バースト・ゾーン 爆裂地区

Last-modified: 2009-10-14 (水) 15:02:23
 

吉村萬壱 『バースト・ゾーン 爆裂地区』 ハヤカワ文庫JA

 

吉村萬壱の『バースト・ゾーン 爆裂地区』(ハヤカワ文庫JA)は人間そのものを描いた作品だ。

 

時は近未来、日本と思しき極東の島国は大陸との戦争に疲弊しきっていた。
国内では「テロリン」と呼ばれるテロリストが日夜破壊活動をおこなっており、
経済はとっくに破綻し国民の生活水準は昭和初期のようになり、奇妙な病気が蔓延し、
ようするに国全体がにっちもさっちもいかない状態になっている。
しかしラジオから流れてくるのは「テロリンをぶっ殺せ!」「きみも軍隊に入らないか?! 軍に入れば非常にハッピー!」
というプロパガンダ臭あふれる、いけいけどんどんな戦意高揚放送のみ。
そしてそれに踊らされる国民たち。

 

つまり戦争そのものだ。
われわれが知らないあいだに戦がはじまり、知らないあいだにそのなかに組み込まれている。
そしてそのことに疑問を持ったりしないし、もちろんそんな余裕もない。
目の前にあるから参加するだけ。
ポール・ヴァーホーヴェンの『スターシップ・トゥルーパーズ』が戦争の本質を描いた傑作だったけれど、本作もまさにそれだ。

が、第一章、第二章はまさしく戦争そのものを書いていたが、第三章で大きく転調する。
そこからは戦争ではなく、「人間そのもの」について語りはじめる。
それまで『スターシップ~』だと思ってげらげら笑って観ていたらクライマックスが『インビジブル』だった、という感じだ。
しかし、文章のトーンはそれほど変わっていないし、
構成が狂っていたり下手くそだったりというわけではないので唐突な感じはない。スムーズに転換する。

これはおそらく「戦争」というものは本作においてはそれほど重要な要素ではない、ということだろう。
(ロメロの『リビング・デッド・サーガ』におけるゾンビのように)
ただ戦争という状況、戦場という舞台が、「人間」を描くうえでもっともやりやすかったから材にとっただけではないだろうか。
作者の興味はあくまで「戦争そのもの」ではなく「人間そのもの」にあるように見える。
(実際、吉村萬壱の作品はすべて人間の本質的な部分を描いている)

 

そして本書は、人間だから、自意識が異常に発達したわれわれだからこそおかしてしまう
最大のあやまちである同種間の殲滅合戦をネタに、
「まあ人類が戦争を起こすのはもうしゃーねえけど、こうなったら起こさないんじゃね?」と戦争回避の方法を提示して終わる。
それは旧人類――つまりわれわれだ――から新人類への進化だ。
われわれが進化した存在であるその新人類は慈愛にあふれ、他者といさかいなぞけして起こさない。

 

すばらしい。たしかにわれわれはそうなることを望んでいる。
しかし、それは本当に幸せなのだろうか。作中描かれている新人類は一見幸福そうに見える。
だが幸せそうに思える内面も、ただなにも考えていないだけ。意識を捨て去り、ごく一部の本能にしたがい生きているだけだ。
まあある面から見たらそれは幸せだろう。自分自身がそうなったら「幸せだなぁ」と思うだろう。
が、そんな生き方はあまりにもつまらなくはないだろうか。

 

すぐれたフィクションというものは「これはこうである」と答えを提示するのではなく、曖昧な要素を残しこちらに問いかけてくる。
「真実とはいかなるものか」と。
『バースト・ゾーン 爆裂地区』は人間の本質とその先を描き、はたしてそれが本当にいいことなのか、幸せなのか、
目に見えるものだけが真実なのかということを読者に突きつける。傑作。

 

担当者 - ミシュラン田中