ベイス

Last-modified: 2024-03-20 (水) 23:32:23

横浜(DeNA)ベイスターズの蔑称・別称。
2002年から2015年までの長期にわたる暗黒期*1を指す言葉としてかつては使われていたが、暗黒期を脱してからは単に「ベイスターズ」としての略称として使われることが多く、蔑称の意味は薄れつつある。


「ベイス」誕生の経緯

2008年のセ・パ交流戦にて横浜は負けを重ね、交流戦の勝利数が広島の当時のエースであったコルビー・ルイスと並んだのちに抜かれてしまう。このとき好調だったルイスと悲惨だった横浜(ベイス)で成績を比較されたことに由来する。

最終的にルイス5勝、ベイス6勝となり、辛うじてベイスが勝利数で上回ることができた。

 

ルイスとベイス、何故差がついたか、慢心、環境の違い
http://live24.2ch.net/test/read.cgi/livebase/1213434787/(過去ログ)

1 :どうですか解説の名無しさん:2008/06/14(土) 18:13:07.94 ID:qFI6CBBp
交流戦成績
ルイス 防2.10 4勝0敗 勝率1.000
ベイス 防5.84 3勝15敗 勝率0.167


その後

2009年は横浜6勝でダルビッシュ有(日本ハム)他3名が4勝、2010年は横浜6勝で和田毅(ソフトバンク)が5勝と辛うじて上回る結果。「横浜DeNAベイスターズ」となった2012年シーズン以降も低空飛行を続けるが、2014年には13勝で12チーム中5位。ようやく苦手意識を払拭できたと思われたのだが………

翌2015年、DeNAは3勝14敗1分、勝率.176という交流戦史上最低勝率を叩き出し、黒田博樹(広島)・菊池雄星(西武)の3勝に並ばれる結果となった*2


ベイス交流戦成績

DeNAの中畑政権までを記す。

試合勝率順位備考
2005361917.5286位交流戦初年度。
2006361521.41710位
2007241491.6093位試合数が24に削減。
200824618.25012位「ベイス」誕生。
200924618.25012位交流戦史上初のセ・リーグ勝ち越し年*3
201024618.25012位交流戦Aクラスをパ・リーグが独占。交流戦史上ワーストタイの3年連続最下位。
2011247134.35011位
2012249141.39110位この年からDeNAが親会社になる。
201324717.29212位
2014241311.5425位
2015183141.17612位試合数が18に削減。


余談

  • 1991年~1992年の日本ハムにビル・ベイスという選手が在籍していたが、なんJで「ベイス」と呼ぶ際に彼を指すことはごく稀である。
  • ベイスたんという漫画はあまりにも有名だがタイトルの由来がこのなんJ用語であるかは明らかになっていない。ただ、その漫画が「ベイス」という言葉を外へ持ち出したことに怒るDeNAファンがかなり多いというのは間違いない。
  • 2017年3月、DeNAは球団事務所やオフィシャルグッズショップ、スポーツバー、ジム、ギャラリーなどを置く野球関連の複合施設The BAYS(ザ・ベイス)を日本大通りにオープンさせている。
  • ベイスという単語が指すのは球団の成績ぐらいで、フロントおよび現場がどれだけ惨憺な有様かを伝える場合は内川語録社会人として当たり前が出来ない選手のエピソード駒田の暴露記事が主に使われる。
  • 東克樹の動画流出騒動以降は「ゲイスターズ」が拡散し、DeNAの蔑称としてはこちらが主流になりつつある。しかし現在でも「ベイス」を蔑称と捉えるファンも多く存在するため、使用には注意しよう。


暗黒ベイスの出来事でリーグと首脳陣組んだ

長くなるので折り畳み
一部リーグ

一部リーグ
1(遊)聖域と化したショート石川*4
2(左)契約更改でゴネた挙句チームの意識の低さを批判した坂元弥太郎が直後に西武へトレードで飛ばされる *5
3(三)村田の愛車に生卵が投げつけられる *6
4(右)内川語録
5(一)TBSの番組の都合で、バッティングセンターで自主練習していたノリさんを急遽獲得する*7
6(二)6番セカンド内藤*8
7(捕)2番手捕手の鶴岡をシーズン中にトレードで放出した挙句、オフに正捕手の相川までもFA流出する。苦肉の策で阪神からFA宣言していた野口を急遽獲得する事態に
8(中)シーズン終盤に芽が出てきた若手投手陣が翌年に全員経験値リセットされる*9
9(投)山本省吾が前半戦だけで11敗をマーク尾花高夫監督*10から「使った俺が悪い」と言われる*11


1(中)センター下園*12
2(遊)左のワンポイントで出てくるのが防御率7点台の加藤と10点台の篠原*13*14
3(ニ)3番セカンド渡辺直人*15*16
4(一)「全力プレー」「全力疾走」というプロとして当たり前の単語がチームの売りのように連呼され地元TVKのCMにもフレーズが使われる
5(右)交流戦で3年連続6勝18敗
6(投)先発オーダー書き間違え事件*17
7(三)大枚をはたいて獲得したヒューズ特選隊*18が全滅し全員オフに解雇
8(捕)大型補強した選手のほとんどが2年~3年で放出される
9(左)TBS上層部が尾花の要望していたトレードを勝手に断ったり、相談もせずに勝手にトレードする。尾花が解任後にそのことを愚痴る


