No37 ブリュッヒャー/元ネタ解説

Last-modified: 2018-11-11 (日) 16:34:43
所属Kriegsmarine
艦種・艦型アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦
正式名称Blücher
名前の由来Gebhard Leberecht von Blücher(1742-1819) プロイセン陸軍元帥 ナポレオン戦争後半に総司令官となり、ワーテルロー戦いでナポレオンを破った。攻撃的な正確から「Marschall Vorwärts(前進元帥)」と呼ばれていた。
起工日1936.8.15
進水日1937.6.8
就役日(竣工日)1939.9.20
除籍日(除籍理由)不明(独Unternehmen Weserübung/英Operation Weserübung(ヴェーザー演習作戦)1940.4.9沈没)
全長(身長)205.9m
基準排水量(体重)14050英t(14275.46t)
出力Wagner式重油専焼缶12基Deschimag式蒸気タービン3基3軸 131821PS(130017.7shp)
最高速度32.6kt(60.37km/h)
航続距離20.0kt(37.04km/h)/6800海里(12593.6km)
乗員1382~1599名
装備20.3cm60口径SK C/34連装砲4基8門
10.5cm65口径SK C/33連装砲6基12門
3.7cmSK C/30機関砲x12(6x2)
2cmC/30機関砲x8
53.3cm三連装魚雷発射管4基12門
艦載機x3
装甲舷側:70~80mm 甲板:12~30+20~50mm 砲塔:50~150mm 艦橋:50~150mm
建造所Deutsche Werke, Kiel
(ドイチェヴェルケ社 ドイツ連邦共和国シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州キール市)

ドイツ海軍が建造したアドミラルヒッパー級重巡洋艦二番艦。文献によってはブリュッヘルとも。1936年8月15日、キール造船所にて起工。1937年6月8日に進水し、1939年6月8日に竣工した。

 

間もなく第二次世界大戦が勃発。1940年4月8日、ノルウェー攻略のためキールを出撃。クメッツ少将が座乗する旗艦として「リュッツオウ」「エムデン」、水雷艇等とともにオスロ攻略を目指した。
進撃中、英潜水艦から雷撃されるも無傷で切り抜けた。翌日夜、ドレーバク水道で要塞から探照灯が照射され敵に発見される。
ただちに15cm砲弾が放たれ、戦隊は攻撃に曝される。ブリュッヒャーは掃海艇に歩兵を乗せ、要塞島の制圧を図った。
砲火をいなし敵陣の奥深くに切り込んでいく戦隊。だがノルウェーの警備艇に発見され、後方の敵部隊に発光信号を送られてしまう。
その信号に呼応しオスカシボルグ要塞から砲撃が始まった。ブリュッヒャーに2発が命中、舵が損傷した。そこへカホルム島要塞から放たれた魚雷2本を喰らい、あえなく沈没。
竣工から一年も経たないうちに死を迎えた。