優勝見届け人

Last-modified: 2023-11-05 (日) 09:00:02
  1. 埼玉西武ライオンズ、および同球団に所属していた頃の秋山翔吾(西武→MLB→広島)のこと。
  2. 横浜DeNAベイスターズ、およびその本拠地球場・横浜スタジアムのこと。
  3. 石毛博史(元巨人→近鉄→阪神)の自称。


1.の概要

西武は2000年後半から何故か眼前で優勝されるジンクスを抱えており、日本一になった2008年以降の10年間で対戦相手が優勝を決めた回数は実に6回に上っていた*1*2。このことから「優勝請負人」になぞらえて「優勝見届け人」「優勝見届け球団」などと呼ばれていた。

2011年に入団し1年目から一軍に定着した秋山も時期が被っていたため優勝を見届けてきたが、どちらかと言えば「チーム全体が優勝を見届けている」という風潮が強く、2017年レギュラーシーズン終了までは「優勝見届け人」と言えば西武を指していたが……

  • 2017年
    同年のCSセカンドステージ・福岡ソフトバンクホークス対東北楽天ゴールデンイーグルスの第5戦では、テレビ中継のゲスト解説に秋山が登場。ソフトバンクが3勝2敗(アドバンテージ含む)で王手を掛けた試合は秋の風物詩のジンクスを破って7-0で勝利、秋山はリーグ戦に続いて2度目の胴上げを見届けることになってしまった

    さらに追い討ちをかけるように、TVQ・結城亮二アナウンサーが秋山に優勝経験のないことレギュラーシーズンも優勝を見届けた感想などを聞くぐう畜ぶりを発揮。これには秋山も「目の前で胴上げを2回も見たのは僕ぐらいだと思いますので」と上手く切り返していた。
    この一連の流れはなんJでも受け「こいついつも胴上げ見てんな」「日シリ4~7戦のゲスト解説決定」などのレスが飛び交い、今度は秋山自身が「優勝見届け人」と呼ばれるようになったのである。
  • 2018年
    西武が山賊の活躍で開幕8連勝とスタートダッシュに成功するとシーズン通して首位をキープ、9月17日には2位ソフトバンクとの3連戦で3連勝しマジック11点灯。30日の日本ハム戦で敗れるもソフトバンクも敗れ、10年ぶり22度目のリーグ優勝を達成
    しかしクライマックスシリーズファイナルステージのソフトバンク戦では、投手陣が5戦44失点の大崩壊を起こしシリーズ敗退、2年連続メットライフドームでホークスの優勝胴上げを見届けることとなってしまった。
    秋山も20打数3安打と低調で「優勝見届け人」っぷりを発揮することとなってしまった*3
  • 2019年
    山賊は浅村栄斗が楽天にFA移籍するも、変わらぬ破壊力で後半戦から貧打に苦しんだソフトバンクを猛追。9月15日にマジックを点灯させるとそこからは首位をキープし9月24日のロッテ戦に勝利してリーグ連覇を決めた
    秋山は3年連続4回目の最多安打タイトル獲得となるシーズン179安打を放ちリーグ連覇に貢献。この試合でもダメ押しとなる走者一掃のタイムリーと押し出しでようやく勝って自らの優勝を見届けることができたよかったね、おめでとう

    しかし前年のリベンジを期したクライマックスシリーズファイナルステージのソフトバンク戦、またもや先発中継ぎ問わず出てくる投手が軒並み打たれ、4試合全て2桁安打を浴び55被安打32失点と大崩壊ソフトバンクに4タテされ3年連続メットライフドームでホークスの優勝胴上げを見届ける事となった。
    一方、秋山本人は.278とそれなりに活躍した。

    シーズン終了後、秋山はプレミア12日本代表に選ばれるが直前の強化試合・カナダ戦で死球を受けた結果、右足薬指を骨折し無念の出場辞退となってしまった。
    しかし秋山はプレミア12の日本戦をほぼ全試合球場に訪れて観戦し、日本優勝の瞬間も球場で見届けた
  • 2020年・2021年
    秋山がメジャーに移籍。西武はシーズン、CS共に優勝を見届けることはなかった*4
  • 2022年
    秋山はシーズン途中にメジャーから広島東洋カープに移籍。8月にはサヨナラヒットも放った。しかしチームは5位でシーズンを終え、秋山自身はコンディション不良で9月の大半は試合に出場できなかった。
    一方の西武はV逸したものの、CS出場は確定させた。
  • 2023年
    この年のセ・リーグは9月14日に阪神タイガースがM1で迎えた対巨人戦(阪神甲子園球場)で優勝したが、秋山を擁する広島は阪神との対戦が9月15日・16日(マツダスタジアム)で組まれており、阪神が14日の試合に敗れていれば秋山の目の前で胴上げとなる可能性があった*5が間一髪で回避することができた。
    パ・リーグはオリックス・バファローズが9月20日の対ロッテ戦(京セラドーム大阪)で優勝を決めた。西武はこの日に試合があったが相手が日本ハムだったため、こちらも胴上げ見届けを回避した。

阻止した事例

2.の概要

平成以降西武と同率タイの優勝見届けとなっているDeNA(横浜時代含む)。特に2017年以降はなんと6年連続で狙ったかのように優勝が懸かった試合に当たり*8、6年間で対戦相手が優勝を決めた回数は実に3回に上り、西武の跡を継ぎ2代目「優勝見届け人」「優勝見届け球団」の地位を不動のものとした。

