正岡子規

Last-modified: 2023-08-25 (金) 15:37:07

ご存知「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」で有名な日本を代表する俳人、歌人。

黎明期の野球選手(と言っても、後述するように、正岡の時代には野球という言葉はなく、ベースボールと呼ばれていた)としても有名であり、東大予備門(のちに一高と改称)*1ベースボール部で捕手としてプレイした。ちなみに、現在の東大野球部は、野球推薦で有力選手を集める私立大学に押され気味*2だが、正岡がプレイしていた時代は、プロ野球もなければ私立大学でも慶應くらいしか強豪チームがなく、誰もが認める日本最強チームが正岡の所属する東大だったようである。

正岡は尋常ならざる野球愛の持ち主であり、結核で倒れるまでプレイを続けたという。
さらに、「飛球」「四球」「走者」など、現在も使われる野球用語の多くを考案し、中馬庚が日本初の野球専門書を出す前年の1896年に、新聞連載で野球のルールを詳しく解説した事でも知られており、「まり投げて見たき広場や春の草」、「九つの人九つの場をしめてベースボールの始まらんとす」など、野球に関する四季ごとの句や歌を詠んだ事*3、また弟子の新海非風(にいのみ ひふう)との共作で日本初の野球小説『山吹の一枝』を執筆した事でも知られる。
その功績が認められ2002年には新世紀特別表彰で野球殿堂入りも果たした。

ベースボールを野球と和訳したという誤解

正岡民クイズの回答についてにある通り誤解である。

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*1 現在の東大教養学部。
*2 もっとも、勝利数が少ないのは東京六大学野球という強豪大学リーグに所属しているためであり、実は国立大学の中では常に筑波大と並んで最強クラスである。
*3 今ではプロ野球開幕や春の甲子園等で使用されている「球春」の語は子規によるものとされており、現在では季語ともされる。