吐きたいほど愛してる

Last-modified: 2009-10-14 (水) 15:20:29
 

新堂冬樹 『吐きたいほど愛してる』 新潮社

 

新堂冬樹の作品の中で何がユーモアあふれ一番面白いかと言われれば間違いなく私はこの作品をあげるだろう。
短編集ではあるが、一つ一つの内容が濃くいつまでも読んでいたいとおもう作品である。

 
  1. 「異常なほどまでの勘違い妄想男」(「半蔵の黒子」)
  2. 「ある日を境に急に精神が崩壊した妻」(「お鈴が来る」)
  3. 「ある日突然家のアパートのドアの前に現れる素性の知れぬ謎の美少女」(「まゆかの恋慕」)
  4. 「実の娘、その夫にひどいまでに虐待される老人」(「英吉の部屋」)
 

これらの作品はどれもジャンルが違うように思えるが、ただ一つ「愛」というもので結ばれている。
家族間の愛。男女間の愛。ペットに対する愛。物に対する愛。老いも若きも愛に飢えている。では愛とは何か?

 

「愛=やさしさ」、思いやりであるのか?やさしくされているから愛されているのか?
それは違うのではないだろうか。

 

人それぞれがそれぞれの価値観の中で愛を持っている。
我々は常に常識と言うものに従って生きている。生きようとしている。
その常識の中で個々の愛を表現することばかり考えている。
しかし、常識の中の愛は結局なんともない普通の変哲のない愛である。
常識の外に出てこそさらなる愛がある。でもそれは常識ではなく異常になってしまう。
その異常に脅えているようではそこまでである。

 

小説家・三島由紀夫の作品『金閣寺』も美しすぎた金閣寺に嫉妬したために金閣寺を燃やした。
これにも異常なまでの愛があった。
これが自分の愛情表現だ!!と思えばそれがその人の愛だ。周りに何と思われ、言われてもいい。

 

君のためならなんでもする。

 

ありふれたこのベタなロマンス台詞こそがこの作品のすべてだ。
愛の表現の仕方は無限に存在する。この作品は吐きそうになるほど大声で愛を叫んでいる。

 

担当者 - kusa