1(右)内川が試合前の練習に来たら誰もいなかった為、相手チームの練習に混ぜて貰っていた
2(二)ビハインドですらマシンガン継投が毎日発生する
3(左)3番レフト森笠*19
4(投)横浜ベイスターズとしての最終戦で石川内野手痛恨のエラー山口が長野に代打逆転サヨナラ満塁ホームランを打たれ敗北*20
5(一)外野手として獲得したジョンソンが内野しか守れなかったため、内川をレフトにコンバートする羽目になる*21
6(三)TBSのインフラ整備があまりにも不十分すぎて、引き継ごうとしたDeNA経営陣が愕然とする*22
7(中)松本啓二朗がファンサービスの悪さから二軍監督だった白井一幸に激怒される
8(遊)村田が監督室で寝そべる
9(捕)当時ドラフト8位で指名された古村がセカンド中村紀洋の試合を見に来て罵声の酷さに不安を感じる


1(遊)2009年8月の魔の二週間*23
2(右)リーチ、帰国
3(一)FAで獲得した野口と橋本の両捕手が劣化と怪我でろくに出場しないまま2年で解雇
4(中)ピッチャーの寺原相手にワンポイントで真田*24
5(ニ)5番セカンド中村紀洋*25
6(左)大西宏明が石川や筒香を連日連れまわして遊びブログの記事にする等、素行の問題で3割を打ちながら解雇
7(捕)喜田と一緒に二軍で遊んでいた黒羽根が白井に激怒され特訓コース入り
8(三)開幕オーダーにルーキーの松本・山崎が名を連ねる*26
9(投)1回に8点を取る猛攻を見せ最大9点リードしていたにも関わらず同点に追いつかれ引き分け*27


1(右)真田が手術明けにもかかわらずマシンガン継投で酷使されて壊れ、メジャー挑戦を理由にチームを去る*28
2(遊)2年目の吉原*29が酷使され続けた結果見事なまでに壊れて再起不能に陥り2年後解雇される
3(三)加地球団社長*30が「優勝しなければベイブリッジから飛び込み」宣言し横浜国際港から注意される
4(左)大家が同一カードに2回先発し1回8失点、4回6失点と連続で大炎上 *31
5(投)違反球で中日に5回4失点だった来日初先発のゴンザレスのコメント「今日は最高のピッチングでした*32
6(中)功労者のほとんどが球団と折り合いが合わず引退勧告を断り出ていく、まともに引退できたのは鈴木尚と木塚くらい*33 *34
7(一)制限選手扱いとなったリーチの代わりに再雇用されたランドルフ僅か1か月で解雇
8(捕)細山田、黒羽根、武山、新沼のどんぐり正捕手争い *35
9(二)はませんの住民が精神崩壊を起こしエア日本シリーズ実況を始める*36*37


1(左)ぶっちぎりの最下位に陥るとフロントが2年契約中の島田ヘッドコーチ*38に「責任を取って辞めろ」と迫り「分かりました、でもこんなことしてたら誰も来なくなりますよ?」と島田が呆れ果てながら警告すると「ありがとうございます!頑張ります!」と謎の返答をする
2(中)最終盤まで防御率リーグ5位以内をキープしたルーキー加賀が後半戦1勝もできず、最終成績は3勝12敗 防御率3.66*39
3(右)2010年最終戦終了後にナインの不甲斐なさをずっと見てきた加地球団社長がぶち切れる
4(一)膿を出す為に生え抜きの選手をトレードや戦力外で放出するも、代わりに来た選手が次々とチームの雰囲気に飲み込まれる*40
5(三)あまりにも先発が足りないので中継ぎを務めていたハミルトンが急遽ローテに回される
6(遊)石井裕也が露骨なまでにぶくぶくに太る*41
7(捕)細山田のリードと下園の選球眼がポジ要素*42
8(ニ)山崎が「打てば三振守ればエラー」を体現し1試合3エラー達成
9(投)史上初の3年連続90敗を達成*43

二部リーグ

二部リーグ
1(中)島田ヘッドコーチによる井手の過剰な優遇起用*44
2(二)ワン・イーゼン(王溢正)、チェン・ウェイ(陳瑋)、チェン・グァンユウ(陳冠宇)、ワン・ジンチャオ(王靖超)らの謎の中国台湾助っ人軍団*45
3(一)ハーパーがショートゴロを放ち巨人・坂本エラーでボールを零したにも関わらず鈍足過ぎてアウトになる*46
4(右)吉村毎年のようにコーチに直々指導されるもすぐにフォームを変えて迷走を繰り返す
5(左)新外国人のチアソン*47が一軍はおろか二軍ですら1試合も投げず消える、唯一投げたオープン戦でもボークを連発
6(三)ゾウのグリン
7(遊)武山がDeNAへの身売りを聞いて「ゲーム好き」をアピールするも直後のファン感謝祭中にトレードで西武に飛ばされる*48
8(捕)FA入団した橋本があまりのチームの惨状に「移籍したのは間違いだった」とまで言い放つ*49
9(投)2011年チーム最多勝が高崎三浦5勝


