No130 アドミラル・グラーフ・シュペー/元ネタ解説

Last-modified: 2020-07-21 (火) 15:54:02
所属Reichsmarine→Kriegsmarine(1935)
艦種・艦型ドイッチュラント級装甲艦→重巡洋艦(1940)
正式名称Admiral Graf Spee
名前の由来Maximilian Reichsgraf von Spee(1861-1914) ドイツ帝国海軍副提督 東アジア、西アフリカ、東アフリカなど様々な場所で司令官として活躍した。第一次世界大戦時の南米での戦いで戦死したがドイツでは英雄として賞賛された。
起工日1932.10.1
進水日1934.6.30
就役日(竣工日)1936.1.6
除籍日(除籍後)不明(1939.12.17自沈)
全長(身長)186m
基準排水量(体重)11550英t(11735.3t)
出力MAN製9気筒ディーゼルエンジン8基2軸 52050PS(51338.0shp)
最高速度28.5kt(52.78km/h)
航続距離10.0kt(18.52km/h)/19000海里(35188km)
乗員951~1150名
装備28cm52口径SK C/28三連装砲2基6門
15cm55口径SK C/28単装砲8門
8.8cm78口径SK C/31連装高角砲3基6門
3.7cmSK C/30機関砲x8(4x2)
2cmC/30機関砲x10
53.3cm四連装魚雷発射管2基8門
艦載機x2
装甲舷側:60~80mm 甲板:17~45mm 砲塔:105~160mm 艦橋:50~150mm 隔壁:45mm
建造所Kriegsmarinewerft,Wilhelmshaven
(ヴィルヘルムスハーフェン海軍造船所 ドイツ連邦共和国ニーダーザクセン州ヴェルヘルムスハーフェン市)
  • ドイツ海軍所属ドイッチュラント級装甲艦3番艦。通称「ポケット戦艦」。
    ドイツでは装甲艦、のちに重巡洋艦と呼称される。
    装甲艦とは元々は装甲を施した軍艦として19世紀から存在していた呼称であるが、ドイッチュラント級の場合はヴェルサイユ宮殿平和条約下の軍備規制の中で最大の軍艦を建造するために装甲艦と呼ぶことで他国の疑念を招かないように 使われた。
    これについてイギリスの記者は「ポケット戦艦」と呼び、日本でも小型戦艦やポケット戦艦として呼ばれていた。
    • 実際の性能は重巡に28cm砲を積んだような艦で、他国の戦艦と張り合えるような性能ではなかった。
  • 艦名の由来は第一次大戦で活躍したドイツ東洋艦隊司令官マクシミリアン・フォン・シュペーから。
    ちなみに最後の艦長ハンス・ラングスドルフ大佐は子供のころシュペー伯爵の家の近くに住んでおり、シュペー伯爵に憧れて軍人を志すようになったらしい。
  • 1932年10月1日ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工。1934年6月30日進水。1936年1月6日に就役した。
    戦前は英国ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加。その船体に不釣り合いな重武装から日本の重巡洋艦足柄などとともに各国の注目を集める。
    第二次大戦勃発後、南大西洋にて通商破壊作戦につく。
    1939年12月13日に英国重巡エクセター、軽巡エイジャックス、軽巡アキリーズの巡洋艦3隻と交戦(ラプラタ沖海戦)し、甚大な被害を受ける。
    グラーフ・シュペーは中立国ウルグアイのモンテビデオ港に逃げ込み修理を試みるが、停泊期限の72時間では不可能であった。
    12月17日、モンテビデオ港を出港後に自沈。
    • シュペー自沈後、艦長であるラングスドルフ大佐は艦と運命を共にしようとするも、乗員たちに阻止され退艦。
      その後、アルゼンチンでの抑留中に自沈の責任を取るため、軍艦旗を纏い妻宛ての手紙を残して拳銃で自決した。
    • だが、この報を聞いたヒトラーは彼を臆病者扱いし批判。「戦い抜く事なく自沈の道を選んだ臆病者」「戦艦への期待は幻滅以外の何物でもない」と散々な言いようであった。その後、ラングスドルフの遺族に対する年金を減らす等の嫌がらせが行われている。
      ヒトラーの水上艦に対する不信は、後年のバレンツ沖海戦の敗北による「全水上艦の解体命令」という形で爆発する事となる。
  • 最後の戦闘で受けた最も致命的なダメージは、甲板に露出している燃料関連のパイプへのものである。
    当然これは機密であり、知っていたところで海戦では狙って当てられるようなものではない。そこらへんが幸運8の由来なのだろう。
  • 後年の太平洋戦争では、シュペーを自沈へ追いやったエクセターはスラバヤ沖海戦で日本海軍に沈められている。
    この撃沈の報は「アドミラル・グラーフ・シュペーの仇をとった」と大本営から発表されている。
  • 戦後半世紀以上たった2004年にはシュペーの引き上げプロジェクトが立ち上げられている。
    水深8メートルという浅瀬に沈んでいるため、残骸が付近の船舶の航行に支障を来たすという理由であった。
    ドイツ政府はこの件に対して抗議、引き上げは2009年に中止された。
    それでもいくつかの残骸が引き上げられており、測距儀や艦尾の主権紋章が引き揚げられている。

小ネタ

  • ゲーム内説明文にある史実を元にした映画とは、1957年のイギリス映画「The Battle of the River Plate」(邦題「戦艦シュペー号の最後」)の事。
    タイトル通り、アドミラル・グラフ・シュペー追撃とその最後のみに焦点を絞った映画である。
    劇中では米軍のデモイン級巡洋艦セーラムがシュペーの代役を務めている。
    長らくソフト化に恵まれなかったタイトルだが、近年になって日本でもDVDが発売され視聴は容易である。
  • その他にも2016年放送の深夜アニメ「ハイスクール・フリート」にも登場。
    ドイッチュラント級小型直接教育艦として劇中では複数回に渡って登場しており、こちらでアドミラル・グラフ・シュペーを知ったプレイヤーもいるだろう。
  • シュペーには「ゼータクト」と呼ばれるFuMO22型水上レーダー*1がドイツ海軍としては初めて装備されていた。
    イギリスはシュペーの戦いぶりから射撃管制レーダーを搭載していたと考えており、シュペーの自沈地点が浅く、上部構造物の多くが海面上に残っていたことからイギリスは早速現地に調査団を派遣している。
    FuMO22を射撃管制レーダーだと判断した調査団の報告書に刺激を受け、イギリス海軍の射撃レーダー開発は加速していくこととなる。
    ただしイギリスの射撃レーダー開発は戦前から始まっており、技術面でも別物である。

*1 この時点でのコードはFMG 39G (gO)