Prinz Eugen

Last-modified: 2014-11-21 (金) 10:07:32

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No.176
14.11.21 Prinz Eugen.JPGPrinz Eugen
(プリンツ・オイゲン)
Admiral Hipper級
3番艦 重巡洋艦
艦船ステータス
耐久50火力38
装甲38雷装32
回避34対空16
搭載9対潜0
速力高速索敵15
射程30
最大消費量
燃料50弾薬70
艦載装備
3SKC34 20.3cm連装砲?
3Ar196改
3未装備
装備不可
改造チャート
Prinz EugenPrinz Eugen改(Lv45)
図鑑説明
わ!びっくりした!私、ドイツ生まれの重巡、プリンツ・オイゲン。アドミラル・ヒッパー級3番艦です。
ビスマルク姉さんとライン演習作戦に参加しました。
幸運艦・・・そう?  この海でも戦い抜きます!
CV:未発表、イラストレーター:島田フミカネ (クリックするとセリフ一覧が開きます)
セリフCV:未発表、イラストレーター:島田フミカネ*1
入手/ログインGuten Morgen!(グーテンモルゲン 訳:おはよう) 
私は、重巡プリンツ・オイゲン。よろしくね!
母港/詳細閲覧Einen schönen Tag.(アイネン・シューネン・ターク 訳:良い一日を 別れの挨拶)
おあ!びっくりしたあ!…ぁはい!出ます!
提督ぅ!ライン演習ですかあ!…あぁなんだ違うのかあ…ううん!でも頑張る!任せて!
ケッコンカッコカリ(反転)
ケッコン後母港(反転)ふぁぁ、Admiralさん、疲れたら少し休まないとダメだよぉ。きっと!だからねっ!
編成重巡プリンツ・オイゲン、出撃します!
出撃ビスマルク姉さま、ご一緒に出撃しましょう!
遠征選択時viel Glück.(フィール・グリュック 訳:頑張れ、幸運を グッドラックの意。)
アイテム発見viel Glück.
開戦よく狙って…Feuer!
航空戦開始時
夜戦開始プリンツ・オイゲン、追撃戦に移ります!
攻撃Feuer! Feuer!
砲撃、開始!Feuer!
主砲…よく狙って…砲撃、開始!
連撃/弾着観測射撃/夜戦攻撃
小破うわぁっやられた!でも、まだ…!
私がこんなので沈むわけない…!反撃よ!
中破/大破こんなの、ビスマルク姉さまに笑われちゃう…!
勝利MVPふぇっ、私がラッキーガールですって?全然そんなことないよー!浅瀬とか、苦手だし…
旗艦大破うう……しっかりしなきゃ、私
帰投作戦完了! お疲れさまでしたー。
補給Danke、感謝ね!
改装/改修/改造DankeDanke!
Danke gut!
viel Glück.
入渠(小破以下)はぁ…やられちゃった。すぐ直すから
入渠(中破以上)Gute Nacht(グーテンナハト 訳:おやすみ)
建造完了新艦艇が就役したみたい。楽しみね!
戦績表示艦隊の情報ね、ん、ちょっと待ってー、ほぉ、ほぉほぉ、なるほどねぇー
轟沈(反転)私…今度は先に沈むのね…、酒匂…長門…また…ね
時報
放置時ビスマルク姉さま・・・大丈夫かなぁ・・・?ちょっと気になる・・・。様子見てこよう・・・かなぁ。

