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No228 隼鷹

Last-modified: 2017-09-24 (日) 17:34:11

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基本データ Edit

画像基本情報
CV_0228A.pngレアリティ☆☆☆
ゲーム内名称隼鹰翻訳名称隼鷹
所属/艦級大日本帝國海軍/飛鷹型2番艦
本名隼鷹(じゅんよう)Jun'yō
進水日1941/6/26
身長219.3m
体重24140英t(24527t)
出力56250shp
(57030PS,41946kW)
イラストレーター时辰
艦種軽空母
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久55火力0/20
装甲16/36雷装0/0
回避25/45対空22/52
搭載48対潜0/0
速力25.5索敵34/59
射程20
最大消費量
燃料35弾薬35
艦載装備
12零戦二一型
18九九式艦爆
18九七式艦攻
装備不可
強化経験値 (火力/雷装/装甲/対空) 0/0/8/22解体資源
(燃料/弾薬/鋼材/アルミ材)
20/30/50/20
改造チャート・ 改造に必要な物資(燃料/弾薬/鋼材/ボーキサイト) 必要な改造コア 種類/数
隼鷹隼鷹改(Lv54) 450/0/900/700 空母改造コア×9 ※日本語版未実装
 
SD
Ship_girl_228.png
 
セリフ
 
 

艦種紹介 Edit

日本版隼鷹軽航空母艦は元日本郵船の橿原丸級貨客船橿原丸で、飛鷹に改造した出雲丸の同型艦だった。飛鷹と同じく、隼鷹も直接に空母として完成した。1942年10月の南太平洋海戦の時、隼鷹の第一次艦載機の攻撃はエンタープライズにダメージを与えられなかったが、サウスダコタを負傷させた。第二次の攻撃で、曳航中のホーネットに命中させた。1943年隼鷹は飛鷹と同じく潜水艦に雷撃されたが、最終的に修復した。1944年のマリアナ沖海戦でも命中され、幸運にも沈まなかった。その後、艦載機操縦士不足の影響で輸送船として使われていた。1944年11月輸送任務を行う途中潜水艦の襲撃を受け、駆逐艦秋風が隼鷹のかわりに魚雷に当てられたが、帰還途中再度潜水艦に囲まれ、三つの魚雷に命中された。その後修復されず、港内に放置され、終戦を迎えた。
中国版隼鹰号航母原为豪华邮轮橿原丸号,是改造成飞鹰号的出云丸号的同型舰。和飞鹰号一样,隼鹰号最终也直接作为航母完工。42年10月的南太平洋海战中,隼鹰号第一波舰载机被企业号闪避,但击伤了南达科他号。第二波攻击命中了正在被拖带的大黄蜂号航母。43年隼鹰号和飞鹰号一样也被潜艇击中,但最终修复。44年的马里亚纳海战中隼鹰号也被命中,侥幸未沉。此后缺乏飞行员的隼鹰号被当做运输舰使用,44年11月执行运输任务时隼鹰号遭到潜艇袭击,驱逐舰秋风号替隼鹰号挡下了鱼雷,但是在任务归途中,隼鹰号还是遭到了潜艇围攻,被命中三雷。此后隼鹰号一直搁置港内未能彻底修复,最终迎来日本战败。
 

入手手段/ドロップ海域 Edit

中国版:建造[2:40:00]、ドロップ(2-1、2-2、2-4、2-5)
日本版:建造[2:40:00]、ドロップ
2-2や2-3のボスドロップで入手可能。
難易度は高いが2-5道中でのドロップや建造でも狙えるため、そちらでお迎えしても良いだろう。

 

性能や運用について Edit

軽空母に分類されるが、耐久力に優れており正規空母に迫る。搭載数も多く、使いやすい。
だが回避力がとことん低いため、どうしても被弾が多くなってしまいがち。
姉妹艦の飛鷹と同等の性能だが、終戦まで生き残った事を反映して運が高い。2回、護衛の駆逐艦にかばわれ窮地を脱しているのも関係しているのだろう。

