレルモノニアラズ」、要は「下手な操艦をするな馬鹿者」。これを帝国海軍の誇るユーモアセンスで脚色するとこういうことになる。艦長以下の士官は大笑いし、下士官は必死に笑いをこらえていたという。
    • このエピソードには続きがある。「初級士官訓練中」との艦長からの返答を聞いた旗艦は「ははぁ先日挨拶にきたひよっこだな、では一つもんでやろう」とばかり、急加速だの変針だのと新人には荷の重い指示を連発。舵を取る吉田中尉は大汗をかきながら必死に食らいついた。
    • 訓練の終わり、再び旗艦から通信が入る。「ダイブ上手クナッタゾ、初級士官」。努力の成果をちゃんと見てフォローも忘れない、そんな粋な帝国海軍の素敵な話でありましたとさ。
      ちなみに、多くの少年を水雷戦隊好きに引き込んだ名著『壮烈!水雷戦隊』に収録されているエピソードである。
      • なお吉田中尉の前任は戦艦長門の通信士で、専ら無線電文の処理が任務だった。つまり大型船舶の操縦は初めて。ぶっつけ本番も良いところである。
      • このとき旗艦神通で水雷戦隊の指揮を執っていたのは、田中頼三司令官である。
      • 海軍の若手士官の任務には「内火艇指揮」があり、戦艦搭載の大型艇は軍艦並みに2軸のものもあって、このために常時操艦の練習をやらされることにはなっている。だが、いきなり駆逐艦は荷が重すぎたようだ。
  • 太ももに見えるガーターベルトのようなものは、頭上の煙突帽子まで繋がっている。エロ水着の如くブラ代わりになってるのかもしれない。
  • 戦後は海上自衛隊初の艦対空ミサイル搭載護衛艦(DDG)となる3代目「あまつかぜ」(DDG163)が1965年に就役している。
    • 当時アメリカでも実用化されたばかりだった「ターター・システム」の供与を受け、日本初のミサイル艦として誕生しただけでなく、今まで人力による部分が多かった各兵装システムの統合制御化、省力化を達成し、護衛艦の近代化に多大に貢献、
      数次に渡る改装を経て約30年の長い間一線級の活躍をしたのち、先代に負けず後継のためのさまざまなデータを残し1995年除籍、海没処分とされた。
    • そんな「あまつかぜ」で培った「ターター・システム」であったが、今となってはご存知の通り「イージス」「PAAMS」といった新システムに取って代わられているため、旧式化した搭載艦船は徐々に数を減らしつつある。
      日本でも2隻が残るのみとなっているが、そんなターター最後の艦が「しまかぜ」の名を持つのは、やはり何かの縁なのかも知れない。
  • 左舷プロペラ(スクリュー)が横須賀基地に、主錨が舞鶴基地にそれぞれ残されている。

この艦娘についてのコメント


*1 CV加筆時はCV・イラストレーター?に出典を記載
*2 「USS Redfin/SS-272」秋雲の仇である
*3 ただ、この応急艦首は速力以上の大波を立てるため速力偽装効果があり、これが後の奮戦の伏線となる
*4 当時弱冠25歳。帝国海軍最年少の艦長であった
*5 ホモとはホンコン・モンジの頭文字を繋げたもので、「香港発 門司港行き」という意味。