アメリカ軍車輌

Last-modified: 2023-11-26 (日) 09:46:20

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M3 スチュアート

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第二次世界大戦前に開発されたM2軽戦車の後継となる車両。M2戦車からの主な改良点は装甲強化であり、それに合わせた車体の大型化や、履帯回りの改良も行われている。1940年7月に正式採用され、翌年3月から生産が開始。本国だけでなく、同盟国イギリスを始めとしてソ連、フランス、オーストラリア、中国などにも供与された。
北アフリカ戦線では装甲と火力の不足により大きな損害を出してしまい、その後のヨーロッパ戦線では偵察任務にまわされた他、弾薬運搬車や砲牽引車となる事もあった。
太平洋戦線では日本軍の対戦車能力の不足もあり、一定の活躍を上げる事はできたが、後継のM5中戦車やM4中戦車の配備により前線を退いていった。


M5A1 スチュアート

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1941年米陸軍は戦車用エンジンの不足という問題に頭を悩ませていた。当時米国製戦車の多くが航空機用星型エンジンを改良したエンジンを搭載しており航空機の増産を行っていた陸軍航空隊や海軍とのエンジンの奪い合いになる等問題も多く起こっていた。そのため米陸軍は航空機用エンジンを搭載しない戦車の開発に注力していくこととなる。
そんな中大手自動車メーカーGM傘下のキャデラック社は陸軍装備局に対し
「既存のM3軽戦車に自社製のエンジンを2機結合した機関系の搭載」を提案。装備局はこれを承認し試作車として「M3E2」を開発し各種テストを実施した。このテストではてデトロイトからアバディーンまでの約800kmを故障なしで自走し、また、同時に搭載されたキャデラック社製の油圧式自動変速機は変速もスムーズに行うことができ関係者を大いに喜ばせた。この結果から米陸軍はこの軽戦車を「M4軽戦車」として採用する方針を固め更なる仕様変更(箱型車体の採用等)を加えたものの開発を急いだ。こうして開発が急がれた「M4軽戦車」であったが当時米国のみならず多くの連合国軍に配備されていた「M4中戦車」と混同されるのを避けるため「M5軽戦車」と名を変え1942年2月に制式化された。
本車の火力は基本的に前任のM3軽戦車と同じ37mm戦車砲「M6」を採用しているが、車内容積の拡大により搭載砲弾数が103発から147発に増加しジャイロ式砲安定装置が搭載されたことによる砲撃時の安定性が強化された
機動性の面では車内容積の拡大にともない燃料タンクが追加され航続距離が113kmから161kmに強化された。また、同時に居住性も改善され油圧式自動変速機の採用により操縦性も改善した。
防御面では装甲厚こそM3軽戦車とさして変わらなかったが車体前面装甲板は1枚式に変わり避弾経始を考慮して大きな傾斜が付けられるようになっていた。
M5軽戦車はM3軽戦車と比べ総合的に性能を上げることができたがその評価は決して良いものではなかった。
M5軽戦車の初陣は1942年11月の北アフリカで行われたトーチ作戦であるがそれ以降の北アフリカをめぐる戦いでは対戦車能力の不足によりドイツ戦車相手に大きな損害を蒙り歩兵支援では37mm戦車砲の榴弾威力が不足し十分な支援が行えないだけでなくドイツ軍の有する対戦車砲によって大きな損害を出したことが問題となりM4中戦車との混成で任務に当たるなど苦しい対応を迫られていた。
一方太平洋戦線では日本軍の対戦車火力の不足から一定の活躍をすることができたが、軽戦車故ジャングルを始めとした不整地走破性で問題があることや榴弾威力の不足から43年末には編成からM5軽戦車の記録は消えていた。
44年から始まったヨーロッパ戦線でM5軽戦車には偵察任務が充てがわれていたが携行型対戦車火器の普及や
対戦車砲による被害は深刻で被害全体の55%を占めるほどになっていた。そのため各部隊ではM5軽戦車の出撃に制限を設ける等厳しい対応を行っていた。45年には米軍第二機甲師団がドワイド・アイゼンハワーに宛てた報告書ではこのように記載されている
「M5軽戦車はあらゆる面で時代遅れで、対戦車戦闘能力が極めて低い…(中略)現在我々は軽戦車を歩兵と共に行動させるに留め間違っても敵戦車の直撃弾を浴びることとのないよう最新の注意を払っている。それはM5がドイツ軍戦車の射撃によって撃破されてしまうのにM5の37mm砲ではドイツ戦車も、また対戦車砲も撃破できないからである」
なお、本車の愛称である「スチュアート」は英陸軍が南北戦争時に南軍騎兵隊を率いたJ・E・B・スチュアート将軍にちなんでM3軽戦車につけた愛称でありM5軽戦車自体外観がM3とさして変わらないため引き続きM5でも同様の愛称を使用した。
戦後米国では早期にM5を退役させ後続のM24にその役割を担わせた。だが、戦後もM5の休まる暇はなかった。
米陸軍から放出されたM5はベルギーやイタリア等のヨーロッパの友好国に配備されその1つであるフランスは1950年末までM5軽戦車を海外の植民地防衛に運用した。また、台湾に逃れた中華民国にもM5は配備され暫く運用された。この他にもイラクやエジプトなどにも少数残存したが60年代にはほとんどが退役しこれ以降M5軽戦車が歴史の表舞台に登場する機会はなくなったのであった。
なお、本ゲームで登場するM5A1はM5シリーズの中で最も量産された車両でM3A3軽戦車に採用された新型砲塔を採用し操縦手と副操縦手用のハッチを大型化させるなどした改良型で44年6月の生産終了までに6810両が生産された。