1(遊)石川が罵声の酷さから試合中に耳栓をする
2(左)下園がOP戦でフェンスに激突し長期離脱*50
3(二)渡辺直人がチームのバスに乗れず置いてきぼりを食らいタクシーでキャンプ地まで向かう*51
4(一)スレッジが1人で3HR7打点を荒稼ぎしながら敗北*52
5(中)本拠地最終戦で中日の優勝が決まった為、毎年恒例の二次会も早川の引退セレモニーも行われず終了 *53
6(三)2011年開幕戦、同点の7回にリリーフ登板した大沼二死二三塁の大ピンチを招いて降板しながらさも仕事をしたかのように上機嫌でハイタッチする*54
7(捕)野口が盗塁も刺せずパスボールを繰り返しルーキーの細山田に立場を奪われる*55
8(右)桑原外野手、開幕一軍入り*56
9(投)ルーキーの大原が開幕二軍スタートだったにも関わらずマシンガン継投の餌食となり、当時の新人最多登板記録を更新する*57


1(右)試合中にベンチに座っている選手がほとんど存在せず、がら空きのベンチの様子が映し出されることは日常茶飯事
2(左)代走で登場しては勝手に自滅する野中
3(三)チーム随一の実力者だった寺原が怪我の多さから尾花に呆れられトレード放出される*58
4(遊)LIXILが球団買収に名乗りを上げるも、何故かハマスタや横浜市長が横槍を入れ始め買収から撤退する*59
5(一)8回まで無失点に抑え完封勝利目前の高崎が9回に走者を1人出しただけで交代され、マシンガン継投入り*60
6(中)投手をスタメンに入れる偵察行為をシーズン中何度も行い大抵出てくるのが打率1割台の大西*61
7(二)カスティーヨの満塁場面の成績が12打数0安打(打率.000)打点0四死球0併殺2
8(捕)尾花が眞下の才能に見込みを持って直々にフォーム改造するも、TBS身売りに伴い解任される。尾花を失った眞下は迷走を続け一軍に戻ることなく引退
9(投)三浦が開幕直前のOP戦で被本塁打8、失点14の大炎上をやらかし目が死ぬ*62


1(遊)機動力野球をテーマに掲げ石川、渡辺直人、森本の3人でスーパーカートリオの再来と謳われるも3人でわずかシーズン19盗塁、チーム全体でも31盗塁で盗塁成功率58.5%*63
2(三)村田があまりの勝負弱さに一時期名前を言ってはいけない人扱いされる
3(捕)武山が挨拶代わりと言わんばかりに開幕から14打席連続無安打を記録、シーズン全体でマルチ安打が僅か1回のみ*64
4(左)西武からFA宣言した細川亨*65を獲得する為高級中華料理屋で交渉を行いフルコースをご馳走するもあっさり逃げられる*66
5(中)森本が「劇団ひちょり」のメンバーを募集するも震災の影響で延期され、自身の成績も相まってなかったことになる
6(二)大原のサインミスに対して細山田が激怒する*67
7(一)入団会見を済ませたノリさんが二軍の練習に合流し挨拶するもベテランの三浦が笑顔で迎える以外は全員神妙な顔をする*68
8(右)新沼が人望と性格と顔の良さだけで選手会長就任*69
9(投)尾花最大の功績と思われていた中継ぎ陣及び高崎が違反球時代終了後のシーズン(2013年以降)に成績が急落する


1(中)身売りが決まったTBSが置き土産と言わんばかりにドラフトで高卒選手を乱獲し枠を埋める
2(二)江尻がマシンガン継投と連投で酷使されては二軍落ちを繰り返す*70
3(一)移籍する前後にチームのことをボロクソ言い続けた内川に対してOP戦及び交流戦でブーイングの嵐が起こるもボコボコに打ち込まれる*71
4(三)初回にチャンスを作っても村田が三振・併殺・内野フライでぶち壊し0点に終わるのが毎試合恒例
5(右)2000年代に入ってから身売りまでの間に規定到達した生え抜き投手が三浦、吉見、加賀、高崎の4名のみ
6(捕)阿斗里が先発した試合全てで敗北し0勝7敗*72
7(投)社会人野球を経由して現役復帰を果たした杉原洋*73がプロ初登板*74 するも緊張のあまりサインミスと四球を連発して2.1回を3失点で降板。捕手の橋本から呆れられ、尾花からも見捨てられ速攻で二軍落ち
8(左)内野外野共に絶望的な駒不足に陥り、引退表明した早川をフェニックスリーグに派遣したり投手のブランドンをライトで起用する羽目に *75
9(遊)アニメミルキィホームズのとコラボにて声優達が試合前にOP曲と始球式を披露しスタンドではオタクが狂喜乱舞する中、横浜巨人の両軍が苦笑する様子が放送される*76