  • 大陸版では2017年1月にて姉妹艦の飛鷹と同時に改造が実装されたが、日本版では飛鷹のみ先行実装され、
    隼鷹改は未実装のままである。
 

ゲーム内では Edit

  • 元々は日本郵船の客船だったので郵便屋さんスタイル。赤毛のサイドテールと、飛鷹とは違った印象を受ける。
  • 作戦や計算に忠実で、いかにも軍人らしい。
  • 元客船なだけあってか料理が得意な模様。
  • 第一級国策豪華船として煌びやかな運命を歩むはずだったにも関わらず、戦争によって空母へと改装された悲劇的な艦歴を持つ……のだが、本人は改装が無事に済んで良かったとあまり気にしていない様子。
  • ツンツンとした台詞が目立つが、声色は優しい。
     

元ネタ解説 Edit

艦型橿原丸級貨客船橿原丸→隼鷹型航空母艦1番艦*1
名前の由来猛禽類のハヤブサとタカ
建造所三菱重工業 長崎造船所
(長崎県長崎市)
  • 隼鷹型航空母艦1番艦。飛鷹型とする説もあるが海軍公式記録は隼鷹型。
    ゲームでは軽空母となっているが蒼龍飛龍よりも大型。
  • 元々は日本郵船が建造した大型客船、橿原丸。1940年に開催される東京オリンピックに向け、大型優秀商船建造助成施設第一号として建造が決定。サンフランシスコ航路に投入される予定だった。
    有事の際は海軍に徴用するという条件で建造費に補助が出ていた。当初は軍が8割負担するはずが、何故か6割に減らされていた。
    日本郵船は採算が合わないとして建造には難色を示していたが、結局軍部と政府に押し切られ、1939年3月20日、900番船という仮称を与えられて三菱重工長崎造船所で起工。
  • 起工後間もない1939年6月1日には大阪朝日新聞に取り上げられ、姉妹船出雲丸ともども紹介された。2万7700トンの排水量は、当時東アジアに就役していた
    最大級のイギリス客船エンプレス・オブ・ジャパン(2万6000トン)を凌駕したと喧伝された。橿原丸の船名は、奈良県の橿原神宮より取られている。
  • 橿原丸の内装は、建築家の吉武東里氏が担当。彼は開催予定の日本万国博覧会のパビリオンも手掛けていた。橿原丸のデザインもその一環であろう。
    吉武氏以外にも中村順平、村野藤吾、久米権九郎、前川國男、岡本薫が参加し、チームで内装設計を手掛けた。他の船室との調和、室内装飾に取り込まれた絵画の使用が盛り込まれた。
  • 海軍からの要求は、全長210メートル、幅25メートル、速力は公試運転半載状態で24ノット、片舷機で19ノット以上、馬力は全力6万軸馬力、定格4万8000軸馬力、総トン数2万6500〜2万7000トン。
    そして3ヶ月以内に空母へ改装できる構造が求められた。2400万円(当時)の建造費には空前の高率補助金が出され、太平洋制覇を目指す日本国の海運界に大きな重みを与えたとしている。
    第一級国策船の道を歩むべく竣工が待たれていたのだが・・・。
  • 橿原丸は、商船としては初めてバルバス・バウを装備していた。船体の一部には防御の意味で二重外板を設け、空母改装を見越して格納庫やエレベーターの位置、電線通路の配置が行われた。
    これらの設置には非常に苦心したとされている。更に機関室を中央縦壁で左右に仕切られたため、建造には大変手間が掛かった。それでも順調に工事が進んでいった。
     
