No27 ラングレー/元ネタ解説

Last-modified: 2018-02-22 (木) 19:19:49
所属United States Navy
艦種・艦型プロテウス級給炭艦→航空母艦ラングレー(1920)→水上機母艦(1937)
正式名称USS Jupiter (AC-3)→USS Langley (CV-1/AV-3)
名前の由来Jūpiter ローマ神話の主神 天空の神、気象現象(雷など)を司る神とされた。また、戦争では一騎打ちを守護する神として崇められていた。
→Samuel Pierpont Langley(1834-1906) アメリカの天文学者、発明家、航空の先駆者 初の航空機の開発をライト兄弟と争った。開発していた機体に乗せられたエンジンは後の星型エンジンにつながるものとなった。
愛称The Covered Wagon, Old Covered Wagon
起工日1911.10.18
進水日1912.8.14
就役日(竣工日)1913.4.7
除籍日(除籍理由)1942.5.8(1942.2.27自沈処分)
全長(身長)165.2m
基準排水量(体重)12700英t(12904t)
出力Yarrow式石炭重油混焼缶3基Parsons式蒸気タービン2基電気モーター2基(ターボエレクトリック方式)2基2軸 7000shp(7097.1PS)
最高速度15.5kt(28.7km/h)
航続距離10kt(18.5km/h)/3500海里(6482km)
乗員163名(ジュピター) 468名(ラングレー)
装備5inch51口径単装砲4門
艦載機x36
装甲無し
その他ゲームとの性能違い最終的には水上機母艦になったが戦艦少女では反映されていない*1
建造所Mare Island Naval Shipyard, Vallejo, California
(メア・アイランド海軍工廠 アメリカ合衆国カリフォルニア州ソラノ郡ヴァレーホ市)
勲章(ジュピター)Mexican Service Medal
World War I Victory Medal(Transport clasp)
勲章(ラングレー)American Defense Service Medal(Fleet clasp)
Asiatic-Pacific Campaign Medal(2 stars)
World War II Victory Medal

前身は、アメリカ海軍が建造した給炭艦ジュピター。1911年10月18日、カリフォルニア州のマーレ島海軍工廠で起工。起工式には時の大統領が参列した。
1912年8月14日に進水し、1913年4月7日に竣工した。ジュピターは世界初の電気推進艦で、試験に成功したあとサンフランシスコで米海兵隊の指揮下に入った。
しばらくは輸送艦としてアメリカ大陸の東西を行き来していたが、やがて第一次世界大戦が勃発。1917年6月と1918年11月に予定されていたフランス行きの航海は中止となり、代わりにイギリスへ物資を届けた。
この初航海で、7機の航空機と122名の要員がイギリスに渡った。第一次世界大戦が終結すると、フランスのブレストから帰還兵を乗せて1919年8月17日にノーフォークへ戻った。
同時期にジュピターの空母化が決定され、船体を西海岸に移すとハンプトンロードに向かった。1920年3月24日、退役。

1920年4月11日、ラングレーへと改名。試験的に航空母艦へと改装される事になり、米海軍初の空母となった。ゲームでの姿はこの空母時代に準じている。
1922年3月20日、改装が終わり再就役。10月17日には早速発艦訓練が始められた。
1936年に更なる改装が加えられ、水上機母艦になるという三度華麗な変身を遂げた。1939年7月、太平洋艦隊に編入。

 

1941年12月7日、大東亜戦争が勃発。開戦時、ラングレーはマニラのキャビデ基地に停泊していた。翌8日、キャビデを脱出し、1942年1月1日にダーウィンへ入港した。
ABDA艦隊に編入され、1月11日まで近海の対潜掃討に従事。オーストラリア空軍を支援した。しかし帝國陸海軍の電撃的侵攻により各拠点は制圧され、ABDA艦隊は壊滅と東南アジアの連合軍は絶望的局面に立たされていた。
不利な戦局を打開すべく、連合軍はインドに輸送予定の59機のP-40を東南アジアに投入。その輸送にラングレーが選ばれた。

1942年2月22日、苦戦する蘭印軍を支援するため、フリーマントル港でP-40戦闘機32機と航空要員33名を収容。貨物船シーウィッチとともにチラチャップへ急行した。
27日朝、護衛の駆逐艦2隻と合流。バリ島付近に差し掛かったところで帝國海軍第二三航空戦隊の索敵機に発見されてしまう。
その後、バリ島より出撃してきた高雄空の陸上攻撃機16機が襲来し、爆弾5発と至近弾2発を受けて大破したラングレーは放棄が決定。味方の駆逐艦により雷撃処分された。
搭載していたP-40もまとめて喪失している。真珠湾以来、アメリカが喪失した初の大型艦となる。

 

生存者は米潜水母艦ペゴスに救助され、チラチャップへ向かった。ところがビスマルク諸島から転戦してきた日本機動部隊の空襲を受け、ペゴスは沈没。
ラングレーの生存者は全滅した。


*1 初期は水母の表記があったが今は消されている