1(二)試合中ですらベンチ裏でタバコを吸っているのが当たり前だった為、尾花は「ベンチにいて応援しろ」と初歩的なことから教えなければならなかった
2(遊)上記の指導もむなしく尾花が解任された途端元の木阿弥で、DeNA初年度キャンプでは中畑が声を上げるも選手達は挨拶もできなかった為挨拶の仕方から教えられた
3(左)矢野の引退試合で逆転3ランを打った村田が石川と一緒にベンチで爆笑する
4(捕)勝負する前から絶望しかない真田対坂本の元チームメイト対決*77
5(中)どの年もまともに投げられる投手がほとんどいない為、寺原や加賀がチームの都合で先発と中継ぎ抑えを行ったり来たりさせられる
6(三)トレードで来た喜田が僅か1年で解雇*78
7(右)石川が盗塁王争い中に足を故障して離脱、以降まともに盗塁できなくなる*79
8(一)一輝*80がノリさん入団後も長期間一軍に居残るも出場するのは大量ビハインドの終盤程度
9(投)身売りが決定した2011年時点で近年10年中8度の最下位、4年連続最下位、勝率5割以上0回を達成*81*82

独立リーグ代表

独立リーグ代表
1(二)2010年ファン感謝祭で「馬を英語で何というか」というクイズに対して藤田は「トニー」と答え石川は「藤田さん、違います!ポニーですよ!」とボケにボケを重ねる*83
2(中)ローテを守り抜いたのがトレードやドラフトで獲得した新戦力組のみで、既存の生え抜き選手が誰1人としてローテに入れなかった
3(左)用具係に転身した入来祐作*84に対して若手選手がジュースを買ってこいとパシリにすることが平然と起こり、入来は内心激高しながら言うことを聞いていた*85
4(遊)功労者の石井琢朗を追い出した挙句、その年以降石井の移籍先のカープからカモにされるようになる*86
5(一)コーチとしてチームに戻ってきた駒田が選手に対して「僕の話を聞いてくれるか」とアドバイスをしようとしたところ「嫌です」と断られ絶句
6(右)大西が二軍落ちした際に「ようわからんけど二軍に落ちました」と監督批判とも取れる発言をブログでぶちまける
7(右)桑原外野手が二軍のコーチから虐めを受けているという疑惑が週刊誌に取り上げられ、本人と白井二軍監督がブログで否定する事態に
8(三)村田が中心選手にも関わらず円陣を組む際にやる気を見せずコーチの波留に激怒される
9(投)チーム再編の切り札として元ロッテの黒木にコーチオファーを出すも断られ、黒木はその後日本ハムのコーチに就任する

米国の米リーグ代表

米国の米リーグ代表
1(中)チームを変える為にやってきた森本がキャンプで張り切りすぎて早々にダウンする
2(遊)石川がSASUKEに出演しファーストステージで早々に脱落*87
3(右)チームのシーズン勝率(.338)が内川の打率(.378)を下回る*88
4(三)中日監督だった落合が「優勝争いしてる時は横浜と戦うのが一番嫌だった」と答える。理由は「皆横浜相手なら絶対勝てると勝手に星勘定をし始めるせいで落とせないから*89
5(一)楽天時代のルイーズに打たれた逆転場外ホームランの球がハマスタ付近で販売されてたブラジャーのワゴンに直撃し周囲にブラジャーが舞い散る事件が起きた*90
6(二)村田が新入団してきたノリさんに「うちは厳しいですよ、全力疾走できますか?」と質問し「おう、できるぞ!」と小学生のようなやりとりを本当にする
7(左)TBS時代の新外国人はほとんど外れという惨状。3年以上チームに在籍したのがクルーンと王溢正*91の2人のみ *92
8(投)中日吉見が12球団の選手でベストナインを作る企画を行った際、横浜からは誰も該当者がいなかった為「横浜いねえw」と馬鹿にした挙句苦肉の策でFA移籍済みの村田を選出する
9(捕)入団した選手や出ていった選手だけでなく外部の解説者やOBからもチームの意識の低さに苦言を呈される

審判団

審判団
本塁 開幕前恒例の元プロ野球選手(横浜OBも含む)による順位予想で満場一致で横浜最下位と予想される(後述)
一塁 yahooスポーツで試合前の勝敗予想をユーザーに投票させる企画があったが、毎試合のように横浜は敗戦予想が優勢であった
二塁 オフのオールスタースポーツフェスティバルで各球団が主力選手を起用する中、フロントが出演させたのが山口、稲田、佐藤*93の3人で全くと言って良い程画面に映されなかった
三塁 2010年オールスターに出場したのが山口ただ1人でファン投票からは誰も選ばれなかった*94

一軍監督・コーチ陣

一軍監督・コーチ陣
監督 震災で開幕が延期になった関係*95で調整として一軍のフルメンバーを二軍戦に出して西武の二軍相手に完敗する*96
ヘッドコーチ 生え抜きのベテランが頼りない為トレードで移籍してきた清水直や渡辺直人らに若手選手が集う 
打撃コーチ 練習時間になっても選手が誰も来なかった為、コーチがグラウンドでひなたぼっこをしていた
投手コーチ 初回のマウンドに上がる前に打席が回ってきたヤクルト先発の館山に3ランを打たれる*97
内野守備走塁コーチ 練習中にサッカーで遊んでいる選手を見てトレードで移籍してきたばかりの渡辺直人が呆れる
外野守備走塁コーチ 内川の怠慢走塁によりトリプルプレー成立*98
バッテリーコーチ 消えたレフト事件
巡回コーチ 自分の出番が終わるとベンチ裏に帰ってゲームをしている選手が大勢いた

