No281 グレミャーシチイ/元ネタ解説

Last-modified: 2018-05-09 (水) 22:23:27
所属Военно-морской флот СССР
艦種・艦型7型計画駆逐艦
正式名称Гремящий
名前の由来Гремящий ロシア語で雷鳴、轟く、鳴り響くという意味
起工日1936.7.23
進水日1937.8.12
就役日(竣工日)1939.8.28
除籍日(除籍後)1958(標的艦として沈没?)
全長(身長)112.8m
基準排水量(体重)1402.5英t(1425t)
出力メーカー不詳重油専焼缶3基ГТЗА-24式蒸気タービン2基2軸 48000PS(47343.4shp)
最高速度38.0kt(70.37km/h) 39.37kt(72.91km/h)(最大)
航続距離19.83kt(36.72km/h)/2640海里(4889.28km)
乗員246名
装備(1943)130mm50口径Б-13単装砲4門
76.2mm55口径34-К単装高角砲2門
45mm46口径21-K単装高角砲2門
ДШК12.7mm機関銃x2
533mm三連装魚雷発射管2基6門
爆雷投射機1基
機雷x48
装甲なし
建造所ПАО Судостроительный завод<Северная верфь>,Ленинград\Санкт Петербург
(PAO造船社北部造船所(ソ連 第190号海軍工廠) 旧ソビエト連邦レニングラード 現ロシア連邦北西連邦管区サンクトペテルブルク連邦市サンクトペテルブルク)
  • グネフヌイ級(ソ連では7型と呼称される)駆逐艦の一隻で、1939年に完成後北海艦隊としてポリャールヌイに配備された。
    同型艦にレシーテリヌイがいる。
  • フィンランドとの冬戦争では哨戒したのみで本格的な実戦参加はなかった。
  • 1941年6月22日、ドイツの侵攻により長く苦しい大祖国戦争が始まると、グレミャーシチイ以下北海艦隊はより内湾のヴァエンガ(現:セヴェロモルスク)に移動する。
    フィンランド北東部の極寒の地はノルウェーと国境を接しており、ドイツから直ちに攻撃を受ける恐れがあった。
    果たして半月後にはノルウェーからドイツ軍爆撃機が襲撃してきたが、グレミャーシチイはこれを1機撃墜する。
    8月18日、戦闘結果を踏まえ対空装備の増設が不可欠であるとして、37mm対空機関砲70-K2門が増設された。
    取付作業中に爆撃を受け損傷するが、奇跡的に一人のけが人も出さずに済んだ。
  • 8月22日、ドイツ軍潜水艦の攻撃を受け損傷した味方の連絡を受け出撃、この輸送艦はトドメを航空機によって刺されるところであったが間一髪間に合い、
    その後4時間に渡る執拗な追撃を振り切りながら無事護衛に成功する。グレミャーシチイはドイツ軍1機を撃墜した。
    その後はドイツの通商破壊への対抗措置として機雷敷設に従事する。
  • 11月末にはイギリス軍と協力してドイツに対する反撃が計画された。
    ドイツ軍はモスクワ侵攻が頓挫しかかっており、その反撃の一環として各地でドイツ軍の主要な基地へ攻撃が企図されたのである。
    イギリス軍の巡洋艦ケニアとともにノルウェー北部の町、ヴァードーの砲撃に成功した。
  • 1942年1月末、援ソ連船団の護衛中に運転中のタービン損傷により半月ほど整備される。
    修理完了後は再びノルウェーを砲撃し、その後は何度となくソ連への輸送船団護衛に当たった。
    しかしイタリアの影響が色濃い7型駆逐艦の低い乾舷は北海の嵐の中では不利であり、嵐で何度も船体を損傷している。
    それにもめげず何度も北海へ繰り出し護衛を務めており、開戦から1943年末の段階で合計27000マイル(約地球一周分)もの移動距離を達成している。
  • 1943年3月2日には「ドイツの侵略者と勇敢に戦い、高度に訓練され組織された比類なき英雄的行為」を賞賛され、親衛隊の称号を賜る。
    4月から年末まで43年中の出撃回数は20回を超え、44年には29回という脅威の護衛回数をこなしたグレミャーシチイは45年1月、勝利が決定的になったとしてようやくオーバーホールにはいった。
    2年後に一度出動記録があるものの、その後さらに3年かかってようやく修理を終えている。
    いかに酷使されたかが窺い知れよう。
  • 親衛駆逐艦グレミャーシチイの名はソ連海軍における伝説的な名前の一つとなり、本艦を初代として現在4代目が就役している。

小ネタ

  • その武勲を讃え、80年代に記念切手が、90年代に記念硬貨が作られた。
  • ソ連らしく武功を称える歌がある。作詞は当時本艦乗員だった航海科のイワシェンコ大尉が休憩時間に書いたもの。
    「さらば岩山よ」などの作曲も手がけ当時の北方艦隊向けにたくさんの楽曲を演奏して士気を高めた著名なプロ作曲家ジャルコフスキーの手によって曲が作られた。