  • そして戦争の足音が聞こえてきた1940年10月、建造中止。船台上での工事がほぼ終わった状態で、海軍に徴用される事になった。橿原丸は第1002号艦の仮称に改名。
    ただちに改装工事が始まった。空母への改装は徹底したものであり、もはや客船に戻す事は不可能だった。このため1941年2月10日に海軍が買い取った。橿原丸が航海する事は無かった。
    吉武氏の努力は徒労に終わり、しかも日本万国博覧会も開催中止。手掛けていたパビリオンは悉く建造中止となり、唯一勝鬨橋のみが完成した。彼の心労は計り知れない。
    引き渡し時、既に食堂や客室の艤装工事が一部完了していた。これらの部屋は木製だったが、工事促進のためそのまま流用。後に不燃化対策で大規模な撤去を要した。
    同年6月26日、進水を果たす。商船改装空母は他にも数隻存在するが、中でも隼鷹型は最大級であった。10月1日、艤装委員長に石井大佐が着任。
  • 船体と排水量は正規空母並みで、蒼龍や飛龍に匹敵するスペックを持っていた。しかし元が商船だけに防御力の低さが問題視された。
    • 公試が終わって海軍に引き渡された隼鷹。その隼鷹に乗艦するべく、転勤してきた乗組員が小型艇で向かっていたところ、操舵手のミスで隼鷹に衝突。
      小型艇が沈没すると思い、乗組員たちはすぐに海へ飛び込んたが、小型艇は一向に沈まなかった。むしろ隼鷹の方がヘコんでいたのである。
      あまりの防御力の低さに、乗組員一同は不安を覚えたという。
  • 大鳳にアイランドと直立煙突を採用する事が決定したため、それに先立って隼鷹で試験運用を行った。隼鷹は日本初のアイランド型・直立煙突空母となった。
    艦首にバルバス・バウを持ち、舷外電路とパラベーン用フェアリーダーを装備。飛行甲板は木製で、橿原丸時代のプロムナードデッキを延伸したものだった。
  • 豊富なスペースを活かし、隼鷹には移動用のトラックが積載されていた。上陸や乗艦する際に使用されたという。
  • 1942年4月6日、駆逐艦呉竹に護衛されながら佐世保を出港。翌日に呉へと到着し、仕上げの工事を行う。この時、お隣に戦艦武蔵が入渠しており
    武蔵が進水した後もドックを覆う幌が残されていた事から、「もう一隻武蔵がいるのか?」という噂が立った。改装工事が終わり、1942年5月3日に竣工。海軍籍を持ったが特設空母の扱いだった。
    同月20日、第四航空戦隊に編入され呉鎮守府所管特設空母となる。そして艦隊の集結地点である柱島へ回航。試運転を行った。その様子を僚艦の乗員に見られており、直立煙突に驚いていた。
    初陣のミッドウェー作戦では第二艦隊の一員として北方のアリューシャン方面攻撃を担当。5月18日、佐伯湾で第六航空隊の機体が着艦し、出撃。
    隼鷹はミッドウェー島攻略後、同島に進出する第六航空隊の零戦12機を抱えていたため、搭載数がいつもより少なかった。
    6月3日、カタリナ飛行艇から投弾されるが外れる。翌日、ダッチハーバーを空襲。第一次攻撃でPBY1機を撃墜し、地上の飛行艇と自動車を銃撃した。
    第二次攻撃ではPBY2機を撃墜。ミッドウェー方面で戦闘が始まった6月5日、P40戦闘機を6機撃墜。一連の攻撃で1機の未帰還機を出す。
    主目標だったミッドウェー島の攻略が失敗し、第二艦隊は残存艦艇と合流して退却。6月24日、大湊へ帰投した。29日、大湊を出港し、瀬戸内海へと回航。
    第六航空隊の機体はそのまま隼鷹搭載機となり、パイロットのみ引き上げた。呉へ入港する時、進路を誤って座礁する事故が発生。石井艦長はその責任を問われ、左遷されたという。
    • 沈没する飛龍から脱出した機関科要員34名は後に米軍に救助され、捕虜となった。その後の尋問の際、米軍の情報士官から就役したばかりの隼鷹の写真を見せられ、驚愕したという。
      当時、隼鷹の存在は軍機だったのである。これは情報が漏洩している事を意味していた。
  • ミッドウェー海戦が惨敗に終わり、空母の数を減らした帝國海軍にとって隼鷹は貴重な大型空母だった。早速再編成が行われ、新生第二航空戦隊の一員となった。
    7月1日、飛行隊が岩国で訓練開始。7月3日、母艦の隼鷹が瀬戸内海に到着。8日には飛行隊が鹿児島へと移動した。7月14日、特設空母から航空母艦に類別。
    8月13日、呉工廠に入渠。日本空母初のレーダーを装備した。22日に出渠。9月14日、佐伯湾で総合訓練を実施。
    • ミッドウェー海戦を生き残った蒼龍や飛龍の搭乗員が転属してきており、練度は十分であった。
  • 間もなく形成されたソロモン戦線及びガダルカナル島争奪戦に投入。9月20日、発電機火災で反転した姉妹艦の飛鷹から第二航空戦隊旗艦の座を譲り受ける。
    10月4日、佐伯湾を出港しトラック諸島へ向かう。
    • 10月13日にガダルカナル島砲撃部隊の上空支援を行ったあと、10月17日、9機の艦載機がガダルカナル島泊地を攻撃。続く10月26日、南太平洋海戦に参加。
      戦闘開始直後はガダルカナル島の米軍に攻撃を仕掛けていたが、第一次攻撃から戻った各空母の艦載機が続々と隼鷹に着艦。矛先を米機動部隊に向け、攻撃隊を送り出した。
      この攻撃で空母エンタープライズに至近弾を与え、戦艦サウスダコタと巡洋艦サンファンにそれぞれ1発の爆弾を喰らわせた。
      この時、敵部隊は航続距離の範囲外に位置していたが、隼鷹が全力で前進して帰還機を迎えに行き、回収した。隼鷹航空隊は9機を撃墜、5機不確実を報じた。損害として2機が未帰還、3機が不時着。
      艦長の角田中将は第三次攻撃を命令したが、既に飛行隊長と分隊長は戦死し、使える機体も艦爆4機と艦戦9機しかなかった。それでも攻撃を強行、艦爆隊は零戦に守られながら飛び立った。
      この第三次攻撃で空母ホーネットは致命傷を負い、船体は放棄された。そして未帰還機はゼロと、華々しい戦果を挙げた。これによりアメリカ軍の稼動空母は一時的にゼロとなった。
      10月30日、トラック諸島へ帰投した。
  • 11月9日から13日にかけて、ガダルカナル島北方を遊弋。12月18日よりム号作戦に参加。陸軍のウエワク輸送作戦に協力した。20日、作戦終了しトラックに帰投。
     
