「ぐうの音も出ないほどの聖人」の略。非常に優れた人柄の人物へ贈られる尊称である。ぐう畜の対義語。
元々は日ハム小笠原に対して使われていた。
【目次】 |
聖人エピソードの一例
以下、選手名は五十音順に列挙。
- 大瀬良大地
以下のエピソードから「良い人」のイメージが強い。- 大学時代の日本代表候補向け合宿中、知り合いのいない環境で孤立していた長谷川潤(元巨人)に積極的に声をかけた。
- プロ入り時、家族思いの様子がドラフト特番で紹介される。
- 藤浪晋太郎に死球をぶつけられた時もにこやかに対応*2。
- 自らが打ち込まれた時はベンチでグラブを3度叩きつけようとして3度我慢し道具を大切にする。
- 2018年6月22日の阪神戦で両リーグ最速の10勝目をマーク。怒った阪神ファンから自身のそばにメガホンが投げ込まれる事態も「買ったお金がもったいないなあと思っていました」と大人の対応。
- クリス・カーター
スタンフォード大学を3年で飛び級卒業するほどの怪物的高学歴の持ち主で、MLBでは対右投手要員として活躍。2012年に西武に入団してからは都内から本拠地である西武ドームまで電車通勤していた。
熱血漢な一面も持ち合わせ、キャプテンである栗山巧が怪我で離脱し、チームも2連敗している中で迎えた8月23日の対ソフトバンク戦の試合前ミーティングで「勝者と敗者の間には、1センチの差しかない。俺たちはチャンピオンを目指すチームだ。きょうはチャンピオンのように闘おう。チャンピオンは、あきらめない。」と熱弁を奮ってナインを鼓舞し、チームを勝利に導いた。
引退後も西武ファンを公言しており、2018年に西武が優勝マジックを5にまで減らした際には、着ていたYシャツを破り中から自身の2012年度のユニフォームを見せるパフォーマンスと共に激励のコメントを寄せた。また元チームメイトの秋山翔吾(現:広島)がシンシナティ・レッズと契約した際には、twitterにてエールを送った。
- ボビー・ケッペル
2010年に北海道日本ハムファイターズへ入団、2年連続2桁勝利を挙げるなど活躍。
打線を組めるほどの聖人要素満載のエピソードの数々から、当初名前をもじって「ケツペロ」と揶揄していた一部のなんJ民も沈黙せざるを得なくなった模様。退団時には栗山英樹監督(当時)が「何とか怪我の癒えた状態*3で送り出せてよかった」とコメントしていた。- 死球を与えた際には、帽子を取り一礼という日本式のやり方で打者に詫びる。
- 東日本大震災に心を痛め、家族を呼び寄せてチャリティー試合前には志願してスピーチ*4。
- 球団の病院訪問メンバー(主に子供たちへの激励)を外された事に憤慨、直訴して以降は定期的に訪問。
- 試合を観戦した障がい者たちと対面しガッチリと両手で握手、サインボールを手渡す。
- 右肩故障からの復帰登板後に勝利すると、同じ故障でリハビリ中の斎藤佑樹にウイニングボールを渡して激励。
- 連敗中のバス移動ではピザを振る舞う(チームメイトに分け与えたため、自身は食べられなかったという)。
- スポーツ紙の番記者にも、退団の際には自身の記事について感謝を述べる。
- その後シンシナティ・レッズとマイナー契約。日本球界での実績からメジャー先発間違いなしとされた。しかし同時に父が癌に侵され、家業の造園事業を継ぐためにあっさりと引退。キャリアよりも家族を優先させた。現在は宣教師として活動している。
- 嶋基宏
プロ入り前から文武両道を地で行く*5人物として知られており、2012年オフにはプロ6年目にして史上最年少でNPB選手会長に就任するなど、人徳者エピソードが多数存在。
東日本大震災復興支援チャリティーマッチでのスピーチは野球界内外で特に注目を集め、当時のDeNA会長・春田真が横浜ベイスターズの球団買収を決めたきっかけの一つにもなったという。
- フレデリク・セペダ
キューバの至宝*6にしてNPBのネタ助っ人。初来日の時点で既に高齢*8だったため守備・打撃ともに精彩を欠いており、2年目はほぼ二軍に幽閉されていた。
しかしキューバリーグが終わったらすぐに巨人のキャンプに合流、二軍でも練習は真面目に参加、若手選手にコーチのようにアドバイスしていたため、同じ巨人ネタ助っ人のフアン・フランシスコ、キューバ出身で2年目に来日しなかったユリエスキ・グリエル(元DeNA)と比較され、「成績こそ悪いが人間性は最高」と評され愛されていた。
