モンスターハンター2が盛んにプレイされていた時期に使われてた言葉。
「(『モンスターハンター2』のプロデューサーの)田中死ね(tanakashine)」の略。
別に田中さんとも読めるが後述の理由により「さん」付けして呼ぶ人はあまりいない。
- 字面はthanks(サンクス=ありがとう)にも似ているが全く違う。
経緯
- ゲームバランスの良さにより「MHG」や「MHP」の成功で
徐々に人気とファンを獲得していたモンスターハンターシリーズ。
その続編であり多くのプレイヤーが期待した「モンスターハンター2」だが、
様々な追加要素の中には後のシリーズの基礎になったものもあるが、- 予備動作の不足や特定の武器種での攻略が非常に困難でバランスが悪い看板の古龍モンスター
- モーションやモーション値のバランスが酷く使い物にならない新武器
- 異常な硬さと配置数の小型モンスターetc…
- その結果として、責任者の一人とも言える田中剛プロデューサー(当時)を批判する言葉として
「tnksn」が使われるようになった。
さらに、ほぼ無限湧きするランゴスタは田中虫……などと
面倒なモンスターにtnkが入った渾名を付けることもオンでは目立っていた。
- 更にファミ通のインタビューで「MH2」の問題点を指摘されたときの
「まぁ、自然はきびしいってことで(笑)」に代表される開き直った発言が、
ユーザーの怒りに火に油を注ぐ事となってしまう。
田中氏の言動の矛盾に根も葉もない多数の憶測が飛び交い、炎上はさらに拡大した。- 田中氏は「MH2」だけでなく「デビルメイクライ2」などの期待作で失敗した事から、
「続編殺し」と呼ばれる事もある。
ただし、MHシリーズには初代からプロデューサーとして携わっており、続編だけに携わっている人物ではない。
初代のスタッフロールでもその名を確認することができる。
- 田中氏は「MH2」だけでなく「デビルメイクライ2」などの期待作で失敗した事から、
- その後、田中氏はMH2やDMC2をはじめとする、自身の携わったゲームの評判の悪さがきっかけとなって
退社に追い込まれてしまったと言われている。
退社後は独立しグラフィックデザイン等の下請けを担当する会社「エンジンズ」、「GREE」等を経て、
現在はアメリカのゲーム会社ゼニマックス・アジアに移籍している。
カプコン退社以降はモンハンの制作にも関わっていないので、今ではほぼ死語になりつつある。
広まった経緯
- MH2は据え置き機作品であり、携帯機作品よりもゲーム内チャット環境が充実していた。
また、当時のオンラインは参加のハードルが高く、「マルチマッチングBB」への理解と月額料金が必要であった。
故にオンラインプレイヤーの年齢層は比較的高く、マナーは概ね良かったと言われている。
そんな環境下ではあったものの、田中氏への批判はゲーム内外で公然と行われていた
(決して無法地帯ではなく、迷惑行為が通報されると通信規制を受けたようである)。
これは、MH2の抱えた二つの大きな問題が関わっている。- 一つはMH2のゲームバランス面に関する悪印象が共有されていた点。
MH2では新要素を盛り込み過ぎた結果、各要素の調整不足が目立ってしまった。
これらはプレイヤー側のみが不利益を被ることが殆どだったため、
MH2を好意的に受け取っているプレイヤーも「批判はやむをえないもの」と感じる人が多かった。
これら新要素にGOサインを出したとして、メディア露出の多かった田中氏が槍玉に上がったのである。
ただし、上記の問題点全てが田中氏の手によるものではない事も追記しておく。 - もう一つ、世界観の変化については当時最大の批判点となっていた。
クシャルダオラらMH2産古龍種を「ドス古龍」と呼び分け始めたのは新骨格ゆえではなく、
「MH2から登場した古龍種が世界観にそぐわない」という批判からである。
これら新参古龍種がゲーム内バランスを著しく損ねていたことも重なり、
強烈な批判を浴びていたため、古龍種を導入したとみなされた田中氏への批判が大きくなってしまった。
MHP2G以降のユーザーからすると、この経緯にある疑問を感じるかもしれない。
「無印時点で黒龍や老山龍、キリンが居たのに今更ではないか?」と。
表面上は超常的な力を使う、圧倒的な力を持つという特徴で類似するかもしれないが、
設定や立ち位置の点でモンスターの評価が一転してしまったと言える。
- 一つはMH2のゲームバランス面に関する悪印象が共有されていた点。
