No117 大鳳/元ネタ解説

Last-modified: 2019-01-14 (月) 16:32:27
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型大鳳型航空母艦
正式名称大鳳(たいほう)
名前の由来大鳳 鳳(おおとり)の更に雄大なものという意味
起工日1941.7.10
進水日1943.4.7
就役日(竣工日)(1944.3.7)
除籍日(除籍理由)1945.8.31(マリアナ沖海戦/英Battle of the Philippine Sea 1944.6.19沈没)
全長(身長)260.6m
基準排水量(体重)29300英t(29770.2t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶8基艦本式蒸気タービン4基4軸 160000shp(162219.1PS)
最高速度33.3kt(61.67km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/10000海里(18520km)
乗員1649~2038名
装備(建造時)65口径九八式10cm連装高角砲8基16門
九六式25mm機銃x76(17x3+25x1)
艦載機x52+1
装甲舷側:55~165mm 甲板:20+75mm
建造所川崎重工業艦船工場 (現 川崎重工業船舶海洋カンパニー神戸工場) (日本国兵庫県神戸市)
  • 大鳳型航空母艦の1番艦。ただし2番艦以降は建造されなかったので同型艦はない。
    日本海軍初の飛行甲板に装甲を施した航空母艦である。なお日本海軍に装甲空母というカテゴリはなく、書類上は通常の航空母艦である。
  • 空母という存在は航空機の発達とともに大きな戦力として注目され始めたが、一方で「甲板に1発でも食らうと容易に無力化される」という構造的問題を抱えていた。
    この問題に対する1つの解答として甲板に装甲を施す装甲空母の案が存在し、これを日本で実現したのが大鳳型である。
    なお、装甲空母自体は既にイギリスのイラストリアス級で実現されている。
  • 大鳳に加えて小改良を施した改大鳳型5隻も計画・設計されていた。戦況の悪化から工期の短い雲龍型が優先されたため建造はされていない。
    改大鳳型は日本海軍が設計した最後の大型航空母艦となった。
     
  • 昭和14年度の第4次補充計画にて、第130号艦として川崎重工艦船工場にて建造された。
  • 原案では本艦を主力艦隊の前面に出し、重装甲による打たれ強さを活かして敵の攻撃を本艦に逸しつつ、主力艦隊から発艦した艦載機の中継基地として機能して、アウトレンジ戦法を行う予定だった。
    しかし、流石に非現実的な構想だったため既存の空母と一緒に艦隊行動が出来る空母として修正された。
  • 日本海軍会心の出来である翔鶴型をベースに飛行甲板に装甲を限定的に貼り、甲板数を翔鶴型より1つ減らす事で重心バランスを調節したりと様々な工夫を凝らした。
    500kg爆弾の急降下爆撃に耐える装甲を施したが、重量の増加などからエレベーターは前後の2基に減らされている。
  • 搭載機数は烈風18+流星36+彩雲6の常用60機が定説。ただしこれらの機種はいずれも大型のため、機種によっては70機以上運用可能という説もある。
  • しかし、一刻も早い竣工を望まれていたため工期を強引に繰り上げ、しかも資材不足により一部簡略化&熟練工徴兵で質が低下したため、仕上がりにはかなり問題が多かった。
     
  • 1941年7月10日起工、1943年4月7日進水、1944年3月7日竣工。
    大鳳は日本が太平洋戦争の開戦後に完成させた唯一の大型空母であり*1、戦局の悪化が見えてきた時期に現れた待望の新戦力だった。
  • 竣工から程無く呉を出港、シンガポールへと移動する。5月にはタウイタウイ泊地に入ったが、大型飛行場がない上にアメリカ軍潜水艦が跳梁していたためまともな訓練が出来なかった。
    どうにかフィリピン中部ギマラスに移動して訓練を行うが、ここで天山が着艦時に事故を起こし死傷者を出してしまう。
    この直後、アメリカ軍がサイパンに向け侵攻を開始。日本海軍はあ号作戦を発動し、大鳳はマリアナ沖に向かった。
     