- 長野久義
広島移籍時のエピソードを参照。
この他、(外国人選手、新加入選手、退団選手などへの)気遣いエピソードが多数存在。
- 梨田昌孝
- 球界再編で近鉄球団の消滅が決定した2004年の出来事。近鉄最後の試合のミーティングにおいて、梨田は監督として「みんな、胸を張ってプレーしろ。お前たちがつけている背番号は、すべて近鉄バファローズの永久欠番だ」と語り、悲しみや今後への不安を抱きながらプレーに臨む選手たちを鼓舞し勇気付けた。これは今でも球史に残る言葉として語り継がれている。
- また合併に際して、近鉄側のチーム色を配慮していたオリックス球団、および監督に就任した仰木彬からは“ヘッドコーチへの転任”という形で残留を要請されていたが、「選手・スタッフやファンがばらばらになり、その進路も決まらないうちに自分一人が残るのは望ましくない」と自ら辞退。ここでも指揮官として周囲への気遣いを見せると共に、あくまで近鉄の一員として最後までその立場を貫いた*9。
- 楽天監督就任直後の2015年の秋季キャンプのこと。この時、戦力外となっていた選手*10が入団テストの為に秋季キャンプ地に合流していた。キャンプ終盤の紅白戦後、「これだけお客さんが入ってるんだから裏で合格を伝えるより、生で喜びの声を聞いてほしかった」と入団テストの合格発表をファンの目の前で行う粋な計らいを見せ、4選手全員の合格を発表した*11。
- 日本ハムは栗山英樹が監督として長期政権*12を敷いていたため、梨田は楽天の監督を務める間は“先代の日ハム監督”という立場であった*13。それ故、自身の日ハム監督時代を支えた選手達(飯山裕志など)が楽天監督在任中に引退することも多かったが、敵チームの監督という立場ながら殆どの選手にコメントを寄せる。
- ケーシー・マギー
2013年に楽天で、2017~18年に巨人でプレー。楽天球団初のリーグ優勝・日本一に大きく貢献し、セ・リーグのシーズン最多二塁打記録を更新するなど活躍。
近年の助っ人外国人ではかなりの人格者で知られており、現役引退後は巨人の駐米スカウトを務める。- 自身の子が先天性の病気を持つため小児医療への関心が高く、啓蒙活動も行っている。車椅子を寄付したり、病気を持つ子どもたちを試合に招待したりした。
- 東日本大震災で被災した宮城県へは、復興のため1000万円以上も寄付。
- 2017年の交流戦期間中、楽天ファンへビデオメッセージを送り、「アメリカにいる間も楽天は気になっていたから結果をチェックしていたよ」とコメント。仙台での打席では大きな拍手で出迎えられた。
- 試合中、審判の判定に不満を爆発させた同僚のマイルズ・マイコラスに対し「ガタガタ言ってないで、いいから早く投げろ!」と一喝。マイコラスを落ち着かせると同時にチームのムードを守り抜く。
- 2017年オールスター第1戦(ナゴヤD)のセリーグ写真撮影の後、ヤクルトから唯一出場した小川泰弘が戸惑っていたところ声を掛けて肩を抱く。
- 代打起用が続き不貞腐れていた村田修一が「暇ー!」と叫んだ件で、殊勲打を放ったマギーは「ムラタは素晴らしい選手。代打で彼が四球を選んで繋いでくれたから、僕は打つ機会を得たんだ。僕がこうして仕事を出来るのはムラタあってのことだ」とコメント。
- 2018年のクライマックスシリーズ敗退後、涙を浮かべながら「これから何が最善か考えるので結論はまだだが、チームは若返るもの。自分は歳をとった」とチームのための引き際まで考える。
- 三浦大輔
1991年に横浜大洋ホエールズ時代に入団し、横浜ベイスターズ時代の1998年には日本一を達成。その後チームは暗黒時代を迎え、2008年オフにFA宣言。阪神が興味を示しファンは移籍を覚悟するもファンの声に応え残留 *14。貧打で負けても「点を与えた自分の責任」などとチームメイトを庇いつつ、25年の現役生活を横浜一筋で終えた*15。なお横浜スタジアムの打者優位ぶりやベイスターズ守備陣の頼りなさも相まって積み上げたWAR(セイバーメトリクスの総合指標の一つ)は歴代でも屈指の水準にある、という分析もある。(参考)
