No222 蒼龍/元ネタ解説

Last-modified: 2019-01-10 (木) 00:55:03
所属大日本帝國海軍
艦種・艦型航空母艦蒼龍
正式名称蒼龍(そうりゅう / さうりう)
名前の由来蒼龍 漢成語で深青色の龍という意味 *1
起工日1934.11.20
進水日1935.12.23
就役日(竣工日)(1937.12.29)
除籍日(除籍理由)1942.8.10(ミッドウェー海戦/英Battle of Midway 1942.6.5沈没)
全長(身長)227.5m
基準排水量(体重)15900英t(16155.2t)
出力ロ号艦本式重油専焼缶8基艦本式蒸気タービン4基4軸 152000shp(154108.2PS)
最高速度34.5kt(63.89km/h)
航続距離18.0kt(33.33km/h)/7680海里(14223.36km)
乗員1101名
装備(建造時)40口径八九式12.7cm連装高角砲6基12門
九六式25mm機銃x28(14x2)
艦載機x57+16
装甲舷側:35~140mm 甲板:40mm
建造所呉海軍工廠 (現 ジャパン マリンユナイテッド社呉工場) (日本国広島県呉市)

昭和9年度海軍軍備補充計画で建造が決定された空母。1934年11月20日に起工され翌年12月23日に進水。1937年12月29日に竣工。初代艦長は別府明朋大佐。
ワシントン海軍軍縮条約とロンドン海軍軍縮条約によって、帝国海軍の空母は8万1000トンに制限されたが既に鳳翔赤城加賀龍驤の四隻の空母を保有していたため残枠は12630トンであった。だが、旧式化し艦齢16年に間もなく達する鳳翔を廃艦にすれば実質残枠は21000トンと見た海軍は、1万トン級空母二隻の建造を計画した。後の蒼龍と飛龍である。

 

過大要求で知られる帝国海軍らしく、当初の要求は苛烈なもので
・基準排水量10050トン
・20.3cm連装砲1基 三連装砲1基 計5門
・12.7cm連装高角砲10基20門
・艦上機100機
という、無茶ぶりもいいところの代物であった。だが、流石の海軍も無理だと気付き1934年に発生した友鶴事件の教訓も加味しつつ大幅に設計変更され、航空機の運用に特化した使い勝手の良い中型空母として完成。建造途中、船体強度の不足から多くの損傷艦を出した第四艦隊事件が発生。この影響により更なる設計変更が行われ、船体の溶接状態を確認するため、船体を輪切りにするといった一幕もあった。
他の日本空母と同様にダメージコントロールの面では米英空母と比べ劣ったが、改良型の飛龍と共に中型空母としては理想的な設計であり、拡大改良型の翔鶴大鳳へとその血統は受け継がれていった。
先行艦の運用経験に基づき帝国海軍において空母は、巡洋艦部隊である第二艦隊に配属される予定であったことから、蒼龍の各種要目は、アメリカ巡洋艦との遭遇戦を考慮して決定されている。その後の日本空母が34kt前後の速力と、20cm砲に対する防御を求められたのはこのためである。
従来艦上機からの個艦識別用として飛行甲板後端に「サ」の文字が書かれていたとされてきたが、最近では無記入であった説が有力となっている。


*1 中国の四神として有名な龍は「青龍」