二軍監督・コーチ陣

二軍監督・コーチ陣
二軍監督 新外国人のジェイジェイがいつの間にか二軍のキャプテンに就任していた
二軍打撃コーチ 古木ベンチで喫煙
二軍投手コーチ 二軍から昇格した若手が炎上し登録抹消、代わりに上がってきた若手も炎上を繰り返すことでローテが回っていた
二軍内野守備走塁コーチ 石川が結果が出ないとすぐにふて腐れる為、村田、森本、新沼らがお目付役になっていた
二軍外野守備走塁コーチ 当たり前のように牽制に引っかかる下園
二軍バッテリーコーチ リードが悪いと評された武山で5連敗後、リードが良いと評された細山田で5連勝したかと思いきやそのまま6連敗した
育成コーチ キャンプでスパイクを履かずに練習する選手がいた

その他

その他
フロント 最下位を独走する中シーズン途中に就任した田代監督代行に「来季も監督をして欲しい」と選手が要望を出すも、フロントが出した条件が「最終勝率を5割まで戻せ」だった為当然達成できず*99解任される*100
本拠地球場 横浜スタジアムの運営*101が球場の使用料のみならずチケット代等の収益までほとんど持っていく為、仮に毎日満員でも横浜フロントは赤字になることが報道された*102
球場施設 球場のトイレがあまりに劣悪で汚かった為身売り後に真っ先に取りかかったのがトイレ改修だった
練習設備 石川がエラーした試合後に守備練習をしようとしたが、雨天時に守備練習ができる設備すらなかった為打撃練習をしていた
応援団 夏に入る頃には最下位を独走している為本拠地ハマスタ開催では入場者が15000人を切るのは当たり前で、外野はほとんどが空席だった


OB含め解説者全員から最下位予想を受ける横浜

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2009年シーズン。
シーズン結果は巨人⇒中日⇒ヤクルト⇒阪神⇒広島横浜
下段の川又米利(元中日)が全球団的中


TBS時代末期の横浜スタジアムの様子

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暗黒時代を知るファンによると、試合開始直前にスタジアムに行ってもチケットが買えてどこにでも座れたという。外野席で横になって観戦していたファンもいたという証言もある。

恐ろしいことに繁忙期の7月~8月の期間ですらこのような有様であったらしく、阪神や巨人のような多くのファンを抱える球団との試合では相手球団のファンの方が多かったこともあったという。