また、自身のサインの転売について「もっと書こうと思うよ。売るのも買うのもバカらしくなるぐらい書こうと思う。 『えっ?三浦のサイン買った?アホやなぁ・・・球場行ったらナンボでももらえるのに』みたいな」と発言するなど、常にファンサービスを忘れないナイスガイである。
チームメイトの信頼も厚く、引退試合当日のブログの写真には一軍メンバー全員に加え故障中の須田幸太も収まっていた。
2021年から一軍監督就任。開幕前にはチーム関係者ら100人以上に高級牛肉をプレゼントするなどナイスガイっぷりは健在で、主力の流出や外国人選手の来日遅れに対しても「若手にとってはチャンス」と前向きに捉えたり、開幕から8戦連続勝ちなしの際にも自分の継投ミスを認めたりする等、ポジティブを旨としたコメントを心掛けた。2022年は横浜球団史上初となる「生え抜き監督でのシーズン勝ち越し」を達成している。
その他、ぐう聖と言われる人物
- アレックス・ゲレーロ
俺はもう我慢の限界だを参照。
- ケビン・メンチ
言うまでもなく肝心の打棒はサッパリだったが慈善事業への積極的な参加や練習態度は評価が高く、阪神の歴代外国人選手の中でも人間性はトップクラスと言われる。
- 森本稀哲
幼少期に汎発性円形脱毛症を患う。現在は治癒しているものの敢えてスキンヘッドにしているのだが、それは同じ病気に苦しむ人々に勇気を与えたいという思いから。日本ハムで新庄剛志らとともにムードメーカーを買って出たり、移籍先のDeNAと西武で不振に陥り二軍生活であっても腐らずチームを鼓舞。引退試合の「稀哲さんに(打席を)回せ」*16は彼の人望を示すエピソードとして有名。また、ホームランを打ってもホームベースまで全力疾走を怠らない模範的姿勢の選手でもあった。
引退後は怖くないOBとして知られる。
- ウィリン・ロサリオ
こちらも肝心の打棒はサッパリだったため日本とは短い縁となったが、持ち前の陽気な性格で監督やチームメイトらを勇気づけようと努めた。メンチ同様に人柄面では好評で、豪雨被害に対しては個人で100万円を寄付するなどした。
- 天野浩一
元広島、四国学院大学在学中の2000年、同校新入生の後輩(背番号48)とすぐに仲良くなるも、同年5月29日に後輩は交通事故により他界。
そして広島入団時に提示された背番号も48だったことから天野は「現役続行の限り背番号は『48』を通す」と語っていた。
福井・香川で指導者となってからも48番を付けていた。
例外
一口に「ぐう聖」といっても、上述のような良いエピソードばかりが目立つ選手だけではなく、中には同時にぐう畜なエピソードなども持っていたり、それと誤解されやすい一面を併せ持つ選手も存在する。
- 赤星憲広
盗塁の数に応じて車椅子を寄付する活動に取り組み、なんと301台もの車椅子を養護施設や病院へ寄付。「ボランティアは生涯現役」をスローガンとし*17、引退後もパートナーとなる企業を探し車椅子の寄付を続ける聖人ぶり。
しかしながら観客のヤジに「入ってねえんだよこの野郎」と怒ってしまうなど短気な面もあるため畜生と誤解される。
- 江尻慎太郎
日本ハム、DeNA、ソフトバンクと渡り歩いた球団全てで仲間に慕われた好人物。故郷の宮城県が東日本大震災で被災した際には義援金の寄付に加え、医療現場の危機を知りAEDの寄付にも力を入れた聖人。
しかし道具を粗末にした黒歴史を蒸し返されてしまう。
- ダヤン・ビシエド
日本を愛し球団を愛する現役屈指のぐう聖外国人選手として知られる。
毎年最後まで日本に残りNPBの表彰式やファン感謝祭にも出席*18、定期的に和服で家族写真を撮る、愛犬に日本由来で『富士』と名前を付ける、中日で引退したい旨の発言をするなど聖人エピソード多数。
特に中日が「ビシエド個人軍」とも揶揄される歴史的に貧打に苦しんだ2019~2020年の期間ではビシエドへの厳しい攻めが続き、それに伴い死球も多かったがビシエドは死球を受けても一切怒るそぶりを見せず、それどころか他球団の外国人が怒った際には率先して止めに行くなど人柄の良さが伺える。
しかし2022年4月1日の広島戦ではチャンスで凡退を続ける自分自身への怒りからかベンチ裏で一人暴れる姿が中継され、プロ野球ファンに衝撃を与えた*19。