  • 2019年
    首位・巨人との横浜スタジアムでの直接対決2連戦に連敗し、目の前で胴上げを見届けた。
  • 2021年
    ヤクルトとの最終カードとなった10月26日に敗戦し2年ぶりに胴上げを見届ける。なお2021年には横浜スタジアムが東京オリンピックの会場になっており、ソフトボール、野球の両方で日本代表が優勝したため、横浜スタジアムは胴上げを3回見届けることになった。
  • 2022年
    首位・ヤクルトとの神宮球場での直接対決3連戦となる。初戦は勝利こそしたものの、大勝かと思われた矢先の9回裏にヤクルト打線を完全に起こしてしまい猛反撃を受け、これが影響したのか翌日は大敗。三戦目は今永昇太・小川泰弘のエース同士による熱い投手戦となり9回表までスコアボードに0を並べるも、三番手として登板したエドウィン・エスコバーがヤクルトのルーキー・丸山和郁に適時打を許し惜敗*9。2年連続で胴上げを見届けた。


2017年以降の優勝が懸かった試合

 年度 対象チーム 球場 マジック 勝敗          結果         
2017年広島マツダM5○●●初戦を勝ったことで回避したがその後連敗でM1に。もし初戦を勝てず3タテを食らっていれば目の前の胴上げとなっていた。
2018年M2●○○一度でも敗れれば胴上げの可能性ありという、昨年を遥かに超える絶望的な状況に追い込まれながら、2勝1敗、かつマジック対象の2位ヤクルトが3連勝したことで、M1で耐えきり何とか回避している*10
2019年巨人横浜M4●●優勝見届け
2020年M3○○○一度でも敗れれば胴上げというギリギリの状況に追い込まれたが、3連勝で何とか回避している。
2021年ヤクルトM2優勝見届け
2022年神宮M4○●●優勝見届け(サヨナラ負け)*11
2023年阪神甲子園M5●●○DeNAは阪神の優勝決定日に中日との試合(横浜スタジアム)が組まれており、回避した。胴上げを見届けたのは巨人。


3.の概要

石毛は1988年ドラフト外で市立銚子高から巨人に入団。巨人時代は豪速球とフォークを武器に頭角を現し抑えとして活躍するが、後年の澤村拓一と似たタイプで「石毛劇場」と呼ばれた。1993年から2年連続で最多セーブを記録*12、1994年には優勝にも貢献した。
しかし元々肘とコントロールが悪かったことからその後は成績を落とし、1996年オフに石井浩郎の年俸調停問題の煽りを受け近鉄へ放出*13

2002年オフに阪神へ移籍すると中継ぎとして復活しチームはリーグ優勝。2年前に近鉄がリーグ優勝した記憶が新しい中、巨人の抑えとして活躍した石毛が阪神で再度優勝の美酒を味わったことからマスコミが「優勝請負人」と呼んだのに対し、“自分は決して優勝に貢献した訳では無い”という自虐込みの返し*14で「優勝見届け人」と自称したのが由来である。


関連項目



Tag: 西武 阪神 横浜 なんJ フラグ・ジンクス


*1 2009年・2016年の日本ハム、2011年・2015年・2017年のソフトバンク、2013年の楽天。
*2 2010年と2012年は胴上げを見届けなかったが、どちらも西武が敗れたことで優勝が決定している。前者は仙台で試合中のソフトバンクが、後者は試合がなかった日本ハムが優勝を決めている。
*3 もっとも、これについては秋山の調子が悪かったというより、ソフトバンク側が秋山1人のためだけに200ページのレポートを用意したと言われるほど徹底的に対策した結果の部分が大きいとされる。
*4 2020年はAクラス(3位)だったが、新型コロナによって開幕が遅れたため、パ・リーグのCSは1位(ソフトバンク)と2位(ロッテ)のチームのみが出場した。
*5 15日の試合には出場していないが、16日は1番・センターでスタメンだった。
*6 この日の時点で優勝マジック1。
*7 仮に同点のまま延長12回裏が終了した場合でもソフトバンクの優勝となっていた。
*8 2023年は9/14に阪神が優勝したため回避したが、9/17・9/18に阪神戦が組まれていたため、マジックの減り方次第では7年連続となる可能性があった。
*9 なお、新人選手が優勝決定適時打を放ったのはこれがNPB史上初。
*10 その翌日、広島はヤクルトとの直接対決に勝ち優勝した。
*11 「サヨナラで優勝決定」は7年ぶりであり、7年前もヤクルトがサヨナラで優勝を決めている。
*12 ただし当時の最優秀救援投手はセーブと救援勝利を合算した「セーブポイント」で表彰していたため最優秀救援投手は1993年のみの受賞となっている(1993年は6勝30セーブ、1994年は5勝19セーブで最優秀救援投手は8勝19セーブの高津臣吾が受賞)。
*13 石井相手の1対2の交換トレードで吉岡雄二と共に近鉄へ移籍。
*14 1994年は決して飛び抜けた成績ではなく、1996年は絶不調の後放出、2001年と2003年も登板数は多くなく成績も決していいものではなかった。なお優勝したが自身は一軍未出場という年が1989年1990年2005年と3回ある。