長岡志保(ながおか しほ)は葉鍵政界の政治家。
経歴
元は葉鍵日報記者だったが、うぐぅ民主党の鳩系メンバーの代表となった。
月宮あゆ元首相が総裁を辞任すると、長岡は表現規制撤廃と情報公開の推進を掲げて次期総裁選に立候補した。
総裁選では、再選を目指す月宮を1票差で離して見事に当選した。
当選後、党人事の再編と長岡内閣?の組閣を進めたが、突如活動を停止してしまった。
2008年葉鍵政界総選挙?が行われるにいたっても活動を停止したままであり、長岡はToHeart広域県?選挙区から立候補したものの、
地方区では善戦するものの6位と当選には及ばず(当時の同選挙区の定数は4名)、ブロック区でも決選投票まで至るが落選してしまった。
2010年葉鍵政界総選挙?でもToHeart広域県?選挙区から立候補したが、地方区は最下位で落選し、ブロック区では善戦したものの次点で落選してしまった。
その後、同じく2010年の総選挙で落選した月宮・古河らと共にうぐ民党を離党し、うぐぅみんなの党を結成した。
- 志保・古河渚共にうぐぅ民主党を離党した痕跡は無い。公芽衣党を与党から追い出した志保が、公芽衣党と組んでいるうぐぅみんなの党に受け入れられるとは到底考えにくい。
路線
総裁選当時、政策路線の比較的近い葉鍵新党?・ことみん新党などとの連立を検討していたが、総裁選後は単独政権樹立に路線転換した。
しかしこの結果、うぐ民党は少数与党に転落する結果となったのである。
うぐ民党内の表現規制反対派の代表格であり、総裁就任後は表現規制問題の打開に向けて活躍することが期待された。
ところが上記の通り、突如活動を停止してしまい、表現規制問題の打開は政権交代を待つことになってしまった。