M3リー/M2 75mm戦車砲搭載型

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本車はヨーロッパで破竹の快進撃を行うドイツ戦車に対抗するために急遽開発された戦車である。当時米陸軍では37mm戦車砲を搭載した「M2中戦車」の量産計画を進めており1000両もの大量生産を行い戦力整備を行う方針であった。しかし、39年9月に行われたドイツによるポーランド侵攻や40年6月のフランス侵攻などを始めとした戦闘報告書の研究により「75mm戦車砲を搭載した中戦車が必要」との結論からM2中戦車は一気に旧式化してしまい量産には適さないものとなった。そこで、米陸軍ではM2中戦車の量産を訓練用途などの限定生産に留め、急ぎ75mm戦車砲を搭載した中戦車の開発を進めることにした。だが、当時米国では戦車の開発・生産に関するノウハウは十分でなく米国初の75mm戦車砲を搭載した戦車の開発には時間が掛るのは明白であった。そのためM3中戦車では全周旋回式砲塔に75mm戦車砲を搭載するのではなく車体前部右側の限定旋回式砲塔に75mm戦車砲を搭載し、全周旋回砲塔には37mm戦車砲を搭載するという大胆な兵装配置とすることを決定した。一見するとかなり無茶な配置にも見えるがこれは、M2中戦車の試作車両である「T5E2」にて車体右側への75mm戦車砲の搭載をテストした実績があるもので堅実な兵装配置あった。また、開発期間短縮のため車体及び足回りは極力前任のM2中戦車のものを流用しており、後のM4中戦車でも同様の手法が取り入れられている。先述したように開発は急ピッチで進められることとなり、40年6月13日には基本要求が決定され設計の始まっていない翌7月11日には「M3中戦車」として制式化され直ちに量産発注が行われるという前代未聞の決定が行われるほどであった。
その後も量産が急がれたが、米陸軍にとっての本命は全周砲塔に75mm戦車砲を搭載したM4中戦車であり調達数は約360両程度に留めることが予定されていた。しかし、ここで英陸軍が大きな影響をあたえることになった。
当時英陸軍はフランスでの敗戦から大量の戦車を失い、自国での戦車供給力も限界に近いこともあり米国に英国製戦車の生産を依頼したが米国からの反対され、その代案としてM3中戦車の供給を提案しこれを英陸軍は承諾したため一挙にM3中戦車の需要は高まることとになった。その需要に答えるべく開発はより加速されることとなりアバディーンの設計チームとメーカー側との密接な協力体制がとられ、生産性向上の観点からメーカー側の技師が設計のアドバイスを行うなど急ピッチで生産への準備が行われることとなった。そして、翌年41年2月には量産車両の設計が終わり、翌3月には試作車の自走試験に成功。そして、同年6月には本格量産がスタートし生産された車両は米英軍に配備された。
本車は設計から開発・量産するまでの期間が約1年という極めて短い期間で行われた戦車で左側に対して75mm戦車砲の火力を発揮できない点などが問題となったが、当時の連合軍戦車としては唯一強力な75mm戦車砲「M2」を搭載し、信頼性・整備性共に優秀、火力・機動力・防御力共にバランスがとれている戦車であり主に運用した英陸軍ではその性能を高く評価し、北アフリカでの独伊連合軍との戦いでその性能を発揮した。
なお、本車の愛称である「リー」は米軍でなく英軍が呼称したもので、M3中戦車は米陸軍の仕様と英陸軍の求める仕様に改めた仕様(機銃塔の廃止、各部装甲の強化等)の2種類が存在し、米陸軍仕様車は南北戦争時の南軍の将軍「ロバート・E・リー」から「ジェネラル・リー」英陸軍仕様の車両はを南北戦争時の北軍将軍「ユリシーズ・S・グラント」から「ジェネラル・グラント」とされた。英軍では供給量の関係で「グラント」だけでなく「リー」も運用している。


