よかったね、おめでとう

Last-modified: 2024-01-21 (日) 13:19:52

落合博満(当時中日監督)が、2009年の第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝を果たした日本代表選手へ向けて発した祝福コメント。正確な表記は区切りが読点(、)ではなく句点(。)だが、前者の表記が一般的となっている。

本来は無関心感の強い表現であるが、現在では「よかおめ」と略され、普通に祝福される意味で使われることが多い。


経緯

2009年のWBCでは、中日からは浅尾拓也高橋聡文岩瀬仁紀森野将彦和田一浩の5選手が、台湾代表としてチェン・ウェインが代表に選出されたものの、その全員が出場を辞退した

結果として日本は優勝を成し遂げたのだが、それに際して発表されたのがこの他人事のように素っ気ない上に皮肉とも受け取れるようなコメントであった。
かねてから落合自身がWBCに消極的な姿勢を取っていたこともあり、「中日はWBCをボイコットした」という印象を決定づけたこの発言は上記の全選手出場辞退とともに批判の対象となった。
ただし上記の選出選手の内、和田は不調のため、チェンは台湾側から「国際試合よりシーズンへ向けた調整を優先して欲しい」という要望を受けていたため、岩瀬と森野は下記の通り怪我や中傷を避けたため、と各々やむを得ない事情があり、参加に意欲的だったのは浅尾と高橋だけだった。
純粋に非協力的という訳でもないことから一概に非難出来るかは微妙なところであるが、それでも「保身だ」「一致団結している所に非協力的だ」という声が強かった。


各球団監督らのコメント

http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2009032400674 (リンク切れ)

◇役割果たした

 日本ハム・梨田監督 稲葉ダルビッシュもそれなりに役割を果たしてくれたし、世界一になってくれてよかった。原監督は大変だったろうが、各チームの選手を束ねてよくやってくれた。

 

◇全員が持ち味出した

 西武・渡辺監督 タフな試合が続く中、全員が持ち味を出し日本野球の質の高さを証明してくれた。選手(涌井中島片岡)は疲れがあるだろうが、気持ちを切り替えて開幕に臨んでほしい。

◇予想していた

 ロッテ・バレンタイン監督 開幕前に米国のテレビ番組で日本の優勝を予想したので嬉しい。日本選手の能力が非常に高いことを、改めて世界に認識してもらえた。

◇よかったね

 中日・落合監督 よかったね。おめでとう。

◇手に汗握った

 横浜・ 大矢監督 手に汗握る接戦で、五分の戦いを粘りに粘った。どっちが勝ってもおかしくない試合。内川も活躍してくれて*1、誇りに思う。

◇メジャーに近づいた

 楽天・野村監督 よく頑張ったねえ。アジアのレベルの高さを知らしめた。最近はメジャーに近づいてきた。野球はパワーだけじゃなく、スピードも必要。真のワールドシリーズができるように世界がなっていったらいいね。メジャー球団同士でワールドシリーズという、うぬぼれ(た考え)を少し懲らしめただけでも価値があった。

◇準備がよかった

 ヤクルト・高田監督 青木はオフからしっかりと準備していたのが、いい働きにつながった。(韓国の)林昌勇もうちの抑えとして(シーズンで)やってくれればいい*2

◇野球の面白さ出た

 阪神・真弓監督 野球の面白さがすべて出たような大会。その中でも日本の野球は素晴らしかった。シーズンもWBC同様に盛り上げていきたい。

◇本当に祝福したい

 渡辺恒雄巨人球団会長 こんなにうれしいことはない。原監督の作戦、人の使い方がうまかった*3。(延長10回の)イチローの2点適時打は、長嶋の天覧試合の本塁打に次ぐ歴史的な出来事だ。本当に祝福したい*4


背景

落合がここまで国際試合に消極的だった背景として、前年の北京五輪が挙げられている。
この大会ではメンバーに荒木雅博、森野、岩瀬が名を連ねたが、荒木、森野の両名は大会で負傷してしまい*5、戦犯となった岩瀬*6へは大会終了後に球団へ脅迫まがいの電話が来て身の危険に晒された*7という事情がある。加えて当時の日本代表監督を務めるも、上記のバッシングや故障を招いてしまった上に結果を残せなかった星野仙一氏の采配を一因として挙げる声も上がっている。
これらの点を加味すると「前年の五輪は中日(出身)の監督*8及び選手のせいで優勝できなかったようなものであり、そんな球団の選手がWBCに参加した所で足を引っ張るだけ」という捉え方もできるため、参加しようが全員辞退しようがどのみち中日へのバッシングは避けられなかった可能性が高い。

なお落合自身は球団ぐるみでのボイコットを否定しており(後述)、さらに監督としての立場から「シーズンで優勝することが球団と契約している上での最優先事項で、その中に国際大会への協力及びその成績は含まれていない」「ケガ等のリスクがあるばかりで金にならない以上、プロの選手が国際大会に出場した所でメリットがない」という解釈をしており、後に第3回WBCの監督候補として名前を挙げられた際にも「絶対にない」と断じるほどであった。