関連項目


*1 2002年に水産加工企業・マルハ(現マルハニチロ)からTBSに親会社が変わり、それ以降に暗黒期を迎えた。2011年オフに現在の親会社であるDeNAに身売りされてからも、2015年までは不調が続いた。
*2 この年はペナントレースでも最下位に転落した。
*3 2021年、2022年と2年連続で勝ち越すまで11年間にわたりパ・リーグ勝ち越し時代が続いた。
*4 マルハ時代に紀田彰一の処遇(94年のドラフト1位。内野手だが、当時の横浜は駒田・ローズ・石井・進藤の4名でほぼ毎年内野のスタメンが固定されている状況であり、紀田はその煽りを受けて干され続けた挙句5年で横浜をクビになってしまった。その後は西武で1年間プレーした後、2003年に日本人初のヤンキース国際スカウトに就任)を巡り横浜高校との関係が冷えていたこと、TBSになってから初の横浜高校出身者の指名となったためかタニマチに積極起用を求められたのではないか、と推測される。ただ石川は最終的に1000本安打を達成するなど、一定の結果を残した。
*5 そのトレードでやってきたのが大沼幸二である。
*6 2011年、ホーム最終戦で中日の優勝を見届けた後の出来事。間が悪かった不運はあれどこの一件が村田のFA移籍につながる要因のひとつとされている。
*7 2010年オフに楽天から戦力外通告後、所属球団はなく自主トレを続けながらオファー待ちの状態であった。
*8 2011年10月11日の対広島戦。この日は内藤の1失策を含むチーム4失策の大守乱で大敗を喫している。内藤の本職は外野で、内野を守ることはあっても一塁か三塁だった。二塁出場は当日及び翌日の2試合のみ。
*9 DeNAになった現在もこの現象は続いており、一種の風土病として見られることも。
*10 2010~11年
*11 11敗目を喫した後中継ぎに転向、その後は勝ち負け付かず。
*12 このオーダーが組まれ始めた時期(2009年頃)はレフト内川、ライト吉村と守備難の強打者が並んでおり、下園本人も守備難ながら比較的マシということで消去法でセンターに着くことになった。
*13 加藤康介(2009~10年所属)及び篠原貴行(2010~13年所属)。当該成績はいずれも2010年のもの。
*14 両者共、他球団(加藤はオリックス、篠原はソフトバンク)を戦力外後に横浜に拾われており、何故戦力外になったかを身をもって知らされる結果となった。加藤は当該年度のオフに再び戦力外通告を受けるが、阪神に移籍後に復活した。
*15 楽天時代の本職はショートだが、横浜では加入初年の2011年から実践で一度もショートを守らないままセカンドにコンバートされ、開幕戦も2番セカンドでスタメンを勝ち取った(ショートは石川雄洋が主に守り、石川が負傷した9月は渡辺がショートに入った)。3番セカンドとしては同年の8月24日が初起用で、直前まで3番を打っていたターメル・スレッジが故障したことで代役が渡辺となった格好。
*16 これについて、渡辺が楽天在籍時に監督を務めていた野村克也が尾花に対し「何故渡辺をショートで使わないのか?」と質問したところ、尾花は笑って誤魔化したという話がある。
*17 2009年9月5日、対中日戦で発生。先発予定のランドルフを翌日のグリンと書き間違えた。仕方なくグリンを先発させ、先頭の井端弘和を打ち取った後にランドルフと交代している。試合はランドルフの好投(救援投手としては最多となる15奪三振の快投)もあり準完封勝利。なお翌日
*18 2008年の新外国人、トラビス・ヒューズ、マイク・ウッド、デーブ・ウィリアムス、ラリー・ビクビー、J.J.ファーマニアック(ジェイジェイ)の5人のこと。漫画『ドラゴンボール』に登場する「ギニュー特戦隊」の捩り。
*19 森笠繁(元広島→横浜)。2009年、内川が離脱した際の代役で登場。なおこの日の森笠は3打点と活躍しチームも勝利している。
*20 当試合前の東京ドーム戦も敗戦。翌年は東京ドームで未勝利(0勝9敗1分)に終わり、翌々年も東京ドームでの初戦を落としたため、3年越しの東京ドーム12連敗を喫することとなる。
*21 ジョンソンは同年限りで自由契約となっているが、その理由は成績不振(低打率)に加えて外野が守れないからとフロントに言われたため。
*22 まず会社組織作りから始めなければならない状態だったという。「横浜DeNAベイスターズITビフォーアフター」と検索すると当時の状況がよくわかる。また、チーム戦略等の資料の引き継ぎもされなかった(後日、そもそも資料を作っていなかったことが判明)。
*23 8月13日~25日まで内野手が毎試合エラーを記録した。
*24 2011年6月14日、対オリックス戦で発生。スクイズを警戒して左の山本省吾から右投手に変えた継投策で、実際真田は仕事を果たした。なお試合
*25 本職はサード及びファーストだが、守備力自体は決して低い訳ではなく近鉄時代は2001年日本シリーズなどで何度かショートを守った経験もある。この時はセカンドを守っていた藤田と石川が揃って怪我をした影響で、渡米時代以来のセカンド起用となった。試合では1失策こそ記録したもののそれなりに好守も見せており、本人も「行けるところならなんでもやります」と前向きな姿勢だった。
*26 2009年。横浜で開幕オーダーに複数名のルーキーが名を連ねるのはまだ川崎球場を本拠地としていた1959年以来50年ぶりの出来事である。
*27 2011年8月17日、対ヤクルト戦。横浜ファンの野次として有名な「横浜高校よりも弱い」はこの試合ともいわれている。
*28 最終的にメジャー球団との契約には至らず、古巣の巨人に復帰している。余談だが2008年途中に真田とトレードで巨人入りしていた鶴岡は同年FAで横浜に復帰し、両者が出戻りする形となった。鶴岡はのちに阪神に移籍し活躍する。
*29 吉原道臣(在籍2006~10)。通算28登板中25登板が2年目の2008年。