  • 1943年1月17日、ウエワクに進出した隼鷹航空隊は船団護衛に従事する。1月20日朝、B24がウエワク港内の船舶を爆撃したが隼鷹隊の活躍で2機を損傷させ、撃退した。
  • 1943年1月29日、争奪戦に敗れた帝國陸海軍はガダルカナル島より撤退。隼鷹は撤退支援を実施した。2月21日、佐伯湾に帰投。3月3日、摂津を標的艦として訓練。そして3月22日に佐伯湾を出港した。
  • 同年3月27日、トラック基地へ入港。戦艦大和を標的として急降下爆撃の訓練を行った。
  • ろ号作戦により搭載機が陸上基地に供出される。搭載機を失った隼鷹は輸送船として運用される事になる。
    • 4月7日、抽出された隼鷹隊機はガ島方面の敵艦船を攻撃。他の空母から転用された機体と合わせて148機に及んだが、数隻程度の撃沈しか出来なかった。
      米軍の迎撃も激しく、多くの機体を損耗した瑞鳳と瑞鶴は一部の搭乗員と機材を隼鷹及び飛鷹に託し、内地へ戻った。6月16日、隼鷹艦載機はルオット島へ進出。
      7月からはソロモン方面で戦闘を行ったが、僅か二ヶ月で損耗してしまい、残余の機体は現地部隊に吸収された。
  • 6月19日、隼鷹は駆逐艦谷風とともに沖島を出撃。第二哨戒配備についた。
  • しばらくトラック諸島に停泊していたが、1943年7月19日に出港。25日に呉へ入港し、翌日から入渠。31日に出渠した。8月9日、呉を出港していった。
    8月15日、第331航空隊を乗せて大分県の佐伯湾を出港。シンガポールを目指して南下していたが、27日に入港を取りやめて届け先をスマトラ島北部のサバンに変更。
    航空隊は隼鷹から発進し、サバンへと向かっていった。輸送を終えた後の28日、シンガポールのセレター軍港に入港。整備を行い、9月4日に出港。
    1週間後に呉軍港へと辿り着いた。9月19日、岩国港を出港。陸軍部隊の輸送作戦こと丁一号作戦に従事。彼らをトラック諸島へと無事に送り届けた。
  • 1943年11月5日、豊後水道の南東で米潜水艦ハリバットの雷撃を受け、艦尾に魚雷が命中。4名の死者を出し、大破した。重巡利根に曳航され、どうにか呉まで戻った。
    11月19日より修理を受けると同時に、客船時代に塗られた可燃性のペンキを剥がす作業が行われた。11月25日、出渠。しかし12月21日に再度入渠する。
     