M3リー/M3 75mm戦車砲搭載型

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M3中戦車は生産時期によって数々の改修や仕様変更を行っており、その中でも75mm戦車砲「M3」への換装は重要な改修点の1つであった。従来の75mm戦車砲「M2」は第一次大戦中にフランスから導入された75mm野砲「M1897」ベースに開発された戦車砲で砲弾をそのまま転用することもできた。しかし、M2は生産上の問題で若干砲身を短くしており原型野砲に比べて初速が564m/秒と30m/秒ほど低下していた。
M3中戦車の開発当時は主砲である75mm戦車砲を防御陣地や障害物などの排除に副砲の37mm戦車砲を対戦車戦で運用することを考え特に問題とはされなかった。しかし、北アフリカでの戦闘では対戦車戦に75mm戦車砲を用いることが非常に多く42年以降には長砲身75mm戦車砲を搭載したⅣ号戦車が登場してくるようになるとM3中戦車の火力強化は急がれることとなり後期生産型から砲身長を676mmに延長した新型75mm戦車砲「M3」が搭載されることとなった。
このM3は本来「T6中戦車」(後のM4中戦車)用に開発された75mm戦車砲「T8」を制式化したもので、砲弾はM2戦車砲と共用ながらも初速は619m/秒に向上し対戦車火力も強化されることとなった。
M3戦車砲搭載車両は米英軍のほかソ連軍にも供与され運用が行われたが、供与時には北アフリカ戦を上回る性能を持つドイツ戦車を相手としたため損害が多く「七人兄弟の棺桶」と揶揄されるほど評価は低かった。しかし、整備性や信頼性に関しては高く評価している。


