田道間守

Last-modified: 2006-03-09 (木) 22:56:35

たじまのもり

菓祖神とされる。
十一代垂仁天皇の病を癒すために,霊薬である非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)を求めて常世の国へ渡り,
九年の歳月をかけて香菓を持ち帰ったが,時既に遅く,既に天皇は崩御されていた。
田道間守は,奈良の御陵に香菓を献じ,陵前に殉死したという。
香菓は様々な説があるが,一般には橘とされている。
橘など果実は菓子の原型であり,後世この伝説によって田道間守は菓祖として祀られることになった。

明治二十年代に,京都菓匠会の設立に合わせて,学者文化人との協議の上,
田道間守が菓祖神と決定された。__銅鐘