- ミラボレアスは「ザ・ドラゴン」というコンセプトで生み出されたモンスターであり、
ドス古龍のようにファンタジー色の強いモンスターとして最初から設定されていた。
「異質なモンスターは最後のサプライズとして出たほうが気持ちがいい」
「ゲームのエクストラモードのような扱い」という方針も生まれたことから、
このコンセプトに合わせて「一般的なモンスター(竜)はある程度生活感のある存在」、
「特別なモンスター(龍)は生態系に関わらず、限定的にのみ登場する」といったゲーム内容となった。- この結果、無印は開発の狙い通り"生活感のあるモンスターに囲まれた"世界観を損なうことなく、
独特な「土臭い野性味のあるモンスターハンターの世界」に魅了されたファンが増えた。
また、"龍"やキリンはそれら一般モンスターとは棲み分けがなされ、交わる機会が少なかった。
生態系に関する上下関係も描写が少なく、生態系を考える上では無視しても支障が出なかった。
- この結果、無印は開発の狙い通り"生活感のあるモンスターに囲まれた"世界観を損なうことなく、
- 時代は下り、MH2にて種族という概念が明確にゲーム内に登場。
更に、クシャルダオラがMH2の看板モンスターとして登場した。
ところが、ドス古龍は従来と異なり村ストーリー中盤から登場してくるだけでなく、
「一般的な大型モンスターを凌駕する、各地の生態系から逸脱した者」として露骨に描かれており、
既存モンスターを語る上でも古龍の存在は無視できる状態ではなくなった。
シリーズの基軸であった「生活感のあるモンスターを狩る」ゲーム性や、
異質なモンスターは最後のサプライズとして出たほうが気持ちがいいという開発の方針と矛盾した状態で、
おまけにドス古龍の能力はより魔法のようなものであったため、
「独特の作風を放棄して安直なファンタジー路線へ方針変更した」とみなされ、非難が殺到した。
- ミラボレアスのコンセプトは初期作品における"龍"の立場を語る上で重要な要素であるが、
彼が隠しモンスターとして情報を徹底的に秘匿されていた*1結果、
上記のような開発目線での事情が当時表沙汰になることはなかったため、
MH2にて突然古龍が大安売りされたような印象を与える原因になってしまったのだ。
- 無印開発頃から"龍"や"超常的な能力を持つモンスター"は存在していたが、
MH2で登場したクシャルダオラやテオ・テスカトルなどはその本質を捉えられていなかったといえる。
- その後発売されたMHP2では、MH2の批判要素の大部分が修正・オミットされ、
MH2で登場した古龍に対しても行動ルーチンの変化などで理不尽さが緩和された。
ユーザーの間ではこれをMH2プレイヤーの批判=tnksnによるものと結び付けて考える動きがあり、
田中氏が退いた後は、「MH2当時のゲーム内外での批判を指す言葉」として用いられていた。- この経緯を見て頂ければ判る通り、もはや「批判や中傷をするための言葉」ではなくなっている。
また、MH2当時の広報はカプコンの屋台骨と化した今日ほど盛んではなく、
プロデューサーである田中氏がゲームバランスの批判を一身に浴びる形になってしまった。
- この経緯を見て頂ければ判る通り、もはや「批判や中傷をするための言葉」ではなくなっている。
- 今となってはこの言葉は「MHの転換期を示す一つの用語」に過ぎない。
MH2当時のニュアンスとしても「単なる批判」とは趣が異なる部分があるため、
当時を知らない人がこの言葉を濫用するのは好ましくないだろう。*2
その後の作品
MH4(G)
- MH4(G)では主にモンスターの挙動についてプレイヤーのストレスを感じさせる要素が格段に増え、
一部プレイヤーからは段差やギルドクエスト・発掘装備の仕様、
G級モンスターの露骨な隙潰しやその極みとも言える極限状態などについても厳しい声が上がった。- これらの不評点に対して辻本Pや藤岡D、プランナーの徳田優也氏*3、ステージデザイン担当の岩崎克巳氏など、
開発スタッフに批判が集まるようになり、
「tjmtsn」「fjoksn」「tkdsn」「iwsksn」等の蔑称がネット上で蔓延するようになった。 - 辻本氏は実機プレイ動画内や各種イベントで地雷プレイを敢行。
藤岡氏はジンオウガ亜種の蝕龍蟲弾について「誰もが嫌がる蝕龍蟲弾」と発言
(ただし、これはMH3Gの頃の発言である)。
岩崎氏は開発チーム内であらかじめ決められていた規格を無視して起伏の激しい地形をデザインし、
徳田氏に挙動の調整などで迷惑をかけた事を明かしている。