14.11.21 Prinz Eugenリアル.JPG

ゲームにおいて

  • 2014年11月14日のアップデートで新実装。同日から始まった秋イベント:期間限定海域【発動!渾作戦】?のE-3クリア報酬。
    • 現時点では、秋イベント以外での入手手段は無い。
    • 重巡洋「艦娘」の追加は鈴谷?熊野?以来、1年3ヶ月ぶりである。(13冬コラボイベント時限定実装のタカオ?を除く)
  • ちなみにドイツ艦なので建造でZ1?Z3?、大型でBismarck?が建造できるかは要検証
    • 建造できれば、遠征が未終了でもドイツ艦を全て入手できることになるし、誤解体等でドイツ艦を全ロストしていても復活させることもできる。
  • 改造Lvが45と高く、同レベルは磯風?と同様になり、重巡の中ではトップ。
    • ただ重巡であるため5-4周回ですぐに改造できる。ちなみに旗艦S勝利のみ44周で達成可能。(MVPを取ればその分周回数は下がる)
  • 初の無改造でのホロ?重巡。改造するとSホロになる。
  • 運の初期値が30と改造前の重巡洋艦娘の中ではトップの値。改造後を含めても2014年11月現在では青葉改?妙高改二?しか並ぶ艦が存在しない。このため着任してすぐから魚雷カットインが視野に入れられる唯一の重巡とも言える。
    • この値は後述するクロスロード作戦に参加した長門と酒匂を意識した値と思われる。轟沈時の台詞にもその二人の名前をつぶやくことから、面識はあるようである。
    • 改造後は更に上昇して運40になる。
  • 余談だが、この娘の登場により初めて、艦娘図鑑において、1人だけの絵師が手がける図鑑ページが登場した。絵師は島田フミカネ。
    • 惜しいのは、吹雪北上などを含む図鑑2ページ目。10隻のうち9隻がしばふ艦である。
    • ちなみに同時に1ページすべて海外艦(日本艦以外)で初めて埋まったページでもある。
  • ちなみに中破絵で見られるパンツweiß・・・良い色だな・・・
    • 名前をもじってプリケツといわれることもある模様

小ネタ

  • アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦の3番艦。キールのクルップ・ゲルマニア造船所にて1936年4月23日起工・1938年8月22日進水・1940年8月1日就役。
    • 基準排水量14,680tは第二次世界大戦に参加した重巡洋艦の中で最も重い。*2
  • 艦名は、17世紀末から18世紀初頭に活躍したオーストリアの軍人オイゲン・フォン・ザヴォイエンに因む。
    • 名前の独:プリンツ/Prinzは、英:プリンス/Prince、と同じ。王族・貴族の男子と言う事である。 だが断じて男の娘ではない!! ちなみにこの女性系、すなわち英語の「プリンセス/Princess」に対応するドイツ語は"Prinzessin(プリンツェスィン)"である。
    • 彼がプリンツ・オイゲン、つまりオイゲン公子と呼ばれたのはサヴォイア公家の男系子孫だから。*3フランス生まれの陸軍の軍人である。
      イタリア系(サヴォイア家)フランス貴族出身のオーストリア軍人という大河ドラマのネタになりそうな人。
    • 名門サヴォイア公家のフランス分家であるソワソン伯爵家に生まれるが、嫡子ではなかったので家を継げず、軍人として身を立てようとするも国王(ルイ14世)に取り立ててもらえなかった。
      そこでオーストリアに渡り仕官、数々の戦功を立て順調に出世、将軍に昇り詰め祖国フランスとの戦争で大活躍。元は他国人であるにも関わらずドイツ民族の名将として没後も尊敬を集める事となった。
    • 「ドイツ民族の英雄」なので、オーストリアも第一次大戦時の戦艦に同じ名前を付けている。そして第二次大戦時のイタリア巡洋艦「エウジェニオ・ディ・サヴォイア」も同一人物が元ネタ。
      家系はイタリア系だしイタリア王家の親戚筋だしイタリア人みたいなもんだろ(byドゥーチェ)…という事か。
      都合三カ国で主力艦の名前になった人もこの人ぐらいだろう。(後述する英艦、本艦の米編入も含めると5カ国)
    • 彼の正式な名前をそれぞれあげると、ドイツ名は”オイゲン・フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリニョン(Eugen Franz von Savoyen-Carignan)”、フランス名は”ウジェーヌ=フランソワ・ド・サヴォワ=カリニョン(Prince Eugène-François de Savoie-Carignan)”。
      イタリア名は”エウジェーニオ・フランチェスコ・ディ・サヴォイア=カリニャーノ(Principe Eugenio Francesco di Savoia-Carignano)”となる。どこのイーノックだ
    • 対フランス戦争の一つ、スペイン継承戦争ではイギリス軍司令マールバラ公ジョン・チャーチルと共同作戦を展開した。
      • ちなみにこのジョン・チャーチルは名前から推測されるとおり、第二次大戦時のイギリス首相ウィンストン・チャーチルのご先祖様である。
      • 上記のエピソードに因んで、イギリスのロード・クライヴ級モニター5番艦にも「プリンス・ユージン」として使用されている。このクラスは地上砲撃艦としてのモニターの性格から、あえて陸軍軍人の名を艦名に採用している。
      • 対オスマントルコ戦争での功績もあって選ばれた名前だが、フランス絶対倒すマンだったオイゲンの名前を出されたことについてフランスはどう思ったやら。