しかしその一方で配下の選手へ向け(何処まで本気だったかは不明だが)「大会から戻ってきた奴を使うかはわからない」という脅迫じみた発言*9もしており、球団の判断ではないという発言との矛盾も指摘されている。


落合の反論

落合監督がオレ流反論40分「上原、宮本は認められるのか」【中日WBCボイコット騒動(2)】
https://www.tokyo-sports.co.jp/baseball/npb/2645355/

【平成球界裏面史・中日WBCボイコット騒動(2)】平成20年(2008年)11月21日、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表候補に選出された5選手全員が辞退したことで「中日はボイコットしたのではないか」と疑われる事態に発展。落合竜は大バッシングを浴びることとなった。翌22日、落合監督はナゴヤ球場のプレスルームに現れると、報道陣を前に大反論を展開した。
 
 落合監督が第一に否定したのが球団ぐるみのボイコットだ。「うちはボイコットしたわけじゃない。辞退はあくまで選手個人の判断だ。若い選手は1年間働いたわけじゃないし、不安があるからできたら辞退したいと言ってきた。本人の意思を尊重しただけで、辞退の判断に現場もフロントもタッチしていない」とあくまで選手の意思を尊重しただけだと強調した。
 
 実際に中日内部にはWBC出場に意欲的だった選手が何人かいた。山本昌は後日、自身のホームページで「実は原監督には日本シリーズのゲスト解説で顔を合わせたときに『ボクはいつでもOKですよ』と立候補しておいたのですが、残念ながら入っていませんでした」と明かしており、予選に出場しながら故障のため北京五輪本番のメンバーから外れた井端もWBCメンバーに選ばれれば出るつもりでいた。それだけに落合監督とすればまず最初に球団ぐるみのボイコット疑惑について否定しておきたかったのだろう。
 
 さらに落合監督は「上原(浩治投手=FA)や宮本(慎也内野手=ヤクルト)は辞退すると言って認められている。一部だけは認められるのか。日の丸を背負ってやりたいというのなら私は尊重する。それと同時に、辞退したいというのも尊重しなければならない。アメリカでプレーする選手は辞退したときにバッシングはなかった。アメリカの球団に対してだってバッシングしてないだろ。選手はプロ野球機構の社員じゃなく、みんな一人ひとりが個人事業主で契約選手だということをはき違えたら困る。もしケガをしても機構は責任をとれないんだろ」と北京五輪後に代表辞退を表明した上原や宮本の名前を挙げ、中日だけが非難されている状況に強烈な不快感を示した。「(日本代表)監督もコーチも連れて来い。オレがちゃんと説明してやるから」と言って約40分にわたるオレ流独演会を締めた。

本件から14年後、2023年に第5回WBCが開催される直前に落合のYouTubeチャンネルで公開された動画でも、落合は「出来れば断って欲しいという申し出を候補者全員から受けた」「参加に意欲的だったが選出されなかった選手もいる」と発言し、後者の一人として中田賢一を名指ししている。

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余談

落合が監督を退任した後の2013年には、中日から井端がWBCへ参加している。この件が井端と落合の確執を強め、後の巨人移籍に繋がったとの見方もあるが、憶測でしかないため真相は定かではない。

また第5回WBCで日本代表が3大会ぶりに優勝した際、落合はこの時の素っ気ない対応とはうって変わってとても無邪気にはしゃいでいる。

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関連項目


*1 内川の他に村田修一も選出され2本塁打を放つ活躍をしたが負傷の為準決勝以降離脱。
*2 決勝戦で敗戦投手。
*3 ただし渡辺はもともと「星野君以上の采配を振るえる人がおるかね?居たら教えて欲しいよ」と星野仙一の続投を支持していた。
*4 このほか「人を出さん球団もあったが、11球団が一致結束してよかったこんな楽しい日はない」とも語っている。
*5 この北京五輪では当時阪神に在籍していた新井貴浩も故障を抱かえたまま出場した結果故障を悪化させ五輪終了後に長期離脱を余儀なくされてしまい阪神が巨人に逆転優勝される原因のひとつになった。
*6 準決勝の韓国戦で李承燁に決勝被弾するなど4試合で3敗,10失点(自責6),防御率11.57。
*7 そのバッシングは球場に警察を呼ぶはめになるほどであったほか、岩瀬は憔悴のあまり同僚の川上憲伸に「ここ(ホテルの38階)から飛び降りたら楽になれる」とまで言っていたという。また落合は岩瀬が帰国後真っ先に「もう出たくないです」と訴えていた事を明かしており、少なくとも岩瀬は最初から辞退する気であったのは事実である。
*8 星野は1987~91, 96~2001年に中日監督を務めた。
*9 Number「原巨人vs落合中日 正義は我にあり」特集より。記事が出た当時のなんJの反応はこちら