- 福良淳一
小谷野栄一とのエピソードをはじめとした聖人エピソードが複数存在。
オリックスGM就任後は厚い人望・人脈を活かした敏腕を振るっているが、一軍監督時代の専横ぶりから賛否両論ある人物である*20。主な聖人エピソード
- 日本ハムの二軍監督代行を務めていた2006年、イースタンリーグの試合に出場していた小谷野栄一(現オリックス野手総合兼打撃コーチ)が打席途中パニック障害を発症。その後も症状が出た為、小谷野の私生活にまで影響が及んでいた。その状況に陥っていた小谷野に、福良は「何分かかってもいいから、何回タイムをかけてもいいから、とにかくバッターボックスに入ってみよう。まずはそこから始めてみたらどうだ? 審判から怒られたら、俺が謝ればすむ話だから」と声をかけ、病が原因で現役引退も考えていた小谷野の野球人生に大きな影響を与えた。2018年に小谷野は現役引退をするが、その際にも「福良監督は憧れであり尊敬できる存在の人」と語っている。
- 野手転向した佐野皓大に寿司を差し入れする。
- 福良が選手時代に背負った背番号1を付ける福田周平に対して、笑顔で「(自分を)抜いてほしいよね、全部の成績。それぐらいやってもらわないと」とコメントする。
- 不振で育成再契約となり、投球への自信を失っていた榊原翼に「慌てずにゆっくりとやっていい。ボールは持ちたくなるまで持たなくていいよ。やりたい事があれば言ってこい」と声をかける。
- 松田宣浩
亜大時代に先輩の不祥事により2部リーグに降格し、井口資仁の持つリーグ通算本塁打記録への挑戦が閉ざされてなお腐ることなく主将としてガタガタになった部を立て直す。
明るいキャラクターで有名だが、これは移籍する川崎宗則にムードメーカーの役割を託されて以降のもので、ベテランになってもその役割を全うする。「自分は代表に選ばれたら辞退の選択肢は無い」と言い切り*21、代表での国歌斉唱時に律儀に歌っていたのが監督の稲葉と松田だけだったなど。
しかし、時折行き過ぎた言動が批判の槍玉に上がる事もある。物議を醸した言動
- ホームラン後の「熱男」パフォーマンスについて掛布雅之等から「相手投手に対しての品を欠いている」との苦言を呈される*22。
- 2022年1月に熊本で開催していた合同自主トレ中、自身を含む参加者7名が新型コロナウイルス感染した事が1月18日に球団より発表*23され、NEWSポストセブンでは「(自主トレ参加者による)キャバクラでの会食も行われていた」という記事が取り挙げられてしまい、「オフとはいえ引率者として軽率だったのでは」と批判される。
- 森友哉
高校3年の11月に、JR新今宮駅の線路に転落した盲目の男性をチームメイトの久米健夫捕手(元東京ガス野球部。現在は森専属のパーソナルトレーナーとして活躍)と消防士とともに救助し、JR西日本から感謝状を贈られた。新型コロナウイルスの影響からペットの飼育放棄が増えているという現状を知った際は、動物保護団体への支援活動を即断即決したという大の愛犬家でもある*24。
しかし西武の年上の選手に対するエピソード*25から、“悪ガキ”のイメージが先行しがち。更に2022年4月2日、途中交替した後にZOZOマリンのビジターロッカールームでマスクを投げつけた際に利き手を骨折し、翌日このことが発表された際にファンの間で「メンタル面の成長を望む」「年齢相応の言動をしろ」と言われてしまった。
- 山﨑康晃
2021年8月3日に急逝した木下雄介(中日)の追悼試合として行われた9月5日の中日対DeNA戦(バンテリンドーム)にて、木下が生前背負っていた背番号98をユニフォームの帽子などに書き込んで試合に臨むことを自ら発案*26。チームの垣根を越え全員一丸となって追悼の意を表するきっかけになった彼の行動は哀しみに暮れる多くの中日ファンの感動を呼んだ。
非常に明るい性格で知られており、チーム問わず若手から大ベテランに至るまで様々な選手と楽しげに写真に映る姿を度々披露している事などから、球界屈指の『コミュ力お化け』とも称されている。なお大学時代。
一方で2023年には自身のTwitterにて「あほちん」と過激なワードを使って批判を行うなど、それまでの山﨑らしからぬ言動もあり物議を醸している。
- 山本由伸