【設計】

  • アドミラル・ヒッパー級の仮想敵はフランス・イギリスの所有する条約型巡洋艦(つまり重巡)。
    仏の最新鋭重巡アルジェリーに対抗できる攻撃力、同じく仏海軍のダンケルク級巡洋戦艦との直接戦闘を避けられるだけの速力、そして広大な大西洋海域で行動しうる長大な航続力を念頭に置いて設計された。
    • 更にレーダー元帥の無茶ぶりで防御区画を強化したことなどもあり、基準排水量約14,000tと重巡にしてはかなり重く仕上がっている。
      その上オイゲンは、後期型の一番艦*4としてさらなる設計変更で600tも重くなっており、世界的にもかなり重く大きい部類の重巡として仕上がってしまっている。*5
  • 武装は主砲に20.3cm連装砲4基、高角砲に10.5cm連装6基と排水量の割にはしょっぱく、主砲の口径門数だけなら一回り小型のイギリス重巡と同レベルで日米より劣るが、
    60口径(実質は55口径)という長砲身のもので性能的には日本イギリスをやや上回っている。また高角砲の数は改装後の摩耶様と同等。
    魚雷発射管も53cm3連装4基とイギリスの1.5倍程。なお日本は61cm4連装4基という魚雷バカだった
  • 舷側装甲厚は80ミリ、主砲防盾105ミリと、排水量が巨大な割に薄弱である。防御範囲が広いのがドイツ式防御要領である。
  • 機関は姉のヒッパーやブリュッヒャーがあまりに機関不調に悩まされたため、信頼性を高めるために蒸気圧を低めたラモント式ボイラー?を採用している。
    だが、それでも機関不調はあまり改善されておらず、機関整備に長けたフランスのブレスト工廠の世話になるまで万全の状態とは言いがたかったと言われている。
    • ボイラー圧力はヒッパーの78気圧から73気圧へ低下させたが、この程度では信頼性改善について何の足しにもならず、ザイドリッツではさらに48気圧にまで落とすことになる。
    • フランスでの修理においてはボイラ部品の6割をフランス製部品と交換することになった。フランス側の所見では「ボイラーの設計において熱膨張が全く考慮されていない」という。
  • 航続距離も、要求性能は20ノットで6,800海里であったが、ドイツではタービンの製造技術で他国に後れを取っていた為に19ノットで6,500海里と要求性能を下回る結果になり、
    ドイッチュラント級*6やシャルンホルスト級に追随できずに通商破壊戦では、不十分な戦果しか挙げられなかった。
  • アドミラル・ヒッパー級は主砲の数・配置、艦橋等、艦形を同時期に建造されていたビスマルク級・シャルンホルスト級に意図的に似せて設計されている。
    これは敵側による誤認の誘発を狙ったもので、ライン演習作戦での「デンマーク海峡海戦」において実際にイギリス艦隊(フッド、プリンス・オブ・ウェールズ)が先頭を走るプリンツ・オイゲンをビスマルクと誤認しており実戦において効果を発揮している。
    • ビスマルク:sidefront、シャルンホルスト:sidefront、プリンツ・オイゲン:sidefront
      実艦を見比べてみると艦橋周りや全体のシルエットなど似せてあるのが分かるだろう。大和型・金剛型・高雄型などと見比べてみるといかに似せているかが分かり易い。
  • 後述のフミカネ氏の呟きにもある通り、艤装など彼女の見た目がビスマルクに似ているのはこれが由来して意図的に似せてデザインされているからである。・・・ということはシャルンホルスト級も?