さらに不評の多い旧砂漠の流砂に関して「実際に砂漠に行ってみるとあんな感じなんですよ。」
という発言が物議を醸した。
徳田氏は開発インタビューでモンスター有利の仕様を推し進めていたとされる発言が発見され、
「もうガンナーとかいなくなればいいのに!」
「僕らの子供を狩り続けて下さってありがとうございます!!」
といった、ユーザーへの煽りとも捉えられかねない過去の発言が掘り返され、
プレイヤーから批判の対象にされることになった。- また、徳田氏はMHGの頃から開発に関わっており、
MH2のクシャルダオラの仕様も徳田氏の発案であることが明らかになっていることから
「tnksn」の語が生まれた原因の一つとも言えなくはない。
これまで殆ど叩かれなかったことが不思議なぐらいである。
そういった意味では上述の田中氏はプロデューサーとしての役割を果たしたともいえるだろう。
というのも、クリエイターに批判の矛先を向けさせない為、
プロデューサーがヒール(批判される対象)になるという事は稀にある*4。
なお、ヒール相手だからといって、何をしても許される訳ではない。
あまりに過激な批判や行動は、名誉毀損や脅迫等に該当する恐れがあるので、何事もやりすぎない事。
- また、徳田氏はMHGの頃から開発に関わっており、
- これらの不評点に対して辻本Pや藤岡D、プランナーの徳田優也氏*3、ステージデザイン担当の岩崎克巳氏など、
MHF
- MHF界隈ではこのtnksnを捩ったmystsnがフォワード.3時代から流行していた。
これはフォワード.1の運営レポートで後のMHFプロデューサーになる宮下輝樹氏が初登場してから、
紙集めや秘伝絶対主義の流行、ギルド優先依頼の秘伝地雷の増加、
二頭討伐の証や秘伝の証、武具職人魂などの新たなストッパー素材の登場、
アビオルグ、タイクンザムザ、クアルセプスなどの足にやたら削り判定があること、
フォワード.3の度重なる不具合、フォワード.4の緊急メンテ事件など、
プレイヤーにとってやっていてストレスがたまる出来事ばかり起こっていたためである。- それまでの憎まれ役(前述したヒールとして矢面に立ち続けた)ギウラスこと杉浦Pが、
フォワード.1に入って急に前面に押し出してきたのが宮下氏だったので、
界隈では彼のスケープゴートにされたのが同氏であるという同情的な見解と、
宮下氏が元々MHFの1プレイヤーであると公言していたことから、
元プレイヤーであるにもかかわらずプレイヤーから好まれない政策ばかりするという批判的な見解が入り交ざっていた。
なので「mystsn」が指すのが過激な批判だらけだったというよりは、7割批判3割イジリという具合であった。
ネ実wikiではsnが"さん"の略だという言い訳がされている。- ちなみにその杉浦氏もサービス黎明期にはMHFのバランスや方向性などを理由に
すさまじい批判に曝されており、杉浦P版の「sgursn」も一応存在したが、どうみても「スグルさん」と
何処かのマスク超人みたいな感じになってしまい、すぐ廃れてしまった。
- ちなみにその杉浦氏もサービス黎明期にはMHFのバランスや方向性などを理由に
- それまでの憎まれ役(前述したヒールとして矢面に立ち続けた)ギウラスこと杉浦Pが、
- MHF-Gの武器紹介期間より、ツイッターで木本龍己Dが初登場してからはkmtsnが流行し始めた。
これはMHF-G1の各種要素を実装しいわゆる「G1ショック」を引き起こした原因となったのが
木本氏であることが理由となっている。
(ただし木本氏はMHFの黎明期から開発に携わっている)
一方、新たなる憎まれキャラの登場で、宮下氏は以前よりあまり叩かれなくなった。- MHF-G3において宮下氏が別のゲームの担当になったことが判明し、
このmystsnも再び死語に。
これ以降は上記ほど大きな事件が発生せず、
ある程度落ち着いた後、当時「○○sn」と言われていた関係者全員にパイを叩きつけるイベントなどもあった事からか、
少なくとも「○○sn」という言葉は全くと言っていいほど見られなくなった。
更に後にはゲームデータのロールバックなどの大事件が起こったりしたこともあったが、
一度死語と化した○○snの復活には至らなかった。もちろん、それが一番いいのではあるが。- ちなみに宮下氏はユーザーから「そういう略語」で呼ばれていた事を知っていると、
MHF-G2の頃の体験会で言及しているとの記録が残っている。
- MHF-G3において宮下氏が別のゲームの担当になったことが判明し、