何が起こったのかな?

Last-modified: 2023-10-05 (木) 08:54:23

2012年日本シリーズ第5戦での巨人・加藤健の発言のこと。


概要

2012年11月1日、北海道日本ハムファイターズ対読売ジャイアンツの日本シリーズ第5戦で起こった出来事が由来。

4回表無死1塁で打席に入った加藤はバントの構えを見せたため、先発した多田野数人は内角高めへ直球を投じ、それに対して加藤はのけぞるように回避し、頭を押さえながら倒れ込む*1

これを見た球審の柳田浩一(昌夫)*2は頭部への危険球と判断。日本ハム・栗山英樹監督の猛抗議も判定は変わらず、多田野には退場処分*3が下されてしまう。しかし、リプレイを観る限り投球は加藤ではなくバットに当たっていたようにも見えた。

ちなみに、加藤は2009年9月4日のヤクルト戦において、高木啓充からヘルメットが割れるほどの頭部死球を受けている*4。この一件が大きいアクションの原因と思われ、当該の試合の後にも「頭部付近への投球へ過剰にのけぞる」加藤の姿が見られた。一方で「避けて倒れ込む際に引いたバットが頭に当たった」という主張も見られたが、頭を押さえる素振りを見せたのは当たったと思わせる演技扱いされても仕方が無い。

多田野はこれについて加藤が死球を演じたとの見方を示し「だます方もだます方。だまされる方もだまされる方」とコメント。一方加藤は「必死にプレーした。何が起こったのかなという感じ」と言葉を濁し、死球についての明言を避けた*5。他にも、この時マスクを被っていた日本ハム・鶴岡慎也は「当初ファウルと判定していたものの、原辰徳監督の抗議を受けて死球へ覆した」旨の証言を残しており、このことから一部では「柳田球審が性急な判断を下したのも問題」とされる向きがある*6
なお、試合は10-2で巨人が勝利した。

動画

  • 該当部分
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  • 2009年9月4日、加藤の頭部死球
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その後

5回表二死2・3塁の第3打席に立った際には壮絶なブーイングが浴びせられるも、加藤は動じることなく2点タイムリーを放ち、改めて肝の太さを見せつける。
ところが次打者の長野久義に対して森内壽春は初球を膝元へ投じるが回避され、2球目はさらに内角を突き膝を直撃する死球となった。
この死球によって球場は一時騒然、死球の少ない長野と与死球の少ない森内との対戦であったため*7、報復死球ではないかと疑惑が広まった。

上記いずれも、今となっては真相は闇の中。とはいえ長野が死球を受けた際に日本ハムサイドの応援団から大歓声と盛大な拍手が沸き起こった*8ため、少なくとも観る側の心情はそういう印象であったと思われる。

主審柳田と際どい頭部死球、再び

ネイマーエ

和解

時は流れ2018年3月1日、札幌ドームにて多田野の引退セレモニーが執り行われた。
そこに加藤(当時BCリーグ新潟の社長補佐)から多田野に向けたメッセージと花束が届けられ、セレモニー後には直接電話。
多田野も「すっきりした。今度食事でも行こうという話をした」とコメントし、この一件は終焉を迎えたと言えよう。
この報道を受けてなんJでも

  • すっきりした(意味深)
  • 距離が縮まった2人(直球)
  • 多田野が提示した示談の条件とは…

といった祝福コメントが相次いだ。

多田野氏 引退セレモニーの日に解けた“わだかまり”「今度食事でも行こう」

https://www.sponichi.co.jp//baseball/news/2018/03/08/kiji/20180308s00001000090000c.html

多田野氏と加藤氏は同学年。いわゆる「松坂世代」だ。多田野氏にとってはあの試合を思い返すたびに「すっきりしなかった」という“因縁”の加藤氏から引退セレモニーに合わせて花束とともにメッセージが届けられたのだ。現在はBCリーグ新潟の球団社長補佐を務める加藤氏と親交のある日本ハム・木田優夫GM補佐を通じ「お疲れ様でした。行きたかったけど、行けなくてすみません。今度あらためて“お疲れさま”と直接言わせてもらいたい」との言葉が多田野氏に届けられた。木田GM補佐が仲介役となり、セレモニー後には直接電話で会話した2人。「あの試合以来話していなかった」という多田野氏は「すっきりした。今度食事でも行こうという話をした」と晴れやかな表情で話した。

現役時代はリーグが違うこともあり、同学年ながら普段から話す機会は少なかったという2人。多田野氏は「今では仕方なかったと思う。ずっと話していなかったのも、たまたま機会がなかっただけ」という。多田野氏の引退セレモニーを機に距離が縮まった2人。今後はそれぞれの立場で野球界に貢献していく。(一部抜粋)


関連項目


*1 加藤が踏み込むような形で構えたこと、それに対して多田野が厳しく攻めたことが大きな原因であり、多田野が故意にブラッシュボールを投じたわけではない。
*2 当時の登録名は浩一、のちに昌夫に変更。2023年をもって引退。
*3 日本シリーズでは1969年の岡村浩二(阪急)以来史上2人目、危険球では初の退場である。余談だが、翌年の日本シリーズ第4戦では楽天・宮川将が正真正銘の危険球を投じて退場となった。
*4 加藤は負傷退場し、この後10年ぶりに木村拓也が捕手のポジションに就くことになった。
*5 上述のフラッシュバックに起因するものである場合、実際に何が起きたのかを理解できていない可能性はある(真相は不明)。
*6 柳田は現役時代にヤクルトスワローズで栗山とチームメイトの間柄で、野村監督就任時に、メニエル病に苦しんでいたこともあったが、栗山からレギュラーを剥奪し、センターのポジションを柳田に与えている。そのためなんJの一部では「出場機会を奪われたことの逆恨み」などともまことしやかに囁かれた。もっとも、センターはキャッチャーからセカンドへコンバートされ、二度目のコンバートとなった飯田哲也のものとなり、90年代の野村スワローズ黄金時代を支えることになる。
*7 長野は基本的にホームベースから離れて立つフォームであり、一方の森内も極めて優れたコントロールを持つ。同年はそれぞれ653打席で死球1、打者247人に対して与死球0。
*8 長野は2006年ドラフトで巨人入団を切望したものの日本ハムが強行指名、結果的に拒否した事情も少なからず影響していると思われる。