【戦歴・戦果・参加作戦】
  • 【ライン演習作戦】
    • 1941年5月、大西洋での「ライン演習作戦」に出撃し、戦艦ビスマルク?とともに英巡洋戦艦フッドを撃沈し、戦艦プリンス・オブ・ウェールズを撃破/首脳部をほぼ全滅させ撤退に追い込んだ。
      • フッド撃沈後、ビスマルクから分離して単独で通商破壊任務に就くこととなったが、道中機関不調を起こし、戦果を得られぬまま、ビスマルク撃沈後に、フランスのブレスト港に入港し作戦を終了した。
      • 入港後は、英空軍の爆撃をはじめとして厳重な監視・攻撃下におかれ、先に入港していた戦艦シャルンホルスト、グナイゼナウ*7共々、出撃もままならない日々が続いた。
  • 【ツェルベルス作戦】
    • 1942年2月、オットー・チリアクス海軍中将の指揮の元、シャルンホルスト、グナイゼナウ、駆逐艦6隻他と共にフランスのブレスト港から白昼堂々ドーバー海峡を強行突破しドイツ本国へ帰還させる「ツェルベルス作戦」(英語呼称「チャンネルダッシュ」)に参加。
      • イギリス軍はドイツ艦艇の脱出経路としてドーバー海峡も想定していたが、迎撃作戦を過度に秘匿したため各部署の連携に支障を来した。
        さらにブレスト港を監視していた潜水艦シーライオン(※S級英潜水艦。金剛及び浦風?を撃沈した米バラオ級潜水艦ではない)もドイツ艦隊の出撃を察知できなかったため完全に後手に回ることとなった。
        イギリス軍は急ぎ「高速魚雷艇による攻撃」「ソードフィッシュによる空襲」「旧式駆逐艦による追撃」を行うもドイツ空軍の支援機とドイツ艦艇の砲火により有効なダメージを与えられず、一隻も撃沈することが出来なかった*8
      • シャルンホルスト、グナイゼナウが触雷するなどのトラブルはあったが、プリンツ・オイゲンを含め参加したドイツ艦艇全てがドーバー海峡の突破に成功している。
  • 【ノルウェー、練習艦隊】
    • 爆撃から逃げた先のキールでもイギリスによる空襲を受けたため更にノルウェーへ避難したが、英潜水艦トライデントの雷撃によって艦尾を大破し、舵を損傷。
      応急処置として緊急退避先の港で艦尾を切断してまえばり板で塞ぎ、手動式の舵を取り付けた。
    • 5月16日、プリンツ・オイゲンは自力でドイツへ向け出発した。キールへの航海中、イギリスの爆撃機19機と雷撃機27機がプリンツ・オイゲンを攻撃したが命中弾は無かった
    • 10月まで修理のため戦列をはなれ、1月には2度ノルウェーへの増援としてプリンツ・オイゲンは
      シャルンホルストとともにノルウェーへ向かおうとしたが、イギリス軍機に発見されたため引き返した
    • ノルウェーへの移動を諦めたプリンツ・オイゲンは練習艦隊に配属され、9ヶ月間バルト海で士官候補生の訓練に使用された
  • 【バルト海での艦砲射撃】
    • 東部戦線においてソ連軍がドイツ軍を押し戻し始めた為、1943年10月1日からプリンツオイゲンは砲術支援の為に戦闘任務に復帰し艦砲射撃により迫りくるソ連軍を撃退し陸軍を支援した。
    • 1944年6月、プリンツオイゲンは装甲艦ドイッチュラント(通称ポケット戦艦、この時はリュッツオウに改名済み)・第六駆逐隊と共に第2任務部隊を編成し、後にティ―レ任務部隊と改称され大型艦では装甲艦アドミラル・シェーアが加わった。
    • 8月19・20日、プリンツ・オイゲンはリガ湾に入り25,000m離れたトゥクムスを砲撃し、主砲弾265発を発射。4隻の駆逐艦Z25・Z28・Z35・Z36と搭載機アラドAr196・魚雷艇2隻がそれを援護した。
    • 9月初め、プリンツ・オイゲンは要塞島、ゴーグラント島攻略作戦を支援したが作戦は失敗に終わった。
      その後フィンランドから撤退する兵士を輸送する船団の護衛にティ―レ任務部隊全軍があたった。
    • 10月11・12日、メーメルのドイツ軍支援の砲撃を実施。
      同14・15日、弾薬の補給後再び砲撃に戻り、この4日間で28の目標に対し主砲弾1,196発を発射した。
    • 10月15日、夜間の濃霧の中、プリンツオイゲンは軽巡洋艦ライプツィヒ(未実装)に衝突、同艦をあわや真っ二つにする大事故を起こしている。
      この際、実に14時間もの間繋がったままであったが、皮肉にもこれによってライプツィヒは沈没は免れている。
      • というのも船体に深く食い込む程の衝突を起こしてすぐに両艦が離れた場合、防水措置の猶予もなく大破孔が口を開くことになり大浸水で一気に沈没に至ってしまうからである。