M4A1/75 シャーマン

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M4A2/75 シャーマン

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M4A1/76 シャーマン

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M4A2/76 シャーマン

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本車はM4中戦車シリーズの中でも大手自動車メーカーGM社が生産したM4中戦車で
最大の特徴は民間トラック用水冷ディーセルエンジンを「GM6-71」を
2基並列に組み合わせた「GM6046」(375hp)ディーゼルエンジンを採用しており
M4中戦車系列としては珍しくティーゼルエンジンを採用している点にある。
これは従来のM4及びM4A1に搭載されていた航空機用星形空冷ガソリンエンジン
「R975」が航空機の増産に伴い供給不足になる可能性があったことから
生産を委託した企業に独自のエンジンを採用することを認めたためである。
(そのためフォード製のA3には「GAA」ガソリンエンジンをクライスラー社の
A4では「クライスラーA57」ガソリンエンジンを採用している)1942年4月に完成したA2試作車は
米陸軍によるテストが実施され評価としては「エンジン出力は十分にあり、最高速力は48km/hを維持可能」
「低速時のクロスカントリー能力も高く燃費も申し分ない」との評価であったが
同時に問題として「エア・クリーナ、冷却系統、クラッチを始めとした信頼性に難がある」とされ
米陸軍での総合的な評価としては不十分とされてしまった。しかし、それを差し置いても魅力があるのも
事実であり改良が継続された結果、1943年にはエンジン性能としてはM4、M4A1の「R975」M4A3の「GAA」
M4A4の「クライスラーA57」よりも優れているとされたが、機関系全体としてみるとホコリに弱く
信頼性に関しては改善することができなかった。
そして、同年3月に米陸軍は「戦車用エンジンはガソリンエンジンで統一する」との決定を出し
A2を陸軍としては採用しないことを決定した。だが、生産自体は継続されることとなり
主に米海兵隊の主力戦車として採用されたほかソ連軍にもレンドリース法によって供与されることとなった。
生産台数は75mm戦車砲「M3」を搭載したものが1942年4月から43年11月までに8053両
76.2mm戦車砲「M1」を搭載したものが1944年5月から45年5月までに2915両
生産されM1戦車砲搭載車両はそのほとんどがソ連軍に供与されることになった。
なお、ソ連軍にレンドリースで供与された車両には、付属でトミーガンことM1トンプソンSMGが装備されていたが
ソ連戦車兵の間で貫通力がないと笑い話になり、厚い外嚢を着て、(実弾で)撃ち合いをして遊ぶなんてことも
あったようだ。
又、M4系列の欠点として重心が高いところがあり、この為しょっちゅう転倒することがあったようだ・・・
このゲームで転倒したのを今のところ見たことはないが段差、弾痕、傾斜では気をつけて運転しよう。
レンドリースM4のお話で一昼夜街道上を爆走した結果転輪のゴムが熱くなって溶け、進撃が部隊単位で止まったりした。
M4系列の戦車が燃えやすいと言うのは(湿式弾薬庫を装備した後ですら)よく言われることであるがソ連戦車兵の話によると、
燃えはしても(榴弾の炸薬量が少なく、外郭が厚かったからか?)爆発はしない
(逆にT-34はしょっちゅう爆発したようだ・・・まるで現代のT-72のようだ・・・)
この為被弾炎上したら戦車の下に隠れてやりすごす、と言った芸当ができたようだ。
ちなみに長砲身76mmの榴弾炸薬量が75mm短砲身のそれより少ないのは、元が高初速砲である高射砲の為
砲弾が砕けたりしないようにこういった高初速砲では砲弾の外郭の厚みを厚くする必要があり、
結果榴弾の炸薬量が少なくなるのである(似たようなところではパンターがある?)


M4A3/76 シャーマン

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本車はM4中戦車系列の中でも大手自動車メーカーフォード社が生産したM4中戦車で
エンジンにフォード社製「GAA」水冷V型8気筒ガソリンエンジンが搭載されているのが特徴である。
このエンジンはM4中戦車に搭載されたエンジンの中でも信頼性、整備性ともに良好であり
A3系列は米機甲師団の主力として採用された。また、M4中戦車の兵装には75mm戦車砲「M3」
76.2mm戦車砲「M1」105mm榴弾砲「M4」がそれぞれ搭載されているが、本車はその内の
76.2mm戦車砲「M1」を搭載したタイプである。このM1戦車砲は初速の速い高射砲を元に開発された戦車砲で
従来のM3戦車砲に比べ高い装甲貫通力を有していた。しかし、当初戦車兵たちは訓練で慣れ親しんだ
M3戦車砲からいきなりM1戦車砲に変えることに戸惑いと不安を覚えるものも多く将校もM3戦車砲に
こだわることが多かった。だが、ノルマンディー上陸後の戦車戦において4号戦車とならまだ戦えたものの
ドイツ軍の装備する新型中戦車「パンター」や重戦車「ティーガーⅠ」を相手にするとM3では歯が立たず
部隊側は慌ててM1戦車砲を搭載したM4を求めたため最終的に対ドイツ戦終了時の大陸派遣軍の
装甲師団15コ、独立戦車大隊37コが装備するM4の半数以上はM1戦車砲を搭載していた。
しかし、M1戦車砲をもってしてもパンターやティーガーに対抗するのは難しく
タングステン弾芯のHVAP(高速徹甲弾)がない限りには対抗するのは極めて困難であった。
なお、A3系列で有名なモデルとしては全体のバランスが良くサスペンションに新型HVSSを採用し
M1戦車砲を搭載したM4A3E8「シャーマン・イージーエイト」や歩兵支援を目的に装甲厚を倍に強化
し新型鋳造砲塔を搭載したM4A3E2「シャーマン・ジャンボ」などがある。


