ロリコン

Last-modified: 2023-11-19 (日) 11:48:08

小児性愛者のこと。「ロリータ・コンプレックス」の略である。

なんJでは以下の人物がロリコンとして知られている。

  1. 中山裕章(元大洋→中日)
  2. 奥浪鏡
  3. 綾部翔
  4. 小林宏之こちらは風評被害であるため注意
  5. セルジオ・ミトレ
  6. メル・ホール(元ロッテ→中日)
  7. 堂上隼人
  8. 山田遥楓(西武→日本ハム→楽天)

本項では1.5.6.8.を解説する。


1の概要

高知商高時代から剛腕投手として甲子園で活躍した中山は1985年ドラフトで大洋から1位指名を受け入団し、1988年は抑えとして70試合に登板し24セーブを挙げる活躍。酷使の影響で一時低迷するが先発に再転向*1して再起し1990年・1991年には2年連続で開幕投手を務めていた。

しかし1991年末に横浜市内で女児2人(小学生・幼稚園児)への連続強制わいせつ事件を起こして逮捕。結局、被害者側との示談成立により不起訴処分にはなったが、球団を解雇されるとともに実質的なNPB追放状態*2となる。その後、1993年までは一般企業に勤務していたが、紆余曲折を経てNPB復帰が認められると、1993年末に打撃投手として中日と契約。翌1994年シーズン途中に支配下選手登録*3され現役復帰を果たすと、2001年に退団するまで抑え・中継ぎ*4として活躍。中日退団後は台湾球界(中信ホエールズ*5)で2年間先発を務め、2003年に引退。

事件当時は「プロ野球の現役スター選手が子供を標的とした性犯罪を起こした」という衝撃性からかなりショッキングな出来事として報道され、週刊文春大洋の球団名をもじって「下半身吠えーるず」と書き立てた。このことから中山の事件は球界全体に負のイメージを与えてしまうこととなり、中山本人も当時を知るホエールズおよびベイスターズのファンからは今なお絶許扱いされ、最初からいなかったも同然の扱いを受けている*6*7
なおその後、彼が大洋時代に着用していた背番号19は長らく「呪われた背番号」として扱われるようになった


5の概要

楽天に2014年のみ所属していたミトレは2020年7月に大麻の不法所持で逮捕。
ミトレは複数の女性への暴行事件でも逮捕されており、更に内縁の妻の連れ子である1歳8か月の女児への虐待・殺人・性的暴行の容疑により、フェミサイドと法定強姦で起訴されたため、当時所属していたメキシカンリーグのチームから解雇され、規定によりメキシカンリーグから永久追放処分を受けた。その後2022年に懲役50年の有罪判決が下された。
ただ、彼の場合は被害者の女児は1歳8ヶ月であったため正確にはロリータではなくペドである


6の概要

大リーグ時代から同僚イジメ*8やスタメン落ちした際に癇癪を起こして監督室のドアを破壊するなどして、キャリアハイを記録するもメジャーはどこも契約しようとせず、拾ったロッテと中日でも同僚イジメなどで問題になる*9など様々なぐう畜エピソードを残しており、日本で同僚だった愛甲猛は著書で「最低の野球選手」と扱き下ろしたほか、小宮山悟、山﨑武司などからも絶許扱いされている*10

このようにぐう畜なのは現役時代からなのだが、メジャー引退後に一時期バスケットボールのコーチをしていた1998・1999年に行った当時の教え子の少女2人(12歳と14歳)へのわいせつ行為で2007年に逮捕され、さらに別の女子への強姦罪とわいせつ罪、計5件のこれらの行為により2009年に禁錮45年(仮釈放にも22年と4ヶ月を要するがほぼ絶望的)の実刑判決を受けてテキサス州の刑務所に服役中である。結果的にメジャーリーガー経験者として史上最悪の罪人に成り果てたこの男であるが、この一件をとある番組関係者から聞いた山﨑は「俺の目は間違ってなかった」と当然のように言ってのけた。


8の概要

西武時代、ライブ配信中の11歳の少女に対して「足の薬指を見せて」と本人の公式Twitterアカウント*11でコメントを残し、スカートの中身を覗いていたことが発覚。手法がその手の常習者が行うもののそれであったこともあり、なんJではロリコン認定されることとなった。
なお、2019年に6歳年上の一般女性との結婚を公表しているが、それもロリコンではないアピールだと野次られてしまった。*12


余談

なんJに幼女を話題にしたスレが立てられると、巨人ファンらしき者が巨専のノリで書き込んでくることがある。

これはなんJにおいてはGIANTS PRIDEなどのネタの影響から「巨人ファン=ロリコン」というネタが生まれており、それに派生したものと考えられる。


関連項目



Tag: 横浜 野球ch なんJ 絶許


*1 抑えに抜擢される前は先発で投げていた。
*2 厳密には追放選手にこそならなかったが当時の川島廣守セ・リーグ会長が12球団に「更生が確認されるまで無期限に契約を自粛すること」を要望した。
*3 当時は育成選手制度はなかったが、支配下登録直後の契約内容は「契約金なし・背番号3桁」とほとんど現在の育成契約に近い形だった。
*4 1996年は守護神候補として入団した宣銅烈の不振を受け、抑えとして活躍。宣が抑えとして本領を発揮するようになった1997年以降は中継ぎに配置転換され、1999年のリーグ優勝時には正津英志、前田幸長、落合英二、サムソン・リー、岩瀬仁紀(当時ルーキー)とともに強力中継ぎ陣の一員を担った。
*5 2008年解散。現在CPBLに加盟している中信兄弟とは親会社が同じだけの別の球団(CPBLはNPBと異なり一度プロ野球から撤退した企業の再参入を認めている)。
*6 2019年にベースボール・マガジン社から発売された『ホエールズ&ベイスターズ 70年の航跡』では大洋時代からの往年の名選手たちが「ヒーローカタログ」にて取り上げられているが、中山は取り上げられていない。
*7 その一方で球界復帰後はこれといった問題行動を起こしていない上に1999年のリーグ制覇にもまずまず貢献した(中継ぎとして31試合に登板し3勝1敗、防御率3.16)ため中日ファンからは比較的赦されており、『燃えよドラゴンズ』の98年~2000年版(99年の優勝記念盤を含む)でも中山の名前は歌詞に含まれている。
*8 NYY在籍時にはあのバーニー・ウィリアムスをもいじめていた。GMが監督を介して「やめないとクビにするぞ」と最後通告をしてようやくやめた、という始末である。
*9 ロッテ時代はヘンスリー・ミューレンをターゲットにしていた。ミューレンがヤクルトに移籍したのはこれが原因とも言われている。
*10 ちなみに初芝清も「見習うべき点は打撃技術だけだった」と振り返っている。
*11 配信していたのはコメントにTwitterとの提携が必須のアプリであり、山田は公式用アカウントにてコメントをしたため言い逃れができないこととなった。本人は「成りすまされた」(おそらく「乗っ取られた」と間違ったか)と釈明しアカウントを閉鎖。なおこの釈明に対しても「自分で明かしてる」「なんで無名の若手のなりすましや乗っ取りをする必要があるのか」などと批難された。
*12 この女性が2022年オフに日本ハムにトレードされた要因と見られるのはまた別の話である。