No301 マハン/元ネタ解説

Last-modified: 2019-12-31 (火) 20:50:48
所属United States Navy
艦種・艦型マハン級駆逐艦
正式名称USS Mahan (DD-364)
名前の由来Alfred Thayer Mahan(1840-1914) アメリカ海軍大佐(最終的に少将)・歴史家・戦略研究家
起工日1934.6.12
進水日1935.10.15
就役日(竣工日)1936.9.18
除籍日(除籍理由)不明(1944.12.7自沈処分)
全長(身長)104.0m
基準排水量(体重)1500英t(1524t)
出力Babcock&Wilcox式重油専焼缶4基General Electric式蒸気タービン2基2軸 46000shp(46638.0PS)
最高速度37.0kt(68.52km/h)
航続距離12.0kt(22.22km/h)/6940海里(12852.9km)
乗員158名
装備(竣工時)5inch38口径Mk.12単装両用砲5門
21inch四連装魚雷発射管3基12門
ブローニング0.5inch機関銃x4
爆雷投下軌条x2
装備(1944)5inch38口径Mk.12単装両用砲4門
21inch四連装魚雷発射管3基12門
ボフォース40mm機関砲x4(2x2)
エリコン20mm機関砲x5
ブローニング0.5inch機関銃x4
爆雷投下軌条x2
装甲なし
建造所United Dry Docks Inc,Staten Island, New York
(ユナイテッド・ドライドック社 アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市スタテンアイランド区)
勲章不明 (5 stars)

アメリカ海軍が建造したマハン級駆逐艦一番艦。ファラガット級の改良型で、ダントラップ級やファニング級とも呼ばれる。
ユナイテッド船渠のバス鉄工所で1934年6月12日に起工。1935年10月15日に進水し、1936年9月18日に竣工した。
戦前はカリブ海や太平洋で訓練に従事。

 

大東亜戦争開幕後は対日戦に参加。1941年12月8日の真珠湾攻撃の際には迎撃部隊に編入され、索敵を行ったが発見出来ず。4日後に真珠湾へ戻った。
12月末、マハンは海兵隊員103名を乗せてジョンストン島へ回航。隊員を降ろすと、代わりに47名の市民をハワイへ避難させた。
その後、第17任務部隊に加わり、マーシャル諸島とギルバート諸島の空襲を支援。1942年2月下旬からはカントン島を拠点として哨戒任務に就く。
4月上旬、アメリカ近海に引き上げて護衛任務に従事。18日、船体の整備のためマア島海軍造船所に入渠した。8月に復帰し、真珠湾へ進出。
1942年10月22日、エリス諸島南西沖で姉妹艦ラムソンとともに特設砲艦八海山丸を撃沈する。続いて26日に生起した南太平洋海戦に参加。
30日、日本潜水艦の出現により混乱した船団は各々回避運動を取る。その最中で戦艦サウスダコタと衝突し、艦首が大破する大怪我を負う。

 

1943年1月9日、どうにか修理を終えて戦線復帰。南太平洋で哨戒や護衛任務に就く。ニューギニア、ラエの攻撃に参加し、日本軍の撤退先であるフィンシュハーヘンも攻撃した。
9月22日、フィンシュハーヘン攻撃中に10機の雷撃機に襲われる。対空砲火により迎撃し、8機を撃墜した。12月4日、姉妹艦とともにニューブリデン島の日本軍拠点を砲撃。
攻略作戦が実施されたがボルゲン湾への入り口は海図にも載っていない未知の領域で、マハンはその先導役を命じられた。

 

1944年2月下旬、第7艦隊と共同でロス・ネグロス島を砲撃し、上陸部隊の支援を行った。三週間後、同島は陥落した。
作戦を終えたあと真珠湾に回航。8月15日まで訓練を行い、ニューギニアを経由してフィリピン海域へ進出。レイテ沖海戦には参加せず、後方で対潜掃討を行っていた。

 

レイテの決戦が勝利に終わった11月からはレイテ島近海で哨戒任務に従事。12月7日、フィリピンのオルモック湾で特攻機の襲撃を受ける。
護衛の陸軍機が3機を撃墜し、マハンも4機を撃墜したが猛攻は続き、遂に3機の突入を受けて大破。爆発し、炎に包まれたマハンは最早虫の息だった。
近くの駆逐艦2隻が生存者の救助を行い、魚雷と砲撃で撃沈処分された。乗員6名が戦死、13名が重傷を負った。
戦功でマハンは5つの従軍星章を受け取った。またマハンの艦長は乗員の勇気ある行動を賞賛した。