M4A3E8 シャーマン・イージーエイト

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1944年1月、より対戦車能力を高めようとM4A1.M4A2.M4A3に対して76mm長砲身を搭載したタイプの生産が行われたが、
当時のArmy Ground Force(陸軍地上軍管理本部)はそれまでのM4の性能を過信しておりこの車両の必要性を疑問に思っていた。

1944年6月、ノルマンディー上陸作戦が決行されM4戦車が本格的にドイツ軍戦車と交戦するようになると
独ソ戦で洗練されたタイガーやパンサー戦車などを従来の75mm砲では撃破できず苦戦していた。
この現状に驚いた上層部は直ちに大量生産を行わせたのである。

E8の特徴はやはりノズル付きの火力の高い76mm砲である。
M4の砲塔では内部に収めきれなかったため、T23試作中戦車の砲塔を流用。
従来の75mm砲では700mでもタイガーの正面100mmを打ち破れなかったが、
高速徹甲弾により914mでも135mmの高い貫通力をたたき出している。

今までのM4戦車は車体弾薬箱から炎上しやすく、ドイツ軍から「アメリカ兵のストーブ」と呼ばれるほどだったため
箱を二重にし中に水を詰め、被弾すると水が弾薬にかかり砲弾の爆発を防ぐ「湿式弾薬庫」に変更している。

また、従来の42cmの細い履帯では雨で泥沼になった地面をまともに進めなかったので、
58.4cmの大きい履帯に変更した。
履帯に合わせるためダブル転輪となりサスペンションも縦型バネのVVSSから横型バネのHVSSに変更している。

戦歴としてはバストーニュ解放戦から始まり1950年6月の朝鮮戦争でかつての仲間T-34/85と砲火を交えるなど
大戦後もアメリカ軍に貢献し続けた。
1954年にはMSA協定により陸上自衛隊にも供与されて1970年代半ばまで使用され、61式戦車と交代し退役している。

(余談ですがパラグアイ陸軍ではE8ではないものの105mm砲搭載のM4とM3軽戦車が「現役」で対ゲリラ用として活躍しているとか・・・)


M26 パーシング

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第二次世界大戦後期より朝鮮戦争初期までアメリカ軍で使用された重戦車(後に分類が中戦車に変更)。
当時のアメリカ陸軍で主力として使われたM4戦車であるが、ティーガーには苦戦する。遭遇率の高いパンターでもかなり苦戦して、逆に多大な損害を受けるケースも増えてきた。そこでこれらや更なるドイツの新型戦車に対抗するために新型戦車の開発を前線の指揮官や将校らは本国へ嘆願した。
しかし、これに陸軍地上軍管理本部(まあ世に言う実戦を知らない事務方)が兵器統一論とM4を過大評価し、「現状で問題なし」の一点張りであった。
西ヨーロッパ反抗作戦開始後、ドイツの戦車や対戦車兵器によってM4の乗員の損耗率は最初の一ヶ月で32%にも達していた。このことは自国の兵士の戦車と軍に対する信頼性を激減させた。
M4がドイツの重戦車に敗北することが、アメリカ本土の大衆にも伝わると、ついに地上軍管理本部の連中もついに新型戦車を実戦投入に踏み切れざる負えなくなった。(一応、44年中盤ごろから試作車の開発を進めている。)
T26E3戦車20輌が1945年1月にアメリカ陸軍第3機甲師団に配備される。その後、1輌損傷、1輌が撃破されるも、損害率はぐんと減る。4月にはM26パーシング重戦車として制式化された。実戦ではⅣ号やパンター、ティーガーを撃破し戦果を挙げるも遅すぎた投入により、わずかな功績にとどまった。