  • 1944年1月25日、隼鷹航空隊がラバウルに進出するが米軍機の激しい攻撃により損耗。2月20日にはトラックへ後退させられている。
  • 2月29日、修理が完了し出渠。3月26日より呉や岩国沖で活動する。5月6日、佐伯湾に入港。同月10日、艦隊の一員として佐伯を出港。16日にタウイタウイへ入港した。
    6月8日、特設運送船北上丸から食糧品の補給を受ける。13日、タウイタウイへ回航。翌日にはギマラス泊地へ向かっている。15日、ギマラスを出撃。窮地のサイパン島を救うべくマリアナ諸島方面へ向かう。
  • 同年6月19日、マリアナ諸島の覇権を巡ってマリアナ沖海戦が生起。隼鷹は第三航空戦隊の一員としてこの決戦に挑む。午前8時30分、隼鷹から触接機の天山2機が出撃。
    午前9時15分、索敵機が発見した敵機動部隊「7イ」を攻撃するため、零戦5機と爆撃機9機、誘導用天山2機が出撃。第一次攻撃隊を形成して敵に向かっていった。
    1時間後の午前10時15分、第二次攻撃隊が出撃。零戦6機、九九艦爆9機が隼鷹から飛び立った。15分後には彗星9機が出撃。発艦後、彗星2機が脚故障によりヤップ島へ向かう。
    送る側もパイロット側も悲壮感に満ちた表情を浮かべていたという。
  • 午前11時40分、触接機が予想地点に到達するも敵艦隊発見できず。5分後に第一次攻撃隊が到達し、捜索を始める。正午頃、敵戦闘機40機の襲撃を受け、編隊を崩しながら退却を始めた。
    13時14分、第二次攻撃隊が予想地点に到達。やはり会敵ならず、捜索を始める。39分後、捜索を諦め大宮島に向かう。15時、大宮島上空に到達したその時、グラマン戦闘機30機の待ち伏せを受け交戦。
    燃料が少なくなっていた第二次攻撃隊は苦戦を強いられ、零戦15機、九九艦爆9機、天山2機が撃墜される大損害を受けた。
    13時40分、隼鷹から出撃した彗星隊が敵艦隊を発見。護衛のグラマンともども交戦状態に入る。10分後、「敵の空母を爆撃、敵1隻火災」という発信者不明の電文が届いた。
  • 翌20日、米機動部隊の反撃が始まる。第三航空戦隊は激しい攻撃に曝され、艦橋後部に2発の命中弾を受けて煙突が全壊、方位測定儀が半壊する。
    また多数の至近弾により発着艦装置も壊れ、50名の死者が出た。この被害で隼鷹は戦闘能力を喪失し、姉妹艦の飛鷹は撃沈、龍鳳ただ一隻が猛攻を捌いた。
    艦内は回避運動により激しく揺れ、また被弾の衝撃で電灯が消えていた。対空砲を発射する音が絶え間なく続く。飛行甲板には無数の弾痕と肉片があり、腹を撃ち抜かれた乗員が手すりに寄りかかる。
    めくれ上がった鋼板には黒こげとなった乗員が遺体となって引っかかっていた。この世の地獄が、眼前に広がっていた。
    致命傷を負った隼鷹にトドメを刺そうと敵機が突っ込んできたが、間一髪のところで長門が砲撃し、かろうじて難を逃れている。
  • 満身創痍の隼鷹は沖縄を経由して6月24日に瀬戸内海西部に帰投。決戦に敗れ、マリアナ諸島は米軍に包囲された。7月3日、呉に入港。6日より入渠し、修理を始めた。
    同時に対空兵装の強化と13号、21号レーダーが新たに装備された。13号レーダーは元々陸上用の物だったが、コンパクトで分解運搬可能、それでいて優秀な性能と非の打ち所が無かった。
    7月10日、第四航空戦隊へと転属。4日後に瀬戸内海西部に回航され、訓練を行った。8月21日から呉、柱島、岩国沖を往来。リハビリに徹する。10月28日、佐世保軍港へ回航。
  • 日米の天王山、レイテ沖海戦が10月24日に生起した。持てる戦力をかき集めての総力戦、本来なら隼鷹もこの戦闘に投入されるはずだったのだが・・・。
    1ヶ月前に発生した台湾沖航空戦の影響で航空機が激減。隼鷹に載せる機体が無くなってしまい、またマリアナ沖海戦の傷を癒すため内地での待機と相成った。まさに幸運である。
  • 10月30日、佐世保を出港。米軍が上陸し、窮地に立たされているフィリピン方面への輸送任務に就くが、11月2日、ルソン島沖で護衛の秋風が米潜の雷撃から隼鷹をかばい、撃沈されている。
    何とかブルネイへ入港し、戦艦大和に砲弾を補給した。ブルネイ入港後の11月10日には駆逐艦卯月と衝突事故を起こしている。15日、栄えある第一航空戦隊に転属。
    レイテ沖海戦で撃沈された武蔵の生存者200名を乗せた隼鷹は、戦艦榛名等とともに出港し本土を目指した。11月30日、マニラ沖で米潜ハードヘッドに発見されるが攻撃はされなかった。
    12月3日、台湾の馬公へ入港。束の間の休息を得る。ここでレイテ沖海戦を生き残った戦艦榛名が合流。6日に馬公を出港した。
  • 1944年12月8日、米潜レッドフィッシュに発見され応援を呼ばれる。翌日、野母崎の南西で米潜シーデビルから2発の魚雷を喰らい、中破。この雷撃で艦首を失い、18度傾斜。速力も13ノットに低下した。
    榛名からの指示で、先行していた護衛の駆逐艦槇(まき)が隼鷹の後方へ回ろうとした。その時、槇は新たな魚雷が隼鷹に伸びていくのを探知。このままでは隼鷹に直撃する!
    槇は自らの体を盾とし、最も被害を抑えられる艦首で魚雷を防いだ。艦首は失ったものの、機関は健在で浸水も軽微。航行可能だった隼鷹ともども、すぐさま佐世保へと逃げ込んだ。
    入港後、隼鷹乗組員からの感謝の言葉が絶え間なく掛けられたという。
     