*30 加地隆雄(故人)。2009年10月に横浜ベイスターズ球団社長に就任したのち、身売り直前の2011年12月まで務める。その後は横浜DeNAベイスターズ球団会長(非役員)に就任。1年後持病の為に退任し、2015年1月に死去。
*31 2010年8月6日及び8日の対ヤクルト戦。それぞれ1回8失点と4回4失点で、いずれも敗戦投手となった。
*32 2011年6月28日、対中日戦での発言。試合は味方の大量援護もあり勝利している。違反球時代に加え、当時の中日は極度の貧打に陥っており3割どころか2割5分を超えるのが平田荒木谷繁の3人のみといった有様であったこともネタにされた。
*33 当時は引退勧告を蹴って出て行った場合は横浜OBを名乗れない雰囲気すらあった。DeNAになってからはそのような風潮は薄れ、「出戻り」で横浜OBを名乗る者、石井琢朗や谷繁元信のように移籍を経た他球団在籍ながら横浜スタジアムで引退試合が行われた者もいる。
*34 ただし、投手陣は比較的そうでもなかったようで、先述の木塚の他に佐々木主浩や川村丈夫などが引退試合を行った。また、横山道哉は一度はトレードで日本ハムに出されたものの、その日本ハムを自由契約となるや横浜から真っ先に呼び戻され、最後も横浜でまともに引退できたが、最終年に肩を壊してまともに投げられなくなってしまったため、引退試合は本人が辞退した。
*35 谷繁元信が森祇晶との確執で出て以来、DeNAとなって本格的に暗黒期から脱却して以降も20年以上正捕手の固定はできておらず複数の捕手で回している体制をとっている。
*36 2010年の日本シリーズ第7戦での出来事。中日の選手を横浜の選手に読み替えることであたかも横浜が日本シリーズに出ているかのような感覚になれたとか。ノリで始めた割には狂気的な団結力を発揮したようだ。
*37 横浜関連の選手としては過去に在籍していた谷繁元信やその後横浜に移籍する小池正晃(出戻り)、トニ・ブランコ、エンジェルベルト・ソト等がいる。
*38 島田誠。ダイエーのコーチ時代の同僚として尾花と友好関係を築いていた。
*39 2010年
*40 一方で、渡辺直人らを筆頭に染まらなかった選手も一定数板。
*41 ただし、横浜時代は2年間で63試合に登板し2勝13H6S、防御率3.43とそこまで悲惨な成績ではなかった。
*42 特に下園の選球眼は「ゾノアイ」と称された。また、この選球眼から繰り出される高い出塁率を生かすために1番での起用が多かった。
*43 2008~10年。4年連続90敗のかかった2011年も勝率自体は大差なかったものの、3時間半ルール(9回以降で3時間半を超えている場合は新しいイニングに入らない)の影響で引き分けが増えたため90敗は免れている。
*44 井手が島田のダイエー時代の教え子であることが要因とも。
*45 いずれも育成目的で入団。チェン・グァンユウのみDeNA戦力外後ロッテで活躍したため、「横浜を出る喜び」の一人に挙げられる。
*46 本人が鈍足であることに加えて、振り抜いた上に一旦動きが止まりその後走り出す本人の動きのクセによるところが大きい。フェンス直撃の単打(これが二塁打にならない、と実況に言われた程)など、この手の話は枚挙に暇がない。
*47 本名はスコット・チャイアソン。横浜には2007年に在籍。
*48 トレード相手は後藤武敏
*49 2010年オフの話。その後、チームの意識改革を求めたが本人の成績も相まって聞き入れてもらえなかった。翌年は一軍出場なしに終わり、その年限りで戦力外通告を受ける。本人の怪我に加えてこの一件も遠因だったのではと言われている。
*50 あの東日本大地震が起こった2011年3月11日の出来事。
*51 2011年の春季キャンプでの出来事。
*52 2011年4月13日、対中日戦。
*53 この最終戦の二次会は全選手の応援歌をメドレー方式で演奏するもので、多くの球団が実施している。
*54 後を継いだ佐藤祥万が次打者を三振に打ち取り事なきを得た。
*55 野口自身の劣化に加え、春季キャンプ終盤の負傷(右肩腱の断裂)を球団側に隠してシーズンに臨んだことが原因とされている。野口が怪我を隠して出場したのは「僕が出ないと試合に勝てないと思ったから」とのこと。
*56 本年(2011年)の一軍出場は僅か1試合に終わり同年限りで戦力外通告を受けている。
*57 1リーグ制時代まで遡っても最多登板タイ記録。
*58 高宮和也と共にオリックスへ。やってきたのは喜田剛と山本省吾。
*59 本拠地の新潟や静岡への移転をLIXIL側が打ち出し揉めたため。とはいえDeNA買収後の経緯を思えば怪我の功名だったと言える。
*60 2011年9月18日の対ヤクルト戦。この日は6月26~29日の3連勝以来81日ぶりの連勝(引き分け挟む)がかかっており無事勝利した。
*61 特に大矢監督は重度の左右病であることが知られている。また、大西は不調になると対左専用になってしまう。偵察オーダー自体は田代監督代行も行っていたが、金城が出てくるなど多少はマシだった模様。
*62 2010年3月20日、対巨人戦。
*63 赤星式盗塁-13。ちなみに元祖スーパーカートリオの高木豊、屋鋪要、加藤博一の3人は最盛期の1985年に3人で計148盗塁を記録し、チーム全体でも188盗塁で12球団トップを誇った。こちらは盗塁成功率74.4%、赤星式盗塁は+46。
*64 2011年の記録。
*65 スラガガータイプだが、当時の横浜捕手陣と比較すれば期待される打力であった。
*66 2010年オフの話。当の細川はソフトバンクに移籍。
*67 この一件が原因でDeNAになって以降、干され続けることになる。牛丼も参照。
*68 三浦と中村は同じ1973年(昭和48年)生まれ(この世代は「プロ野球48年会」など仲がいいことで知られる。)の関西の公立校出身(それぞれ奈良県・高田商業高と大阪府・渋谷高)でドラフト同期。
