中畑監督

Last-modified: 2023-12-28 (木) 17:40:22

横浜DeNAベイスターズ元監督・中畑清氏のこと。


概要

2011年に監督への就任が決定したが、春田真オーナー(当時)が新監督に求めていたはずの『若さ』*1や『情報発信力』からかけ離れていると考えられた中畑の起用は発表当初からファンに疑問視されていた。
またアテネ五輪時の指揮への悪評*2や、当時の中畑のあまりな巨人贔屓ぶり*3、さらに他の監督候補として新庄剛志*4工藤公康*5があげられるといった紆余曲折を経ての就任だったこともあり、横浜ファンは中畑の話題を意図的にスルーする傾向があった。

 

また、監督就任の情報がよりにもよって出身地の福島県で全く知られていないという事態が起きたりしていた。

スポニチ『番長「ウソ!」福島の子供たち「中畑監督」知らず…』
DeNA・三浦が横浜市内で、被災地である福島県在住の子供約40人を対象に、キャッチボール教室を開いた。福島県外で遊んでもらおうという支援策の一環だったが、連日メディアに露出している福島県出身・中畑新監督の予想外の知名度の低さにびっくり。「ウソ、知らへんの?監督も福島(出身)やろ…。DeNA浸透してへんな」。質問コーナーが終わった後に「横浜の新監督は誰?」と子供たちに聞いたところ「し~ん」。子供たちは沈黙したままだった。

 

ところがキャンプが始まると、毎日のようにマスコミに話題を提供。キャンプ中にスポーツ紙の一面を飾る光景もよく見られるようになった。

中畑コピペ

当然ながらその全てを一気になんJで使用することはできないが、その全てが破壊力抜群である。

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その後

中畑はまずチームのだらけきった意識改革に着手。
手始めに

  • まず「挨拶から」という基本中の基本から叩き直す
  • ベンチで選手に声出しを徹底させる*6

から始めると、シーズン前のキャンプの練習量も激増。シーズンが始まるとチームを鼓舞するべく、勝利に執念を燃やし喜怒哀楽を全面に押し出す熱血スタイルで盛り上げる。チームが逆転したりホームランが出たりすると「ベンチにいるファンのおじさん」と呼ばれるほどに誰よりも喜ぶその姿は、暗黒時代を過ごした横浜に射す光そのものであった。
また、当時二軍の帝王状態だった筒香嘉智梶谷隆幸の才能を見抜いて主力に成長させ、先発としてドラフト指名した山﨑康晃の抑え適性を見抜き*7オープン戦後にクローザーに配置転換するなど選手起用の面でも手腕を発揮。投手交代でもマシンガン継投を抑制し無難な継投策で中継ぎ陣の整備を図る等、ブルペンワークも改善している。
その一方で、「全員の気持ちが一つにならないとそのチームは機能しない」というポリシーを持っており、怠慢プレーや采配批判に対しては容赦なくペナルティーを与えている*8。これも選手層が薄すぎて懲罰交代すら出来なかった暗黒時代にはなかった光景であった。

こうした基礎工事のやり直しが功を奏し、2013年には「今世紀中には不可能」とも謳われた最下位脱出*9を成し遂げ、シーズン終盤までCS争いを繰り広げる。2014年には借金を1桁に抑えるなど、少しずつではあるが着実にチームは変化を見せていた。
そして2015年は前半戦終了時点で首位に立ち、最大11もの貯金を手にしたのだが結局最下位に逆戻り*10。中畑はその責任を取り退任した*11が、「面白コメントを連発するネタ監督」という当初の評判とは一転、「チームをベリーグからセ・リーグに引き戻した」「戦えるチーム・勝てるチームとしての土台を作った」と一定の評価を得ており*12、後のラミレス監督になって日本シリーズに進出する礎となったと言える。
また、前任者(大矢明彦・尾花高夫)が重度の左右病で好調の打者を腐らせたりマシンガン継投を繰り返すなど擁護できる面が見られなかったことや、当時のセリーグに無能扱いされた監督が多かったことも、中畑の評価が伸びやすかった一因であった。

関連項目



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*1 就任1年目の開幕時点で58歳。
*2 本来監督を務める予定だった長嶋茂雄が脳梗塞に罹患したことによる監督代行。史上初めて全てプロ選手でメンバーを固めて金メダルを期待されるも銅に終わった。
*3 もっともこれに関しては監督退任後の解説でもしばしば見られる。
*4 こちらは1年契約を希望したり、スタメンを打率の良い順で組んだりするなどの方針が上層部と噛み合わず破談した。なお、新庄は後に日本ハムの監督に就任した時に実際にこの手法を展開しているので、これが新庄の信条であると考えられる。
*5 工藤は同オフの引退決意直前に本格的な話し合いが設けられていた。しかし達川光男鹿取義隆大久保博元の入閣を希望するなど巨大な監督権限を求めた工藤を、球団主導の運営を志した高田繁GMが認めず破談となった。
*6 TBS時代は選手が声出しどころかベンチに座らずベンチ裏にいることが常態化していた。
*7 ただし、当時中日GMの落合博満は山﨑に先発適性がないことを見抜いていた。なお山崎をスルーして中日がドラフトで獲得した選手達
*8 代表的な例として中村紀洋から2度采配批判とみなされる行動を取られた件が挙げられる。結果として中村はいずれも2軍落ちの憂き目にあい、特に2度目の2軍落ち以降は二度と1軍の打席に立つことはなく、そのまま自由契約となった。なお、中畑は巨人コーチ時代にも指導法をめぐって駒田徳広と確執があったといわれており、これが遠因となって駒田は巨人を離れて横浜へFA移籍している。
*9 この年は5位だったが、4位とのゲーム差は僅かに1。因みにDeNAと入れ替わりで最下位になったのはヤクルト
*10 それでも5位とのゲーム差はわずか1.5である。
*11 特に、阪神戦で江越大賀一人にかき回され同点から振り逃げ→バント処理失敗→パスボールで無安打無四球サヨナラ負けをした事が辞任を決断する契機となった。
*12 球団側もファンも中畑の功績を認め続投を要請した程である。