        これは排水量が10,000tを超えるような船であっても例外ではなく、イギリスで1893年の演習中に戦艦「キャンパーダウン」に衝突された戦艦「ヴィクトリア」は衝突から僅か13分で転覆・その数分後には沈没してしまっている。
    • 11月20、21日、ゴーテンハーフェンへ送られ1ヶ月にわたる修理を終えたプリンツ・オイゲンは
      ソルベ半島のドイツ軍支援のため主砲弾約800発を発射した。
      • 対地支援の艦砲射撃だが、戦車はWW2時世界最強の呼び声高いドイツ軍の誇る重戦車ティーガーでも主砲は88mm、最大でも10cm前後である事を考えれば、プリンツオイゲンの20.3cm砲による長距離艦砲射撃がいかに強力で心強いものであったかが想像出来るだろう。
      • 21時の時報「艦砲で押し寄せる戦車の群れを、結構叩きました。これも割と得意です!」はこれらの艦砲射撃が元ネタ。艦砲射撃はソ連軍の撃退に効果を発揮し、撃ちまくった砲弾の量を思えば得意どころの話ではない。 
  • 【ハンニバル作戦】
    • 1945年1月中旬に修理を終えたプリンツ・オイゲンはハンニバル作戦に参加した。
      これは終戦間際、ソ連軍に包囲され陸の孤島となった東プロイセンに取り残された200万を越すドイツ軍民の救出作戦で、プリンツオイゲンは艦砲射撃による長距離砲撃で迫りくるソ連軍を足止めし救出・撤退を支援した。
      このハンニバル作戦はドイツ海軍最後の作戦で、ドイツ海軍は残されていた海軍兵力を総動員しこの救出作戦にあたった。
    • 1月中旬、ザームラントへ派遣されたプリンツオイゲンはケーニヒスベルクを死守していたXXVIII軍団を艦砲射撃により支援。ソ連軍砲撃を実施し主砲弾870発以上を発射。駆逐艦Z25がこれを援護した。
      この後にもゴーテンハーフェン、ダンツィヒ、ヘラなどでも艦砲射撃を実施し、主砲20.3cm砲弾2,025発、副砲10.5cm砲弾2,446発を撃ち尽くした。他にもポケット戦艦アドミラル・シェーアやドイッチュラント、ユトランド沖海戦の生き残り準弩級戦艦シュレジェンなども共に艦砲射撃や船団護衛にあたった。
      • ハンニバル作戦では1945年1月21日~終戦日5月8日の4ヶ月間に、戦艦から魚雷艇などの小艦艇までの艦艇・商船や漁船に至るありとあらゆる種類の稼働する全ての艦船が動員されその数は約1100隻にのぼり、約240万人の軍民が安全な港へ送り届けられた
        この作戦は救出作戦としては史上最大の作戦で、ダンケルクの奇跡として有名な30万人を救出した英仏軍撤退作戦ダイナモ作戦をその規模・救出人数の両面において遥かに上回るものだった。
      • ドイツ海軍はWW1時にはキール軍港での反乱により敗戦の直接原因となったが、WW2では敗色濃厚となった大戦末期に徒に勝利を模索したり一矢報いるべくその兵力を磨り潰すのではなくその持てる全兵力と資源を以って同胞の救出に全力を挙げる事で有終の美を飾ったと言えるだろう。
    • 4月8日、プリンツ・オイゲンはドイッチュラントと共にスヴィネミュンデへ移動。4月13日には34機の英ランカスター爆撃機が襲来したが、分厚い雲に二隻は守られ爆撃は失敗。
    • しかし二日後、4月15日に18機のランカスター爆撃機が再度襲来し5t爆弾一発がドイッチュラントに命中しドイッチュラントは着底するも、幸運にもプリンツオイゲンは被害を免れた。
    • その後、4月20日にコペンハーゲンへと移動し、そこで5月7日退役、8日に終戦を迎え英海軍に引き渡された。
  • 【戦後】
    • 浮揚・戦闘可能状態で終戦を迎え、「USS プリンツ・ユージン(USS Prinz Eugen, IX-300)」として米海軍に接収・編入された。
    • 1946年、ビキニ環礁での原爆実験「クロスロード作戦」の標的艦となった。
      2発の原爆の爆発を受けても沈まなかったため、実験終了後に調査のため曳航しようとしたが、途中でクェゼリン環礁の浅瀬に乗り上げて転覆・座礁した。
      同様に爆撃で沈没しなかった長門も4日後の未明に人知れず沈んでおり、これらを以って「枢軸海軍最後の勝利」とする向きもある。
      この「座礁」を彼女なりの「自決」と取れば、ついに敵の手によって"沈められる"ことはなかった、と言っても間違いではないかもしれない。
      後にスクリューのみドイツに返還されている。
      • なお現在でも転覆した船体がほぼ完全な状態で残っており、艦尾のスクリューや舵が水上に露出した状態なので潜水しなくてもその姿を偲ぶことが出来る。
        今も水上から見ることのできる艦これ登場艦としては菊月?に続いて2隻目。菊月同様GoogleMapでその姿を見ることができる



