No179 シグスビー/元ネタ解説

Last-modified: 2018-02-24 (土) 16:32:42
所属United States Navy
艦種・艦型フレッチャー級駆逐艦
正式名称USS Sigsbee (DD-502)
名前の由来Charles Dwight Sigsbee(1845-1923) 海洋学者・水力学者・アメリカ海軍リア・アドミラル 先駆的な学者で水関係の重要な役職を務めた。軍人としての有名な話は装甲巡洋艦USS Maine (ACR-1)の艦長だった時、ハバナで船が爆発これが米西戦争の発端となった。
起工日1942.7.22
進水日1942.12.7
就役日(竣工日)1943.1.23
退役日(除籍後)1947.3.31 1974.12.1除籍(1975.7.31 売却解体)
全長(身長)114.8m
基準排水量(体重)2050英t(2182.9t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基General Electric式蒸気タービン2基2軸 60000shp(60832.2PS)
最高速度36.5kt(67.59km/h)
航続距離15.0kt(27.77km/h)/6500海里(12038km)
乗員336名
装備(建造時)5inch38口径Mk.12単装両用砲5門
21inch五連装魚雷発射管2基10門
ボフォース40mm機関砲x10(5x2)
20mmエリコン機関砲x7
爆雷投射機x6
爆雷投下軌条x2
装甲なし
建造所Federal Shipbuilding and Drydock Company,Kearny, New Jersey
(フェデラル・シップビルディング・アンド・ドライドック社 アメリカ合衆国ニュージャージー州ハドソン郡カーニー町)
勲章Presidential Unit Citation
不明(11stars)
  • アメリカ海軍が建造したフレッチャー級駆逐艦の30番艦。艦番号DD-502。1942年7月22日、ケァーニー造船所で起工。12月7日に進水し、1943年1月23日に竣工した。
    • 艦名の由来は同名のアメリカ海軍軍人(1845~1923)から。シグビーとも。
  • 竣工後、まず10日間の砲撃と雷撃訓練に従事。その後、グアンタナモ湾へ練習航海を行い、ブルックリン海軍工廠に入渠した。出渠後、初の任務として軽巡バーミンガムをノーフォークまで護衛した。
  • 1943年4月4日、輸送船2隻を護衛する任務に就く。本土近海で護衛任務をこなした後、7月27日にパナマ運河を通過して太平洋に出る。そして8月9日、真珠湾へ到着。
  • 8月中旬、対日戦に参加。ヨークタウンⅡとエセックスを基幹とする機動部隊に混じり、マーカス島を攻撃する。10月5日にはウェーク島への空襲支援を行っている。
    11月13日、ギルバート諸島攻撃に加わる。22日から翌日にかけてタラワ環礁のベチオを砲撃。1943年12月中旬、真珠湾で改修工事を受ける。
  • 太平洋戦争の後期にかけては、主にレーダーピケット艦として防空支援任務に従事した。
  • 1944年1月22日、クェゼリン攻撃のため第52任務部隊とともに真珠湾を出撃。同月31日朝、マーシャル諸島を砲撃し、攻略作戦を支援した。
    マーシャル諸島は米軍の手中に収まり、3月20日のニューアイルランド爆撃の際、シグスビーはマーシャル諸島から出撃している。
    4月から数週間、シグスビーはガダルカナル島海域を警備。
  • 1944年5月13日、チャン=フー中佐が艦長となる。
  • 6月、マリアナ諸島攻略作戦に参加。7月18日までに16回、グアムの浜辺を砲撃。
    10月20に出撃して、レイテ沖海戦に参加。レイテ湾への進入を果たした後、同年11月中旬、サンフランシスコでオーバーホール。
  • 1945年2月19日、帝國海軍が守備する硫黄島攻略作戦に参加。H.O.パリッシュ大佐率いる第50駆逐師団に所属した。
    同年3月19日、沖縄攻略作戦を円滑なものにするため米軍は機動部隊を以って呉軍港を空襲。シグスビーはその護衛として九州沖に展開していた。作戦中、20機の日本軍機が襲来し僚艦とともに迎え撃った。
  • 沖縄戦においても対空支援を行っていたが、4月14日に神風特攻隊の突入を受け、航行不能寸前の大ダメージを負う。乗員23名死亡、右舷機と操舵機が破損した状態での対空戦闘を強いられた。
    にもかかわらず、ゴードン・パイア・チャン=フー艦長は友軍支援のため撤退せず、海域に留まるよう指示。ダメージコントロールをしながら奮戦し、自力で帰港した。
    • 損傷の度合いは酷く、艦尾は沈下して海水に洗われる始末だった。逆に艦首は浮き上がり、装甲もめくり上がる等、その姿は実に痛ましい。
  • 5月6日、命からがらグアムに入港。大型浮きドッグで修理を受けたのち真珠湾へ向かい、6月7日到着。新造された艦尾を装着した。そして終戦を見届け、シグスビーの戦いは終わった。同年10月末、チャールストンで不活性化工事を受ける。
    1946年5月1日、解役され船体を保管。
  • 戦後の1947年3月31日、大西洋艦隊予備役に編入される。1974年12月1日に除籍となり、翌年7月31日を以って解体された。