  • 修理中の1945年1月1日、再編成が行われ第一航空戦隊は第二艦隊に編入される。もはや第一航空戦隊に往時の栄光は無く、ただの寄せ集め部隊に過ぎなかった。
    2月11日、第一航空戦隊から外される。4月1日、佐世保軍港外の恵比須湾に回航される。爆撃の標的にならないよう偽装してから係留された。
    4月20日、修理終了。しかし主機が直っておらず、以降は佐世保に係留されたまま過ごす事になる。5月10日、最後の艦長となる前原大佐が着任。6月1日、特殊警備艦に類別される。
    6月28日深夜、雨の中をB-29が侵入し、佐世保市が大空襲を受ける。市街地を狙った空襲で、軍港は無事だったが隼鷹は何もする事が出来なかった。街は灰燼に帰した。
  • このままの状態で隼鷹は終戦を迎える。戦争には生き残ったものの、損傷が激しかったため復員船には使用されず、11月30日に除籍。
    1946年6月1日、佐世保で解体工事が始められ翌年8月1日に完了。客船として生まれるはずだった彼女の運命は、戦争によって大きく捻じ曲げられてしまい、
    客船に復帰する事無く隼鷹はこの世を去った。一応、客船復帰案もあったが実行されなかった。
    解体によって生じた資材は、戦後の復興を支える重要な物となった。
  • 開戦劈頭から戦闘に参加し、終戦まで生き残った大型空母は隼鷹ただ一隻である。
     