*1 CVやイラストレーター加筆時はそれぞれCV・イラストレーターに出典を記載
*2 ドイツはワシントン海軍軍縮条約に参加していなかったため「巡洋艦は10,000t以下」の制限を受けなかったが、他国に配慮して10,000tと発表していた。
*3 ただし、サヴォイア公家とは言っても分家筋であり、しかも当主でも嫡子でもないため正式な称号ではない。言わばニックネームである。オーストリアにしてみればフランスもサヴォイア公国も他所の国なので、「へー、サヴォイアの王子様がウチに?」「すげー、本当の王子様だ!」「王子!王子!」…というノリだったと思われる。
*4 他は未完成のまま空母に改装されたが未竣工のザイドリッツ、独ソ不可侵条約の結果ソ連に未完成のまま売られたリュッツオウ。
*5 日本海軍で最も重い重巡である高雄型(改装後)でも基準排水量13,400t程度。オイゲンより重い重巡は第二次世界大戦後に就役したアメリカ海軍のデモイン級(同17,273t)ぐらい。ちなみに、日露戦争時の敷島型戦艦は一番艦の「敷島」が基準排水量14,850t、四番艦の「三笠」が15,140tで、オイゲンはかつての前弩級戦艦に匹敵する重量である。
*6 排水量の割りに攻撃力が高かったので「ポケット戦艦」とも呼ばれた。航続距離は20ノットで10,000海里。
*7 1941年頭の大西洋通商破壊作戦「ベルリン作戦」の結果。両艦は後にビスマルクで戦死したギュンター・リュッチェンス大将が指揮していた。
*8 逆にイギリス側のソードフィッシュ隊が全滅し、シャルンホルストのホフマン艦長が「かわいそうに。あんなにのろくては自殺同然だ」という感想を口にしたほど。