所属 | United States Navy |
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艦種・艦型 | フレッチャー級駆逐艦 |
正式名称 | USS Thatcher (DD-514) |
名前の由来 | Henry Knox Thatcher(1806-1880) アメリカ海軍リア・アドミラル 南北戦争でポーター艦隊を指揮。陸軍と協力しスペイン要塞やブレイクリーを攻略した。 |
起工日 | 1942.6.20 |
進水日 | 1942.12.6 |
就役日(竣工日) | 1943.2.10 |
退役日(除籍後) | 1945.11.23 1945.12.5除籍(1948.1.23 売却後解体) |
全長(身長) | 114.8m |
基準排水量(体重) | 2050英t(2182.9t) |
出力 | Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基General Electric式蒸気タービン2基2軸 60000shp(60832.2PS) |
最高速度 | 36.5kt(67.59km/h) |
航続距離 | 15.0kt(27.77km/h)/6500海里(12038km) |
乗員 | 329名 |
装備(建造時) | 5inch38口径Mk.12単装両用砲5門 21inch五連装魚雷発射管2基10門 ボフォース40mm機関砲x10(5x2) 20mmエリコン機関砲x7 爆雷投射機x6 爆雷投下軌条x2 |
装甲 | なし |
建造所 | Bath Iron Works, Bath, Maine (バス鉄工所 アメリカ合衆国メイン州サガダホク郡バス市) |
勲章 | 不明(12stars) |
- アメリカ海軍が大量に建造したフレッチャー級駆逐艦の一隻。このサッチャーは二代目にあたる。DD-514。
1942年6月20日に起工、同年12月6日に進水し、1943年2月10日に竣工した。 - 竣工後、若干の訓練を行い、6月11日に東海岸を出港。対日戦に参加するためパナマ運河を通過した。19日、太平洋艦隊へと編入された。7月31日、真珠湾入港。
8月22日、パウナル少将指揮下の機動部隊に随伴して出撃。31日にマーカス島への空襲を行っている。次にエスピリトス島とガダルカナル島の間で護衛任務に従事。 - 初陣は11月2日に生起したブーゲンビル島沖海戦で迎える。ショートランドの飛行場を砲撃した後、エンプレスオーガスタ湾で敵を迎撃するよう命じられる。
さっそく魚雷攻撃を行ったが、日本艦艇が右へ回避したため失敗。海戦は乱闘の様相を見せ始め、僚艦のフットが艦後部を魚雷で吹っ飛ばされた。
サッチャーもまたスペンスと衝突事故を起こし、軽傷を負う。それでもサッチャーは衝突した格好のまま一斉射を行い、駆逐艦初風を仕留めた。フットは無事に曳航され、海戦はアメリカ側の勝利に終わった。
海戦後の11月20日、バーミンガムの護衛をしつつアメリカ本土へ回航。12月14日にサンフランシスコに到着し、メア・アイランド海軍工廠で修理を受けた。1944年2月11日、修理完了。 - 1944年3月14日、真珠湾へ入港。訓練を行ったのち、再び機動部隊の護衛として出撃。カロリン諸島の空襲に関わった。4月13日からはニューギニア方面の空襲を支援している。
- 5月26日、127mm砲が暴発し損傷。5人が死亡した。後に修理された。
- サイパンへの攻撃が開始された6月12日、サッチャーは撃墜したパイロットを救助するよう命じられた。北方海域を哨戒していると、炎上している日本の小型貨物船を発見。
海面には生存者が漂っていたためロープを渡したが、日本人は拒否し海中に沈んでいった。 - 黙々と任務をこなしていたサッチャーに悲劇が襲う。1945年5月20日、沖縄攻略作戦を支援していたサッチャーに陸軍の特攻機が突入し損傷。占領した慶良間列島で修理がなされた。
しかし悲劇はまだ続いた。同年7月19日、沖縄沖にいたサッチャーに再び特攻機が突入。この一撃でサッチャーは大破し、航行も危うくなる。
が、応急修理により辛うじて生きながらえた。無理やり突っ込んでくる飛行機が苦手になるのも無理はない。 - 終戦を見届けたサッチャーは12月5日に除籍され、1948年1月23日に解体された。