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No228 隼鷹

Last-modified: 2017-05-18 (木) 11:17:10

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基本データ Edit

画像基本情報
CV_0228A.pngレアリティ☆☆☆
ゲーム内名称隼鹰翻訳名称隼鷹
所属/艦級大日本帝國海軍/飛鷹型2番艦
本名隼鷹(じゅんよう)Jun'yō
進水日1941/6/26
身長219.3m
体重24140英t(24527t)
出力56250shp
(57030PS,41946kW)
イラストレーター时辰
艦種軽空母
艦船ステータス(初期値/最大値)
耐久55火力0/20
装甲16/36雷装0/0
回避25/45対空22/52
搭載48対潜0/0
速力25.5索敵34/59
射程20
最大消費量
燃料35弾薬35
艦載装備
12零戦二一型
18九九式艦爆
18九七式艦攻
装備不可
強化経験値 (火力/雷装/装甲/対空) 0/0/8/22解体資源
(燃料/弾薬/鋼材/アルミ材)
20/30/50/20
改造チャート・ 改造に必要な物資(燃料/弾薬/鋼材/ボーキサイト) 必要な改造コア 種類/数
隼鷹隼鷹改(Lv54) 450/0/900/700 空母改造コア×9
 
SD
Ship_girl_228.png
 
セリフ
 
 

艦船紹介 Edit

隼鷹軽航空母艦は元日本郵船の橿原丸級貨客船橿原丸で、飛鷹に改造した出雲丸の同型艦だった。
飛鷹と同じく、隼鷹も直接に空母として完成した。1942年10月の南太平洋海戦の時、隼鷹の第一次艦載機の攻撃はエンタープライズにダメージを与えられなかったが、サウスダコタを負傷させた。第二次の攻撃で、曳航中のホーネットに命中させた。1943年隼鷹は飛鷹と同じく潜水艦に雷撃されたが、最終的に修復した。
1944年のマリアナ沖海戦でも命中され、幸運にも沈まなかった。その後、艦載機操縦士不足の影響で輸送船として使われていた。1944年11月輸送任務を行う途中潜水艦の襲撃を受け、駆逐艦秋風が隼鷹のかわりに魚雷に当てられたが、帰還途中再度潜水艦に囲まれ、三つの魚雷に命中された。その後修復されず、港内に放置され、終戦を迎えた。

 

入手手段/ドロップ海域 Edit

2-2や2-3のボスドロップで入手可能。しかし確率はかなり低い。
難易度は高いが2-5道中でのドロップや建造でも狙えるようになったため、そちらでお迎えしても良いだろう。

 

性能や運用について Edit

軽空母に分類されるが、耐久力に優れており正規空母に迫る。搭載数も多く、使いやすい。
だが回避力がとことん低いため、どうしても被弾が多くなってしまいがち。
姉妹艦の飛鷹と同等の性能だが、終戦まで生き残った事を反映して運が高い。

  • 日本版は改造未実装
 

ゲーム内では Edit

  • 元々は日本郵船の客船だったので郵便屋さんスタイル。赤毛のサイドテールと、飛鷹とは違った印象を受ける。
  • 作戦や計算に忠実で、いかにも軍人らしい。
  • 元客船なだけあってか料理が得意な模様。
     

