No304 ジャンヌ・ダルク/元ネタ解説

Last-modified: 2019-01-05 (土) 21:14:17
所属Marine nationale→Forces navales françaises libres(1943)→Marine nationale(1944)
艦種・艦型練習巡洋艦(軽巡洋艦)ジャンヌ・ダルク
正式名称Jeanne d'Arc
名前の由来Jeanne d'Arc(1412-1431) フランス王国の軍人、守護聖人の一人 フランス軍に従軍しイングランドとの百年戦争の重要な戦いに参戦して勝利を収め、フランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。その後捕虜となりイングランドへ引き渡された。異端審問にかけられ火刑となり生涯を閉じた。死後ローマ教皇による復権裁判が行われ無実殉教が宣言された。
起工日1928.8.31
進水日1930.2.14
就役日1931.9.14
自由フランス海軍就役日1943.7
除籍日(除籍後)1964.7(売却後解体)
全長(身長)170.0m
基準排水量(体重)6500英t(6604.3t)
出力Penhoët式重油専焼缶4基Parsons式蒸気タービン2基2軸 32500PS(32055.4shp)
最高速度25.0kt(46.30km/h)
航続距離14.5kt(26.85km/h)/5000海里(9260km)
乗員指揮官28名 士官候補生156名 乗組員424名
装備(建造時)155mm50口径M1920連装砲4基8門
75mm50口径M1924単装高角砲4門
M1925 37mm機関砲x11
オチキス13.2mm機関銃x12
550mm魚雷発射管2門
艦載機x2
装甲砲塔:30mm バーベット:30mm 艦橋:30mm 弾薬庫:20mm
建造所Ateliers et Chantiers de Penhoët à Saint Nazaire,Saint Nazaire
(ペンウト社サン=ナゼール造船所 フランス共和国ペイ・ド・ラ・ロワール地域圏ロワール=アトランティック県サン=ナゼール郡サン=ナゼール
  • 1926年にフランスが計画し、翌々年から着工した本格的な練習巡洋艦。
    軽巡洋艦デュゲイ・トルーアン級をベースにしている。
    フランス海軍はそれまで練習用の船舶に旧式化した装甲巡洋艦などを順次第一線から引き下げて用いていた。
    しかし第一次世界大戦でドイツの通商破壊に対抗するため酷使された巡洋艦たちは経年以上に劣化が激しく、どうせならと新造で練習艦を作ることに決めたのである。
  • 基本の形式は前述のデュゲイ・トルーアン級に準じた船首楼型にクリッパーバウを備え、艦首と艦尾に15.5cm1920年式連装砲塔を背負式で2基ずつ計4基を備える。
    艦橋の後ろから後部砲塔までの間には練習生と教員合計170名を乗せられるよう、2階建てのプロムナードデッキが設けられた。
    両舷に大きな丸窓が船体とプロムナードデッキに並ぶが、これは植民地方面での活動の際生徒の熱射病対策として風通しを良くする目的があった。
    堂々とした艦橋に背負式の連装砲塔に挟まれた客船のようなデッキと、凌波性を考慮したこの時期のフランス艦に特徴的な高い乾舷のおかげで大変優雅な見た目となった。
    他に3インチの単装高角砲4基とプロムナードデッキの上に水上機2基を備え、37mm連装対空機関砲2基と13.2mm対空機銃12丁を備え、いざ戦争になれば戦闘艦としても活動可能なようにしてある。
    カタパルトは流石に6500tの船体には置くスペースが無いのでクレーンで水上におろしていた。
    また下部プロムナードデッキの後方に単装の55cm魚雷発射管が両舷1基ずつ設けられていた。片舷1射線なのであくまで練習用である。
    後に水上機と魚雷は撤去され、ボフォース40mmとエリコン20mmの対空機銃が増設されている。
    練習艦であるため機関は速力より航続距離を求められ、14.5ktで5000海里というこの規模の船体にしてはなかなかの性能を示した。
    また船体の抵抗が少ないため高速巡航は23kt、最大25ktを発揮することができ、公試運転では27.8ktを出したこともある。
  • 1930年に竣工した本艦は早速練習用に使われるとともに、中南米諸国との関係を強めたい当時のフランスの思惑で中南米諸国を回り、更にその後は黒海にも向かった。
    軍ではジャンヌと愛称で大変に親しまれていた。
    第二次世界大戦が勃発するとカナダへ向かう船団の護衛についたが、帰路でフランスが降伏してしまったため道中でベアルンと合流し西インド諸島へ退避する。
    その後1943年にベアルンと揃って自由フランス軍に所属し、地中海の上陸作戦支援などに従事した。
  • 終戦後、再びフランス海軍の練習艦として多くの生徒を育て上げ、27回の航海をこなして世界中を回った後、後継であるヘリ空母(兼練習艦)ジャンヌ・ダルクに名を譲り、1964年退役、解体された。