埼玉西武ライオンズ三軍総括コーチ・田辺徳雄のこと。基本的に蔑称として使われる。
元ネタは侍ジャパン公式マスコット・応援侍たまべヱからの連想。
概要
2014~2016年に一軍監督を務めたが、謎采配が多くチームの低迷も相まって無能の烙印を押されてしまい*1、さらに「たまべヱ」の語感と無能ぶりを合わされた事が由来。
「戦力が整わず*2、非協力的だったフロント側の責任も大きい」という意見も見られたが、実際のところ野手陣に関しては強力な布陣*3であり、また投手陣も後述の怪我による離脱こそあれ根本的な戦力不足でもなかった*4。結局は采配やチーム方針への非難が多くなり、「たなべヱ」が定着化していった。
経緯
- 2014年
開幕から低迷を続け、6月には監督の伊原春樹が球団史上初の途中休養。打撃コーチだった田辺が監督代行として指揮を執り、立て直しの兆しを見せたことや、楽天が逆噴射した事もあって63勝77敗4分の5位で1ゲーム差で最下位は免れた。
コーチ時代に中村剛也・栗山巧・中島裕之らを育てた実績などから、同年オフは正式に監督へ就任。
- 2015年
開幕から絶好調、一時は首位に立つ勢いを見せ鬼門の交流戦も勝ち越した事で「もしかして名将?」という期待をファンも抱いた。
だが7月に入ると守護神の高橋朋己を筆頭に増田達至や武隈祥太らリリーフ陣が打ち込まれ、球団ワースト記録となる13連敗を喫するなど失速。謎采配ぶりも露呈されていった*5。
結局CS争いにも敗れ、69勝69敗5分で4位。
- 2016年
春先から「先発の特攻ローテ」を組んでいた岸孝之・牧田和久・菊池雄星らが軒並み離脱し最下位争い。また、交流戦・広島東洋カープ戦のサヨナラコリジョン事件から13カード連続負け越しというどん底に陥る。以降は積極的に打たせる策が功を奏して巻き返したが9月に入ると退任が報じられる。
CS争いでも大きく離され64勝76敗3分で4位、3年連続Bクラスとなり既報通り退任。後任は球団OBで田辺との二遊間で黄金期を支えた辻発彦(当時中日一軍内野守備コーチ)が務めるはずが、正式決定前に日刊スポーツと東京スポーツがすっぱ抜いてしまう。西武関連に強い東スポと全国紙のニッカンだったためにファンは仰天するも、辻は「シーズン中なのでその手の話は勘弁してくれ」「GMの許可を得ないと移籍は不可能だから」とコメントし、ファンをやきもきさせ「移籍失敗したら葉っぱは責任とれ」などと言われた。結局交渉が成功し監督就任が正式発表された。
- 2017年
辻体制初年度となったこの年、源田壮亮、ブライアン・シュリッター以外に大した補強もなかった*6上にエースの岸が楽天へFA移籍したが2位に食い込む。山川穂高や外崎修汰など新戦力の覚醒はあったものの、やはり田辺の指揮官としての資質に問題があったのではと疑いの目を向けられることになった。
采配で打線組んだ
(中)最多安打秋山にバントさせて失敗
(左)隙あらば牧田
(二)先発を中4日、中5日で無理させて壊す
(三)翌日予告先発投手に中継ぎ登板させる
(一)球団ワースト13連敗
(右)怪我明けの岸に140球、8失点逆転負け
(捕)逆転のチャンスで前打席ホームランの浅村にバントさせて失敗
(投)交流戦は8番ピッチャー固定
(遊)コーチ陣に緊急ミーティングでハブられる
余談
ちなみに田辺の通算勝率.482(代行時代含む)は、所沢移転以降の最低記録。さらに優勝・Aクラスなしも史上初だった*7。
采配面では批判が目立った田辺だが、育成面では山川穂高、森友哉、外崎修汰といった山賊打線の基礎を築き、高橋光成や増田達至などといった投手陣の主力を見出すなど評価は高い。
田辺は2020年シーズンから西武の三軍総括コーチに就任することになったが、代行を除き一軍監督退任後に同一球団でそれ以外の現場の役職に就くのは非常に珍しいケースである*8。