M36 ジャクソン

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本車は独ソ戦によって急速に強化されたドイツ軍戦車に対抗するために開発された対戦車車輌である。
アメリカ軍ではWW2開戦時に行われたドイツ機甲軍を中心とした「電撃戦」に強い関心をもっており
ドイツ機甲軍を米機甲軍のモデルケースとしつつその電撃戦にへの対抗策を模索していた。そして、考えられたのが
戦線を突破してきた敵機甲軍の中核戦力である戦車を食い止めるため高い機動力と火力を持って
突破を阻止する「戦車駆逐大隊」の編成が行われることとなり、専用車両としてM36の前任に当たる
M10やM18といった駆逐戦車が配備されることとなった。しかし、機動力は確保していたもののこれらの車両
に搭載されていた76.2mm戦車砲「M7」は登場当初はⅢ・Ⅳ号戦車に対し有効な火力として活躍したものの
東部戦線の激烈な戦車戦によって開発されたパンター中戦車やティーガーⅠ重戦車といった強力なドイツ戦車
に対抗することは難しく、米軍でも1942年から断片的に強力なドイツ戦車の情報を掴みつつあり同年から
開発がスタートすることとなった。そして、これらに対抗しうる唯一の火砲として検討されたのが
90mm高射砲「M1」でありその火力はパンターやティーガーに対抗しうる十分な火力を持っていた。
また開発を急ぐためベース車体にはM4A3中戦車をベースに開発され米本土にて訓練用に用いられていた
M10A1をベースにすることが決定し1944年4月より生産が開始され、大陸反攻作戦が開始された
6月には「M36駆逐戦車」として制式化が行われた。実戦においてはパンターやティーガーの正面装甲を打ち破れる唯一の米軍車輌として火力を遺憾なく発揮したが、反面防御に関しては機動力の重視などからさして強化されず正面切っての打ち合いでは苦戦を強いられることとなった。
また、44年後期に入るとドイツ軍戦車も姿を消しM36は対陣地などの歩兵支援戦闘に投入されるようになったが元来装甲が薄く、対戦車戦を前提としたため視界の取りやすいオープントップであったことから苦戦を強いられることとなった。そのため現場での対処として砲塔上部に天板を増設し機銃類の追加を行うなどの対策がとられることが多かった。戦後のM36は主に同盟国への供与車輌として提供され韓国軍装備車輌は朝鮮戦争に、フランス軍装備車両はインドシナ戦争に投入され90年代にはユーゴスラヴィア紛争にも姿を表している。また、1両のみではあるが我が国にも供与され61式戦車の装備する「61式90mm戦車砲」の採用にに大きく寄与することとなった。派生車輌としては生産台数の確保のためM4A3の車体をそのまま流用した「M36B1」や不足分を補う目的でM10をベースに開発された「M36B2」などがありその多くが戦後海外への供与に用いられることになった。


M8 グレイハウンド

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M8装甲車とはアメリカ陸軍で運用された偵察車輌である。
だが元々、高速対戦車車両として開発されていた。

戦車駆逐部隊による要求で
「高い機動力で戦場に駆けつけ、敵戦車を駆逐する」車両を計画した。
1941年7月に要求仕様を定めスチュードベーカー社・フォード社・クライスラー社の3社が名乗り上げた。
採用されたフォード製のT22の性能は
 ・整地速度 90km/h 不整地速度 48km/h
 ・M6 37mm砲、M2重機関銃を搭載
 ・最大19mmの装甲
 ・行動距離 560km
 と、装輪装甲車としては高い性能を誇った。

しかし、同じ主砲を搭載したM3軽戦車が北アフリカで威力不足なことを確認すると
高速対戦車車両として運用することを断念、
軽快さを生かして偵察・連絡・警備用に変更した。
またイギリス軍によってグレイハウンド(狩猟犬)の愛称が付けられている。

しかしこの車両には特筆すべき大戦果が存在した。
1944年12月18日、バルジの戦いで巡って激しい戦闘が行われたサン・ヴィトにて
第7機甲師団所属、第87騎兵隊偵察部隊のB中隊所属のM8装甲車が偵察中、単独行動をしていた「キングタイガー」を発見すると
ゆっくりと後方へ回り込み25mの至近距離からM51APC弾3発を撃ち込み「キングタイガー」を撃破して見せたのだ!