元ネタ解説 Edit

  • 元々は日本郵船が建造した大型客船、橿原丸。1940年に開催される東京オリンピックに向け、大型優秀商船建造助成施設第一号として建造が決定。サンフランシスコ航路に投入される予定だった。
    有事の際は海軍に徴用するという条件で建造費に補助が出ていた。当初は軍が8割負担するはずが、何故か6割に減らされていた。
    日本郵船は採算が合わないとして建造には難色を示していたが、結局軍部と政府に押し切られ、1939年3月20日、900番船という仮称を与えられて三菱重工長崎造船所で起工。
  • そして戦争の足音が聞こえてきた1940年10月、建造中止。1941年2月10日に海軍へ売却され徴用。空母への改装が始まった。橿原丸が航海する事は無かった。
    同年6月26日、進水。
  • 船体と排水量は正規空母並みであったが、元が商船だけに防御力の低さが問題視された。
    • 公試が終わって海軍に引き渡された隼鷹。その隼鷹に乗艦するべく、転勤してきた乗組員が小型艇で向かっていたところ、操舵手のミスで隼鷹に衝突。
      小型艇が沈没すると思い、乗組員たちはすぐに海へ飛び込んたが、小型艇は一向に沈まなかった。むしろ隼鷹の方がヘコんでいたのである。
      あまりの防御力の低さに、乗組員一同は不安を覚えたという。
  • 豊富なスペースを活かし、隼鷹には移動用のトラックが積載されていた。上陸や乗艦する際に使用されたという。
  • 1942年4月6日、駆逐艦呉竹に護衛されながら佐世保を出港。翌日に呉へと到着し、仕上げの工事を行う。この時、お隣に戦艦武蔵が入渠しており
    武蔵が進水した後もドックを覆う幌が残されていた事から、「もう一隻武蔵がいるのか?」という噂が立った。改装工事が終わったのは1942年5月3日。海軍籍を持ったが特設空母の扱いだった。
    同月20日、第四航空戦隊に編入され呉鎮守府所管特設空母となる。初陣のミッドウェー作戦では北方のアリューシャン方面攻撃を担当。
    隼鷹はミッドウェー島攻略後、同島に進出する第六航空隊の零戦12機を抱えていたため、搭載数がいつもより少なかった。
    6月3日、カタリナ飛行艇から投弾されるが外れる。翌日、ダッチハーバーを空襲。第一次攻撃でPBY1機を撃墜し、地上の飛行艇と自動車を銃撃した。
    第二次攻撃ではPBY2機を撃墜。ミッドウェー方面で戦闘が始まった6月5日、P40戦闘機を6機撃墜。一連の攻撃で1機の未帰還機を出す。
  • ミッドウェー海戦が惨敗に終わり、空母の数を減らした帝國海軍にとって隼鷹は貴重な大型空母だった。早速再編成が行われ、新生第二航空戦隊の一員となった。7月14日、特設空母から航空母艦に類別。
    • ミッドウェー海戦を生き残った蒼龍や飛龍の搭乗員が転属してきており、練度は十分であった。
  • 間もなく形成されたソロモン戦線及びガダルカナル島争奪戦に投入。9月20日、発電機火災で反転した姉妹艦の飛鷹から第二航空戦隊旗艦の座を譲り受ける。
    • ガダルカナル島砲撃部隊の上空支援を行ったあと、10月17日、9機の艦載機がガダルカナル島泊地を攻撃。続く10月26日、南太平洋海戦に参加。
      戦闘開始直後はガダルカナル島の米軍に攻撃を仕掛けていたが、第一次攻撃から戻った各空母の艦載機が続々と隼鷹に着艦。矛先を米機動部隊に向け、攻撃隊を送り出した。
      この攻撃で空母エンタープライズに至近弾を与え、戦艦サウスダコタと巡洋艦サンファンにそれぞれ1発の爆弾を喰らわせた。
      この時、敵部隊は航続距離の範囲外に位置していたが、隼鷹が全力で前進して帰還機を迎えに行き、回収した。隼鷹航空隊は9機を撃墜、5機不確実を報じた。損害として2機が未帰還、3機が不時着。
      艦長の角田中将は第三次攻撃を命令したが、既に飛行隊長と分隊長は戦死し、使える機体も艦爆4機と艦戦9機しかなかった。それでも攻撃を強行、艦爆隊は零戦に守られながら飛び立った。
      この第三次攻撃で空母ホーネットは致命傷を負い、船体は放棄された。そして未帰還機はゼロと、華々しい戦果を挙げた。これによりアメリカ軍の稼動空母は一時的にゼロとなった。
  • ウエワクに進出した隼鷹航空隊は船団護衛に従事する。1943年1月20日朝、B24がウエワク港内の船舶を爆撃したが隼鷹隊の活躍で2機を損傷させ、撃退した。
  • 1943年1月29日、争奪戦に敗れた帝國陸海軍はガダルカナル島より撤退。隼鷹は撤退支援を実施した。
  • 同年3月27日、トラック基地へ入港。戦艦大和を標的として急降下爆撃の訓練を行った。
  • ろ号作戦により搭載機が陸上基地に供出される。搭載機を失った隼鷹は輸送船として運用される事になる。