*69 2011年就任。2012年に引退するまで務めた。余程人望と性格と顔が良かったのか、一軍での貢献度に反して引退試合が組まれた。引退後もコーチを務め続けるも、2015,21年には戦犯として挙げられ(いずれの年もオフにスコアラーに配置転換されている)、現在でも現場とファンの評価が大きくかけ離れている。
*70 当時、はませんに江尻カレンダーなるものが作られる程だった。
*71 その後、暗黒から持ち直したDeNAが日本シリーズ進出まで大躍進した2017年にも第6戦・1点リードの最終回で守護神・山崎康晃が同点本塁打を献上し、その試合の敗北を以てソフトバンクに日本一を奪われた。
*72 2010年の成績。阿斗里がプロ初勝利を挙げるのは親会社がDeNAに変わった後の2013年のことである。
*73 2003年ドラフトでロッテから3位指名。2006年に戦力外通告後、NOMOベースボールクラブを経て2009年オフに横浜入り。なおドラフト同期に内竜也(1位)、田中雅彦(4位)、成瀬善久(6位)らがいる。
*74 2010年7月21日、対中日戦。これが杉原のプロ生活において最初で最後の一軍登板となった。
*75 投手を野手として出場させることは、現在でも東京ヤクルトスワローズの二軍戦を中心に他球団でも行われている。
*76 2011年5月1日。ミルキィホームズの舞台が横浜だったことに由来するコラボで、当時としては異色の企画。ゴールデンウィークにほど近かったことや、コアな層をターゲットとした作品でファンが押しかけたため、観客数は21,000人当時の横浜としては破格の観客動員数を記録
*77 結果は.500(16-8)、2二塁打4HR(サヨナラ2本)。さらに言うとサヨナラでない2HRのうちの1本は2009年9月2日の9回に打たれた同点2ラン。これにより三浦の勝利投手の権利が消滅。勝っていれば三浦にとって巨人戦4年ぶりの勝利投手となるところであった。
*78 一軍出場無しのため、致し方ないところも。
*79 2010年。広島の梵英心が盗塁王に輝いている。
*80 嶋村一輝。桑原謙太朗、野中信吾とのトレードでオリックスからやってきた。引退後の大半を横浜コーチとして過ごしているように前述の新沼ともども横浜フロントに重宝されているが、こちらもファンからの評価は芳しくない。
*81 最下位を回避した年は2005年(3位)、2007年(4位)。この2シーズンでさえ借金1である。
*82 余談だがオープン戦・1軍・2軍すべて最下位の完全最下位は達成していない。オープン戦最下位は2004年(西武と同率)、2011年の2年のみ、二軍に至ってはTBS時代に一度も最下位になったことがない。
*83 正解は「ホース(horse)」。
*84 現役最終年の2008年のみ横浜に在籍。用具係時代の様子が2014年に缶コーヒー「BOSS」のCMで題材化され大きな話題となり、自伝本も出版した。同年オフに横浜・巨人で同僚だった工藤公康に請われてソフトバンクのコーチに就任、現場復帰を果たした。
*85 この一件があったせいか、後にソフトバンク三軍コーチに就任した入来はこの時の若手の1人である北方悠誠を周りに聞こえるような大声で怒鳴りつけたという話がある。
*86 石井が移籍したのは2008年オフ。横浜は2008年~2014年まで7年連続で広島に負け越していた。石井は2012年に引退後、複数球団でコーチを務めたのち2021年オフに横浜へ復帰。
*87 第24回大会(2010年元日放送回)。10年後に横浜高校の1学年先輩である荒波翔が挑戦するも、同じくファーストステージで早々に脱落している。
*88 2008年。内川は最多安打および首位打者に輝き、いずれもキャリアハイとなったばかりか、打率に至ってはNPBにおける右打者最高記録となっており、2023年現在も破られていない
*89 落合政権時代(ひいてはTBSベイスターズ時代全て)で中日が横浜に負け越したのは2007年のみ(11勝13敗)。この年は2位に終わるも、CSで巨人相手に下克上を果たし日本シリーズ進出を決め、53年ぶり2度目の日本一を達成している。
*90 2010年6月5日。この場外ホームランがルイーズの来日1号であった。
*91 1軍登板は2012年のみ。
*92 タイロン・ウッズは成績は申し分なかったものの、契約更改で揉めて2年(2003~04年)で退団し、中日に移籍した。
*93 佐藤祥真(在籍2008~2013→日本ハム→広島)。当時はまだプロ3年目だった。
*94 ファン投票や選手間投票で特定のチームの選手が誰も選ばれないこと自体は比較的起こる出来事だが、最終的に出場人数が1人というのは余程のことでもない限り起こらない(その他の事例では年間97敗をマークした2017年のヤクルト(出場したのが小川泰弘のみ)など)。
*95 オープン戦が全て中止になったことも影響している。
*96 2011年のイースタンリーグ開幕戦にて。翌日も同様にフルメンバーで臨んだが僅差で敗れた。
*97 2010年8月6日、対ヤクルト戦。1回表に投手が本塁打を打つのは22年ぶりのこと。この「リーグ組んだ」で一部リーグ5位のチームで4番に据えられた「大家友和の中1日先発でどちらも敗北」の1試合目で起こった出来事でもあり、同カードは26年ぶりの3試合連続2桁失点、リーグ新記録となる3試合で55被安打を喫している。
*98 2010年10月2日、対巨人戦。
*99 就任時点(2009年5月18日)で13勝24敗の勝率.351。5割達成のためには残り107試合を59勝48敗(勝率.551)以上で切り抜ける必要があった。
*100 翌10年は代行前の役職であった2軍監督に復職するも、オフにフロントから現場からの離脱を迫られたため退団。
*101 株式会社横浜スタジアム
*102 これがTBSがベイスターズを手放すことになった赤字の最大の要因である。とはいえハマスタの奴隷契約は前親会社のマルハが絡んでいるため、一概にTBSのせいとは言えない。他方、TBSはTBSで不良債権で無駄金を使い赤字を拡大させた所もある。