2015年に読売ジャイアンツがシーズン途中で獲得したフアン・フランシスコ*1を巡る一連の顛末。
概要
フランシスコはフレデリク・セペダ*2とレスリー・アンダーソンに亀井善行の不調、さらに一塁手・阿部慎之助*3の故障離脱により4月下旬に緊急補強され来日。メジャーでの実績こそあったものの巨人は伝統的に自前での助っ人調達能力が低いため*4、今回もさほど期待されてはいなかったが、後にこの助っ人一人のせいで当時のGMのクビが飛ぶ事態にまで発展しようとは誰も思わなかったであろう。
主な事件
- フランシスコ、ホームランを放ち屁も放つ
来日して間もない二軍戦で初本塁打を放った直後、ベンチに戻った際にチームメートたちに挨拶代わりの強烈な臭いの屁を放ち、あろうことかそれをセペダのせいにするぐう畜っぷりを披露。
- フランシスコ(インフィールドフライ)事変
5月2日の対阪神戦(東京ドーム)が1軍初出場。阪神先発・藤浪晋太郎から決勝点となる初安打初打点を挙げたがその後の打棒はまるっきり振るわなかった。
さらに5月4日の対広島戦(マツダ)の一塁守備ではサヨナラインフィールドフライ(後述)、名付けて「フランシスコ(インフィールドフライ)事変」を起こし、翌日には「ファールフライ落球後初回10失点」*5を起こし、翌々日には「バント処理で謎ムーブを行いオールセーフを2回」を起こすなど、想像を絶する拙守を連発。スポーツ報知には「守乱シスコ」呼ばわりされたり原辰徳監督に「野球選手じゃない」と言われる始末。
結局ゴールデンウィーク終了と共に二軍落ち。結局わずか5試合の出場に留まり成績は18打席の内11三振と散々だった。
- 原沢GM解任
上記の広島戦から間もなく、フランシスコ獲得の責任を取らされる形で巨人・原沢敦GMは5月で解任された。
5月末の球団取締役会、6月の株主総会を経ずに球団の編成トップが解任*6されるのは異例の出来事であった。しかしながらフランシスコが素行不良の問題児ぶりを理由に獲得リストから外されたのは数年前の話であり、年月が経ちケガの影響で練習不足になりすっかり太ってしまっていた*7ことなどを把握もせずに獲得を決めてしまったことは原沢氏のクビが飛んでも残当と言わざるを得ないかもしれない。
- フランシスコ籠城事件
問題児のフランシスコは二軍落ちしたことでますます振る舞いが酷くなり傍若無人に。二軍の他の選手に挨拶しないことは序の口で、首脳陣に対してもシカトを決め込む。そんなある日、打撃練習終了後にロッカールームに引き揚げると自身のスマホを使って大音量で音楽を流して若手たちを閉め出してロッカールームに籠城、やりたい放題で二軍のお荷物と化した。*8
- フランシスコ、セペダをイジめる
誰に対しても傍若無人に振る舞ってたフランシスコだが、特に“キューバの至宝”セペダを目の敵にしていた。ヘルメットの上からバットで小突いたり、平手で脳天を数回たたいたりなどしていた。(冗談のつもりだった可能性もある)
- フランシスコ、球団職員ナンパに失敗する
MLB時代から女癖の悪さでも通っていたフランシスコ。すれ違った女性職員に声をかけナンパして、断られると逆ギレ。職員の上司がこれを注意しに行くと「あの女が俺を誘惑してきた」と言う始末*9。
- 「野球選手じゃない」発言再び
その後、交流戦前に記者から「DHフランシスコ」について尋ねられた原監督は「フランシスコ?野球選手じゃないでしょ。野球選手になってからじゃないと話にならない」とダメ出し。
フランシスコ事変(サヨナラインフィールドフライ)
2015年5月4日での対広島戦で発生した珍事。
9回裏1死満塁の場面で広島のバッター・小窪哲也は投捕間の内野フライを打ち上げ、これに対して二塁塁審と三塁塁審がインフィールドフライを宣告。この時点で打球がファウルにならない限りバッターアウトは成立しているが、捕球を試みた三塁・村田修一と一塁・フランシスコがフライをお見合いし落球。これに対し、各審判はインフィールドフライのジャッジを示し、走者はフォースの状態ではないから塁に留まるのがセオリーである。
ところが、村田が打球に触れたと判断*10し、なおかつこの時点でインフィールドフライを把握していなかった球審の福家英登(ふけ・ひでと)は、インフィールドフライの宣告をすることなくフェアジャッジ。また、三塁塁審のインフィールドフライ宣言をグラウンド上の誰よりも間近で聞いていたはずの三塁ランナー・野間峻祥が何故かホームへ全力疾走*11。
フランシスコは村田が落球したボールをすぐさま拾ったが、インフィールドフライが宣告されていることに気付いていないのか、野間にタッチするのではなくホームベースへの触塁を選択。福家はこれをフォースプレーと判断して自信満々のアウトコール。そして、フランシスコが一塁送球の構えを見せる間に全力でホームに突入していた野間はホームベースを踏むが、福家はこれも完全にスルー。