余談 Edit

  • 1984年、元乗組員6名によって隼鷹戦友会が発足。元々は乗組員だけの会だったが活動を続けていくにつれ、南太平洋海戦で隼鷹に救助された他艦の乗組員や便乗の高千穂部隊の隊員が加わった。
    気がつけば、陸海軍の兵士が酒を酌み交わす珍しい戦友会となっていた。1983年、呉海軍墓地に隼鷹の慰霊碑が建立された。1991年、その慰霊碑のすぐ左に駆逐艦秋風の慰霊碑を建立。
    「秋風が身を挺してくれたからこそ、今の自分たちがいる」という念から建立に至ったのだという。互いに顔を合わせた訳でも無いのに、である。
    遺族探し、佐世保鎮守府所属の秋風の碑を呉海軍墓地に建てる交渉など多くの難題を乗り越えて実現した。精力的な活動を続けていたが、2005年に解散となった。
  • シブヤン海で沈んだ戦艦武蔵の乗員は、その後マニラ防衛戦に投入され殆どが戦死した。一方、隼鷹に乗って本土に帰還し、生き残った者も少数ながら存在した。
  • 一部資料によると、隼鷹に12cm噴進砲が装備されていたとの事。しかし他に証言や資料が無い事から確証は無い。
 

国別艦種一覧表

国別艦種一覧表

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • お前のような軽空母が居るか と突っ込みたくなる優秀さ。 -- 2017-03-05 (日) 03:47:27
    • 帝国海軍に軽空母というものは存在しないからねぇ そもそも飛鷹型は他国の正規空母並みにでかいし -- 2017-03-05 (日) 12:29:54
  • ルート選択で低速艦が必要な時の有力なメンバー。6−1レベリングの随伴艦に最高です。 -- 2017-03-17 (金) 15:17:11
  • 郵便の仕事の予定が戦争全期を生き抜く唯一の空母となるとは… -- 2017-04-21 (金) 16:46:23
    • 防御力の低さ的に即死不可避と思われたが、実は最後まで生き残るという主人公 -- 2017-04-21 (金) 19:46:50
  • なんか執念を感じる船だ。 -- 2017-04-21 (金) 16:46:43
  • 日本郵船と郵便屋って微妙に違うんじゃなかったっけ? -- 2017-06-11 (日) 18:21:08
    • 三菱系の海運会社なんだが、元々国営企業だった「日本国郵便蒸気船会社」を吸収合併してるその名残ね -- 2017-06-16 (金) 21:33:54
  • 姉の飛鷹には改が来たのになんでこっちには来ないんだ… -- 2017-08-23 (水) 22:52:12
    • 大陸版では確か姉妹同時実装だったはずなんだがなぁ。淋しいなぁ -- 2017-08-24 (木) 01:43:05
    • ロリピ究極の無能 -- 2017-08-24 (木) 05:44:34
  • やっと継母に鬼謀が -- 2017-08-27 (日) 05:02:28
  • こっちにも改造あくしろよ -- 2017-08-29 (火) 22:10:17
    • ロリピ無能 -- 2017-08-29 (火) 22:38:35
    • 飛鷹派高みの見b…いやこの子にも改造あく -- 2017-08-29 (火) 23:07:33
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*1 飛鷹型とする資料もある