    • 4月7日、抽出された隼鷹隊機はガ島方面の敵艦船を攻撃。他の空母から転用された機体と合わせて148機に及んだが、数隻程度の撃沈しか出来なかった。
      米軍の迎撃も激しく、多くの機体を損耗した瑞鳳と瑞鶴は一部の搭乗員と機材を隼鷹及び飛鷹に託し、内地へ戻った。6月16日、隼鷹艦載機はルオット島へ進出。
      7月からはソロモン方面で戦闘を行ったが、僅か二ヶ月で損耗してしまい、残余の機体は現地部隊に吸収された。
  • 1943年11月5日、豊後水道の南東で米潜水艦ハリバットの雷撃を受け、艦尾に魚雷が命中。4名の死者を出し、大破した。重巡利根に曳航され、どうにか呉まで戻った。
    修理を受けると同時に、客船時代に塗られた可燃性のペンキを剥がす作業が行われた。
  • 1944年5月10日、艦隊の一員として佐伯を出港。16日にタウイタウイへ入港した。6月8日、特設運送船北上丸から食糧品の補給を受ける。
  • 同年6月19日、マリアナ諸島の覇権を巡ってマリアナ沖海戦が生起。隼鷹は第三航空戦隊の一員としてこの決戦に挑む。
    翌20日、米機動部隊の反撃が始まる。第三航空戦隊は激しい攻撃に曝され、艦橋後部に2発の命中弾を受けて煙突が全壊、方位測定儀が半壊する。
    また多数の至近弾により発着艦装置も壊れ、50名の死者が出た。この被害で隼鷹は戦闘能力を喪失し、姉妹艦の飛鷹は撃沈、龍鳳ただ一隻が猛攻を捌いた。
    致命傷を負った隼鷹にトドメを刺そうと敵機が突っ込んできたが、間一髪のところで長門が砲撃し、かろうじて難を逃れている。
  • 満身創痍の隼鷹は沖縄を経由して6月24日に瀬戸内海西部に帰投。決戦に敗れ、マリアナ諸島は米軍に包囲された。
  • 第二航空戦隊が解隊され、隼鷹は第四航空戦隊に転属。米軍が上陸し、窮地に立たされているフィリピン方面への輸送任務に就くが、11月2日、ルソン島沖で護衛の秋風が米潜の雷撃から隼鷹をかばい、撃沈されている。
    何とかブルネイへ入港し、戦艦大和に砲弾を補給した。ブルネイ入港後の11月10日には駆逐艦卯月と衝突事故を起こしている。15日、栄えある第一航空戦隊に転属。
    レイテ沖海戦で撃沈された武蔵の生存者200名を乗せた隼鷹は、戦艦榛名等とともに出港し本土を目指した。11月30日、マニラ沖で米潜ハードヘッドに発見されるが攻撃はされなかった。
  • 1944年12月8日、米潜レッドフィッシュに発見され応援を呼ばれる。翌日、野母崎の南西で米潜シーデビルから雷撃を喰らい、中破。艦首を失ったが航行可能だったため、すぐさま佐世保へと逃げ込んだ。
  • 修理中の1945年1月1日、再編成が行われ第一航空戦隊は第二艦隊に編入される。もはや第一航空戦隊に往時の栄光は無く、ただの寄せ集め部隊に過ぎなかった。
    4月20日、修理終了。しかし主機が直っておらず、以降は佐世保に係留されたまま過ごす事になる。6月1日、特殊警備艦に類別される。
  • このままの状態で隼鷹は終戦を迎える。戦争には生き残ったものの、損傷が激しかったため復員船には使用されず、11月30日に除籍。
    1946年6月1日、佐世保で解体工事が始められ翌年8月1日に完了。客船として生まれるはずだった彼女の運命は、戦争によって大きく捻じ曲げられてしまい、
    客船に復帰する事無く隼鷹はこの世を去った。一応、客船復帰案もあったが実行されなかった。
    解体によって生じた資材は、戦後の復興を支える重要な物となった。
  • 開戦劈頭から戦闘に参加し、終戦まで生き残った大型空母は隼鷹ただ一隻である。
     

国別艦種一覧表

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コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照

  • お前のような軽空母が居るか と突っ込みたくなる優秀さ。 -- 2017-03-05 (日) 03:47:27
    • 帝国海軍に軽空母というものは存在しないからねぇ そもそも飛鷹型は他国の正規空母並みにでかいし -- 2017-03-05 (日) 12:29:54
  • ルート選択で低速艦が必要な時の有力なメンバー。6−1レベリングの随伴艦に最高です。 -- 2017-03-17 (金) 15:17:11
  • 郵便の仕事の予定が戦争全期を生き抜く唯一の空母となるとは… -- 2017-04-21 (金) 16:46:23
    • 防御力の低さ的に即死不可避と思われたが、実は最後まで生き残るという主人公 -- 2017-04-21 (金) 19:46:50
  • なんか執念を感じる船だ。 -- 2017-04-21 (金) 16:46:43
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