これに対して広島・石井琢朗三塁ベースコーチが即座にアピール、更に緒方孝市監督も加わり抗議。インフィールドフライが宣告されているためフォースの状態は解除されており、フォースアウトは成立せず、三塁ランナーの野間に直接タッチしていないため、広島サイドの抗議を受けて判定が覆りセーフ。広島はなんとも珍しいサヨナラ勝ちを決めた。
球審の福家*12、野間*13、フランシスコ*14の三方がアレだったこと*15からこそ成立した劇的な珍プレーであるといえる。
ちなみに、1991年6月5日の横浜大洋ホエールズ対広島東洋カープ戦でも似たようなケース*16が発生しており、緒方監督は選手としてこの珍しいケースを目撃、また石井(当時は忠徳)*17コーチも大洋ベンチにいたためこのケースを熟知していたと考えられ、この事がプレー直後の審判への抗議に繋がったと思われる*18。
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ただし「インフィールドフライ落球後はタッチプレーをしなければいけない」という事項は意外と見落とされがちで1991年のプレー当事者だった達川光男や当時の広島監督だった山本浩二もこの時は訳が分からず抗議に及んだが審判団から説明を受けてようやく納得している。掛布雅之もかつて同様のケースに遭遇したことがあり同僚から言われて気づいたとインタビューで述べている。
余談だが、インフィールドフライ宣告を見落として混乱を招いた福家球審は、翌々日の同カードで三塁審として出場。インフィールドフライの宣告を求められる場面が発生し、反省したのか大声かつ大きなリアクションで宣告して現地のファンとなんJ民から笑いを呼んだ。だがやはり審判部はお怒りで、翌カード以降懲罰降格、後半戦が始まるあたりまで2軍戦を担当することになった。
退団
6月に入ると背中の張りで別調整、7月中旬に腰痛治療のために一時帰国しこのまま離脱と思いきやまさかの再来日。しかし二軍暮らしでこのシーズンを終えクビになった。
こうして一軍出場はわずか5試合ながらもその中で強烈なインパクトを残し、「ドミニカに帰れ、デブ!」など罵声を受けまくった2015年を代表する迷外国人選手は日本を去った。原沢GMのクビが飛んだことやフランシスコが起こした数々のやらかしや騒動をまとめて「フランシスコ事件」と言う人もいる。
また、前年まで一塁手として活躍していたホセ・ロペスが移籍先のDeNAで攻守に渡り大活躍している点も、巨人ファンの怒りに油を注ぐ結果となった。
ちなみにこれだけのことをやらかしながら蔑称は先述の報知が用いた「守乱シスコ」や、なんJを始めとしたネット上でもあまり浸透しなかった「不安・フランシスコ」程度で、むしろ「フランシスコ」という名前そのものが蔑称かのように扱われる(当時としては)珍しいケースとなった。
一方で、当時を知る巨人ファンの中からは「本来のポジションじゃないのに守らせてたのがアホ*19」「三塁では好守もあった*20」「来日してすぐに出場させたのが悪い*21」など、貧打から破綻していたチーム状況を勘案した上での擁護意見も一定度あり、二軍落ちから一度も昇格せず塩漬けにされていたことについても同情を買っている。
さらに言えばそもそものフランシスコ獲得の経緯に関しても、
- 規定打席未到達ながら前年チーム最多の22本塁打を放ったロペスを解雇してまで、阿部慎之助の一塁手コンバートを断行。
- にもかかわらず、その阿部を捕手に再コンバート。
- 案の定阿部も負傷離脱してしまい、まともに戦える一塁手がいなくなった結果、新助っ人を緊急獲得せざるを得なくなる。
……と、(不測の事態続きでやむを得ないとはいえ)本末転倒と言える事態をいくつも引き起こしたため、「巨人は何を考えているのか」「ロペスを残していれば優勝もあり得たのに」と怒りの矛先を首脳陣に向けるファンは決して少なくなかった。
その後
巨人退団後のフランシスコはオリオールズとマイナー契約を結ぶもわずか3ヶ月でリリースされ、以降はメキシカンリーグでほとんど日の目を浴びることなくプレーしていた…
のだが、メキシカンリーグからも2020年にリリースされており、その後は無所属のいわゆる野球浪人をしているようである。
そして、巨人退団から6年の時を経た2021年、東京オリンピックの野球ドミニカ共和国代表に選出。日本の初戦の対戦相手となり、フランシスコはなんと4番・指名打者でスタメン出場。マルチヒットで先制に貢献するなど活躍し、なんJは大きく盛り上がった。