”猟犬”の名に恥じぬ活躍をした本車両は戦後アメリカの同盟国や陸上自衛隊など
多くの国に供与され、1970年頃まで使用された。


ウィリスMB ジープ

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かつて、アメリカ各軍で運用されていた多目的車輌「ハンヴィー」の元祖とも言える小型四輪駆動車。
ドイツ軍の偵察・連絡車輌「キューベルワーゲン」の活躍に刺激され1941年に開発された。
その開発要求案は"地雷を踏んでタイヤ4本のうち2本を失った場合でも、スペアタイヤを含めた残り3本で100kmの走行が可能であること。車載工具ですべての修理が可能であること"と非常に厳しいもので、アメリカ自動車大手ジェネラル・モータースやフォードでも開発を断念したほどであった。開発に応じたのは、小型車販売に失敗し倒産寸前であったアメリカン・バンタムのみで、開発要求からたった2ヶ月で試作車を納入するという、脅威の大突貫工事で高度な基本性能を有した試作第一号車を造り上げた。
その後、ウィリスとフォードも改良型の増加試作を命じられ、その内のウィリスが開発した車輌の量産型が本車「ウィリスMB」である。
高い路外走破性とその無骨な外観から、現在でも熱心なファンがおり日本でも所有者いるほどである。
また、有名な話だが「ジープ」という名称の由来については、"General Purpose(万能)、もしくはGovernment-use(政府用)のGとホイールベース 80インチの車両を表す識別符号のPから来た符号GPから「ジープ」と命名されたという説や、漫画『ポパイ』に登場する「ユージン・ザ・ジープ」からとった"等など諸説あるが、その真実ははっきりしていない。
ウィリスMB」は、1942年から終戦にかけて361,339台が生産されたがこれは各種ジープの中で最多生産モデルであり、各社のジープ生産総計は647,925台とアメリカ軍の機動力を支えるに十分な数となった。武装は37ミリ対戦車砲を搭載した駆逐車輌型や、Cal.50機関銃またはCal.30機関銃を搭載した通常型、救急車型等様々なバリエーションがあった。

 

本シムに登場するのはCal.30 M1919を搭載したモデルである。FPSのような感覚で本シムの広大な戦場を駆け巡るのは非常に爽快である。が、装甲がないので歩兵の小銃ですら脅威なのをお忘れなく。


M3 ハーフトラック

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GMC 353 CCKW

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T28/T95 超重戦車

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本車はドイツのジークフリートラインを突破するために開発された
そしてコイツの1番の特徴はその数奇な運命だろう
なんと試験中にエンジンが炎上しスクラップ場に送られた
はずだった
何と試験場にコイツが丸ごとのこっていたのだ
そして今は博物館で余生を過ごしている

コメント欄

  • M36の解説追加しました。ご確認ください。 -- 61式P? 2013-06-30 (日) 10:26:18
  • またまた追記ありがとうございます。これで米軍はコンプリートです。またよろしくお願いします! -- ぱんふろ@記事主? 2013-06-30 (日) 21:53:21
  • 別人ですがM4A2に(ろくな内容じゃないが)少し加筆 -- 2014-05-06 (火) 14:15:52
    • ありがとうございます! -- 2014-05-06 (火) 14:24:54
  • そういえば車体の角が丸いシャーマンって初期だっけ? -- 2014-05-06 (火) 14:59:22
    • A1型は鋳造車体で丸い。一応、サブタイプは不明ながら、75ミリ砲搭載型シャーマンの開発画像が上がってるので実装あるかも。 -- 2014-05-10 (土) 17:39:18
  • HVAPがHAVPになってたので勝手に修正 -- 2014-05-13 (火) 13:03:19
  • 非常に陳腐な文章で内容もけっこう怪しいですがM4A2に加筆 -- 2014-05-14 (水) 09:13:09
  • M3中戦車(M2搭載車)解説追加しました -- 61式? 2014-08-19 (火) 16:37:32
  • M3中戦車(M3搭載車)解説追加しました -- 61式? 2014-08-19 (火) 17:09:02
    • 解説毎度ありがとうございます! 搭載砲の違いだけにも関わらず、凄まじい詳説です! 十分な時間なく設計された戦車の中でも、M3はとりわけ優秀で活躍した戦車として十分なものだと思います。 -- ぱんふろ@記事主? 2014-08-19 (火) 17:44:42
  • M5軽戦車解説追加しました -- 61式? 2014-10-07 (火) 13:00:45
    • 解説追加ありがとうございます! 最近リアルが忙しくてなかなか動画更新とwikiの追記を行えないのですが、61式Pさんの解説は欠かざず読ませて頂いてます。 -- ぱんふろ@記事主? 2014-10-08 (水) 01:49:17
  • あけおめ!!! -- 2023-11-03 (金) 16:18:34