先発に転向した2019年以降凄まじいムエンゴに苦しんでいるが、試合後のコメントでは常に自ら責任を背負い、冷静に反省点を分析して前を向く大人な言動を見せた事からぐう聖扱いされる。山本の敗戦後コメント傑作選
- 2019年初登板となった4月3日・ソフトバンク戦では9回を1安打で失点ゼロに抑えるも0-0のまま降板。結局そのままドローとなりプロ初完封勝利を逃したが、試合後の取材では四球について反省を述べ「ピンチの場面で野手の方々に助けて頂きながら、9回まで0点で抑えることが出来た」と野手への恨み節もゼロだった。
- 5月16日・ロッテ戦。「野手も反省する所があると思う」
- 7月19日・西武戦。7回を自責0に抑えるも9回に守護神ディクソンが痛恨の3ラン被弾で同点とされ、延長で増井浩俊も被弾し敗戦。試合後の取材に対して「ディクソンはこれまで抑えてくれていた。たまたま自分の投げた日に当たっただけ。去年、自分がリリーフのときに打たれても先輩方が優しい言葉をかけてくれた。そういういい教育を受けているので何かを思うことはありません。」
- 2021年開幕戦(対西武)、味方のエラーで自責点以外に3点失い敗戦投手になった後のコメント。「開幕戦ということもあって雰囲気は多少違いましたね。プレーボールのところから野手もこんなに緊張してることはない。難しいバウンドだったり、打球があったのでそこはなんとか抑えられたらなと思いましたけど。仕方ないプレーだったかなと思います」
- 4月28日・楽天戦。9回無失点も、打線が相手先発の則本昂大を攻略できず0-0のドローに終わる。試合後の取材に「とにかく負けたくなかった。打てなかったというより、則本さんがいい投球。逆に負けなくてよかった」と、則本を称えるだけでなく野手陣も庇うコメントを残した。
山本のぐう畜エピソード
- プロスピA対決動画や球団公式インスタライブで先輩の若月健矢の打撃をイジり倒す。
- ファウルが股間に当たり悶絶する伏見寅威を見て爆笑する。
- 新人の宮城大弥*27に「ブサイク」とLINEする*28。
- 菅野智之の元交際相手との密会が報道される。
- ロッカールームが汚く、先輩の増井浩俊、佐野皓大など他の選手が片付けている。山本本人は「いろいろな人から文句を言われるが気にしていなかった」「反省はしている」などと弁明している*29。
- 2024年にドジャースへ移籍後も、スプリングトレーニングの時点で既に山本のロッカーが汚くなっており(動画の最後を参照)、右隣の大谷翔平のロッカーにファンから貰ったヨッシーの人形を置いているのが確認できる*30。
- 試合前にロッカーでタオル1枚でボール遊びをしており、うっかり下半身を露出する事故を起こしている。
- 年上の選手を差し置いて京セラドームの駐車場で一番近い位置に車を停める*31。なお、山本の愛車が超高級車、かつ山本は駐車が苦手なため他の選手が周囲に駐車しにくい模様。
- ヒーローインタビューでムエンゴを嘆く。
- 2023年のWBCで登板のなかった山崎颯一郎*32を「マイアミ旅行」と煽る。
- 2023年9月9日、2度目のノーヒットノーラン*33を達成するのだが、その後のヒーローインタビューで杉本裕太郎のせいで四球を出してしまい完全試合を逃した旨を暴露する。
- アレックス・ラミレス
現役時代からファンサービスを非常に大切にすることで知られ、「アイーン」「ゲッツ」等様々なパフォーマンスでファンを魅了*34。後輩選手に対しても親身になり、高齢と守備難が理由で巨人を退団した際にも「僕がいては有望な若い選手の出番が減ってしまう」とチーム事情に配慮したコメントを残していた。また、日本に来る数々の新外国人選手がサポートを求めてラミレスの元を訪れていたことでも知られている。
その他、東日本大震災の被災地へ100万ドルの義援金と医薬品を贈る、2000本安打達成後に通訳へ向けて号泣するほどの感謝の言葉を述べる*35、DeNA監督時代に三浦大輔の引退試合で粋な采配を振るう*36、障害児を対象としたチャリティーイベントを開催する等、人格者エピソードは非常に多い。
しかし前妻との離婚の理由がラミレス自身の不倫だと報じられた件、FA移籍した山口俊への辛辣なコメント*37等ぐう畜な逸話も多い。