  • 1944年6月18日、マリアナ沖海戦が勃発。第一機動艦隊の旗艦として翔鶴瑞鶴と共に出撃する。
    翌19日朝、アメリカ軍機動部隊を発見した日本軍は攻撃隊を発進させ、大鳳も部隊を発進させる。
  • しかしこの時、既に艦隊はアメリカ軍のガトー級潜水艦アルバコアに捕捉・追撃を受けており、大鳳に向けて6本の魚雷が放たれていた。
    雷跡に気付いた彗星が自爆突入して阻止を試みるなどしたものの、結局1本が大鳳に直撃。この時は多少の浸水と速度低下に留まり、前部エレベーターが故障して飛行甲板に窪みが出来た状態になってしまったものの、机などによって穴を塞ぐ処置が行われ、戦闘続行が可能な状態になる。
    だが既にこの時点で、大鳳の両足は死神の手にしっかりと掴まれてしまっていたのだ。
  • 死神の正体は、自身の抱えた航空機用のガソリンだった。被雷の衝撃によりガソリンタンクの溶接部(強度に不具合があった説あり)が壊れ、気化したガソリンが艦内に流出・充満を始めたのだ。
    間の悪いことに前述のエレベーターの穴を塞ぐ方に人手を取られてガソリンタンクの修理が遅れ、さらに穴を塞いだせいで換気が出来なくなってしまっていた。どうにか他の場所から換気しようとするも果たせず失神者が続出、火花を出すような工具も使えない状況のため作業も捗らなかった。
  • 午後2時過ぎ、潜水艦カヴァラの雷撃を受けた翔鶴が沈没。その直後、大鳳は突如として大爆発を起こす。
    爆発の原因は着艦時の事故や艦内モーターの過熱爆発など諸説あるが、いずれにせよ充満していた気化ガソリンに引火したのは間違いなかった。
    この爆発で大鳳は機関停止し炎上、さらに分厚い装甲甲板が内部からの爆発には仇となり、甲板を破れなかった爆風が艦底部の方向に向かった結果、機関や消火設備を破壊してしまう。
    爆発と火災で手がつけられなくなり、放棄が決定。周囲の駆逐艦などが手伝って生存者を救助し、爆発から約2時間後に沈没。就役から沈没まで約3ヶ月と非常に短命であった。
     
  • 最新鋭の空母でありながら、品質の問題やダメージコントロールの失敗によりたった1本の魚雷で沈没する事態となってしまった。
    この大鳳沈没は、独立行政法人「科学技術振興機構(JST)」のまとめた「失敗百選」にも挙げられており、その教訓を今に伝えている。
  • 大鳳の沈没を含め、マリアナ沖海戦は空母3隻と艦載機の大半を失った日本海軍の惨敗に終わる。
    これによりマリアナ諸島の制海権・制空権は完全にアメリカ軍の手に落ち、増援・補給の見込みが絶たれたサイパン島は放棄が決定。
    見捨てられた守備隊はかつて真珠湾奇襲やミッドウェー海戦で機動部隊の指揮を執った南雲忠一中将らの指揮により奮戦するも全滅、南雲中将も自決した。
  • サイパンをはじめとするマリアナ諸島の失陥により、日本軍が掲げた絶対国防圏はあっさり崩壊。
    B29を使用したアメリカ軍の本土空襲が本格化し、開戦以来日本を率いてきた東條英機の内閣は崩壊。
    以降は日本本土への空襲により産業も市民生活も焼き払われ、日本の戦争継続能力は加速度的に喪失。
    事実上この時点で日本の敗北は確定しており、以降日本は崩壊と敗戦への道を転がり落ちていくことになる。

小ネタ

  • スキル「移動基地」は大鳳の計画時に想定されていた運用方法の一つ。
    帝国海軍は航空機による攻撃で敵より優位に立つために、空母の位置を悟られず敵を射程外から一方的に攻撃するアウトレンジ作戦を考案していた。
    しかしそのためには艦載機の航続距離が長いだけでは乗員に大きな負担をかけ、また攻撃から帰還までの間が長くなり捉えた敵に波状攻撃をかけて戦果を拡大することが難しいと想定された。
    そこで考えたのが空母や陸上基地の間に中継基地になるような空母を配置することだった。
    こうした中継基地を設けることで飛行隊の負担を軽減し、反復攻撃を容易にする反面、敵に近い位置に空母を置けば真っ先に目標となることから、
    この空母は飛行甲板などにも重装甲を施し生存性を高めることとされた。
    昭和13年に大蔵省に予算獲得のため提示した資料では、6インチ砲6門(おそらく余っていた最上型の軽巡時代の3連装砲塔2基を使う気だった)を装備して
    巡洋艦部隊との砲撃戦も想定するなど仮想戦記も顔負けの計画案である。
  • しかし日進月歩の航空技術と爆弾搭載量の増加によりこうした重防御は非現実的なものとなり、大鳳は最終的に従来の艦隊型空母と同様の運用をすることとなった。
    ただし防御力の高い空母というコンセプトは生かされており、主要区画は500kg爆弾の直撃に耐えうる装甲を持っていた。

*1 書類上は信濃も完成していたが事実上は未完成艦だった