No177 サッチャー/元ネタ解説

Last-modified: 2018-02-24 (土) 16:35:41
所属United States Navy
艦種・艦型フレッチャー級駆逐艦
正式名称USS Thatcher (DD-514)
名前の由来Henry Knox Thatcher(1806-1880) アメリカ海軍リア・アドミラル 南北戦争でポーター艦隊を指揮。陸軍と協力しスペイン要塞やブレイクリーを攻略した。
起工日1942.6.20
進水日1942.12.6
就役日(竣工日)1943.2.10
退役日(除籍後)1945.11.23 1945.12.5除籍(1948.1.23 売却後解体)
全長(身長)114.8m
基準排水量(体重)2050英t(2182.9t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基General Electric式蒸気タービン2基2軸 60000shp(60832.2PS)
最高速度36.5kt(67.59km/h)
航続距離15.0kt(27.77km/h)/6500海里(12038km)
乗員329名
装備(建造時)5inch38口径Mk.12単装両用砲5門
21inch五連装魚雷発射管2基10門
ボフォース40mm機関砲x10(5x2)
20mmエリコン機関砲x7
爆雷投射機x6
爆雷投下軌条x2
装甲なし
建造所Bath Iron Works, Bath, Maine
(バス鉄工所 アメリカ合衆国メイン州サガダホク郡バス市)
勲章不明(12stars)
  • アメリカ海軍が大量に建造したフレッチャー級駆逐艦の一隻。このサッチャーは二代目にあたる。DD-514。
    1942年6月20日に起工、同年12月6日に進水し、1943年2月10日に竣工した。
  • 竣工後、若干の訓練を行い、6月11日に東海岸を出港。対日戦に参加するためパナマ運河を通過した。19日、太平洋艦隊へと編入された。7月31日、真珠湾入港。
    8月22日、パウナル少将指揮下の機動部隊に随伴して出撃。31日にマーカス島への空襲を行っている。次にエスピリトス島とガダルカナル島の間で護衛任務に従事。
  • 初陣は11月2日に生起したブーゲンビル島沖海戦で迎える。ショートランドの飛行場を砲撃した後、エンプレスオーガスタ湾で敵を迎撃するよう命じられる。
    さっそく魚雷攻撃を行ったが、日本艦艇が右へ回避したため失敗。海戦は乱闘の様相を見せ始め、僚艦のフットが艦後部を魚雷で吹っ飛ばされた。
    サッチャーもまたスペンスと衝突事故を起こし、軽傷を負う。それでもサッチャーは衝突した格好のまま一斉射を行い、駆逐艦初風を仕留めた。フットは無事に曳航され、海戦はアメリカ側の勝利に終わった。
    海戦後の11月20日、バーミンガムの護衛をしつつアメリカ本土へ回航。12月14日にサンフランシスコに到着し、メア・アイランド海軍工廠で修理を受けた。1944年2月11日、修理完了。
  • 1944年3月14日、真珠湾へ入港。訓練を行ったのち、再び機動部隊の護衛として出撃。カロリン諸島の空襲に関わった。4月13日からはニューギニア方面の空襲を支援している。
  • 5月26日、127mm砲が暴発し損傷。5人が死亡した。後に修理された。
  • サイパンへの攻撃が開始された6月12日、サッチャーは撃墜したパイロットを救助するよう命じられた。北方海域を哨戒していると、炎上している日本の小型貨物船を発見。
    海面には生存者が漂っていたためロープを渡したが、日本人は拒否し海中に沈んでいった。
  • 黙々と任務をこなしていたサッチャーに悲劇が襲う。1945年5月20日、沖縄攻略作戦を支援していたサッチャーに陸軍の特攻機が突入し損傷。占領した慶良間列島で修理がなされた。
    しかし悲劇はまだ続いた。同年7月19日、沖縄沖にいたサッチャーに再び特攻機が突入。この一撃でサッチャーは大破し、航行も危うくなる。
    が、応急修理により辛うじて生きながらえた。無理やり突っ込んでくる飛行機が苦手になるのも無理はない。
  • 終戦を見届けたサッチャーは12月5日に除籍され、1948年1月23日に解体された。