No120 ヨークタウン/元ネタ解説

Last-modified: 2020-05-05 (火) 15:20:03
所属United States Navy
艦種・艦型ヨークタウン級航空母艦
正式名称USS Yorktown (CV-5)
名前の由来Battle of Yorktown アメリカ独立戦争ヨークタウンの戦い
愛称The Fighting Lady, Old York, Old Yorky, Waltzing Matilda
起工日1934.5.21
進水日1936.4.4
就役日(竣工日)1937.9.30
除籍日(除籍理由)1942.10.2(ミッドウェー海戦/Battle of Midway 1942.7.7沈没)
全長(身長)251.4m
基準排水量(体重)19800英t(20118t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶9基Westinghouse式蒸気タービン4基4軸 120000shp(121664.4PS)
最高速度32.5kt(60.18km/h)
航続距離15kt(27.78km/h)/12500海里(23150km)
乗員2217名(1941)
装備(1942)5inch38口径Mk.12単装両用砲8門
1.1inch75口径Mk1機関銃x16(4x4)
エリコン20mm機関砲x24
M2ブローニング0.5inch機関銃x24
艦載機90
装甲舷側:2.5~4inch 甲板:1.5inch対60lb爆弾 艦橋:3~4inch
建造所Newport News Shipbuilding, Newport News, Virginia
(ニューポート・ニューズ造船所 アメリカ合衆国ヴァージニア州ニューポート・ニューズ市)
勲章American Defense Service Medal(Atlantic device & Fleet clasp)
American Campaign Medal
Asiatic-Pacific Campaign Medal(3 stars)
World War II Victory Medal
  • 愛称は「オールド・ヨーキィ」、「ワルチング・マチルダ」
  • ヨークタウン級空母のネームシップとして1934年、軍縮条約制限化で起工され、3年後に就役した。
    アメリカ軍は巡洋戦艦から改装したレキシントンサラトガ、そして初めて一から建造したレンジャーの運用と建造実績を元に着手した本格的な空母である。
    計画ではレキシントン。サラトガ、レンジャーとヨークタウン級2隻を建造し、更に余った枠からやや小柄なワスプを建造して条約制限一杯となるはずだった。
    しかし35年に日本が条約を脱退し、エスカレーター条項が発動したことで保有枠が拡大されたことと、新鋭空母エセックス級の完成までのつなぎに三番艦ホーネットが就役することになる。
  • ヨークタウンは1937年の就役後、東海岸で訓練などを行った後、一度太平洋に活動拠点を移すが、第二次世界大戦の勃発によりまだ中立の立場だったアメリカの輸送船舶を護衛すべく、大西洋でパトロールを行った。
  • 1941年12月7日、日本軍の真珠湾攻撃により太平洋艦隊の主力に大打撃を受けたアメリカ軍は、早急に艦隊再編の必要に迫られた。
    当時太平洋にいたのはレキシントンとサラトガ、そして姉妹艦エンタープライズの3隻で、ヨークタウンはレンジャーやワスプ、新鋭の妹ホーネットともに大西洋に配置されていた。
    太平洋方面の戦力増強のため早速太平洋艦隊へ編入されたヨークタウンはパナマ運河を抜け、一路真珠湾を目指した。
    そこでエンタープライズとともにマーシャル・ギルバート諸島への機動空襲を行い、日本軍の輸送船に打撃を与えることに成功する。
    さらにヨークタウンは南進してレキシントンと合流すると、ラバウル方面に進出してくる日本軍を迎撃し、輸送船団をいくつか攻撃して沈めた。
    その後整備と補給のため真珠湾に戻るレキシントンと別れ珊瑚海で哨戒にあたっていたが、この時期は恐ろしくヒマだったという。
  • 1942年5月、ポートモレスビー攻略のため日本軍が動き出したことを察知したアメリカ軍はレキシントンとヨークタウンでこれの迎撃に向かった。
    この間ほとんど無補給だったため艦内ではトイレットペーパーが切れたとされる。
    またこの時期の無補給航海の長さをオーストラリアの国民的な歌にひっかけ、ヨークタウンはワルチング・マチルダと呼ばれた。
    同月始まった珊瑚海海戦においてヨークタウンはレキシントンと共同で空母祥鳳を撃沈、翔鶴を大破させるが、レキシントンも沈没し、自身も爆弾1発が命中してボイラーが損傷、重油燃料が漏れて燃料切れの危機に晒されながらなんとか帰投に成功する。
    ヨークタウンは水密区画などにかなりのダメージを受けていたが、幸いなことに飛行甲板は爆弾が貫通した直径30cm足らずの穴が一個空いているだけで、航空機の発着艦には何らの支障がなかった。
    このため応急修理の予定を繰り上げに繰り上げて、当初90日と積算された修理日程はわずか3日で切り上げられ、航空隊は損傷したサラトガの部隊を載せ替え、航空燃料と爆弾は48時間ぶっ通しで補給され、新しいトイレットペーパーも補充して一路ミッドウェーへ出撃していった。
  • ミッドウェー海戦で日本機動部隊の空母3隻を撃沈したが、ヨークタウンは飛龍による反撃を受けて魚雷2本が命中、応急修理のみで防御力が低下していたためダメージが拡大したものの、それでも艦長以下必死の応急修理が行われていたが、最終的に潜水艦伊168の魚雷攻撃を受け、復旧補助の駆逐艦ハムマンとともに沈没した。
    しかし最後の意地で沈没まで非常に時間がかかったため、2200名あまりの乗員のうち犠牲者は60名足らずであった。
  • 太平洋での戦いで緒戦を奮闘した功績をたたえ、3つの従軍星章が贈られている。また建造中のエセックス級2番艦(CV-10)に早速その名前が引き継がれた。